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March 16, 2018

『タイニー・ファニチャー』レナ・ダナム
結城秀勇

[ cinema ]

タイトルである「小さな家具」とは、主人公オーラ(レナ・ダナム)の母親シリ (ローリー・シモンズ )が制作する写真の撮影用に作られたミニチュア家具のことである。大学を卒業したオーラが久しぶりに実家に帰ってくると、母親は地下のスタジオで件の作品制作をしている。ちっちゃな椅子や机がきれいに配置された空間の真ん中にボンと突き立つ実物大の人間の足。その足のモデルをしている妹ネイディーン (グレース・ダナム)がぶつぶつと不平をもらすのを聞いて、オーラは母親にこう聞く。「なんであたしに (モデルを)頼まないの?」。
主役、母親、妹、幼馴染など主要な配役をキャラクターのモデルとなった本人たちが演じる自伝的な作品のタイトルとして、監督が「タイニー・ファニチャー」という言葉を選んだ理由を、映画を見ながらぼんやりと考え続けていた。もちろん、アーティストとして成功した母親に対して、大学は出たもののなんの将来の展望もないオーラが抱くコンプレックスがそこに込められているということだろうし、スラリと背の高い体型と芸術的な才能を母から受け継いだかに見える妹に対しての確執(ふたりより背も低くまるっとしたレナ・ダナムの身体)もあるだろう。とにかくあの小さなかわいらしい家具のスケール感は、オーラの生活にはフィットしない。
そうした登場人物の心象を投影する物体と考えたとしても「タイニー・ファニチャー」という小道具は非常によくできていると思えるのだが、映画を最後まで見終えたとき、どうもそれだけではない機能をあの小さな家具たちは果たしているように思えた。オーラが「白い棚」で見つけた20年以上前の日記の中で、いまは成功したアーティストである母親が、やる気もなくやるべきことも見出せないちっぽけな少女として姿を現わすとき。また母親自身の言葉で、自分が娘と同年代だった時代が語られるとき。そこで語られる少女の姿は、オーラにとって自分の母親の過去というルーツ的な意味でよりも、もっと無関係な、いつかどこかに存在した誰かのような曖昧さを持っている気がする。自分に近くて似た存在だから親近感を感じるのではなく、遠い時間的距離を隔てた遠近法の中でのちっぽけさだけが、オーラと母親の過去とのあいだで共通する。そんな一瞬だけ、オーラの存在もあのちっちゃな家具にフィットする、そんな感じがする。
......と思った瞬間に、そんな感じを断ち切って、やっぱりオーラの身体ではどうもうまくフィットしないこの世界に暴力的に引き戻すラストも秀逸なのだが。
身近な家族や友人と個人的な物語、そしてキャノン7Dとでできあがったかに見えるこの小さな作品が、ここまで世界的な評価と賞賛を得ているのは、彼女の生い立ちの特殊さやそこでつちかったセンスだけでは説明できない。『タイニー・ファニチャー』には、「タイニー」なものを「タイニー」に撮る適切な距離感があり、そしてそれをただ「タイニー」なだけではないスケール感の中に配置する独自の遠近法がある。


3/17より岐阜CINEXにて一週間限定公開

  • 『タイニー・ファニチャー』レナ・ダナム 隈元博樹