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December 6, 2018

『ヘレディタリー/継承』アリ・アスター
結城秀勇

[ cinema ]

 アニー(トニ・コレット)のつくったものだと後にわかるドールハウスの一室にズームアップしていき、それが息子ピーター(アレックス・ウォルフ)の実際の部屋へと切り替わる。壁紙やタンスや椅子がなぜか不自然なはめ込み合成なのが微妙に気持ち悪いのだが、その気持ち悪さの中には、ズームで寄る前には家全体の配置がドールハウスの断面で示されていたはずなのに、ズームアップからつながれた息子の部屋が、さっきまでのドールハウスが置かれた部屋とどういう位置関係にあるのかがわからない、ということも含まれている。ドールハウスの置かれたアニーのアトリエが、息子の部屋と同じこの建物内にあることは後々わかっていくのだが、あれ、だとしたら息子の部屋の窓から意味ありげに見えるあの庭のツリーハウスはなんなわけ、と気になってしょうがない。まるであのツリーハウスからズームインしてきたような距離感だったよね、と。
 ドールハウスによって見せられた全体の見取図と、実際の部分同士の関係性が妙に噛み合わないような気がするのはたぶん気のせいではなくて、玄関脇の階段とそこを上り下りする人々をあれだけ映すわりには、一階から誰かが階段を上った画から、二階にカットが切り替わってその人を追う、あるいはその逆のつなぎがほとんど数えるほどしかない。一階という層と二階という層は、それぞれ独立して存在しているかのように。おそらく演出上意図的なこの屋敷内の地形的混乱によって、なぜだかわからないが、ピーターの部屋の窓から外見だけが眺められて、中身はほとんど限られた部分しか映し出されないツリーハウスが、その見た目に反して実は、この屋敷の屋根の上(二階の上には屋根裏部屋があるので、実質的に4層目)にあるんじゃないのか、という気がしてくる。
 トラウマになりそうな出来事が起こったり思い出されたりするごとに、ものすごい速度でその場面のミニチュアをつくりあげてしまうアニーが、半年後に迫った個展の準備が間に合わないわけないだろと思うのだが、この精神分析めいた手法で開示されていく秘められた過去の中にこそ、一連の忌まわしい事件の原因があるのかと観客は考える(のが、良い観客だろう)。母親を介してアニーの中に伝えられたはずの精神異常の遺伝子。母親から愛情ある振る舞いが得られなかったことを憎みながらも、自らの息子や娘に同じように接してしまうジレンマ。階段の脇に置かれた、崩壊した屋敷が塔のように積み重なった上に建つ一軒の屋敷の模型のように、母系の呪いのようなものがこの家族を圧迫しているのか、と。それは事実としてその通りなのだろうが、映画が収束していく方向は結果的にまったく違う。
 葬儀の場面で、埋葬される棺の動きに合わせてカメラが下方に移動していく。芝生ギリギリまで下がったかと思うと、なんとそのまま地面の下まで下がり続け、芝生の下の土の断面をただ映し出す。このためだけに穴掘ったのかと思うと笑えるのだが、『ヘレディタリー』という映画の中でこのシーンが果たす機能とは、死者とともに過去や秘密が埋葬される地中にこそ怪異の原因があると仄めかすことではなくて、あるのはただの土ですよ、と見せることなのではないか。降霊術のシーンで、ひとりでに動くコップやチョークに驚くアニーやスティーブ(ガブリエル・バーン)が、トリックがあるんじゃないかと机の下を覗いても、そこにはなにもない空間があるだけなように。下や過去を覗いてもなにもない。少なくともテーブルや地面の上でいま起こっていることと直接関係があるものはない。そして下にはなにもないのだとすれば......、もちろんヤバいものは上にある。
 下、下、と注意を向けさせておいて実は上、というのは基本的なミスディレクションのトリックだとは思うが、この映画で起こっているのは衝撃を与える効率的な方法の範疇を越えてる気がする。膝を曲げしゃがみこみ、その反動を使ってジャンプしたら、そもそもさっきまでと同じ地表に立ってなかった、みたいな。同軸上の移動と見せかけて、急激な揺り戻しの動きの中に極端な質的飛躍を盛り込んでくるこの感じ、ここのところ『アンダー・ザ・シルバーレイク』『ア・ゴースト・ストーリー』と公開が続く「A24」作品を見るたびずっと感じている。

映画『へレディタリー/継承』公式サイト

  • 『アンダー・ザ・シルバーレイク』デヴィッド・ロバート・ミッチェル