« previous | メイン | next »

May 4, 2017

『幸せな時はもうすぐやって来る』アレッサンドロ・コモディン
渡辺進也

[ cinema ]

イタリア映画祭2017で上映されている、アレッサンドロ・コモディンの長編2本目となる『幸せな時はもうすぐやって来る』は、森を舞台にいくつかの物語が展開される。何かから逃れるように森の奥深くに分け入るふたりの男が、川で遊んだり、飢えをしのぐために罠を仕掛けたりして食べ物を探し求める物語。白い雌鹿に求愛する狼が人間の女性と恋に落ちたという伝説が人々の口から語られ、狼による家畜の被害が起きている最中に、森の奥深くに入っていく女性の物語。そして、時と場所を変えて男女が再び出会う物語。これらの物語が場所や時代が説明されることもなく、またそれぞれの関連性も示されないままに語られている。

この映画でまず特徴的なのは、森の中での彼らの行動がまるでドキュメンタリー風と言いたくなるような形で映し出されていることである。例えば、男が森の中を歩き回る時、観客は彼の目的を知らないままにその行動を見るので何のためにそれをしているのかよくわからない。それが、キノコを見つけることで初めて彼の目的がわかる。あるいは、女が森の中で穴を掘り始める。それが人ひとり入れるような大きな穴となったところで、そこに洞窟があることを初めて知る。
彼らがしていることは至極明快なのだが、その目的は行為の最中には決してわからない。だから、偶然手に入れた猟銃で遊び始めたり、穴の奥にある洞窟に窮屈そうに潜っていく様を見ていると、次に何が起きるのだろうかとヒヤヒヤして、期待しつつ目が離せなくなる。しかも、照明を使って何が起きているのかわかりやすく見せるとか、人物の表情を画面いっぱいに見せるといったいわゆる映画が持つ技法はほとんど用いられないので、夜の森の中では目を凝らさないと姿がよく見えないし、そもそも彼らの顔を見るというよりは何かをしている背中を見ている方が多い。スタンダードサイズ、35ミリ撮影で捉えられる森に溢れる光と闇は美しく、そのフレーミングも大胆だ。それは、まるで森の中で生活する獣たちの生態を息を潜めて観察しているかのようである。

また個人的に面白いと思ったのは、そうした人々の行動はすごく即物的に捉えられているのに、物語を語る方法にはすごく工夫しているように感じられることである。この映画にある複数の物語は巧妙な順番で並べられていて、そう並べられているからこそ(まだ上映があるので詳しくは書かないけれども)この映画の全体の物語が作られているように思われる。
例えば、前作『ジャコモの夏』L'estate di Giacomo(2011、検索すれば動画を見つけることができる)では、男と女が森の奥へと出かけていき水浴びしたり、男がドラムを演奏するのを女が聴いていたりといった行為が繰り返されるばかりなのだが、そうして過ごした時間の先に、ただの幼馴染といった感じのふたりが恋に落ちるという物語になっていた。

「自然主義に近いという感覚はあるけど、私の映画はダルデンヌ兄弟の映画とは違う。私はリアリスティックな技法(例えば、映画をどう見せるか、どう音響を使うかなど)と幻想的な物語要素を対立させるのが好きなんだ」http://kinoscope.org/2017/04/08/down-the-rabbit-hole-an-interview/

監督がインタビューでこう答えているように、アレッサンドロ・コモディンの作品では、リアリズムとファンタジーがあまり見たことのない形で織り成されているように感じる。ひとつひとつの行為はとても即物的でそこに意味など持ってはいないように思えるのに(ただ、非常に魅了される)、その持続の果てにフィクションを生み出しているとでも言ったらいいだろうか。
だって、それが必然であったかのように、最後にふたりは出会ってしまうんだから。


『幸せな時はもうすぐやって来る』I tempi felici verranno presto
監督:アレッサンドロ・コモディン Alessandro Comodin
5/5(金・祝)15:45〜 イタリア映画祭2017にて上映
http://www.asahi.com/italia/2017/