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2004.3.1〜5 前編
衣笠真二郎

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  3月1日(月)
日暮里から京成電鉄で成田空港に向かう。窓の外の風景は曇天で暗い。いっしょに旅をする友人AとOは天気をよそに相当うきうきしている。彼らに誘われるがままに行くことになったはじめてのヨーロッパだが、やはり旅行前になると私もうきうきしてきて、パリの予習にロラン・バルトの『エッフェル塔』と松浦寿輝の『エッフェル塔試論』を読んでみた。パリといえばどうしてもエッフェル塔でしょ、ということで。
空港に着くと、雨が降っている。昼食を食べながら搭乗時間を待っていると、雨が雪に変わった。これはまずいなと思いながら飛行機に乗り込んだが、離陸時間になってもエンジンにはひとつも動く気配がなく、するとアナウンスが鳴って「離陸のメドはまったくたっておりません」と機長がファンキーな英語で告げた。
ずっとただ座っているだけで退屈である。スチュワーデス、ではなく「フライト・アテンダント」が飲み物をふるまいはじめた。ビールを頼もうか迷ったが、フランスに行くわけだから赤ワインを飲むことにする。ボトルのラベルを見るとソーヴィニョンとある。航空会社がスイス・エアーなのでスイス産のワインである。これがまた旨くも不味くもないフツウのワイン。しかたがないのでさっさと飲み干して2本目を頼む。TVには何も映らないし、とにかく座っているだけでヒマなのだ。しばらくして追加にもう1本頼もうと思い、フライト・アテンダントのところまで行くと「持っていくからあなたは座ってなさい」というようなことを女性アテンダントから言われた。スイス・エアーの女性アテンダントはかなり熟した方々が多い。彼女たちは親戚のオバサンのように面倒見がよいのだ。
4本目のワインを空けるころに、ようやく飛行機のエンジンがかかりはじめる。気付くと当初の離陸時間から4時間も過ぎている。友人Oはパリのホテルの予約のことを心配しはじめている。私はけっこうアルコールがまわってきたのでワインを切り上げて、最後のパリ予習として残しておいたブルトンの『ナジャ』を読みはじめる。揺れる飛行機のなかで酔いながら活字を読むのはなかなか困難で、いっこうにページがすすまない。まだナジャが登場してもいないところで眠りに落ちてしまう。いかんいかんと思って目を覚まし、読書をやめて映画を見ることにする。ピーター・ウィアー『マスター・アンド・コマンダー』。イギリスの帆船軍艦を舞台にしたコスチューム・プレイということで、デコールがかなり本格的だ。しかも物語は帆船軍艦の上だけですすみ、ほとんど寄港しない。こりゃすごいなあと感心してふと目をつむって気付くとすでにラストシーンであった。少しワインを飲み過ぎた。すぐに眠ってしまう……。
チューリッヒではトランジットのみの予定だったのだが、到着が大幅に遅れたためそこで1泊することになった。インフォメーションで紹介されたホテルは飛行場から近い場所にあり、その隣はマクドナルド。ちょうどよいのでそこで夕食をとる。しかしどうやらチューリッヒのマクドナルドは値段が高い。ユーロのレートを計算してみるとハンバーガーが1個500円くらい。味はなかなかよくてモスバーガーのそれに近い。扱っているビールは生。
案内された部屋で寝る用意をしていると、友人Aが壁のデザインに気付く。遠目で見ると壁に大きく「M」と書いてあるように見えるのだ。このホテルはマクドナルドが経営しているホテルだったらしい。
 
   
  3月2日(火)

時差ボケでほとんど眠れず朝4時に目覚めてしまう。頭がさえてまったく寝られないので、『ナジャ』を読みながら朝が来るのを待つ。友人ふたりはよく寝ている。
