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January 13, 2019

『Rocks Off』安井豊作
結城秀勇

[ cinema ]

 灰野敬二が鳴らすアップライトピアノは、前板が取り外されてその中身をむき出しにしている。暗がりの中でわずかに長い髪が確認できるだけでその顔さえ見ることもできない演奏者とはうらはらに、ピアノはその内部を映画の観客の眼前にさらけ出し、音が作り出される過程を可視化する。しかしそれによって逆説的に、アップライトピアノは、演奏者が叩いた鍵盤がハンマーを動かし、ハンマーが弦を叩くことによって音が鳴る、という装置としての機能を越えたところで音を鳴らし始める。ハンマーが弦を叩かない程度の強さで打たれた鍵盤は、その鍵盤が表象するはずの音階を鳴らすことなしに、その鍵盤の音としか呼びようのない音を立てる。踏みしめられたダンパーペダルは、弦を開放すると同時にダンパー自体の木の軋み、ペダル自体の音を立てる。椅子は軋み、床が鳴る。それらは単にピアノという楽器のシステムの破壊であるというよりも、なによりも「和解しないということ」、セルジュ・ダネーがストローブ=ユイレの『アーノルト・シェーンベルクの「ある映画シーンの伴奏音楽」序説』について書いた文章における意味での「和解しないということ」である。「和解しないということ、これは結合でもなければ、不一致でもなく、(保護し、懐かしむような)十全な物体でもなく、細片化しようという態度でもなければ、カオスでもなく、(ニーチェ曰く、宇宙を細切れにし、全体への敬意を失わなければならない)、これらの二重の可能性である」(ダネー「眼のための墓場」)。灰野とピアノは(そして椅子や床や大気や光や、あの場にある諸々のものは)「和解しない」ための壁になる。
 壁とはなによりもまず、批評集団「シネ砦」を組織し、『シネ砦 炎上す』という著書をもつ安井豊作にとって、砦の構築のために必要とされるものに他ならない。だが『Rocks Off』という作品において勘違いされてはならないのは、この作品が壁の崩壊を記録したものではないということだ。それまであった壁がついに崩壊する、その最後の姿を記録として留めておく、そんな姿勢ほどこの作品と真逆にあるものはない。「僕のなかではもっと前からすでに終わっていて、いずれこういう日が近いうちに来るだろうと思っていた」 、そう安井豊作は語る(安井豊作×真利子哲也 (司会:杉原永純)2011年12月12日 @オーディトリウム渋谷 )。暗闇の中に浮かび上がる灰野のシルエットがどこか亡霊のようだ、そんな安っぽい喩え以上に、『Rocks Off』に登場する学館の壁は文字通りの亡霊である。言葉が音声として発せられることが一切ないこの映画において、言葉はすでに壁に書き込まれた落書きとしてしか存在しない。取り壊される以前から壁たちはすでに死んでいたのだし、いやそもそも、死者たちの言葉が刻まれた石、死者たちをその背後に眠らせる墓場、そうしたものとしてのみ「和解しない」ための壁は存在する。
 だから2004年の学館解体に伴って撮影され、2011年に「未完成版」として上映され、2014年の爆音映画祭用に完成されたこの作品が、さらに時を経て2019年に上映されるときに驚くのは、そこに微塵もノスタルジーがないということだ。もはやいまどき目にすることもほとんどないHD画質ではない画面は、解像度が低いという印象すら与えず、こうとしか撮りようがないのだと思わせる。そんなテクノロジーの都合による鮮明さなど、シネマとは一切関わりがないのだと言わんばかりに、壁はそそり立つ。
 『Rocks Off』というタイトルは、まるでペドロ・コスタがストローブ=ユイレのドキュメンタリーを撮る際にタイトルに掲げた『今日から明日へ』の壁の落書きのように、作品中に学館の壁の落書きとして姿を見せる。白いペンキで書かれたその言葉は、しかし思った以上にかすれていて読みづらく、他の「粉砕」「三里塚」「沖縄」あるいは「カップラが食べたい」といった落書き以上に声高に自らを主張したりはしない。その慎ましさは、「和解しない」ための壁があらゆるものを攻撃的に拒絶するのではないことを端的に示している。むしろそこには親しみがある。だから、灰野の演奏や、横移動で映し出される壁とそこに重ねられるROVOの楽曲と、学館の解体現場の映像とは、破壊する-破壊されるという切り返しの関係にあるのではない。まるで食事する草食恐竜のように鉄筋の残骸をまとめる重機の動きもまた、この作品においてはひとつの「和解しない」ための壁をなしている。
 2004年の撮影からたった3回の公式上映の機会しかなく、いまだ公開されることのないまま現在に至っていることもまた、もしかしてこの作品が「和解しない」ための条件のひとつなのかもしれない。だが「もっと前からすでに終わって」いたなにかが壁の崩壊をきっかけとして写し撮られたように、炎上することではじめて砦は砦となるように、この作品もそろそろ衆目にさらされることで別の壁を構築する礎となる頃合いかもしれない。そのときはじめて、来るべき人民としての観客ひとりひとりが、灰野とピアノ、学館の壁、作業する重機とともに、「和解しない」ための壁、微笑みを秘めたひとつの石となるための契機が訪れるはずだ。

  • 安井豊作×真利子哲也 (司会:杉原永純)2011年12月12日 @オーディトリウム渋谷
  • 『シネ砦 炎上す』を読んだ 黒岩幹子
  • 『Rocks Off』安井豊作 天使は至る所に 田中竜輔
  • 安井豊作への手紙 梅本洋一