10/14 河の流れ、樹々、鳥の群れ

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  • 結城秀勇
『顔』グスタボ・フォンタン。前日の『かつて私たちが抱いた思い』について私が感じたようなことを、もっと積極的に作品化したのがこの作品だろう。流れ着いた川辺で時間を過ごす男の姿を、16mmとスーパー8のふたつのフィルムを使い、さらにその二種類をそれぞれ別のカメラマンが撮影しているこの作品。なにぶん情報が少なく、もしかして間違っているかもしれないが、8mm映像の中に明らかに古い映像が紛れ込んでいるような気がするのだ(クレジットにも「フッテージ」という記載があったような気がするのだが......)。あの特徴的な粒状感がくっきと見え、それでいて鮮明に全体像を見せる16mmと、ほとんどそれがなんの一部かもわからないほどぼやけた近視眼的な映像を映し出したりもするスーパー8。カットが変わるごとに、キズやスレの感じが変わり、解像度が変わる。そんなふとした瞬間に、「あれ、これ回想シーンなのか?」と思う。セリフも一切なく、ストーリーらしいストーリーもない(少なくとも私には全然わからない)この作品で、そんなことを思うのがまずありえないことのような気がするのだが、でも川の水面から男の子が顔を出す場面は、いまそこで起こっていることというより、かつてそこで起こったことのように見えるのだ。回想とはいっても、はじめにこの映画に出てくる男の回想としてではなくて、他の誰か、もっと言えばこの川自体の記憶の回想のように見えるというか。
そんなふうに見えるためのテクニック、そしてフィルムの特質があるはずで、そのことを監督に聞きたかった。フォンタンの来日が中止になったのが本当に悔やまれる。

昼ごはんはちょっと遠出して、「桂林」の肉ラーメン。「龍上海」と並んで人生で最も多く食ったラーメン。肉と筍の細切りあんかけというこってり加減と、それでいて二日酔いに染み渡るようなやさしいスープとのコントラスト。似たような味は、広い意味で系列店でもある山形駅前「五十番」でも味わえます。

山形に帰るとついつい行ってしまう、美術館前の古本屋「香澄堂」。行けば必ず読みたい本がある。今回は、ファスビンダー『マルタ』の原作「生命あるかぎり」が収録された創元文庫の『ウィリアム・アイリッシュ短編集6』を購入。¥300。ふたりの出会いの描写が本当に素晴らしく美しいが、それをあの360°ぐるぐるカメラ移動に変換したファスビンダーもたいがい狂ってる。

『2012』『cinéma concret』牧野貴。こんなでっかい会場で牧野作品が見れるのもいい機会だな、と楽しみにしていた。
『2012』は減光方式による3D(という見方も楽しめる)作品で、前半がフィルムでの制作で、後半はデジタルでの制作で、ガラリと印象が変わるはずとの監督の言葉。しかし普段偉そうに、フィルムがどうだデジタルがどうだと書いてるクセに、その劇的なはずの切り替わりに気づかなかった。というか、ここで変わるんだろうなというポイントで、その質感が思ったほど変わらなかったので、もっと後にその切り替わりはあるのかなと思ってしまう。それよりも画面の手前、奥、表面にそれぞれ揺れ動く像に意識が行ってしまう。その経験を経ての『cinéma concret』は、もはやメガネをかけていないにも関わらず、画面がいくつもの層が重なっている状態に見える。それでいてそのどれかの層を中心的に見つめ続けるということもなくて、どれが図でどれが地かを特定し続ける感覚。『2012』でフィルムからデジタルへの変遷という圧倒的な距離感を見失い、『cinéma concret』で具象と抽象、時間とその痕跡としてのある具体との距離感を見失う、そんな体験。

山形みたいな海のない街に来てあえて魚介を食わんでもいいだろう、と外から帰省した人間は思うものの、それでも一週間もいれば魚も食いたくなるもので、そんなときにオススメなのが「いっこ寿司」。かなりリーズナブルな料金で立派なネタを出す。かなりの深夜まで営業していて、週末や祝前日なんかはすごく混む。冷気も強くなって宵もだいぶ深まった頃、ウニの海苔巻きをアテに熱燗を飲む、なんてのも乙なものです。

2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭をあえて総括するとするなら、どの作品が受賞したとかよりも、なによりもまずラテンアメリカ、もっと言えばチリ。コンペや小特集など様々な部門に分かれたいくつかの作品が偶然のように響き合って、『顔』や『ホース・マネー』のような、時間を記録する媒体としての映像の特性の根幹を揺るがす作品との出会いの中で、映像と歴史との距離が混乱した。そんな中で遭遇した『チリの闘い』は、すでに過ぎ去り消え去った隠されたなにかを記録したものとしてよりも、いまだ完全には到来したことのないなにかの欠片がつかみとられたようなもの、として見えた。