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2004.3.6〜11 後編
衣笠真二郎

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  3月6日(土)
早朝、南仏へと向かう友人Oを見送る。地下鉄でAUSTERLITZ駅に着くと、友人OがおもむろにDVカメラを取り出して、旅の記念に撮ってくれという。ただ廻せばよいというので、プラットフォームへ向かって歩いていく彼の後ろをついていきながらその背中を撮り続けた。終着駅型の駅舎の空間には採光のなかに陰影があり、しかもヤケにたくさん人がいて、ファインダーをのぞいているだけでおもしろい画がとれる。「今生の別れかも」と冗談を言いながら握手をして友人Oと別れた。
さてこれから数日パリでひとりの極貧生活のはじまり。まず安いホテルの確保。プラットフォームの公衆電話でホテルに電話をかけまくって、北駅近くの「BRABAUT」という名のホテルに決定。行ってみて紹介された部屋がこれまたいかにもというボロさ加減で、元は物置であったことに間違いない。とにかくほこりっぽい。かろうじて窓はついているけど、ものすごい圧迫感があるから長時間部屋にいる気になれない。けど、まあ安宿だからしかたがない。
今日の夜は映画批評家の廣瀬純さんの部屋で開かれるパーティーに招かれている。「nobody」への寄稿などで廣瀬さんとはメールでやり取りしているのだか、実はお会いしたことがない。私のパリ旅行が決まったときに「ぜひパリでお会いしたい」とメールを書いたところ、「ちょうど僕のさよならパーティーがあるからおいで」と返事をいただいた。廣瀬さんは数年間暮らしたパリを後にしてこの春に日本に帰国する予定なのだ。
とはいえ、昼のあいだはやることがなくてヒマなので、いくつか映画を見ることにする。13区、LES GOBELINSでリティー・パニュ『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』。nobody結城の「山形ドキュメンタリー映画祭レポート」を読んでただならぬ作品であろうことは察していたが、同監督の前作『さすらう者たちの地』と同様、一瞬先の死に緊張せざるをえない人々と場所を前にしてカメラを廻し、そこからフィルムを構成していこうとする意志は変わらず徹底したものだ。すでに廃墟となった政治犯収容所「S21」。その映像にかぶさって聞こえる風の音を聞いて、『ニッポン国古屋敷村』を思い出した。
映画を見終わって腹が減ったので、地下鉄駅近くの市場に行ってサンドイッチとハイネケンを買う。小さな公園のベンチに座って食べていたら、子供を遊ばしているお母さんたちの視線が気になる。まさか浮浪者に見間違えられていたはずは……なかろう。
午後はCINEMA CHAMPOで念願のアラン・レネの新作『PAS SUR LA BOUCHE』。いま同じ劇場で《インテグラル・アラン・レネ》なる全作品上映が開催されているのだが、私の滞在期間中は残念ながらすでに見たことがあるものばかり。だが新作も見られることだからまあ良しとして、劇場前で開場を待っていると、驚くことに来るお客さんはみんなおばあさん。お昼の回だからかも知れないけど、なかなか東京にはない奇妙に洗練された雰囲気だ。実際フィルムを見てみると、おばあさんが集まるのもなるほどといった具合の洗練を見せていて、今回も両大戦間期の戯曲を元にしている。あいかわらずデコールに気合いが入っていていつもよりもさらにゴージャス。いわゆる3組の男女の恋のさや当てという物語で、毎回絶妙なところでミュージカルパートがはじまる。冒頭、脇役の3人の娘が歌いはじたときカメラは俯瞰になる。3人の娘がつくっていた緩い3角形は崩れることなく、メインの3組の男女によって変奏される。その均衡の妙といえばよいのだろうか。もちろん真っ先に聞こえてくるのは彼ら彼女らの歌声であることは言うまでもない。
そのあと11区CHARONNEにある廣瀬さんのお宅まで歩いていく途中、セーヌ川の橋を渡りきったところで「NICE TO MEET YOU!」といきなり声を掛けられ、誰かと思うと「つっちー」こと土田環さんであった。お互いパリにいるのも知らず偶然街中で出会うなんて、驚く前に少々混乱してしまった。しかしよく考えてみるとパリは小さい。行くところ通る道などだいたいみんな同じということか。せっかくなのでポンピドゥー・センター向かいにあるカフェに入る。土田さんの話によると、いま諏訪敦彦監督もパリに来ていて次なる企画のためにペドロ・コスタ監督と打ち合わせなどがある、土田さんはそのコーディネーター役であるようだ。土田さんパリでもなかなかお忙しい方である。
廣瀬さんのパーティーに少し時間が遅れそうなので、最寄りのメトロの駅を教えてもらってから土田さんと別れる。CHARONNEの駅に着いてみるとその周辺は静かで少々わびしい雰囲気。でも住むにはなかなかいい場所なのかしら、と考えながら廣瀬さんの部屋に辿り着き、廣瀬さんにはじめての挨拶。とても気さくな方で初対面の私を楽しく迎え入れてくださる。フランス人や日本人のお友達に私を紹介して「このひとは「nobody」という日本の批評誌のライターで、わざわざこのパーティーのためにパリまでやって来たんだよ」。
時間がたつにつれてどんどんお客さんが増えてきて、部屋がいっぱいになる。廣瀬さんにはスペイン人のお友達が多いらしい。持参した「nobody」を見せながら話をしていると、『エスター・カーン』が表紙の2号や『エレファント』が表紙の12号の評判が特によい。「nobody」のコンテンツに関して「これってなに?」という人もなく、どの人もまた映画をよく知っている。そのうち、例のごとく私は酔っぱらってきて、かなり適当な英語で喋りまくっていたが、いまとなっては何を喋っていたのかさっぱり覚えていない。しまいにはテーブルの上にのっていたお寿司用の醤油皿をひっくり返してしまい、絨毯(しかも引っ越す数日前の……)を汚してしまう。やってしまった。廣瀬さんは「気にしないで」といってくださるが、これは大失態。ほんとうにごめんなさい。
やらかした粗相にしばらく落ち込んでいると、「醤油のことは大丈夫だ。気にするな」とスペイン人男性に慰められ、ありがたく気持ちを入れ替え「行儀よく」パーティーを楽しむことにする。しかし一回まわってしまった酔いはとり消すことができず、すでにかなりフラフラ。するとやはりスペイン人男性から「となりの部屋のベッドでしばらく寝てなよ」と気づかわれ、素直にその言葉に従う。そしてしばらく寝る……。
起きたときにはすでに大半のお客さんは帰ってしまった後。ずうずうしく長居してしまった。廣瀬さんに礼を述べ、「今度は日本で」と言ってから帰途につく。
ホテルに帰りつき、着替えてからベッドに横になる。だが、また、眠れない……。
 
