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2006年07月11日

Nobody knows──Et la vie continue(最終回)

 マテラッツィ=ジダン関連は今のところマテラッツィの発言しか出ていない。「無学なので、テロリストなんて言葉は知らない」「シャッツをひっぱたらあとでくれてやる、とジダンが言うので○○と言った」。フランスの「SOSレイシズム」はFIFAに調査を依頼したと言っている。よく考えてみると、ぼくの動揺はマテラッツィの言葉が何だったかということよりも、突然のジズーの頭突きの映像を見たことに由来する。昨日も書いたけれども、フットボールの論理からもっと大きな世界へと引き出されてしまったことへの動揺だ。アルゼンチン対ドイツ戦のゲーム後の両チームの小競り合いとはちょっと異なる。

 しかし、今日が最終回なので、フットボールの論理にあえて戻りたい。
 イタリア対フランスは、まったく同じフォーメーションだった。4-2-3-1。そう考えると、どちらもアタッキング・フットボールではない。実にディフェンシヴだ。アタックの特徴はトニとアンリの個性の相違であり、ヴィーラとピルロの違いであり、ジダンとトッティの差だ。そう考えると、ジダンとヴィーラをふたりとも失ったフランスはよくやったと思うし、イタリアがフランスを上回ったのは、グロッソ、ザンブロッタの両サイド。特に今大会で光ったのはグロッソだった。

 だが4-2-3-1が勝利を収めたのは、ちょっとつまらない。いかに屈強の両センターバックを持っているからと言っても、これでは余りにディフェンシヴだし、ふたりのボランチとトップ下というずいぶん昔のフットボールを彷彿とさせてしまう。なるほどリッピは、60分から選手交代を頻繁に行ってアタックへのシフトチェンジを何度もやった。それはイタリアとしては進化だ。だが、ベースが不変である限り、それは新たなフットボールではない。ドメネクは、その功績としてリベリを発見したことだけを記すべきであり、フランス・チームは、「キング・ジダン」チームでしかなかった。そういえばディディエ・デシャンはユーヴェの監督に決定した。ユーヴェは3部出発になるのだろうか。

 もちろん最初にフォーメーションありきではなく、選手の特徴によってフォーメーションは決まってくる。アルゼンチンのように、リケルメのチームと決めてしまえばすべてはそこから始まる。だが、これも書いたとおり、ペケルマンは最後の最後に臆病になってしまった。そして戦術先進国のオランダのように常にサイドアタッカーを置き、今回のふたり──ロッベンとファン・ペルシ──はふたりとも左利きという実験を行っている。左利きは左に、右利きは右にという定石を最初から破った形は面白かった。ファン・ペルシの左サイドから中央に切れ込んでのシュートを何度も見た。アルセーヌ・ヴェンゲルはファン・ペルシの開眼に目を細めていることだろう。だが、ファン・バステンのオランダは、選手も監督も経験が不足していた。

 やはりベストゲームは、予選リーグのチェコ対アメリカ。チェコの完勝に終わったゲームだが、ブルクネルの4-1-4-1が見事にツボにはまり、美しいパスゲームを見せてくれた。開幕戦からまるでクラブチームのようなスタイルのあるフットボールを見せてくれたチェコだが、ふたつの「1」に入る選手を相次いで失って、スタイルが形骸化して敗れた。ここでもキーになるロシツキをとったヴェンゲルはもう一度目を細めているだろう。

 もっとも失望したのはイングランド。才能溢れるミッドフィールダーを持ちながら、彼らを活かしきれなかったのは、エリクソンの責任だ。4-1-4-1は付け焼き刃では無理だ。イングランドでほぼこれに近い形でやっているのはアーセナルだが、両方の「1」はジウベルト・シウバとアンリだ、つまりふたりともイングランドに属していない。イタリアの「カテナッチオ」ではないが、伝統のイングランド・スタイルで戦った方が敗れても納得がいったろう。

 健闘したポルトガルだが、セミファイナルはいいところだ。よく言われる通りペナルティ・エリアの周辺まではベストのチームだが、やはり絶対のストライカーが必要だ。フェリッポンの精神論ではこの壁を越えられない。それにフィーゴ、ルイ=コスタの次の世代の選手たちが小粒すぎるのは気にかかる。

 イングランドほどではないが、ブラジルにも失望した。ぼくも「キング」が好きだが、いつも笑っている長髪の出っ歯な奴──およそ「キング」の風体ではない──に「キング」の座を奪って欲しいと思ったのだが、キング候補の前に文字どおり立ちはだかったのが、デブで動けない野郎だった。なんでロビーニョと使わないか? と何度も思った。デブが通用したのは結局極東チーム相手だけだった。これほど才能のある奴らを集めているのに、老いた「キング」のチームに敗れるのは、よほど監督が悪いからだ。ドゥンガのような現場監督もおらず、横には院政を敷いている後白河上皇みたいなジジイが控えているのでは、笑うニューキングの出る幕がない。ブラジルに一番必要なのは、外国人の指導者ではないか。ブラジル協会にはペケルマンをパレイラの後任に推挙するような太っ腹な人はいないのか。もちろん中国に決まったからノーチャンスだが、ブラジルを率いるフース・ヒディンクなんか見てみたい。絶対優勝するだろう。

 アフリカのチームを応援しているのだが、いつも壁を破れない。原因は次の2点だ。個々の才能のみで勝負していてチームの体をなしていない。盛りを過ぎた指導者や育成型の指導者ではなく、もっと大金をはたいて──国威高揚なのだから、ケチるな──、ヨーロッパ4大リーグの優秀なコーチを連れてくることだ。そして、合宿をもっと長く行って、チームのスタイルを作ること。このふたつをやれば決勝トーナメントでももっと上に行けるはずだ。

