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November 29, 2018

『30年後の同窓会』リチャード・リンクレイター
結城秀勇

[ cinema ]

 見逃していたのを、ギンレイホールにて。
 ラリー(スティーヴ・カレル)が、30年ぶりにベトナム時代の戦友ふたりに会いにいくのは、海兵隊であった彼の息子がバグダッドで殺されたからであり、死体の引き取りの付き添いを長年会っていなかった戦友に依頼するのは、彼らがかつてベトナムで死んだもうひとりの戦友という過去の罪を共有するからである。しかし、この映画が、どこまでも先送りにされていく旅の目的と、どこまでも引き伸ばされていく30年前の戦友たちとの時間を持つことを説明するには、上記の理由だけでは十分ではない。この映画がこうした形式を持つ直接的な原因は、ラリーの息子の死やかつての戦友の死そのものというよりも、彼らの死は交戦中のもの=in actionであったかどうかを問うことなのだ。そしてもしin actionではなかったのならば、いかなる理由のもとにもあたかもそれがin actionであったかのように辻褄を合わせてはならない、ということなのだ。
 その死がin actionであったかどうかは、主に名誉に関わることとして扱われる。だがそれは誰にとってなのか。本人か、家族か、海兵隊か、合衆国か。少なくとも、息子の死が交戦中のものではなく、コーラを買いに立ち寄った店で襲われたことによるものだと聞かされたラリーを襲う感情は怒りなのであり、恥のようなものは一切感じられない。息子の死の現場にいた戦友もまた、交戦中の死でなかったことが残念だ、などというそぶりは一切見せない。にもかかわらず、ただ若者がひとり死んだという喪失が、それはin actionだったのか否かというあまりにも空虚な問いかけによって無用に引き伸ばされていく。
 同じことが3人の戦友たちの関係にも言える。回想シーンによって30年前のベトナムを見せるようなことしないこの作品では、現在の彼らの姿とかつての彼らの姿がどのように変わっているのかは、まるでわからない。兵士の本領が戦闘を行うことにあるのだとすれば、in actionであるとは彼らの本質が露わになる状態だということになるだろう。だとすれば、彼ら3人の関係がin actionになる瞬間はいつなのだろうか、と見ている間考える。パッと見には、いまは神父となったミューラー (ローレンス・フィッシュバーン)がサル(ブライアン・クランストン)の無謀な運転に思わず軍隊時代さながらにfワードを連発してしまう場面だとか、死体を積んだ貨物車両で車座になってバカ話をしながら、ラリーがあのいかにもスティーヴ・カレルな感じの高い声で笑うのをやめられなくなる瞬間がそうなのか、とも思う。サルは他のふたりに比べて、いまだにかつてのin actionの状態に近いまま生活しているのか、とか。しかし、前述したように、それを確信させてくれる30年前の映像を、観客たちは欠いている。だから、息子の死にとってそうであるのと同じくらい、親の世代の元兵士たちにとっても、in actionであるかどうかということは、物事の見方ひとつで変わってしまう極めて曖昧で決定不可能な要素のように思えるのである。
 「失われた何かを取り戻す旅というよりも、話すことや動くことが彼らの話や動きを充実させていく、とりあえずの目的に向けての目的のない旅。行為が彼らの思考となる」。boidマガジンの日記で 樋口泰人はそう書いている。ここで語られる「行為」とは、もはやin actionか否かという問いのようになにか大きな運動の一部として生じるようなものではない。そんなものがもしかつてあったのだとして、もう部分が巨大な全体の相似的な一部をなすようなactionは存在しない。自分たちに責任のあるベトナムでの戦友の死の真相を、その母親に告げるために会いにいくとき、彼らはそれがin actionではなかったのだという真相を、彼女に告げることができない。そのとき彼らは、in actionか否かという問いの外側で、自らの口や手足を動作させる必要がある。
 そんなことを考えていたからだろうか、2001年9月11日にニューヨークで起こったことやそこから派生するイラク派兵などにまつわる作品をアメリカ映画は同時代的に作り続けてきたわけだが、2003年を舞台とするこの映画におけるエミネムや (iPhoneではない )携帯電話の扱い方によって、15年前というのは紛れもなくはるかな過去となったのだ、という気にさせられた。

映画『30年後の同窓会』公式サイト
上映スケジュール | 飯田橋ギンレイホール

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