   
  3月7日(日)

ベッドで横になっていてもまったく眠気を感じない。二日酔い状態でこれはきつい。しかたがないから、このまま寝ずに外出することにする。
「PARISCOPE」でシネクラブを見つけ、劇場のあるモンパルナスへ。サッシャ・ギトリ『ASSASINS ET VOLEURS』。劇場に入ると、日曜日ということもあってか年配の方が多い。しばらくすると、このシネクラブを主催しているCLAUDE-JEAN PHILLIPPEさんがスクリーンの前に立ってフィルムの解説をはじめるが、ほとんど誰も聞いていない。どの人も驚くほどに無関心。入ってくるお客さんはPHILIPPEさんのしゃべっている目の前をどうどうと素通り。みなさんただフィルムを見に来ているだけなのね……。その後、ようやく上映がはじまったが、見ているうちにじわじわ眠気が襲ってきて、気付くともうフィルムが終わっていた。あのフィルムで誰が「暗殺者」で「泥棒」だったのだろう……。
私にとっては何の意味もなかったシネクラブの後、あまりに貧しい気分になったので、ランチはいつもより豪勢にしようと決める。パリに旅立つ前に梅本さんにおすすめのレストランをおしえてもらっていて、それの場所を今日ようやく見つけられたのだ。「MACHON DユHENRI」。リュクサンブール公園とオデオンのちょうど中間にあるお店で小さめながら雰囲気がよい。黒板に書かれたランチ・メニューの文字をできるだけうまく発音してオーダー。ワインもグラスで注文。この店で一番安いワインだけど、信じられほど美味。「フルーティー」とか「渋み」云々いうまえに味自体に落ち着きがあってブレがない。きわめて品がよい。真っ昼間からワインに感動してきっているとオーダーしたプレが運ばれてくる。ラムの香草焼き。ベーシックなメニューだと思うが、一口食して肉の柔らかさにふたたび感動。付け合わせのポテトも妥協しないその質の高さを友人たちと共有したかったと今更ながら後悔。実はパリの初日に友人たちとこの店を探したのだが見つかられなかったのだ。今考えると店の真ん前を通り過ぎていたのに……。
午後はSORBONNEまで移動して、ACITOIN ECOLESで開催中の「ブレイク・エドワーズ・レトロスペクティヴ」へ。『パーティー』は初見。もう「美しい」としか言葉が出なかった。ピーター・セラーズによって堂々と演じられた「インド人」に心を打たれ、子象が出てきたときにはもうどうにでもなれと思った。
あんまり映画ばかり見ているのもどうかと思い、リュクサンブール公園まであるいていきベンチに腰かけてだらだらと夕方を過ごす。日が差しているあいだはじっとしていてもまだ暖かい。今日は子連れの家族も多い。転がってきたサッカーボールを蹴りかえす。
今日のシメはLUCERNAIRE FORUMにてノエミ・ルヴォヴスキ『LES SENTIMENTS』(けっきょく映画……)。去年、日仏学院で上映された同監督『私を忘れて』でたいへん驚かされた経験があるので、私にとって必見の1本。今度はナタリー・バイ主演で、トリュフォーの『隣の女』を思わせるメロドラマ。旦那に浮気されてしまうナタリー・バイがしかしまあこれでもかというくらいの陽気なキャラクター。ラジオから流れる「あの曲」にあわせて踊りながら部屋に掃除機をかける……。ストーリーが結節点を迎えると、本編とは関係のないコーラス部隊があらわれる。ギリシャ劇のコロスの役割といえるだろうが、これが私にはいただけない。ここで使われるポップスやコーラスが、サウンドとなって映像にすり合わされたときに生じるドラマがどこか半端なところにとどまっている。それなら「あの曲」もコロスも元からやめとけばいいのに、と思う。
 
