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May 21, 2018

『アヴァ』レア・ミシウス
池田百花

[ cinema ]

 夏の太陽の下、ヴァカンスに訪れる人々でにぎわうフランスの海辺に、ひとりの少女が寝そべっている。少女のそばを大きな黒い犬が通り過ぎ、彼女が犬を追うと、揉め事を起こしている黒い服の青年の周りに人だかりができていて、そこに黒い馬に乗った警察が駆けつける......。映画の冒頭の場面、まぶしい光に照らされ色で溢れた風景に突如投入されるこの黒という色は、明らかに画面に異質性を放ち不穏な空気を生み出している。そしてこうした強烈な色のイメージの対比がもたらす独特な雰囲気が、物語の時代や舞台をどこか不特定にし、寓意的な世界へと観客をいざなう。
 主人公の13歳の少女アヴァは、視力の急激な低下によって間もなく完全に目が見えなくなると医師に告げられていることから、この冒頭のシーンは、これから彼女に訪れる運命を暗示しているように見える。つまりここでの光や色の用いられ方は、全編を通してアヴァの目に映る世界と呼応しているのだ。最初の海の場面が明るい色を塗ったキャンバスに黒い点が置かれている状態だとしたら、物語が進んでいくにつれて徐々にその点がにじんで全体に広がっていき、最後には画面がほとんど真っ暗になる。
 ただし、アヴァが目にする世界がそのまま彼女自身が内包している世界と同じものであるわけではなく、外側の世界が段々と暗くなっていくのに対して彼女の内側では変化が起こりはじめる。むしろ黒い色が飛び込んでくることによって、どこかメランコリックな雰囲気をまとうこの少女の世界は光と色を帯びるようになるのだ。アヴァは黒い犬を連れた青年と出会ったことで恋や性に目覚めて思春期の移行を経験し、視力が失われていく代わりにそれまで自分になかったものを自らの手でつかんでいこうとする。開放的になっていくその姿は作品の中盤で陽光を一杯に浴びて踊る場面によく表れていて、ここでの彼女は自分のうちに光を宿す存在へと成長を遂げているように見える。この少女の内的な世界が直接的に描かれることはないが、こうした変化を前にすると、彼女のうちには新たなもうひとつの世界が確かに形作られつつあることに気づかされる。
 しかしふと思い返してみると、視力を失うというとてもショッキングな事実を突きつけられたにもかかわらず、アヴァが自分の感情を激しく表に出していた場面はほとんどなかったのではないか。(反対に、若くしてアヴァを生んだ母親の反応の方がより率直で、対照的に描かれていた印象を受ける。)アヴァはただ静かに自分の運命を受け入れ、この13歳のひと夏の思い出とともに、自分の中に深い小宇宙を築き上げていくのだろう。その目は、内側から生み出される光を受けて力強く世界を見つめている。


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