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September 29, 2016

『潜行一千里』空族+スタジオ石+YCAM
隈元博樹

[ design ]

 前方に設えられた4つのスクリーンと、後方の1スクリーンに囲まれた映像のインスタレーション。『バンコクナイツ』に登場するロケーションとノイズの数々が、計5つのスクリーンに囲まれた私たちの身体へと呼応していく。『潜行一千里』とは旧大日本帝国陸軍参謀であった辻政信による著書『潜行三千里』に由来したものだが、このインスタレーションは『バンコクナイツ』の撮影クルーであるスタジオ石と空族が敢行したタイとラオスでの潜伏取材を行程順に再構成されたものだ(このプロジェクトの詳細はboidマガジン連載中の『潜行一千里』を参照)。それは『バンコクナイツ』と同じく日本人観光客向けの歓楽街であるバンコクのタニヤ通りからはじまり、映画の主人公であるラックが生まれ育ったノンカーイ、そしてラオスの首都ヴィエンチャンや、ベトナム戦争時にアメリカ空軍の滑走路として使われたヴァンヴィエンと越境を果たし、当時モン族特殊部隊の前線基地だったロンチェン、さらに一行はアメリカ軍による投下爆弾跡のクレーターが残るジャール平原のシェンクアンへと歩みを進めていく。
 あらかじめ本編の製作に先立ち、膨大なリサーチとフィールドワークの映像をひとつの作品へと昇華する試みは、『サウダーヂ』製作前のリサーチ映像を編集した『FURUSATO2009』を彷彿とさせるだろう。つまり『潜行一千里』は『サウダーヂ』における『FURUSATO2009』のように、『バンコクナイツ』との相互補完的な作用を担ったひとつの作品として成立している。またこのインスタレーションには『バンコクナイツ』のロケーションハンティングに執心する撮影クルーの様子や、実際の撮影風景なども盛り込まれている。だから「カメラはブラックマジックだったのか」や「ここの場面はヌケの西日を活かそうとしていたんだな」といったメイキング的側面も、この映像を通して垣間見ることができるだろう。
 しかし『潜行一千里』に惹かれたのは、そうした『バンコクナイツ』と相補な映像群であることよりも、ここに映る映像の断片がはるか遠くの事物として見えてこないことだ。たしかにこのインスタレーションには風光明媚な場所や文化、戦争の残滓を通して見えるある種の特異性が放たれている。しかし撮影クルーの周辺で行われていることに、特別なことは何も映っていない。撮影行為のほかは普段私たちが行う食事や夜遊び、散歩したりダラダラしたりといったきわめて日常的な場面の集積なのだ。つまりそうした状況の数々が、展示空間の床に座って(あるいは寝転がって)対峙する私たちの目の前をただ淡々と流れていく。それは目の前の状況や風景を恣意的に見せられているのではなく、投写された映像が私たちの身体に溶け込んでいくような感覚に近いのかもしれない。そしてこの流れる映像に同化した私たちと同じように、画面の向こう側に映るタイやラオス、そしてスタジオ石や空族の人々もやがて私たちの状況そのものと対峙しているのではないかとさえ思うようになる。それはおそらく、ラストに次々と映し出される正対した人々の表情こそが、彼らによる私たちへの「応答=切り返し」なのかもしれないからだ。

バンコクナイツ展『潜行一千里』は11月6日(日)までYCAM(山口情報芸術センター)にて開催中

  • 『バンコクナイツ』富田克也 渡辺進也
  • 爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン
    日程:2016年9月27日(火)〜10月1日(土)
    会場:Shibuya WWW、WWWX
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