   
  3月8日(月)
今日からホテルを変える。ST.MICHELに安いのを見つけたのだ。セーヌ川からも近く、ESMERALDAという名の古いホテル。シャワー付きなのがありがたい。
今日のテーマは「散歩」。あまり映画館にこもらないようにすること。メトロで19区のBELLEVILLEへ。そこに中華街があるというので行ってみると、本当に近辺アジア系の人々ばかり。みなさん親しみ深いフランス語でしゃべっている。私は元もと中華料理好きなので、庶民的な中華料理屋に挑戦してみることにする。ベルヴィル通り沿いの小さな店に入ってみると、見たところお客は全員中国人。女主人は当然のように私に中国語で話しかけてくる(私の顔は日本人よりも濃厚な東アジア系に見える、と自分でも思います……)。英語で応戦すると、中国語のメニューが差しだされた。ラーメン(あるいは汁ソバ)が食べたかったので、「麺」という漢字を頼りにオーダー。この店ではみんながみんな美味しそうにラーメンを食べているのだ。青島ビールはそのまま「チンタオ」で通じた。しかし、運ばれてきた「麺」と名のつく食べ物のほうは、ラーメンではなくビーフンだった……。おしい。
ビーフン完食後、PARC DE BUTTES-CHAUMONTまで歩いてゆく。少し小さめな公園ながら丘あり谷ありの魅力的な地形を持つ。切り立った丘が展望台になっていて、19区の北部を見わたせる。ここは『恋するシャンソン』のロケーションとなった場所である。公園内をランニングしている人たちがなぜか多い。傾斜のある草原に寝ころんでみる。基本的になにもせずにごろごろ。
日が暮れて腹が減る。今日はパリで最後の晩なので、もう一度「MACHON DユHENRI」へどうしても行きたくなり、メトロでODEONへ。今日はビーフに挑戦。これまた上手い。適度な固さと多すぎない肉汁。赤ワインがすすみおかわりをしたいのだが、何と言って頼めばいいのかしら。しかたないからこう言おう、「ENCORE!」。
 
