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December 2, 2017

『最低。』瀬々敬久
結城秀勇

[ cinema ]

なんの前情報も一切なしで見始めたので、断片的なカットの連なりで主役である3人の女性たちが描写されていく冒頭部分を見ていてちょっと混乱する。どうやら回想シーンも含まれているらしいこのパートの中で、とりあえず3人の女性は別々の場所にいるようだ。もしかしてこの3人はひとりの人物の違う時代を演じてるのか?いや名前も違うしそもそもこんなタイプの異なる3人を選ぶ意味もわからない、じゃあ実は3人のうちの誰かが誰かの母親で、とか?いやそれだといろいろつじつまが合わない。そんな愚にもつかないことを考えている間に、手書き文字で曜日とだいたいの時間帯を示す章タイトルのようなものがインサートされて、ここでは同じ現在を共有する3つの独立した物語が並行して語られているのだな、とやっと理解する。
あらためて言うまでもないが、『最低。』は4つの独立した短編からなる原作から3つの作品を組み合わせた映画化なので、おそらくそんなふうに混乱する観客はまずいないと思う。東京に進学したものの学校にも行かずAV女優として働く彩乃(佐々木心音)、夫婦生活のすれ違いからAVに出演することになる美穂(森口彩乃)、元AV女優の母親を持つ女子高生あやこ(山田愛奈)、3人の物語が映画独自のささやかな関連性を付与されて語られる。にも関わらず、ここでたんに個人的なリテラシーの低さを示すだけのエピソードを書いたのは、おそらくあの混乱とこの映画の魅力とのあいだにはなにか本質的なつながりがあるんじゃないかという気がしたからだ。見た目もキャラクターも全然違う3人の女性が、ひとりの女性の異なる時代のように錯覚された、あるいは血縁関係や遺伝的な共通部分を持っているかのように錯覚されたというのは、彼女たちの造型や物語上の役柄を越えた部分でなんらかの共通要素を見たから、違った身体違った人間性の中でそれでも繰り返されるなにかを見たからだと思う。もっともらしく言うなら、「女性性」とでも呼ぶべきなにかを。
AVに関わりがあるという以外特に関係のない3人の女性に同一の「女性性」を見た、などというとそれはそれで女性蔑視っぽい言い方になる気もするが、ここで言いたいのはそうしたことではない。それはもっと登場人物のなにげない一言のほうに関わりがある気がする。美穂の姉は、父親の死んだその日に自分が不倫相手の子を妊娠したことを知り、「生まれ変わりなんじゃないかと思った」と語る。あるいは、彩乃はバーで知り合った男に「人間何回目」の話をされる。生まれ変わるときには人間以外の生き物に生まれ変わる可能性があるので、人格者と呼ばれる人や人間ができている人というのは、繰り返し繰り返し人間に生まれ変わっているのだという話。それを聞いた彩乃は、「あー、あたしたぶん人間一回目です」と答えるわけだが、それを言う佐々木心音という女優の顔には、自分ではないかもしれない誰かが何度も何度も繰り返してきた「女」の厚みが宿っているように見えた。
同じことがたぶん他のふたりの主演女優にも言えるだろうし、もっと言えば脇を固める高岡早紀、渡辺真起子、根岸季衣といった女優陣にも言える。つまらない言い方をすれば役者がみんなとてもいい。それは演技がいいとか悪いとかいう問題でもなく、それまで生きてきた人生の経験が滲み出ているとかいう問題ですらない。この映画の最後に、3つのエピソードを集約させる物語上のギミックとして、遺伝というか輪廻というか、死を越えて受け継がれるなにかが用意されているわけだが、それがなくてもこの映画は最初から最後まで同じことを繰り返し見せていたのではないかという気がしてしまう。いまここにいる自分とは違うかもしれない誰かがかつて生きたものの上に、いま自分も薄い層を一枚重ねつつある、というような感覚を。
だから、縁側でただタバコを吸う、バス停でなにも言わずに娘を見送る、あのなにもしていない高岡早紀の顔は、ほんとこの人は人間何回目なんだという厚みとすごみが宿っているようで、度肝を抜かれた。

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