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April 12, 2018

『私の緩やかな人生』アンゲラ・シャーネレク
三浦翔

[ cinema ]

 アンゲラ・シャーネレク映画の基本的な時間の感覚を作っている一つには切り返しショットのなさがあるが、とりわけ『私の緩やかな人生』という作品を強く気に入ってしまったのは、切り返しのなさに伴って美しく持続する長いダイアローグの成果が、もっとも顕著なかたちで現れているからである。テクストの演出に関してアップリンクで行われたトークショーの中で質問させてもらったところ、監督の言っていたことを要約するならば、役者に台詞を喋ってもらうときは役や内面の解釈というものをさせずに、テクストをどこで切るか点を打って考えたり、といったもっぱら外面的な仕事に集中する、台詞で言われる情報ではなくて役者が喋るという行為に興味があるのだ、という。特別に珍しくない演出美学のように聞こえるが、沈黙の間の取り方など、こうした外面的な演出が言葉を交わす役者の間に持続する時間を作り出しながら、カメラの前に存在する世界の複数の時間を捉えていくのである。

 どういうことか。シャーネレク監督はインタビューの中でカットを変えると時間が戻ってしまうかのようであるといったことを述べているが、それは裏を返せば戻って欲しくない時間が問題になるからである。『私の緩やかな人生』においては、役者が言葉を交わすなかで経過していく時間を起点にして、過ぎ去ってしまった過去のことや、これから訪れる未来への期待が語られていく。ファーストシーンを見てみると、ファーストカットはヴァレリー(ウルズィーナ・ラルディ)の顔の短いショットであるが、そこに友人のマリー(アンネ・ティスマー)がやって来てカフェで会話をする彼女たちふたりだけの姿がフルサイズで映るくらいの引きのショットが5分間も続く。そのため興味深いのは、注文を取りに来るカフェの店員の頭は映らないくらいに調整されていることと、一度フレームからいなくなったその店員が注文したコーヒーを淹れて戻ってくるまでの間そのまま同じカットで演技が持続していることである。このショットの中でふたりの座る席の背後には窓があり、明るく鮮やかな光がショットの中に降り注いでいることとも相まって、ふたりの会話をしているショットの外にも豊かに世界が広がっていることを感じられる。このような数人の登場人物が会話をする姿がすっぽりとフレームに収まるよう、少し距離を取って構えられたショットが『私の緩やかな人生』全体の基本になっている。

 映画の時間は、ヴァレリーの周囲の何人もの登場人物の物語が語られることで緩やかに進んでいく。しかし、ただカットが切り替わっただけで次々と時間も空間も飛躍していってしまうために、各々のシーンないしはカット毎に取り上げられる登場人物間の関係はそれぞれ独立して断片的に語られていく。こうした断片化は、それぞれのショットがショット内で経過していく時間を強く意識するために一層強調されている。それぞれのシーンの連関そのものが飛躍しているために、カットが切り替わった後から交わされるダイアローグの中で時間が移り変わったことを知ることがしばしばなのである。それは出来事と行為がシーンの連鎖を作り出す劇映画的な物語のなさを意味することになるが、だからといってこの映画の中に緩やかに流れている時間という物語が存在しないわけでは断じてない。

 上述のようにして断片的に語られる人間関係の中の緩やかな中心にいるのはヴァレリーであるが、それは彼女が自分の周りの人たちが緩やかに彼女のもとを過ぎ去って行く時間を味わえる者だからではないだろうか。ヴァレリーは休暇が嫌いである。なぜみんな休暇になるとどこかに行くのか。どこかに行かないのは変なのか。そのように考えてしまうヴァレリーは、旅をすることで得られる物語を通して、自分を世界の主役にしないようにする人物である。むしろ彼女は、その場に留まりながら自分の仕事をこなして小説を書いている。過ぎ去っていく休暇の時間を過ごすヴァレリーの物語は、この映画の中で唯一<オフ>の声で語るヴァレリーの声によって、父の死を書き留める日記のようにして閉じられる。それはもうずいぶんと前のことであったかのようだ。そのように語る彼女の声は、父が去ったあとも、父と共に過ごす時間があることを肯定するかのようなのである。なぜならその少し前のシーンで語られる、ヴァレリーが仮住まいしている部屋のお手伝いさんのマリア(ゾフィー・アイクナー)の父(リュディガー・フォーグラー)が娘の結婚式で語る言葉を思い返すからである。娘のことは何も知らない。他人のことは分からない。だが愛する者とは長く時間を共にできる。今では違う相手と映画を見にいく娘がいつも隣の席に座っていたように、今でも父はジャケットを隣の席にかけて映画を見ている。そのような素晴らしいスピーチの後に続く、おそらくこの作品の最も美しいトラヴェリングショットのダンスシーンでは、皆が共に踊り、そこにいた愛する者たちの人生が緩やかに重なっていくかのようだったと思えてならない。『私の緩やかな人生』とは、まるで断片的な日記のようにして「わたし」の愛する者たちが過ぎ去っていく時間を綴りながら、そのような愛する者たちと共に常に前に進んでいく時間という物語を肯定する映画なのである。

現在MUBIにて公開中

アテネ・フランセ文化センター「アンゲラ・シャーネレク監督特集」にて上映
京都出町座「【特集】新・ベルリン派の真髄 〜アンゲラ・シャーネレク監督との出会い〜」が3/23まで開催中
4/1、渋谷アップリンクにて、トークイベント:アンゲラ・シャーネレク「自作について語る」が開催

  • アンゲラ・シャーネレク監督インタビュー

  • 『はかな(儚)き道』アンゲラ・シャーネレク結城秀勇