10/8 「public」

結城秀勇

映画祭の行われている七日町から結構がんばって歩けばいけるあたりにある「山形一寸亭」はオススメなのだが、そこの分店の「山形の肉そば屋」に家族で行く。県外から来た方にはいったいなんのことやらというメニューかと思われるだろう「冷たい肉そば」。単なる冷やしたそばではなく、あったかいものとはまったく別のスープと食感。もりそばともまったく違ったジャンルになっているこのメニュー、機会があれば是非一度ご賞味あれ。

『カーロ・ミオ・ベン(愛しき人よ)』蘇青、米娜。かつて「nobody」でも取材をした『白塔』の監督たちの新作。視覚聴覚に障がいを持つ子供のための学校へ通う何人かの少年少女の姿を追う。まずもってこの監督たちが信頼できるのは、彼らが目が見えないことや耳が聞こえないことを描いたりしないからだ。そうではなくここにあるのは、形態であり言葉であり、色彩であり音楽である。視力と聴力が極端に低い少女と、四六時中彼女の側にいる教師との距離、接触。ずっとペットの亀の話ばかりしている少女の、自分をないがしろにする祖母への怒りの手紙。ただ、そうしたひとつひとつのディテールがとても魅力的であるがゆえに、それらの映像をまとめあげるやり方が最終的にこのかたちでよかったのかという疑問がどうも拭えない。タイトルの「カーロ・ミオ・ベン」とはひとりの少女が歌うアリエッタのタイトルだが、その映像が鳥肌が立つようなすごみを備えているがゆえに、それによって作品全体をまとめてしまうことは、その他のなんということのない映像や音のざわめきを最後にかき消してしまうような気がした。

『エクス・リブリス ― ニューヨーク公共図書館』フレデリック・ワイズマン。私立図書館としては世界屈指の規模を持つニューヨーク公共図書館の運営を様々な角度から描く。私立なのに「公共」とはこれいかになのだが、おそらくこの「公共」という概念、パブリックであるとはいったいどういうことなのかという問いかけこそがこの作品の核だ。膨大な数の分館や研究センターからなるニューヨーク公共図書館のシステムを、各地域の人種的経済的文化的な特色からそれぞれに異なった方針と問題に切り分けて説明していくこともできそうだが、そうした見方はこの作品に対してはいささかステレオタイプに過ぎるものになるだろう。それよりも何度か違った局面違ったコンテクストで発せられる「孤立」という言葉がやけに耳に残る。役員たちの会議ではインターネットインフラの提供についての話題、ネット環境から「孤立」してしまいかねない人々になにを提供するかという話題が何度かあがる。先進的なデジタルライブラリーを持つこの図書館にとっては当然なのかもしれないが、一見真逆のものにも思える紙の本の所蔵・貸出とネット環境の整備が同等に達成されるべきものとして提案されており、そこでは物理的な場としての公共性だけではない、変わりゆく社会の中での公共性のあり方が問われているように見えた。また各分館の担当者間での会議では、ある女性が「しばしば私たちの日常業務は各部署、各企画の間であまりに分断されているように感じられる」と語る。その分断された業務の中で、それらのつながりによって成し遂げられるものを想像することもまた別の「公共」を考えることに他ならないし、それを成し遂げるために必要なのは単なるシステムではない。
なんと言っても感動的だったのは映画の最後で行われる、ショーンバーグ黒人文化センターのセンター長と地域住民の交流会だ。建物のなんでもないすみっこでまるで地域住民の茶飲み話のようにフラットな感じで行われるそれは、先だって見た『願いと揺らぎ』の波伝谷の人々の寄合のように、政治のありようを直接に描いているように感じた。ミクロなレベルからマクロなレベルまで「公共」の可能性が問われ続けるこの作品は、ほとんど都市そのものを描いていると言っても決して言い過ぎではない。