ホテルで朝食をとってからチューリッヒ空港に向かう。数時間後にはいよいよパリだ。この飛行機は遅れることなく無事にシャルル・ド・ゴール空港に到着し、波のような形状をした空港の建物に驚かされる。天候は晴れ渡っているがとても寒い。空港のまわりは道路と荒れ地ばかりだ。
鉄道でパリの北駅へ。車窓から見える風景にはレンガ造りの建物やさびれたマンション群が多く、安直にジャン=クロード・ブリソーのフィルムを思い出してしまう。旅行者は窓の外を眺め回しているけど車内のフランス人たちは退屈そうにしている。たぶん窓の外に広がるこの風景も彼らにとっては「成田」みたいなものなのだろう。
北駅の改札を出ると、パリだ。しかもどこか汚くて臭い。たぶんここは「上野」あたりだ。駅前のカフェのとなりにいきなりSEX SHOPがあるのもそれらしいし、歩いている人々をみると移民や外国人が多くみえる。
ホテルに荷物を置いて街に散歩に出る。LES HALLESまでメトロで移動し、ポンピドゥー・センターへ。ミロのレトロスペクティヴが開催されていた。なかを見学するのは後日にして、腹が減ったので広場の売店でハムとチーズのパニーニを買う。イタリア系のおじさんが目の前でつくってくれたできたてのパニーニだが、どこかイマイチで味気ない。東京の(ドトールの?)それよりもぜんぜんおいしいけど、淡泊だし量があるので食べるうちに飽きてくる。味はともかくパニーニとハイネケンで腹を満たし終えて、南のほうへ歩きながらセーヌ川を渡りシテ島を過ぎ、ST.MICHELへ。大学街ということか本屋や映画館が多い。MK2 HAUTEFEUILLEのとなりにある映画書籍専門の本屋で梅本さんに頼まれたお使いジャック・ランシエール新刊本を購入。そのあとODEON周辺を歩く。どの映画館の看板を見ても『ロスト・イン・トランスレーション』と『GERRY』。
リュクサンブール公園の裏手にA.P.C.のショップがあり、値段はだいたい東京の8割程度。友人AとOがそこでカノジョへのおみやげを買うというので、そのあいだ私はマダム通り沿いにあるカフェで待つことにする。梅本さんに「カフェで注文するときはスタンディングで注文すると安いぞ」と聞いていたので、立ったまま「赤ワイン、グラスで」とオヤジに言ったら「席で座って待ってろ」と言い返えされて安上がりはあっさり挫折。しかしもともとワインは安い。しかもカフェのワインでさえアヴェレージが高く、感心してしまう。
その後セーヌ川をふたたび渡り、ルーヴルから凱旋門まで歩く。街中いたるところに犬の糞が転がっていることに気付きはじめる。
 
   
  3月3日(水)
時差ボケでうまく眠れない。朝3時に起きてしまう。友人ふたりはとなりで寝ているし何もすることがない。暗闇のなかで目を閉じても頭は冴えっぱなしだ。眠れないままベッドの上でじりじりして、やっと5時になる。朝の散歩にでることに決め、北駅周辺を歩く。明け方の薄暗いなかかなり怪しい人たちが徘徊している。コーヒーを飲もうと思ったがどのお店も開いておらず、6時になってようやくシャッターを開いた駅構内の売店で「PARISCOPE」を買ってホテルに戻る。友人ふたりはまだまだ深い眠りに落ちているので、しょうがないからバス・ルームで「PARISCOPE」を読みながら時間をつぶす。
日中は念願のエッフェル塔へ。想像していたよりもデカイ。しかしそれはまさしく「エッフェル塔」であり、私の頭の中にイメージとして存在していたそれとほぼ重なりあいながら、やはりそのふたつの間に微妙な異和があり、眼に映る「エッフェル塔」にときどき奇妙な亀裂が走るように感じられる。ここちよく面白い体験である。しかもエッフェル塔がそびえ立つ地表にはとても寒々しい光景が広がっている。浮き足だった観光客、大量の「ミニチュア・エッフェル塔」を地べたに並べて売っている移民たち、ボッタクリの気配で充満した両替商……。
そのあとOPERA周辺を歩く。寝てないせいか体がだるい。頭は冴えているが思考はぼんやりしている。友人Oが歩くのが速くてついていくのに一苦労してしまう。しかも気が立ってむしゃくしゃする。これは不眠の症例みたいなものか?