 そして韓国やサウジ、イランはその力なりのポジションしか得られず、その範疇には日本代表も含まれる。4年間を選手の「自由」に任せ、その方法の是非は結果が語っているので明白だが、もっと根本的な原因は、「自由」を謳歌できる選手が、誰ひとりいなかったことだ──中田英寿も含む。ヨーロッパのベスト8とは絶望的な差異がある。トゥルシエのときはホームアドヴァンテージと鋳型に選手を当てはめることによる熟成度があって、それなりの結果が出た── 2000年のアジアカップを回顧した後藤健生の文章(Number)はその意味で面白い。後藤によればカタールでは、アジアのチームの中に唯一ヨーロッパのチームがある感じがしたということだ。(蛇足だが、あのチームの中心は名波浩だった。)だが、アジアで勝てても、その上に行けないチームに戻ったと後藤は言う。然り。決勝まで見てくるとその差の大きさにますます絶望がふくらむ。一応ぼくも絶望しているのだ。もともと絶望している、あるいは絶望から出発しているオシムはどうするのだろう。

 しかし2002年に比べてずっと面白いワールドカップだった。何よりも3週間の休みとヨーロッパ開催のおかげだ。最終的に実験は経験に勝利を収めることはできなかったし、「キング」も有終の美を飾れなかった。「キング」自ら「革命」を起こし、ピッチを去った。権力委譲でも退位でもなく、また民衆による権力奪取でもない奇妙な革命をぼくらは目にしたことになる。とりあえず「キング」は退場した。そのあとどうなるのかまだ誰も知らない。

投稿者 nobodymag : 22:31

メフィストの囁き

 マルコ・マテラッツィがジダンに何をつぶやいたのか? ぼくは知らなかったよ。ちょうどベンチに腰を下ろすところだったからね、そのときブフォンの叫びが聞こえたね、とティエリー・アンリが語る。ブラジルのテレビ局の特別番組では、マテラッツィは、ジダンの妹を娼婦呼ばわりしたのよ、と唇を読める少女たちが証言したと言う。ポルトガル語とイタリア語で「娼婦」は同じ音韻なのだろうか。ならばフランス・チームの中でもっともイタリア語がうまいダヴィド・トレゼゲに聞けばいい。ぼくは聞いてなかった、それにそれどころじゃないさ、ぼくがPKを外したのを見たろう。トレゼゲにこんなことを聞くのは酷だろう。

 ぼくらがテレビのモニターを見て知っていることは、マテラッツィがジズーに何かつぶやき、互いに言葉を交わし、ジズーはマテラッツィから数歩前に出たが、また踵を返してマテラッツィに近づいて突然頭突きを喰らわせたことだけだ。この「事件」はボールサイドからかなり離れたところで起きたので、テレビもライヴで映しているわけではなく、ぼくも含めてテレビを見ていた者は、そのままボールの動きを追っていた。現地にいたうじきつよしのレポートも同じだ。ところがブフォンとガットゥーゾが審判に何かアピールし、審判は線審に確認したが、線審もことの顛末を見ておらず、レシーヴァーで繋がっている第4の審判が主審にレッドをアピールしたことだけだ。その瞬間に件のシーンのリプレイが画面に流された。どんな事情があってもこんなことは許されない、そう識者たちは語る。それまでこの大会はジズーのための大会であり、このフットボールのアーティストは、対スペイン戦以来、自らの王政復古を謳歌し、この「事件」がおこる数分前には、豪快なヘッドをイタリアのゴールに向けて飛ばし、ブフォンが危うく右手で逃れたばかりのことだった。そしてフランスの多くの新聞が書くとおり、ジズーのヘッドはイタリアのゴールマウスに吸い込まれず、マテラッツィの胸を直撃したのだ。

 アングレームに住むジズーの従弟はこう語る。ジズーはいつも親切で決して人を殴る男じゃない。もしあいつが誰かに一撃を食らわすとすれば、「テロリスト」呼ばわりされたときだけだろう。「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌のインターネット版はそう伝えている。あの喧噪の中でチームメイトたちも、口唇術に優れた者たちも、そしてジズーの血縁者も推測するしかない。黙ってピッチを去ったジズーはどうしたのか。フランス・フットボール協会会長は。彼とはロッカールームで会った、たったひとりでみんなと離れたところにいたね、とても哀しそうにしていた、とても言葉をかけられる状態ではなく、握手して労をねぎらった。マテラッツィに何と言われたかなど聞けなかったし、ぼくはそんなことは知りたくもないね。今までのジダンの功績に感謝するだけだ。
 ジズーは数日後に『事件」の顛末を語るだろうという報道もある。

 ゲームとしては大して面白いものではなかったが、決勝戦とはああしたものが多いことはぼくらの経験が教えている。しかし、今回はとても後味が悪い。フットボールの論理から言えば、単にこんな行為は許されないと書けば十分だろうが、ジズーが自らの引退ゲームを自ら台無しにし、このワールドカップ全体をぶちこわしてしまった。なぜだろうか。マテラッツィに聞けば、彼がジズーに囁いた言葉を言ってくれる(そんなことはないだろう。もし言うとすれば、彼はこのゲームの冒頭で彼がとられたペナルティは、マルーダのダイヴだとまず認めてくれと言うだろう)かもしれないし、ジズー自身が語るかも知れないが、あとの祭りだ。フットボール、ゲームという枠の中で悠然とスポーツと人生を混同して楽しんでいたぼくらに突然、もっと野蛮な人間の怒りを突きつけたのがあの瞬間だったからだ。とてもジズーにもマテラッツィにも、そしてぼくらにも残酷で、フットボールの快楽に回帰する気持ちを萎えさせるのに十分な行動だった。

 メフィストがファウストの耳元で何かを囁き、ファウストはその挑発で、別の世界に赴いた。きったただそれだけのことだろう。でも、件のシーンをモニターで見たぼくには戦慄が走った。

 今大会の総括などをする前に感じたことを書いた。

投稿者 nobodymag : 00:05

2006年07月09日

Waiting for Godot

 3位決定戦が終わった。予想通りドイツの勝ち。だが両チームとの棚卸しの様相。ポルトガルを見ると、イエロー累積でリカルド=カルバーリョの欠場が痛い。このセンターバックはルーニーに急所を踏まれたり──そういえばマンU対チェルシー戦でルーニーを骨折させたのは彼だったね──、アンリの足を引っかけたりして話題に事欠かないが、やはり世界屈指のセンターバックだ。もちろんイングランドのリオ、テリーのコンビもそうだが、コートディヴォワールのトゥレ、スイスのセンデロス、そしてリカルド=カルバーリョ、プレミアのセンターバックは素晴らしい。カンナヴァーロだけがすごいイタリアよりもプレミア勢は、センターバックに事欠かない。1-3で敗れたポルトガルだが、フィーゴのクロスにドンピシャ飛び込んだヌノ・ゴメスを見ていると、ポルトガルの黄金の世代へのちょっとしたノスタルジーを感じる。