   
  3月9日(火)
今日は移動日。明日バルセロナで友人AとOと落ち合う予定なのだ。彼らはすでにバルセロナにいるはず。パリからバルセロナまでバスで16時間の旅だ。GALLIENIにゆきEURO LINEの安い長距離バスチケットを買い、大きなトランクをかかえてバスに乗り込む。乗客のほとんどはスペイン人のようだ。
進めども進めども窓の外にひろがるのは殺風景な風景。ハイウェイ沿いの風景はそれほど魅力的ではないのか。するとフランスとスペインの国境を越えるあたりで急に温度が冷え込んできて、風景は一面雪になる。しばらくすると雪はとつぜん消え失せた。
乗客が退屈しはじめたころ、車内のTVモニターでリュック・ベッソン制作『WASABI』がはじまった。『ロスト・イン・トランスレーション』のまえにこのフィルムがあったことを忘れていた。このバスの中でただひとりの日本人が味わう「東京」。エキセントリックな「少女」。窓の外にひろがる国境の風景。眠気が襲ってくる。
 
   
  3月10日(水)
朝5時。予定より早くバルセロナに到着。市内の大きな駅の前に下ろされた。地図を見てももちろんスペイン語なのでぜんぜんわからない。タクシーを捕まえて、「アグマール・ホテル」と告げる。友人ふたりはこのホテルに滞在しているはず。駅からかなり遠く、「残りのお金でタクシー代が払えるかしら」とヒヤヒヤする。タクシーが到着したのはすこしゴミゴミした繁華街。そこにホテルはあった。
ポーターに友人たちのいる部屋へ案内される。当然彼らは寝ていたが、それなりに心配して待っていてくれていたようだ。「けど最後の日までにキヌガサさんが来なかったらふたりで帰国しようと決めてたよ」。
ホテルでの朝食後、バルセロナ市内を散歩する。小高い丘の上が元オリンピック村で大きなスタジアムがたくさんある。ここは海沿いの街。丘の上からの風景も爽快で、とおくのほうにサグラダ・ファミリア教会も見える。しかし街の建物をよく見るとどのアパートも剥きだしのコンクリートで、すすけた感じがする。建物や街を不透明な空気がおおっている。歩道が雨に濡れていたせいもあるかもしれないが、ゆるく怠惰な雰囲気を感じる。ホテルへの帰り道、『スクール・オブ・ロック』のポスターがエリック・クラプトン・ライヴのポスターとともに貼られているのを見つける。
ホテル近くのレストランでパエリヤをみんなで食す。「これが本場の味ですねー」と言いながら堪能。適度にお米の芯が立っていて、魚介類の味がとても濃厚だ。ということは逆に、日本で食べたことのあるパエリヤはお米がふっくらしすぎていて、しかもお米と具の味が分離してしまいがちだったのだ。本場では、お米が野菜として認識されているように思う。
午後はホテルに帰ってみんなで昼寝。というのも昼過ぎの「シエスタ」の時間は街中が昼寝をし、どの店も一時休業するのだ。なかなか贅沢な生活パターンだ。
夕方、晩飯の買い出しに市場へ。ワインがとても安く、マカロニやペンネとともに買い込む。ホテル周辺の街はバルセロナ市内の「歌舞伎町」とも言える場所で、「夜は危険なので出歩かないように」と『地球の歩き方』にも書いてあるらしい。たしかに夜が近づくとざわざわと人が集まりだしてきた。
ホテルに戻り、酒を飲み始める。よくぞバルセロナまで辿り着いたものだ、としみじみしていると、友人Oの酔いがまわって暴れはじめる。タバコを買いに行くと言って外に出ていき、帰ってくると「なすりよってきたスペイン人をひとりはり倒してきた」と言う。彼はバルセロナで空手を披露したわけだ……。それを聞いて友人Aはにやにやしているし、私も相当酔っぱらってきた。そして夜は更けた。
 
   
  3月11日(木)
帰国の日。早朝タクシーで空港へ。これでフランス・スペインの旅は終わりだ。
チェック・インをし、荷物を預け、搭乗口へ。いつもの手続きが待っている。離陸し、日が暮れて機内の灯りが落ちても、私はどうしても眠くならない。『ロスト・イン・トランスレーション』、『スクール・オブ・ロック』、『ホーンテッド・マンション』を見終えても、まだまだ飛行は続く。いつまでもただ退屈なばかり……。
引き延ばされた時間の果てに、とうとう成田空港に到着する。迎えに来た友人Oのガールフレンドから、旅行の期間中にマドリードの市内で大きな列車爆破テロがあったことを知らされた。それはちょうど友人Aがマドリードに立ち寄った直後のことであった。旅先で新聞も読めずテレビも見ずに、まったくそれを知らずぞっとした。あまりにも平和な旅から、私たちはこちら側の世界に帰ってきたのだ、と実感した。