今回の旅の楽しみのひとつであるデプレシャンの新作を見に、友人OとPANTHEONへ。『LEO, EN JOUANT《DANS LA COMPAGNIE DES HOMMES》』。いまパリで上映されているのはカンヌに出品されたヴァージョンと異なり、タイトルも変えられている。オープニングにいきなりデプレシャンとニコラ・サーダ(脚本共同執筆)の姿が映り込んできて、出し抜けに頭をぶったたかれたような感覚を与えられ、そのままパンクの音楽(80年代のニュー・ウェーヴ調、だと思う)に乗せられながらただただフィルムに打ちのめされつづける。サミ・ブアジラ演じる主人公のレオは、非合法の武器取引を取り仕切る父にたいして妄執的な憎しみを抱いている。レオがかかえている妄想的な衝動や窒息感が、冒頭では室内で中盤では屋外で爆発的な加速をみせる。室内の壁は一面血で染まり、屋外の試射では父の額に照準が当てられるだろう。レオと父を取り巻く人間たちとの関係も複雑なカットバックで語られてゆき、ついには本編の中にリハーサルの映像が差し込まれはじめる。オープニングのふたりの映像はその予告だったのだ。セットも何もない空間で普段着のまま演じる俳優たち。これは『ドッグヴィル』の騒ぎではない。集団と死と金をめぐるあまりにも暗いストーリーだが、このフィルムを見ていると脳そのものが酷使され刺激され、その新しい映像の出会いに元気づけられた。
夜は友人Oの知り合い溝口さんの部屋に招かれ夕食をご馳走になる。彼女はすでに3年ほどパリに住んでいる芸術学校の学生。東京に住む彼女のカレシもアーティスト。最近彼女が作品のモチーフにしているのが骨盤だそうで、いくつかの「骨盤」を写真で拝見する。
今日からホテルをST.MICHELに移す。「HOTEL MONT. BLANC」。すごい名前だ。
 
   
  3月4日(木)
友人Aはパリ美術館めぐりへ出かけ、私とOはLES HALLESのシネコンへ向かう。私の時差ボケ不眠症のために友人Oに怒りっぽくなっていて、お互いそれに気付いていたので別々に映画を見ることにする。Oは『ビッグ・フィッシュ』、私はシャンタル・アケルマン『DEMAIN ON DEMENAGE』を選ぶ。アケルマンはあまり見たことがなく正直よくわからないのだけど、この新作がいままでとはまったくことなるコメディーであるとことは少なくともわかった。小説家志望の女の子が他人の女性と同居することになって、恋人と結婚について考えはじめる。かなり正統なコメディーで、物語が展開するのもほとんど室内である。主演のシルヴィー・テスチュとオーロール・クレマンがとってもキュート。というか、オーロール・クレマンがかなりバカっぽいキャラクターを演じている。
そのあと友人OとACTION CHRISTINE ODEONで『荒野のストレンジャー』を見る約束をしていたのだが、シネコンではぐれてしまいあきらめる。雨まで降ってきてなんか淋しくなる。ひとりで昼食を取ろうと思いパニーニを買うが、やっぱりぱさぱさしていて不味い。
うじうじしていてもしかたがないので、気持ちを入れ替えて午後にもう1本見ることにし、GAUMONT OPERA FRANCAISでセドリック・カーン『FEUX ROUGES』を見ることにする。この時間、金持ちそうなマダムがたくさん映画を見に来ていた。どういうことかしら。フィルムは、ある男のロードムーヴィー。それは妻のもとへと移動する旅でもあり、犯罪を犯し警察に追われる逃亡でもある。セドリック・カーンだから移動手段はもちろん車である。しかし主人公の男が優柔不断に見えるせいか車がかれのモノになっていないようにみえる。『倦怠』の哲学教師、あるいは『ロベルト・スッコ』で「ATTENDS! ATTENDS!」と言いながら待ちきれない男を思いだしてしまう。
