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April 30, 2016

『台湾新電影時代』シエ・チンリン
隈元博樹

[ cinema ]

 巷のシネコンへ足を運ぶたびに、ふと気になってしまうことがある。それは予告編に続いて本編が始まろうとしてもなお、スクリーンのフレームサイズが一向に変わらなくなったということだ。たとえばこれがフィルム上映であれば、必ず上映前に映写技師の手によってスタンダード、ヴィスタ、スコープと、作品ごとのフレームサイズに応じたマスキングが行われていたと思う。それと同時にマスキングは画の左端に連なるサウンドトラックのモジュレーションやDTSのタイムコードを隠すため、あるいはスタンダード・サイズで撮られた本編の上下を切る(録音部のマイク・ブームを覆い隠すことも一理ある)ことでヴィスタ・サイズとして上映するための操作でもある。具体的にはレンズとアパーチュアマスクを映写機にセットしたのち、SMPTEのチャートを上映前のスクリーンへと映し出し、技師はスクリーン側のフレームサイズやフォーカスを合わせなければならない。しかしデジタル上映への移行により、サウンドトラックを始めとした左端のエッジ部分は不要なものとして姿を消し、やがてマスクを切ること自体に必然性がなくなってしまったのだ。だからスクリーンを見つめる私たちは、時に黒帯が左右に生じたままのスタンダード・サイズやヴィスタ・サイズと対峙することになる。もちろんすべての映画館がそうだとは言い切れないが、いちはやくデジタル化へと舵を切った昨今のシネコンへ行けば、こうした黒帯のジレンマに遭遇することも少なくなってきたのではないだろうか。
 このことを考えながら『台湾新電影時代』を観ていくと、この中で語られるフィルムの多くはスタンダードやシネスコではなく、実はアメリカン・ヴィスタで撮られていたことに改めて気づかされる。つまり80年代のホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンは1:1.85のヴィスタ・サイズを通して、そこに漂う時代の質感やただならぬ気配、そして彼らのフィルムを目撃する私たちの世界とをつなぎ止めようとしていたわけだ。それは『風櫃の少年』(1983)の海辺で他愛もなく踊る少年たちのダンスであり、あるいは『恐怖分子』(1986)にみなぎる殺伐とした都市空間としてそこに依拠していたことだろう。戒厳令下の情勢とも重なり合うことで、彼らの映し出す台湾とは、言わば世界を映し出すための大きな窓だったのだ。
 彼らの映画が世界を切り取るための窓だと信じるならば、さらにその外部を想起することが逆説的なフレームの大義となる。しかし現代の劇場に生じつつある左右の黒帯は、そこに提起されるべく映画本来の時代性や状況を、あえて見えにくくさえしているのではないだろうか。つまり私たちはスクリーンとカーテンのあいだに生じる不用意な隙間を認めるのではなく、スクリーンの両端から広がっているはずの見えないイメージを想起しなければならない。なぜならそれは、本作の後半で「台湾ニューシネマに私が入るとは思わない」と語るツァイ・ミンリャンのように、一匹狼のような作家の存在にさえ気づくことになるのだから。

新宿K's cinema「台湾巨匠傑作選2016」(4/30~6/10)にて公開