 W杯効果というのは、とても大きい。小学校2年の息子のフットサルのゲームがあった。周知のとおり、この年齢の子供たちは、全員ボールの周囲に集まって、「ハンカチーフ」の上のフットサルになるのだが、息子たちのチームを見ていると、少しだけ視野が大きくなっているを感じる。「デコっていつも首を動かしているよね」「そうボールもらう前に周りを見ようぜ」ゲーム中は「周りを見ようぜ!」と声を掛け合っている。フットボールに興味のある子は皆W杯を見ている。そして学んでいる。先週まではボールを持つとドゥリブルでゴールに向かうことしか考えなかった子供たちがパスすることにトライし、ポジショニングを考えるようになっている。「体で止めろよ!」「負けるな」「頑張れ!」という周りの父兄たちの意味のない応援に耳を貸さず、格好いいフットボールを子供たちが目指している。終わると「とても楽しかった」と言っている。

 そして明朝は決勝だ。昼食をとったピザ屋のイタリア人の親父は、今日は店に泊まって、そのまま友人たちと観戦すると言っていた。今日は、いろいろと展開を思い浮かべているのだが、完全にジズーのチームにしてしまったフランスは、それほど多くの展開を見いだせない。98年の優勝時は、当時右サイドバックだったテュラムの2発とか、重鎮センターバックのローラン・ブランの1発とか、意外な人が決めていたが、今回はジズー、アンリ、ヴィーラ、リベリ以外得点の匂いがしない。ジズーにはガッツゥーゾ、アンリにはカンナ、ヴィーラのトイ面はピルロ(?)、そしてリベリにはザンブロッタか。こういうゲームになると、1対1が大きなウェイトを占める。今名前の出てこないイタリア人の中盤はペロッタ! フランスの決定的なゴール──たとえばスペイン戦の2点目、ブラジル戦の得点──は全部ジズー経由。けれどもイタリアのそれはピルロからグロッソへのスルーパスだったり、カンナ→ジラルディーノ→デルピエーロだったり、トニの頭だったり、かなり多様だ。

 フランスは、W杯に入ってから予選リーグ3ゲームでチーム構成を思考し、決勝トーナメントのスペイン戦でチームが軌道に乗ってきた。先発メンバーを代えることはないだろう。マルチェロ・リッピは当然ジズーを押さえることから考えはじめる。ガットゥーゾをポリスマンにするかもしれない。チャンピオンズリーグでも最後はやられたが、彼はロナウジーニョを担当した。ポジショニングに優れたイタリアのディフェンダーは、アンリにスペースを与えないだろう。とすればイタリア有利。あとはアタックだが、トッティはマケレレに押さえられるだろう。ジラルディーノとトニ対テュラムとギャラスということになるが、これはイーヴン。それにマケレレ、ヴィーラにトッティのパスが封殺されるだろうから、ジラルディーノとトニには好球が行かない。
 とすれば延長戦濃厚だ。フランスは、誰を入れる? ヴィルトールやゴヴーといった常套手段か(この場合、交代はリベリとマルーダ)、トレゼゲ投入(誰と代える? )しかない。もしドメネクに、延長になれば運動量の落ちるジズーに代えてトレゼゲを入れる勇気があれば、フランスにも勝機はあるだろう。

 イタリアは? まだすごいカードが2枚残る。デルピエーロとインザーギ! たとえトッティを残してジラルディーノとトニがアウトでも彼らふたりがいる。リッピは彼らの投入を延長まで待てれば満点。特にこのゲームではインザーギに注目している。

 でも予想なんて外れるさ。膠着状態でPK戦かも。ゴドーさんは今日もいらっしゃいません、と言われるのはどっちのチームか? 

投稿者 nobodymag : 21:52

2006年07月06日

奴らは顔役だ!

 ワールドカップニュースを見ていると、うじきつよしが怒っている。こんなゲームをするなら、決勝ではイタリアを応援するぞ、と。このポルトガル対フランスという興味深いカードになった準決勝、まともに見られたのはアンリの足をリカルド・カルバーリョが引っかけてPKになるまでの30分ほどのことだった。それまでは両チームとパスを繋ぎ、敵ゴール近くまでボールを運び、シュートに持ち込むという基本的なフットボールの原則通りの展開。今後に期待を抱かせた。ユーロ2000の準決勝(?)でもこの両チームは顔を合わせ、それまではどのチームも圧倒してきたフランスが、初めてトリプル・ボランチを採用して、フィーゴ、ルイ=コスタの中盤を消しにかかった。デシャンとヴィーラの信じがたい運動量と共にあのゲームは見応えがあった。

 だが、今日のゲームは、ジダンがPKを決めた後、フランスは徹底してゲームを「殺し」にかかった。前半30分でドメネクは1-0で勝つことにしたのだろう。フランスはアタックを捨てて、ポルトガルのスペースを消しにかかる。ヴィーラ、マケレレのふたりはもちろんのこと、右はリベリとサニョール、左はマルーダとアビダルがポルトガルに合わせてポジショニングを始める。クリスティアノ・ロナウドとフィーゴを消すことが何よりも優先される。当然と言えば当然なのだが、この戦術がゲームを「殺す」ことになる。今大会随一の両サイドから運動とパスの自由を奪うことになるからだ。両サイドがいなければ、中央でふたりからの「連絡を待ち」つづけるパウレタにはなしのつぶて。ボールがないセンターFWなど案山子と同じだ。だけど、デコがいるだろう! もちろん、デコはいるが、彼がボールを持つと、ヴィーラ、マケレレの餌食だ。だけどマニシェがいるだろう! いるけれども、彼の位置を10メートルばかり下げさせれば、彼のミドルはゴールマウスに飛ばない。残りの60分は、それだけを繰り返すフランス。
 つまり、今大会絶好調のサニョールのサイドアタックも、リベリの突破もいらない。ボールを奪ったらジズーに渡して、「ゆっくりして」もらう。すると時間が流れる。もちろんフィーゴもロナウドも両サイドを突破してくるからもしれないが、フランスがサイドアタックを捨てたおかげで、突破に時間がかかり、屈強の両センターバックが十分に彼らの運動を規制することができる。万が一ショッツオンのシュートが飛んできても、バルテズにはっきりそのコースが見える。

