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December 13, 2019

『カツベン!』 周防正行
千浦僚

[ cinema ]

 90年代初頭から最近までずっとちょこちょことフィルムによる映写をやっていた。大阪でミニシアターやシネクラブやポルノ館の映写をやり、02年に上京して試写室の映写技師をやり、ミニシアターのスタッフをやり、という経歴だったので、周防正行最新作『カツベン!』はそういうところからいろいろ感じることや思い出すことのある映画だった。
 周防正行のこれまでの監督作のほとんどはそれぞれ異なる設定と筋書きながら、共通する特徴として"業界もの""情報もの"だった。お寺とお坊さん、大学相撲部、社交ダンス、司法と裁判、緩和医療と安楽死、舞妓さん、というふうに明確にそれに関わる者とそうでない者の線引きがあり、登場人物が関係者であるかそこに入っていくことになり、観客は彼らの姿を追うことで或る世界を知る。
 で、今回の『カツベン!』は無声映画と活動弁士の世界。
 この"業界""情報"が映画の世界だということはちょっとこれまでと距離感が違う。映画のことを映画で見るという枠組みの面白さがあり、また、監督と、長年周防監督作の助監督を務めた本作脚本家の片島章三にとってはそれが無声映画時代という過去だとしてもそもそも既に自分たちがインサイダーで、そこに思い入れを持っている映画の世界ということがある。それが本作のくつろいだ感じと熱っぽい語りの由来だろう。
 さらには過去の映画の様式が題材であるということは、先述の周防作品の共通性からいうと例外的なデビュー作『変態家族 兄貴の嫁さん』(89年)の孤立を回収する感もある。『カツベン!』で必然的に登場するいくつもの無声映画はフッテージの使用でなく、それらしく新たにつくられたものなのだが、この映画づくりの遊び、映画愛の表明としての模倣と偽作はかつての『変態家族 兄貴の嫁さん』における"小津安二郎映画の再現"に接続する。
 ......ところで私は無声映画の上映も数え切れないほどしたが、特に印象的だったもの、本作を見て思い出したことをいま語ってみたい。
 上方講談の旭堂南陵(四代目)がまだ小南陵を名乗っていた90年代にその活弁の映写をやった。阪東妻三郎主演の『坂本龍馬』(1928年 監督枝正義郎)とあとそのほかにも何かを上映した。上方演芸資料館の催しで文化伝承の狙いのある企画だったはず。旭堂南陵氏は自分が実際にサイレント映画と活弁をリアルに体験した世代ではないこと(1949年生まれ)と、本来は講釈師であって活弁が専門ではないことを前置きしながら流麗にこなして客を楽しませていたという記憶。その際に前説からアウトロダクションからいろいろな話がなされたが、弁士と映写技師の位階、偉さの違いという話があった。活動弁士から漫談家、声優、ラジオパーソナリティーとなった徳川夢声の自伝、「夢声身上ばなし」中でも回顧されている逸話で、当時の映写機は映写技師による人力の手回しであるから上映スピードが変えられる、弁士と映写技師がギャラの差(花形である弁士のほうが当然高い)や、それぞれ自分のほうに合わせようとしていがみ合うと映画の場面のスピードと弁士の語りが合わなくなる、というやつ。撮影時も手回し、映写時も手回しというサイレント映画時代の上映がいかに自在というかいい加減というかであったことは結構知らないひとが多いのではないか。私は年配の映写技師に"手回しは歌を歌いながら拍子をとれ"と教えられたことがある。"金比羅船々"のようなものを歌いながら一秒間の三回クランクを回すのがよい、と。その人物もサイレント映画リアル世代ではなかったが......。映画のフィルムの映写速度はモーターが導入されるまではルーズだったが、トーキー化されるまでは映画の時間感覚はそれでよかったという。台詞と音楽がつくことで映画の時間は固定された。サイレント映画がチョコマカしているというイメージは、毎秒24コマで映写される現在の規格で当時毎秒十数コマで動いていたものを映したことでできた。90年代の私はこのへんのことをプラネット映画資料館の安井喜雄氏に指導されたというか、実際に、頻繁に映写機のプーリーやギアを交換して毎秒20コマとか18コマとかにしてきれいなサイレント映写をやっていた。これらのことに詳しいのはかつてNFCニューズレター第28号と29号に掲載された映画研究者入江良郎氏の論述「無声映画の映写速度 日本の場合」だろう(ネットで読める)。『カツベン!』ではこのあたりのことをちゃんと見せてくれる。私が本作中で偏愛する人物は成河が演じたいかにも職人ふうの映写技師浜本である。
