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November 11, 2018

『アマンダ(原題)』ミカエル・アース
隈元博樹

[ cinema ]

 冒頭の小学校を捉えたシーケンスから、このフィルムの質感を最後まで見続けていたくなる。それは建造物自体への特別な興味や美しさを見出したわけではなく、展開されるカット割りや編集のリズムに心地良さを感じたわけでもない。もちろんそれは、『アマンダ』がスーパー16のフィルムで撮られたことの恩恵でもあるのだが、最もその衝動に駆られたのは、撮影時のロケーションに注がれた柔らかい自然光が、淡く漂う粒子のざらつきを帯びたひとつの物体としてそこはかとなく存在していることだった。
 『アマンダ』を取り巻く数多の光線は、それが自然であるか人工であるかにかかわらず、アパルトマンの管理と街中の剪定屋として生計を立てるダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)、彼のアパルトマンに越してくるレナ(ステイシー・マーティン)、無差別テロの犠牲となってしまったサンドリーヌ(オフィーリア・コルブ)、そして彼女の娘であるアマンダ(イゾール・ミュルトゥリエ)にも等価に降り注がれている。陽光やネオンから発せられた光は、生活圏内の交差点や街角、あるいは公園の記憶と重なり、たとえその場所に訪れたことがなくとも、「ここはさっきのシーンでダヴィッドとサンドリーヌが自転車で通ったところだ」ということも一目でわかってしまうし、それは彼らの自宅の窓ガラスを通して見える風景にも同じことが言えるだろう。
 ただそれでも、プロデューサーのピエール・ガイヤールによれば、「前作の『この夏の感じ』では色彩が飽和状態であったことに対し、『アマンダ』のパリは冷夏の影響で暗めの天候が続いたこともあり、仕上げにマゼンタ(赤紫)を強めた」と語っていた。ここで光の三原色(RGB)と色の三原色(CMYK)の原理に立ち返ると、『アマンダ』はマゼンタ(M)を強めたことで緑(G)の光がその色に吸収され、赤(R)と青(B)のふたつの光線によってその色調が保持されたことになる。つまりこのフィルムに宿る光の実態は、暖色系の強い色調へと還元され、私たちの眼前に現れたということなのだ。
 RGBの光線を見えるものへと誘うCMYKとの関係は、このフィルムの物語に焼き付けられた「不在の在」という問いにもつながっている。たとえば、テロという動かしがたい事実によって訪れたサンドリーヌの不在は、残された娘や弟たちの生活そのものを一変させていく。シングルマザーの母を亡くしたアマンダの世話はダヴィッドと叔母が分担し、ダヴィッドは死を受け入れることができないアマンダを施設に預けるか、監護権を行使して肉親の代わりに育てるのかの選択を迫られる。また、恋仲となったダヴィッドとレナの関係は、テロの被害者であるレナがリヨンへ帰郷することで、ふたりのあいだには見えない距離が生じてしまう。まるでマゼンタによって吸収された緑の光線のように、目には見えないサンドリーヌの存在は、絶えず彼らの生活と記憶の中に作用しているのだ。
 サンドリーヌの死後、彼女の姿は自宅に飾られた写真を目にするのみで、過去のフラッシュバックは用いられず、流れる時間は刻々と紡がれていく。しかし、ロンドンを訪れたアマンダは、ダヴィッドとウィンブルドンでの試合を観戦するなか、劣勢な展開を余儀なくされた選手を前に生前のサンドリーヌから教えてもらった"Elvis has left the building"という言葉を泪ながらに思い出す。それはコンサートを終えたエルヴィス・プレスリーを見るために出入口へ押しかけたファンに対し、会場のアナウンスから発せられたと言われる有名な一節であり、「目当ての人はもういません、お楽しみは終わりですよ」という意味を成している。しかし、母の記憶とともに立ち現れたその表現が、目の前の試合で起こる奇跡によって覆されたとき、これまでフィルムが保持してきた質感以上の瑞々しさと強靱さが、このラストの場面で露呈される。ダヴィッドやアマンダは、これからもサンドリーヌのいない世界を生きていかなければならないし、愛する者の喪失が目に見えることのない記憶や表現によってふと現れることで、その現実を受け止めるべくその場で立ちすくむこともあるのかもしれない。しかし、彼らは降り注ぐ光を身体に浴びつつ、それでもまた歩き出すことを選ぶはずだ。たとえ物事が"Elvis has left the building"="C'est fini"になりかけたとしても、ダヴィッドはアマンダに語りかける。「まだまだ試合はこれからだ」と。目に一杯の泪を溜め込んだ表情から笑顔へと変わるアマンダの姿とは、まさにそのことを容認した瞬間ではないだろうか。
 『アマンダ』が東京国際映画祭で上映された翌日。アンスティチュ・フランセ東京では『この夏の感じ』(「交差する視点-日仏インディペンデント映画特集」10/29-12/9)が上映され、そのアフタートークでミカエル・アースは撮影で使い続けているスーパー16に対し、「美しさゆえの不完全なフォーマット」と称していた。このことは彼が求める物質としての特異な質感だけでなく、彼のフィルムに映るすべての人物のことなのだろうとさえ思ったのだった。


「東京国際映画祭2018 コンペティション部門」にて上映(本年度グランプリ&最優秀脚本賞)
※2019年初夏、シネスイッチ銀座ほか全国公開予定