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June 20, 2019

『スケート・キッチン』クリスタル・モーゼル
結城秀勇

[ cinema ]

 実在するNYの女性スケーターグループが自らを演じる映画、miu miuのショートムービープロジェクトから長編化された作品、ラリー・クラークの『KIDS/キッズ』が引き合いに出されるような「若者のいま」を切り取った作品......。まあなんかとにかくオシャレそう、くらいに考えていた前情報は、カミール(レイチェル・ヴィンベルク)がVANSのスニーカーと微妙な丈のショートパンツにインしたTシャツ、そして牛乳瓶底風眼鏡で、ボードに飛び乗った瞬間にわりとどうでもよくなる。特にすげーオシャレだったりしない、というか極端に現代風だったりこれがエッジですよみたいなものはなにひとつない、そのことがオシャレ。
 同じことがカミールが出会うスケート・キッチンの面々の全員に言える。それだけでなく、公園にいるひとりひとりにも。彼らは80年代以降ならどんな時代だと言われても納得するような格好を、それぞれ好き勝手にしている。80'sぽい柄のTシャツ、90'sぽい髪の毛のカラーリング、手にしているのはGoProだったりiPhoneだったり。スケート・キッチンという集団の中でさえ、特に共通のコードがあるようにも見えず、だからこそかっこいい。いやあ、カート(ニーナ・モラン)のなにかとダサいバナナグッズとか、どれか欲しい。
 そのことはこの映画の本質に大きく関わっている。いまだマイノリティであり続けているのだという女性スケーターという存在をこの作品は描くわけだが、彼女たちは自分の存在を認めさせるために、「男たちよりうまい」とか「男たちよりすごいトリックができる」なんて一言も口にしない。かといってマイノリティである自分たちの価値を主張するわけでもない。ただそこにいるだけ、スケートするだけ、それが阻まれるなら殴りかかることも辞さない、それだけなのだ。来日した彼女たちのインタビューをいくつか読んでも、男に対する女の価値だとか、マジョリティに対するマイノリティの価値だとか、そんなことを訴えるわけではない。自分の価値は自分が知っている、ただそれを認めてくれさえすればいい。別に同じ集団に属していたって、なにからなにまで同じ価値観で統一する必要なんてない。何人かのメンバーの中に、ムービー担当やスチール担当がいたりするスケートグループのあり方は、まるで複数のMCにDJとVJを加えたHIPHOPグループのようだし、もっと古い喩えをするなら、バンドみたいだ。
 だからこそ、カミールが、後にグループのメンバーの元カレであることを知るバイト先の同僚と仲良くなる件や、彼を通じてスケート・キッチンと険悪な関係の男性スケート集団とつるむようになる件は、なんでそんなものが必要なのだろうと思いながら見ていた。そんなことよりスケート・キッチンを見せろよと。そして案の定物語は、ヘテロでもゲイでもどちらでもなくてもよかったはずの集団に男を巡る女たちの諍いといういかにも古びた装いをまとわせることになるし、また「カミールは男たちに遜色ない滑りができるスケーターである」というそれまで彼女たちには無縁だったヒエラルキーを持ち込むことにもなる。そんなことのために無理矢理ウィル・スミスの息子なんて登場させなくてよかったんだけどな......と思いながら映画を見ていたが、最後の最後、再びNYの街中をスケート・キッチンの面々がスケボーで疾走する多幸的なシーンで、やはりこれはこれでよかったのだと思い直す。
 それは『スケート・キッチン』が青春映画であるためにどうしても必要だったのだ。といっても、ジャンルの制約だとか、決まり切った紋切型に合わせるためにストーリーを捻じ曲げたということではない。たんに、青春映画であるためには終わりが必要であり、崩壊が必要だということだ。パラダイスのようなスケート・キッチンに綻びが生じること、カミールは自ら獲得した自分の居場所を失うことが必要だったということだ。それはなぜそもそも物語の発端で、カミールがNYの街中から遠く離れたロングアイランドで孤独を味わわざるを得なかったのかということと密接に関わっている。彼女は語っていた。11歳のとき、自分の身体の変化=成長に気づいたときに、必要だったのは大好きな父親ではなく、母親だったのだと。そしてそこから母親を捨ててNYへ向かったカミールの物語を終わらせるためにはさらにもうひとつの「成長」が必要だったわけである。
 カミールのスケート・キッチンからの離脱と「成長」は、この映画の終わりを用意する。けれどもそれはカートが語る「マンデラ問題」みたいなものだ。彼女は言う、「『セックス・"イン"・ザ・シティ』って知ってる?『セックス・アンド・ザ・シティ』じゃなくて」と。「アンド」と「イン」、そんな誰も目に止めないくらいの小さな違いがある平行世界が存在するという話。『スケート・キッチン』は終わるが、「スケート・キッチン」は終わらない。ちょっと『サウダーヂ』のことを、その後の空族のことを思い出す。
 なにかというと、うまいだとかヘタだとか、金があるだとかないだとか、他人に迷惑かけんなだ忖度だなんだかんだと、結局他人にマウンティングしないと自分の価値すらわからねえ大人たちや男たち(もちろんそんな女たちもいる)ばかり目に入ってくる中でこの映画を見ると、キッズ・アー・オールライトだし、ガールズ・アー・オールライトだよと言いたくなる。孤独ならインスタ見て、好きな人に会いに行けばいいよ。


映画『スケート・キッチン』オフィシャルサイト

  • 「パンク・ピカソ展」ラリー・クラーク
  • 『トラッシュ・ハンパーズ』ハーモニー・コリン 菅江美津穂
  • 『スプリング・ブレイカーズ』ハーモニー・コリン 結城秀勇