夜はPIGALLEで人と会う約束がある。「nobody」12号でインタヴューしたヴァレリ=アンヌ・クリステンに、ジュリアンという弟がパリに住んでいるから会ってきなよ、と言われパリに着いたとき図々しく電話してみたらぜひ遊びに来いと言われたのである。OPERAからだらだらとPIGALLEまで歩くことにし、駅が近づいてくるとかなりいかがわしい雰囲気になってくる。PIGALLEとはつまりムーラン・ルージュのある土地で、東京で言えば歌舞伎町のような場所なのだ。街中がネオンでキラキラしていて、しつこい客引きがいっぱいいる。ひと目で私が日本人であることがわかるらしく「ゲイシャー!」「バンザーイ!」と連呼される。いわゆる大人のおもちゃ屋さんもたくさんあり看板には「SEX」とでかでかと書いてあるからすがすがしい。ジュリアンとの待ち合わせ場所に早く着いたので、近くのマクドナルドに入る。クアラルンプールのビールはあっさりしていて飲みやすい。
時間通りに待ち合わせ場所に現れたジュリアンは姉よりもぜんぜん大きい。かなりさわやかなヤツでいまは高校の国語教師をしている。まずカフェでビールを飲んでからモン・マルトル近くのレストランで夕食をご馳走になり、そのあと家に招かれた。駅の近くのアパルトマンだがかなり清潔できれい。このアパルトマンにオードレイ・トゥトゥユの友だちが住んでいてときどき「アメリ」が遊びにくるらしい。リュディヴィーヌ・サニエもたびたび来るとか。というような話をしながら酒を飲んでいると酔っぱらってきて、何を話しているのかわからない支離滅裂な状態になってくる。しまいにはジュリアンに「シンジローの飲めるアルコールはもうないなあ」と言われてしまい、12時を回ったあたりで礼を言ってお暇する。パリの地下鉄は夜遅くまで走っている。車内で寝てしまい、乗り換えができずに何度も同じ駅を行ったり来たりしながらやっとのことでホテルにたどり着く。酔っぱらって帰ってきた私を見て友人ふたりは呆れる。
 
   
  3月5日(金)
友人Aは今日一足先にスペインに移動する。Oは明日南仏へ移動する。「で、キヌガサさん明日からどうするのよ?」と聞かれ、特に何も計画していないなと思いながら残りの日数の宿賃や食費を計算してみると、ぜんぜんお金が足りないことが判明する。もともと私はお金の計算とかがまったく苦手で計画性がない。クレジットカードもないしどうしようもない。「わざわざ持ってきた「nobody」を「ビッグ・イシュー」みたいに街頭で売ればいいじゃないか」と言う友人たちに頼みこんで、現金を貸してもらった。私はいちおう彼らの先輩にあたるのだが、あんまりにもだらしなくて自分に呆れる。
この日は3人でゆっくりと街を歩き回る。セーヌ川沿いはとても寒いけど、船が通るときなどはきもちいい。雰囲気の気に入ったカフェにもう一度みんなで行った。Aのパリの最終日くらいはちょっと高いレストランで……などと話していたのだが、友人たちは金のない私にあわせてくれて夕食はケバブをたべた。正直あんまりおいしくなかったけど、友人たちとバカな話ばかりできて楽しかった。
友人Aはオーストリッツ駅から寝台車でスペインへ向かう。彼が予約していたのがこれまた豪華な列車で驚く。リッチな旅である。Oと見送ったあと、バスチーユのホテルに移動し夕食をとったあと、夜の街に出る。バスチーユ周辺は最近流行りの街らしく、週末ということもあってかどの店も人がたくさんいて大騒ぎしている。ホテルの向かいのアパルトマンでは大勢でパーティーをしていた。ちょっと淋しい気もしたが、近所にあるMK2でガス・ヴァン・サント『GERRY』を見ることにする。「nobody」12号で特集したときにすでにビデオで見ていて、そのときは『エレファント』同様スタンダード・サイズだと思いこんでいたのだが、実際なんとシネスコだった。そこで見えてくる風景はまったく違うものだから、かなり驚かされた。とくにあの塩湖のシーン、あの蜃気楼はシネスコでとらえられていたのだ。友人Oもこれには打ちのめされている様子だった。