 ゲームは絶対的につまらないものになる。これでいいのか? ぼくだってどんどん眠くなるじゃないか。3時半に起きているんだぞ。バカにするなよ!もう睡眠不足は極限に達している。こんなゲームを見るために東京の夜明けを迎えたいわけじゃないぞ。ドメネクにそう言っても、極東のフットボール・ファンの言うことなど彼は耳を貸すはずがない。黙って寝てろ。俺たちは日曜日にイタリアとやりたいだけだ。そう言われるに決まっている。

 うじきつよしの怒りに対して、東京新聞の財徳記者──オールドファンなら馴染みの名前だ──はこう答えていた。日本代表もいつかこんなゲームを仕組めるようになるといいですね。確かに。フランスは、スペイン戦でチーム戦術が確立し、代表の寄せ集めでなく、ひとつの戦術の下にたたえる本当のチームになった。延長で疲弊するよりも、省エネ・フットボールで老人中心のチームを維持させる。したたかな奴らだ。

投稿者 nobodymag : 10:04

2006年07月05日

Uno espresso per favore

 マルチェロ・リッピの選手起用を見ていると、この人は、チームに何が今必要なのかを適切に把握していることがよく分かる。たとえば延長に入った対ドイツ戦。それまでの展開はイタリア有利だったけれども、クローゼ、ポドルスキ、バラックのシュートの精度がもう少しあれば、ブフォンも取れなかった可能性がある。90分でイタリアが負けることも考えられた。

 では延長でどうするのか? ぼくらはペケルマンとエリクソンの失敗を見てきた。ペケルマンは、自らの信条を捨てて、カンビアッソやフリオ・クルスを入れて、守れ!のサインを出し続けた。そしてエリクソンは、延長になってからベッカムに代えて投入したレノン──彼の突破は疲れた選手たちには鋭利な武器に見えた──をもう一度引っ込めてキャラガーを投入した。ここでも「守れ!」のサイン。そしてふたりはPK戦に持ち込むことには成功したが、そこまで。ドイツを去るしかなくなった。

 イングランドに勝ったフィリッポンは、この人なりの無手勝流で元気な人たちをどんどん投入したが交代出場した選手が活躍したのはPK戦になってからだ。クリンスマンは、タッチライン沿いで選手を鼓舞してはいたが、彼の切るカードは凡庸だった。

 じゃリッピはどうした? まずトニに代えてジラルディーノ。これが後半29分。この交代は普通だろう。疲れたワントップを入れ替えた。戦術的な変更ではない。
 そして延長の頭からカモラネージに代えてイアキンタ。中盤をガットゥーゾとペロッタに任せて、右サイドに偏った2トップに。この時間帯、元気なサイドアタッカーを入れられるとトイ面のラームはいい加減疲れているのに、ディフェンスに追われることになる。事実、右サイドはぐんと活性化した。すぐにジラルディーノのシュート。だけどポスト! ピルロのCK。サンブロッタ、シュート。だけどクロスバー! もう一度ピルロのCK。それをカンナがヘッド。外れ! イアキンタを入れただけでシュート・チャンスが3回。しかもあわや1点ものが2度。
 もちろん流れがあるから、ドイツの反撃にあうが、入りそうなシュートなし。延長の前半も終わりの頃、リッピはデルピエーロを投入! フォーメーションどうするの? まさかトッティと交代? でもアウトはペロッタ! このチームは、ガットゥーゾとペロッタのチームであることは論を待たない。もちろんトッティもピルロもいるけれど、誠実にいつも頑張るのはガットゥーゾとペロッタ。無尽蔵のスタミナでスペースを分担しあい、ボールの奪い合いになる場面や、スペースにボールがこぼれると、必ず顔を出すのはこのふたりだ。その内ひとりを引っ込め、「トッティと並び立たない」アレックスを入れる!

 でもこれにはイアキンタ投入という複線がある。アタックが右サイドに偏り、左サイドにスペースが生まれ始めたのをリッピは見逃さない。ゴール左45度。デルピエーロ・ゾーンだ。最後はインザーギだろうとぼくは思っていた。ゴチャゴチャになったゴール前でどこからか足を延ばしてボールを押し込むインザーギだろうと思っていた。でも、リッピにとって、それは定石ではない。イアキンタで右に注意を引き、そこでデルピエーロ! いちばん得意なことを一度やってくれば、このゲームは勝てるさ。

 そして延長後半も押し詰まって、またPK戦と誰でも思った時間、デルピエーロのCKのこぼれ玉をピルロがスルーパス。こんなことろでスルーパスかよ? シュートだろう!と思った瞬間、そこにいたのは、何と左サイドバックのグロッタ!おまえのいる場所は逆じゃないのか?その瞬間、左足のシュートがレーマンの左(!)に。ここで延長後半14分。もう終わりだな。その次の瞬間、ジラルディーノが左にバックパス。そこはデルピエーロ・ゾーン。いない訳ないよね。右足でカーブをかけてゴールマウス右にループ気味のシュート。タイムアップ。

 アレックスが最後に一番得意なことをやってのけ、実力を見せつけた。干されかけていたデルピエーロに「俺が信頼しているのはおまえだ」とゲームを決めなければならない時間に送り出すリッピ。しかも彼を送り出す準備を整え、彼の得意技が炸裂するお膳立てをして……。

 そういえばユヴェントスは3部降格? リッピも事情聴取? ブフォンは賭け事好き?
 最後の瞬間、イタリアを取り囲むそうした事情の数々をまったく忘れてしまった。今、この瞬間に行われているフットボールだけしか頭になかった。選手も監督もこのスポーツを簡単に捨てられるものじゃない。こんな瞬間を何度も味わえるから、ぼくらもフットボールを見続けている。

 駐車場からは息子がボールを蹴っている音が聞こえてくる。「デルピエーロ! デルピエーロ!」と叫びながら、コンクリートの壁を相手にシュート練習。疲労で意識が朦朧としてきた。濃いエスプレッソを入れよう。

投稿者 nobodymag : 18:29

2006年07月03日

Encore deux!