 片岡一郎氏とともに本作に"活動弁士指導"として参加し、ちょこっと出演もしている坂本頼光さんの活弁も見た・聴いたことがある。深田晃司監督が2011年に主催した「こまばアゴラ映画祭」で、坂本頼光氏は『喧嘩安兵衛』(1928年 監督湊岩夫、横溝雅弥、主演阪東妻三郎)『血煙荒神山』(1929年 監督辻吉郎 主演大河内伝次郎)『子宝騒動』(1935年 監督斎藤寅次郎)『雷電』(1928年 監督牧野省三、松田定次)などを語った。しかしそれよりも印象に残ったのはそれにおまけでつけられて披露された坂本氏自作のアニメ『サザザさん』だ。坂本氏は少年時代活動弁士を志すより先に水木しげるに憧れ、弟子にしてくれと押しかけ、それがかなわなかった後も絵を描き続けたという。『サザザさん』とは"サザエさん"のキャラクターが全員水木しげる漫画ふうの顔立ちでブラックなネタや時事ネタを展開するそれぞれ独立した多数の短編アニメ作品で、サイレントでつくられているそれに坂本氏がライブで活弁するという、なんというかいろいろ過剰で濃ゆいものなのだが、初めて見たとき、氏の極太の眉毛ともども、ああこれだ......と思った。活動弁士というのはこういう面妖でいささかマッドな、面白がらせようとし、また同時にそれを自分が面白がることをやる人士だろう。サイレント映画のコマ数問題と同様で、なまじ過去のものだというので老成した芸や雰囲気を求めてしまいそれが当時最先端であったことを見誤るように、活弁全盛期にタイムスリップして脂ののりきった弁士たちに会うならば彼らは坂本頼光ふうのいかがわしいような(失礼)(誉めてる)活気をみなぎらせているに違いない。日本映画史は活動弁士出身の人物が有名になり権勢を誇った例として新東宝映画の社長大蔵貢という存在を持っていたりするのだし。
 そう、『カツベン!』にはちゃんとその気配、生臭さや悪どさもあった。それを相当丁寧に処理しているが。成田凌が不本意ながらも有名弁士の名を騙って、巡回上映で客を集めては空き巣をはたらく一味に加わっていることもそうだし、高良健吾の傲慢な二枚目弁士の振る舞いもそう、もっともきわどいと思ったのは人気弁士として成り上がりはじめた成田凌がシャーロット・ケイト・フォックス出演の架空の無声映画『南方のロマンス』を語る場面である。幼少期より憧れの弁士山岡秋声(永瀬正敏)に指導を仰ぐも厳しくはねつけられた成田が拗ねて、ままよと堕ちた悪ふざけ。シリアスな悲恋の愁嘆場をケイト・フォックスが跪いて男の腰のすがりついた姿勢からそうとうエロチックなくすぐりにして語ってみせる。これはおそらく鈴木清順が映画化した『カポネ大いに泣く』(85年)の原作となった梶山季之の短編小説「ルーズベルト大いに笑う」のなかにある浪曲師桃中軒海衛門がアメリカで恋人メアリーに演台下から尺八させながら活弁をした件の上品な変奏だろう。そういえば『カツベン!』の撮影は『カポネ大いに泣く』で撮影監督デビューした藤澤順一である。
 永瀬正敏が渋く演じた活動弁士山岡秋声は徳川夢声をモデルにしたそうで、映画は既に出来上がっているもの、そこで余計なことをやっている弁士とは何だ、という秋声=永瀬正敏の屈託は夢声の実際の自問であったそうだが、徳川夢声はそういった洞察力と厳しさゆえに活動弁士の驕れる時代が過ぎてもマルチなタレントとして生きのびえたが、この映画の秋声はただ沈み、消えてゆく運命を受け入れているようである。だがその姿はどことなく美しかったし、私が唯一度目撃した周防正行もこれに通じるものがあった。
 2004年の暮れだったと思うが周防氏の96年監督作のアメリカ映画リメイク版『Shall We Dance?』を周防氏に見せるための試写上映があってその際にいらっしゃいませ、こちらです、ああどうも、くらいの挨拶というか案内をしたことがある。リチャード・ギア版『Shall We Dance?』の日本公開は05年。このときはまだ日本語字幕もついてないフィルムだった。どう考えても周防氏がメインゲストなのにまったく威張ってないところに驚いたし好感を持った。映画会社の人間のほうがよっぽど偉そうだった。そこに気質以上に映画の前では我や自己顕示は小さくあるべきだという姿勢を感じた。
 ......思えば活動弁士とは無声映画時代のわずか三十数年間しかその必要性がなかった存在であった。『カツベン!』のラストの成田凌は泣き笑いのようでいて、残酷に彼が時代に取り残されて朽ちることを暗示する。絶頂や幸福は口のなかで溶けて消えたキャラメルのごとく過ぎ去って戻らない。だが、それは存在しないも同然だとは言えまい。片島章三、周防正行は自作紹介、解説において"いま、この映画をつくる意味"を繰り返し語っている。彼らは終わってゆく予感に満ちたサイレント映画時代、活弁の時代を描きながら、フレーム外では映画館で映画を観るという文化の終わり方を見ようとしている。その思いは観客にも伝わるだろう。私は活動写真弁士よりは長く続いた映写技師という種族の末裔のひとりだが、フィルム映写の衰退とともにこの一族も消えようとしている(ただ弁士も映写技師も一握りの、その文化を伝える者、意志的にそれを生きると決めた者は残る)。十六年、だいたい一万回くらいは映画を映して、それが終わって観ていたひとを送り出すということをやってきたせいか、『カツベン!』で何度か描かれる、何の変哲もない、映画が終わったあと客が帰っていく場面でグッときた。ひとときそこに集った赤の他人どうしが、ちょっと、なんかよかったな、みたいな空気を漂わしてそれぞれ散ってゆく。それでいい、それがよかったのだ。


12/13より全国ロードショー