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January 17, 2019

『マディ・トラック』バーナード・シェイキー
結城秀勇

[ cinema ]
"Muddy Track is not a documentary, I don't know what the fuck it is." (ニール・ヤング)

 ニール・ヤングの言う通り、『マディ・トラック』がいったいなんなのかはさっぱりわからない。だが上記の発言にもかかわらず、というか上記の発言ゆえにと言うべきか、ニール・ヤングは1995年のインタビューで「もっともお気に入り」だと語りジム・ジャームッシュもまたフェイバリットだと語っている。その理由はこの作品を見た者にとってはあまりにも明らかなのだが、それをはたしてどうやって人に伝えればいいのかと思案している。
 1987年のヨーロッパツアー中のヤングとクレイジー・ホースの姿が極めてラフに切り取られているとも、イタリアでのフリーコンサートでは詰めかけ過ぎた観客たちによって暴動が起きるとも、時代の変化がその渦中で写しとられているとも(台頭するコンピューター、「ニール・ヤングってまだ死んでなかったんだね」と驚くアナウンサー)言える。15年も同じ曲をやってるのにまだコーラスのパートがわからないだとか、訪れる街によって最高だったり最低だったりするライブの断片が挟み込まれているとも言える。音楽ドキュメンタリーのくせに自分の曲をまるまる一曲かけることすらほとんどなく、すべてがぶつ切りで、その代わりホテルで行われるジャムセッションが非常に魅力的な使われ方をしてる、と言うこともできる。だがそうした断片のひとつひとつが魅力的であること以上に、あらゆるものを断片化するそのありようが魅力的だと語りたいのだが、なかなかうまく言えない。
 バーナード・シェイキーの、作品全体としてのクロノロジカルなコンテニュイティへの挑発というか、それどころか楽曲一曲をまるまる流すことを拒否するかのように合間にまったく関係のない映像と音を挟んでくるやり方は、初監督作品『ジャーニー・スルー・ザ・パスト』でもすでに見られるのだが、『マディ・トラック』ではそれがほとんど極限まで推し進められる。それは編集時の方法の変化である以上に、撮影時のカメラのありようの違いである。『ジャーニー・スルー・ザ・パスト』は、当然のごとくメンバーに同行するカメラがエレベーターに乗り込むシーンから幕を開けるが、『マディ・トラック』は取材にやってきた撮影陣の前でニール・ヤングが買ったばかりだという8mmビデオカメラを取り出すところから始まる。まず被写体として登場したそのカメラは、気づけばいつのまにか「オットー」という名前をつけられていて、ヤングは「これはおれの視点だ」といい、テレビやラジオの取材で彼に向けられる視点を切り返すポジションで、オットーはヤングを撮影し続ける。
 オットーは『マディ・トラック』の主役のひとりである。いくらヤングが「おれの視点だ」と言っても、オットーはヤングが見ているものを代わりに表象しているわけではない。作品の半ば、これからクレイジー・ホースと打ち合わせに行くからひとりでお留守番だぞ、とヤングはオットーに話しかける。「長時間モードにするから、低画質になっちゃうけど、ごめんな」と。おそらく2時間以上にわたってその後オットーはからっぽのホテルの部屋を撮影し続けたはずだが、その映像は使われない。だが『マディ・トラック』を見ることの背後には、オットーがひとりで撮影した数時間のからっぽの部屋があるということに、観客はなんとなく気づいている。パブリックなメディアとしてのカメラでもなく、かといってプライベートな親密さを記録する機械としてのカメラでもなく、ほとんどなんのためでも誰のためでもないただの映像を撮るためのカメラ。誰もがスマホで簡単に映像を撮れるようになってようやくわれわれがその価値に気づきはじめた無為の映像(そう三宅唱の「無言日記」などを通じて、だ)を、1987年の時点でかなり意識的に用い、そこに愛を注いでいるヤングの先鋭さには感服するほかない。
 駆け足で街から街へと移動し、酩酊し、混乱し、幻滅し、熱狂するヨーロッパツアーの記録に名前をつけるときに、その形容として速度でも過激さでもなく「泥だらけ」という表現を用いたこと自体が、この作品の魅力を示しているのだろう。子供がお気に入りの動物やものに名前をつけるように、わざわざ泥の飛沫をあげるために水たまりに飛び込むのを楽しむように、ニール・ヤングはいいことも悪いこともどっちでもないことも起こった記録をまとめ上げる。ぬかるみに足を踏み入れるのは汚れるし濡れるからと躊躇するかもしれないが、観客にできるのは子供の頃のようにそこに飛び込んでいって楽しむことだけだ。
 ヤングはカメラで撮影することのよさをこんなふうに語っていたのだった。「なにかが映るということだけですばらしい。それがひどいものならもっといい」。『マディ・トラック』は最高にひどい。

1/15、爆音上映15周年記念 ニール・ヤング監督作『ジャーニー・スルー・ザ・パスト』、『マディ・トラック』爆音上映 にて上映

  • 『ニール・ヤング/ジャーニーズ』ジョナサン・デミ@LAST BAUS 田中竜輔
  • 『グリーンデイル』ニール・ヤング 渡辺進也