 スカパー!で原博美の話を聞いていて興味深かったのは、ロナウジーニョとカカが冴えなかったのは、前のロナウドが立ったまま動かないからだ。ジダンだって、レアルだから輝かないのであって、アーセナルに移ればアンリと組んでまだまだ活躍できる。ロナウドが動かないので、ロナウジーニョはサイドにボールを渡すしかないけれど、カフーとロベカルじゃもうだめだ。バルサならロナウジーニョがボールを持てば、エトオががんがん走っていると言っていたこと。いちばん面白かったのは、パレイラとジーコの選手起用が同じやり方──序列と格──だと言っていたこと。ロビーニョやシシーニョを最後に出してきたもんね。ロビーニョ、アドリアーノだったらフランスのディフェンダーが最後までもったかどうか?
 アルゼンチンやイングランドの敗因についても皆、同じことを思っているんだな。アルゼンチンはもうちょっと見たかったな。同感。

 そんな話を聞いてからコンピュータを立ち上げると、中田英寿引退のニュース。どうするんだろう?と思っていたら、引退か? 賢い選択かもね。給料が高すぎてもらい手がないのが現状だからね。

 でもジズーを見てると辞めたくなくなるんじゃないかな。昨日の会見では、Encore deux!(あと2ゲームだよ)と言っていた。ブラジル戦ではひとりだけ異次元に赴いていた。フェイントひとつで大観衆を味方にできるのを見ていると、「ロナウジーニョもカカもガキに見える」(原博美)。フットボーラーがピッチを去るときは、「フットボール以外の自分探しの旅」なんて下らないことを書くんじゃなくて、フットボーラーとしてスパイクを脱ぐときに過ぎないんじゃないか。ヒデがヒデなのはフットボーラーだからであって、それ以外の「自分」についてぼくはまったく興味がない。昨日のゲームでジズーを見、そして彼のインタヴューを聞くと、自らの調子の良さを感じてのことだろうが、とても静かな気持ちで最後を迎えているのが分かる。日本語が読めるわけではないので、ぼくの罵詈雑言は知らないだろうが、素直に、そして誠実に謝罪の気持ちを伝えて、あと2ゲーム(準決勝に負けても、3位決定戦がある)見守りたい。Encore deux!と静かな口調で言い、少しだけ微笑んだ彼を記憶に留めておきたい。

 ペルージャ時代、ピッチの中央に君臨したヒデ、そしてローマに移籍してトッティの代わりに後半出場して輝いていたヒデ、パルマで冷や飯を食わされてから、一向に復活の兆しを見せないヒデ。盛りを過ぎた感は否めない。彼をセカンドストライカーで使うといいんだが、と釜本は自らの後継者にヒデを指名していた。いちばんシュートがうまい奴を前線に置かない手はないと付け加えていた。あれは02年のW杯直前のことだ。ぼくは、昨日のイングランドのハーグリーヴズを見ていて、ヒデもハーグリーヴズのように運動できるだろうし、どこか4-1-4-1のアンカーにヒデを使ってみたいという監督が出てくればいいなとも思っていた。そうなれば、あと2〜3年はヒデが活躍できるのではないかと思っていた。でも、勝手に別の「自分」を探して欲しい。

投稿者 nobodymag : 23:00

2006年07月02日

Hush Hush Sweet Steven!

イングランド対ポルトガル 0-0 (1-3)
まるで甲子園で敗れた田舎の高校生が号泣するように、ファーディナンドがジェラードが泣いている。すでに52分にピッチを去ったベッカムがベンチで顔を押さえて泣いていた。ジョン・テリーも泣いている。皆、泣いている。120分死力を尽くし、それからのPK戦。昨日のアルゼンチンもそうだったが、ここまで来ると万感迫るものがあるのだろう。どうして負けたか。敗因の検討などどうでもいい。今、ここでピッチを去り、明日から別の日常に戻ることが哀しい。できれば120分+αの時間を取り戻したい。
 そして見ている側は考える。94年のアメリカW杯の決勝もPK戦になり、ブラジルに負けたイタリアは、フランク・バレージとロベルト・バッジョという攻守の要になる選手がPKを外した。そして、今回もランパードが外し、ジェラードが外した。最後にカラガーが外したのはもうしょうがないとして、このチームはランパードとジェラードのチームで、そのふたりがもっとも重要なPKを外してしまう。普段なら全体に外すことはなく、多くの修羅場をくぐり抜けてきた才能に溢れる歴戦の勇者が、こういう場面で失敗することが多い。

 見ているぼくらもいろいろ思うこともある。
 まずエリクソンはなぜうまく行っていない4-1-4-1を使い、1にクラウチでなくルーニーを入れたのか? まったくボールが収まらないルーニーのストレスは想像できるし、このタイプの選手はそういうストレスには弱いだろう。彼の退場の遠因にはエリクソンの選手起用があったのではないか。素直に4-4-2 でよかったのではないか。ルーニー退場後に出場したクラウチに本当にボールがよく収まった。
 ひとり多くなったポルトガルが勝ちきれなかったのかなぜか? テリー、リオのふたりのセンターバックの頑張りもあるが、こうしたパスワーク主体のチームは、ペナルティエリアの中に引かれた相手に対処のしようがない。強力なストライカーが必要だ。ルイス・フィリッペが次々に切ったカードはほとんど効果がなかった。交代選手のレヴェルはそれほど高くない。つまりこのチームにはジョーカーがいないから、勝ちきれない。

 イングランドは本来の力を出さずにピッチを去った。いくつか理由があるが、ひとつは結局出場機会はなかったがウォルコットを連れて行かねばならないくらいイングランドにはアタッカーが不在であること。04年のユーロではオーウェン=ルーニーのペアだったが、2年経っても「発見」されたのはクラウチのみ。豊かな中盤やサイドアタッカーに比して、ストライカー不在は目を覆うばかりだ。二つ目は、エリクソンの頑固さがチームにフレキシビリティを生まなかったことだ。4-1-4-1の〈1〉の不在が明瞭なのに、ルーニーにその重責を負わせた。ワンゲーム見て無理だと分かったのに、勝たねばならないゲームでそれを繰り返す。フラットな4-4-2のイングランドを見たかった。

 ブラジル対フランス 0-1
イングランドの選手はPK戦に敗れてあんなに泣いたのに、ブラジルの選手たちは平然としている。ジダンを祝福するロビーニョまでいる。負けても平気! 1点ビハインドの75分ぐらいになると、ノックアウト・システムの場合、選手は必死でやるものだが、必死なのはロベカルぐらい。他の選手は普通にやっている。これでは「普通に」負ける。若い選手にはセレッソンの誇りなどもうないのだろう。地元で活躍し、高額でヨーロッパに移籍すれば、もう人生の望みが達成されてしまったのだろうか。

 もちろん、敗因の多くはパレイラのフォーメイションのミスに由来する。昨日、ぼくは、ブラジルの監督は簡単だと書いた。トップにふたり選び、4バックを並べ、そしてボックス型の中盤の前にふたり、後ろにふたり選べば仕事はお終いだと書いた。でもパレイラは、弱気になった。王者が相手に合わせてしまった。ロナウドのワントップの下にロナウジーニョとカカ、そしてボランチにジュニーニョ、ジウベルト・シウバ、ゼ・ロベルトを3人並べた。4-3-2-1あるいはロナウジーニョをトップに置いたようにも見えるので、4-3-1-2。フランスは、もう打つ手がないので、清々しく4-2-3-1。フランスのこのシステムはジズーのためのもので、他の目的はない。ジズーを活かすには、これしかない──つまり、04年のユーロでの失敗は、ジャック・サンティエが4-4-2に拘ったことだ──。マケレレとヴィーラは走って潰し、マルーダとリベリは走ってチャンスメイク。アンリはここぞでシュート。単純な戦術だ。対するブラジルはロナウドが起点にならない。ロナウジーニョが前戦で消える。カカは走り続けるが多勢に無勢。パレイラが思い直すのは後半リードされてから。やっとジュニーニョに代えてアドリアーノ。遅きに失した。

 さて準決勝はドイツ対イタリア、ポルトガル対フランス。
 ドイツは、ここら当たりでもう現実の壁に突き当たって欲しい。マテラッティが戻ってくるイタリア。ネスタの体調はどうか。カンナヴァーロにクローゼは完封されるだろう。ガットゥーゾがバラックに襲いかかるだろう。ピルロをフリングスが潰せるのか。リアリズムが夢を蹴散らすだろう。
 ポルトガルには、王政復古はアナクロニズムであることを王国に知らしめて欲しい。デコの頑張りにかかっている。まあ王政復古もあと2ゲームだから、許してもいいけど。ポルトガル対ドイツよりもフランス対ドイツの方が見たいかな?

投稿者 nobodymag : 16:12

2006年07月01日

To Have And Have Not

 このゲームの4時間後イタリアの快勝を見ることになり、ドイツ対イタリアが準決勝に決まる。

 ドイツ対アルゼンチン。前半だけ見れば「格の違い」で完全にアルゼンチン。そして後半早々アジャラのヘッドでアルゼンチンが先制。ここまではペケルマンの筋書き通りだったろう。確かに前半もテベス、クレスポでの突破はできなかったが、それでも、ドイツのシュートが入るように見えなかった。中盤でのボールの奪い合いに終始すれば、後半、アルゼンチンはボールが持てるスピードスターをある時間帯からクレスポに代えて投入し、勝負を賭けることもできたはずだ。アジャラのヘッドは、そのサインを送る前兆になっていたと思う。

 だがGKのアボンダンシエリとクローゼが激突し、アルゼンチン・キーパーはゲーム続行不能。ペケルマンは急いでフランコを投入する。不思議なのは、それから1分後の72分。GK交代の後、もうひとり交代。カンビアッソが準備している。中盤の強化を試み、もう一度前半のようなつぶし合いに持ち込みたいペケルマン。だが、交代はゴンザレスではなく、リケルメ! ペケルマンはこのチームとリケルメの心中を誓ったのではなかったか? マークがきつかったとは言え、リケルメは悪い出来ではなかった。
 もちろんリケルメはぼくの好きな選手ではない。昔ながらの職人と書いたことがある。だがアルゼンチンのマキシ・ロドリゲスが得点を重ねているも、リケルメにマークが集中するせいだ。中途半端な位置でブラブラしているロドリゲスは掴まりにくい。比較的フリーにシュートを放つことができた。だが、リケルメを欠くとなると、テベス、クレスポが孤立するのではないか? それにGKで交代枠1名を使い、リケルメとカンビアッソの交代で2枠目を使うと、あとひとりしか交代できないということだ。
 ドイツも、すでにシュナイダーを下げオドンコルを入れて、攻撃参加するソリンをゴールから遠ざけ、シュバインシュタイガー・アウト、ボロブスキー・インで肉離れ(?)のバラックを補助しようとしている。そしてこの効果が現れはじめていた。だが、ゴンザレス、ロドリゲスの中盤がドイツに負けていたとは思えない。このままにしてリケルメも活かしておいた方がよかったのではないか。
 あと1枠の交代枠をクレスポ・アウト、フリオ・クルス・インで使ったペケルマンには驚いた。もちろんこの驚きはネガティヴ。つまり、このゲームにはサビオラも、メッシも、アイマールも使わないということだ。もし敗れれば、アルゼンチンの至宝を3つもベンチにおいたままで、W杯を去るということだ。確かにドイツのセンターバックは高さがある。それに対抗できるのはフリオ・クルスひとり。だが、ここまでコーナーを蹴ってきたリケルメの弾道のように、アルゼンチンは低さで勝負だ。とすれば、センターバックの足下にフレッシュで足技に優れた選手を送り込むのが勝つことではないのか? このチームは放り込みで勝てない。だからポゼッション。だからサビオラやリケルメだったのではないか?

 クローゼの1発はこの直後だ。79分にクレスポとフリオ・クルスの交代。そして80分にクローゼの頭。この瞬間、アルゼンチンには粘るしか選択肢がなくなった。見ているぼくらはがっかりだ。いや、たとえ延長になっても、交代枠をとっておけば、リケルメを逆三角形の下の頂点に、サビオラ、メッシの俊足ランナーがでかいドイツ・センターバックの間に走り込むことも可能だったし、ぼくはそういうシーンが見たかった。PK戦はレーマンのものだった。

 72分と79分、ホセ・ペケルマンはいったい何を考えていたのだろう。どうだい、ぼくの作った選手たちを見てくれよ、ぼくの創造したチームはどうだね!という自負も自信もなく、相手に合わせたフットボールをしてしまった。W杯参加チームの中では、おそらくブラジルと並んでもっとも才能豊かな選手が揃っているのがアルゼンチンだろう。その「持てる者」アルゼンチンがまるでプロレタリアのようなゲームをしてしまう。前半のようにチャンスは生まれないが、失点はあり得ない状況を作り、アジャラが1点とっても、2点目、3点目を狙うために新たなタレントを繰り出すカードをペケルマンは持っていたはずだ。クリンスマンがごくまっとうな勝負を挑んできても、でかいだけで並の選手に比べたら、アルゼンチンのベンチを温め、そのまま帰国するハメに陥った背の低い若手たちは小さいけれども極上の「松」だ。アルゼンチンが残す悔いの大きさはジーコを選んだ日本代表の比ではない。その絶望的に大きな悔いは、ペケルマンとアルゼンチン代表選手たちだけが持っているわけではない。サビオラとメッシがアイマールやリケルメからのパスで自在に走り、ディフェンスを切り裂くフットボールを期待したぼくらの悔いである。なぜなら、彼らが同じチームでプレイする場はワールドカップ以外想像できないからだ。GKの怪我が原因かも知れないが、ペケルマンは、見せかけのレアリスムを選択してしまい、フットボールの持つスペクタキュレールなファンタジーを放棄してしまった。本当のレアリスムを知るマルチェロ・リッピのイタリアと未だに姿を見せないファンタジーへの可能性を持ったアルゼンチンの対戦を、もうぼくらは見ることができないのだ。

投稿者 nobodymag : 14:14

2006年06月30日

レット・イット・ビー

 この日誌を呼んでくださっている方々から、どのチームを応援しているのか、とか、優勝はどこ、などと尋ねられることが多くなった。クォーターファイナルまでW杯も差しかかった。でも、それらの問いに解答は見つからない。どのチームも応援していない、あるいはどのチームも応援しているが最初の問いの解答。2番目の問いの解答は、分からない、しか見つからない。たとえばアーセナルはファンなので応援しているが、アーセナルがイングランドだからと言って、イングランド代表にはアシュリー・コールとソル・キャンベルともうひとり(たぶん出場機会はない)しかいないし、スウェーデンのユングベリ、コートディヴォワールのエブエとコロ・トゥレは好きなタイプの選手だ。フランスにもアンリ、ブラジルにはジウベルト・シウバがいる。チャンピオンズリーグ時代のW杯とはそんなものだ。何度も書くけれども、チャンピオンズリーグが終わって3週間後にW杯が始まり、この決勝トーナメントまでにいかにチームを作り、コンディションを上げ、たとえばイングランド、たとえばポルトガルと仮の名前の付いたチームがどうやって成長するのか、だけを見ている。そしてどのチームもそれを目的に設定し、ある程度の成果を得ている。日本みたいに初戦が何よりも大事だとは思っていない。予選は突破するだけでいい。アミカル・マッチ3ゲーム。そこでチームの問題点をあぶり出したり、これからのチームの方向が思考される。
 死のグループに入っていないチームはその点で有効な実験が行えた。眼前のゲームに負けなければいいからだ。そして負けないゲームならできる。死のグループと言われたがそれほど死のグループではなかったアルゼンチン、そして点差としては楽ではなかったが、まあまあ楽だったイングランドなどはある程度の実験をやってきた。アルゼンチンは、前半は普通にやり、後半は2人のスピードスターを入れて勝負を賭けるというやり方を試し、イングランドはもっとも先進的なスタイルをこの伝統的なチームが消化することができるのか──できていないようだが──を試してきた。
 ドイツはホームなので、実験もへったくれもない。おぼろげに見えていた自分たちをテリーヌ型に力ずくで肉を押し込んだ。本当は死のグループだったイタリアは、いろいろやってみたが、怪我人も出て、結局、体に染みついた伝統に回帰した。ポルトガルは決勝トーナメントの一回戦で相当に傷ついたから、ルイス=フィリッペはもうスクランブルをかけなくては打つ手がなくなっている。ウクライナは、シェフチェンコに一発かけるだけ。実年集団フランスは昨日キングに練習を休ませ、疲労をとることに徹したようだ。
 いちばんイージーなのはブラジルだ。ガーナ戦を見るとスカウティングをしているようだが、相手に合わせてラインの高さを決めるだけで、フォーメーションをいじる必要はハナからない。マジック・カルテットに移動はないから、エメルソンの体調を見てジウベルト・シウバに最初から準備を命じ、カフー、ロベカルの控えに早めにアップさせるだけだ。それでも、フランスのキングが、スペイン戦のようなパフォーマンスを見せれば、カカとロナウジーニョに守備力がないから、負けるかも知れない。しかし、キングは前半しか持たないのではないか。キングが後半に爆発したフランスW杯はもう8年も前で、キングは当時 26歳だった。
 だから、初戦のドイツ対アルゼンチンにしても、アルゼンチンがポゼッションできたらアルゼンチンに勝機があるが、長いクロスをドイツが放り込んできたら、アルゼンチンのセンターバックは少し背が低いし、エインセはチョンボが多い。リケルメにはバラックが当たるだろうが、ドイツにはリケルメほどのテクニックを持った選手はいないからリケルメがバラックを簡単に交わせたら、ポゼッションはアルゼンチン等々、展開は幾通りも考えられる。でも実際にゲームに入れば、そんな展開予想も裏切られるものだ。そして裏切られなければ眠い目を擦ってゲームを見ていても面白くない。だから今までの予選リーグや決勝トーナメント回戦の記憶から、ぼくも両チームのコーチになったつもりで、徹底的にスカウティングしてから見るけれども……。

 だからどこが勝つか分からない。だから見ている。それだけ。昨日はビートルズが羽田に降り立って40年だそうだ。50歳を越えているぼくはその日のことを覚えている。ぼくのクラスからもふたり武道館に行った。40周年でラジオからはビートルズ・ナンバーが何曲も聞こえてくる。どれも一緒に歌える。彼らが出ている映画もクラスメイトと一緒に見に行って、一日中映画館にいて何度も見たことを思い出す。日本代表が国立競技場で杉山の2ゴールで3-3で韓国と引き分け(もう1点を決めたのは釜本だったっけ?)、メキシコ・オリンピックのアジア予選を勝ち抜いたのはその翌年だった。ぼくは武道館には行けなかったけれど、国立競技場にはいた。

投稿者 nobodymag : 09:59

2006年06月28日

オール・ザ・キングズメン

 ブラジルの選手たちはスカウティングしているのだろうか?
 対ガーナに対して真っ向勝負では体力的に持たない、だからラインを引き気味にしてボールを取れるところで取り、一気にカウンター。このゲームはこうやって戦おうという意思統一がごく自然にできている。ポゼッションで下回っても、ここは勝ち上がればいい。それにエシアンがいない中盤で俺たちを追いかけてくる奴はいないだろう。パレイラがそんなことを話したのだろうか? おそらく何も言われなくても、その程度の戦術は選手たちに徹底されていて、何気なくそんなことが可能になってしまう。このチームのポテンシャルは本当に底知れない。ロナウドもアドリアーノも好調になった。

 そしてこの日の注目のゲーム。スペイン対フランス。どちらも予選リーグで「実験」を終え、本気。負けたらおしまいのノックアウト・システムは緊張する。
 ジズーも復帰。キングは退場せよ、もうデモクラシーの時代だ、ぼくはそう書いた。向こう見ずな若者よ、ひとり芝居をせずに、もっと皆と一緒に戦え、とも書いた。でも、他の選手たちは、キングが好きで、キングに敬意を持って接し、若者には試練を与えた上で、自然に学べばよいと考えたようだ。

 序盤はスペイン優位で進む。シャビ、シャビ=アロンソ、セスクの中盤がいい。そしてサイドアタック、次にヴァイタルエリア。だがスペインのアタックがことごとくそこで停止してしまう。右サイドのサニョルがアタックを控え、センターの強靱なふたりがスペインの新星にゲームの厳しさを教える。強靱なふたりのうちのひとりにとって、このゲームを落とすときこそ、この王国との別れの時である。最初の数分間、キングにはまったくボールが渡らない。左サイドに住処を与えられた独りよがりの若者は、いつもように強引な突破を試みるが、今日は抜ける。背後に、右に左にキングの足音を聞いたスペインの将校たちが、少しばかり若者に道を譲ってくれるからだ。そして若者が危険なエリアに押し入ろうとする頃、キングにボールが渡り始める。

 今日のキングは、専制を振るおうとしない。長年このキングと共に戦場にあった強靱なディフェンダー、そしてこのキングに影のようにつきまとい、窮地にあるキングに常に救いの手をさしのべてきた忍耐力にあふれる小兵と一緒に、まるでこの瞬間を共有することこそ、自らの喜びであったことを再発見するように、キングは、「共にあること」の最後の時間を謳歌する。
 強靱なディフェンダーの一歩がスペイン勢の足を踏みつけた失敗を若者は脅威の運動量で償おうとする。今までならば途中で止められていた突破が、前半の終了近くに成功し、若者の放った銃弾がスペインのゴールに突き刺さる。王国はまだ立派な呼吸を続けている。専制君主を王として祭り上げているフェオダルな政治制度でなく、王もまた自らの国を構成する欠かすことのできない部分であるかのように、キングは静かに自らの存在感を示し始める。

 スペイン勢のもっとも優秀な部分に疲労が見え始める。スペインを率いる百戦錬磨の老将軍は、自軍の中央にいるそれまで何度も自軍を救った人物と今回の戦いで功労のあった新たな人物を下げ、影のように敵軍の背後にせまる刺客と右サイドを切り裂く名人を送り込む。だが、中央に位置するスペイン軍のもっとも優秀な部分に次第に疲労の色が濃くなってくる。
 その最終の防御を司る誠意のディフェンダーが王国の速度あふれる先兵を体で止めてしまうとき、その場にキングはゆっくりと歩を進める。キングの僚友たちはもとより、キングと共に時間を過ごすことで少しずつキングの偉大さを理解し始めた諸侯たちもキングの力を信じて、相手陣の適切な位置でキングのボールを待ちかまえる。
 ゴールをかすめるように左に弧を描いたキングの放ったボールは、イングランドからイタリアへと領地を変え、かの地で攻撃を会得した長身の重臣の頭を捉え、スペイン防御兵の足に当たってスペインの堅陣へと吸い込まれていく。

 王国の復活を告げる鬨の声が聞こえてくる。キングは健在だ。老いたとはいえ、キングはわれわれのキングにふさわしい活躍を、この戦場に成し遂げている。やはりキングはキングだ。その退位の時刻は今ではない。キングの退位の祝祭を10 日ほど後で過ごしたい。スペイン勢が最後の力を振り絞ってフランス人への攻撃を続ける背後をキングは冷静に狙い、とどめの一撃をスペイン勢に与える。Vive le roi! デモクラシーを信じ続けるぼくらも思わず声を合わせて叫んでしまう。王政復古。だが、キングの健在ぶりが知られた今、諸侯たちはキング退位の花道をどのように飾り付けるかを考えればいいのだ。

投稿者 nobodymag : 10:26