タグ「ジャン=リュック・ゴダール」が付けられているもの

世界で隠れて見えないものたち

坂本安美

4月10日(金)

 「それが何なのか私だって分からない、ただ我々と同じ生きものではあることは確かであり、もしかして我々のことを好きなのかもしれないよ。ぴったりくっついている(tout contre)と同時に、敵対(contre)もしている、そう『女性たちにぴったり寄り添っている(tout contre)と同時に、彼女たちに逆らい(contre)もする』とサシャ・ギトリが言ったようにね」。4月8日(木)、インスタグラムにて配信されたマスタークラスの中で、現在、世界中で猛威をふるっているウイスルについて質問されたゴダールは、サシャ・ギトリの有名な一文を引用して、微笑みさえ浮かべてさらっとそう答えてみせた。「反する」という意味と、「ぴったりくっつく」という、相反する意味を持つ「contre」という単語を用いて、ゴダールはウイルスは我々の敵でありながら、この世界の中の生きものとひとつであるという当然の事実にあえて立ち返ってみることを促す。当初は一時間以内で予定されていながらも、一向に疲れを見せることなく、時に辛辣な言葉を交えながらも、茶目っ気のある笑みを浮かべながら、一つひとつの質問に丁寧に応じる89歳の巨匠のインタビューは、最終的に一時間半も続くことになった。その中でゴダールが何度か口にした「アクション」、「リアクション」というふたつのシンプルな言葉が、上記のウイルスについての発言とともに頭の中で響き続けている。「絵画とは手によるアクションである」、「コンピューターを打つ手、それはアクションではない」、「印象派とは写真の誕生へのリアクションで起こった運動だ」、「科学、それもまたアクションである」......。

 世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略投資効果局長の國井修は朝日新聞のインタビューで次のように述べている。「新型コロナとの闘いはまだ終わっていませんが、今回のようなパンデミックは今後も起こりえます。昔なら地方の風土病で終わっていたものが、都市化や交通の高速化、地球環境の変化などで世界に広がるようになっています。(...)抗生物質の過剰使用による新たな耐性菌は確実に増え、地球温暖化で蚊の生息域が広がりマラリアの流行拡大も報告されています。(...)微生物からすれば、自らの生存のために変異しながら人間への親和性を高めているのかもしれません。環境や自然を含む地球の健康と人類の健康を総合的に考える『プラネタリーヘルス』を発展させ、人類と微生物との共存を模索することも大事だと考えます。(...)世界で隠れて見えないものをもう一度見直してほしいのです」(「朝日新聞」3月25日朝刊)。その肩書きを読み、正直このような団体が存在していることにさえ知らずにいたのだが、同氏の言葉は、いたって明瞭であると同時に、見えない危機を前に右往左往しがちな今日この頃、インタビュアーがふと漏らす言葉の通り、「現状を異なる風景として」浮かび上がらせてくれる。

 あるいは3月14日にフランスの国営ラジオ局フランス・インテールでインタビューされた政治学者のベルナール・バディは「社会」が再び発見される時だと述べる。新自由主義が支配していた世界で、経済成長は持たざる者たちにもいいことであると説かれてきたが、2019年に世界各地で、まったく別々ながらも同時多発的に起こった社会運動、そして現在のこの状況がそれが誤りだったことを物語っている。他者というもの、他性についての解釈をあらためる時がきている。社会への回帰が起こっている。ホモ・エコノミクス(経済人)ではなく、「人間」による社会への回帰が。「自分が勝利するためには、相手は敗北しなければならない」、というのがこれまでの解釈だったとしたら、新たな、グローバル化の真の文法、教えとは、「自分が生き残り、勝利するためには、相手も生き残り、勝利しなければならない。つまり、他者を守ることが自分の利益にもなる」。バディはおおよそ、以上のようなことを述べていた。そしてこのバディの言葉は、「全体が調和していく、全体として栄えていくような形にしないと再生はない」と述べる哲学者の西谷修の言葉とも共鳴しているように思える。

 ウイルスという危機に対面し、神経をとがらせながら、自分たちの健康、生命、そして日々の生活を守ろうとしている現在、「人類と微生物との共存」について考える余裕などないと言ってしまえばそれまでだろう。しかしこのウイルスという「我々と同様に生きているもの」、そして「隠れて見えないもの」、そのすべてと共にこの世界を、勇気と英知を持って、新たな目で見つめ直すしか、この闇の中を進んでいく術はないだろう。ご多分に漏れず、見えない不安の前でおろおろと怯えながらも、アクション、リアクションととりあえず、日々、つぶやき続けようと思う。

 ゴダールはウイルスについての先の発言の後、『ゴダール・ソーシャリズム』でも引用しているジョゼフ・コンラッドの次の言葉(しかし実はヘンリー・ジェイムズの!)をつぶやく。「私たちは闇の中で仕事をするーーできることを行い、持っているものを与える。私たちの疑問、それは私たちの情熱であり、情熱こそが私たちの務めである。残りは、芸術の狂気である。」

アクションとリアクションーーJLG とともに

坂本安美
4月7日(水)

 日本ではなにやら世の中を大きく変える宣言とやらが出されたようだが、何が変わる、変わらなければならないのか。たしかに健康は、命は大切である。それが危険に冒されていることは否定できない現実として目の前にあるのだが、そのことを理由に、どんな補償を受けられるのかもほぼ不明なまま、私たちは様々なことを阻まれ、自由が大きく制約されようとしている。

 はたして命や健康が危険に冒されていることが怖いのか、そうした危機の名のもとに、昨日まで、数ヶ月前まで当たり前だったことがすべて断ち切られ、明日の生活も補償されず、将来の見通しがまったく見えないことが怖いのか。あいまいな状況のあいまいな不安のなんと気持ちの悪いことか。

 そんな日の夜、海の向こうにいる「世界一クールな男」が私たちの携帯の中にライブで現れるという。気持ちの悪い不安はおきざりにして、とりあえずワイングラスと携帯を持って今宵を過ごそうではないか。そしてジャン=リュック・ゴダールは緑のチョッキを着て、葉巻を片手に、涼しい顔で世界中から送られてくるコメントや絵文字とともに私たちの前に登場した。

 1時間半のそのインタビューをそのままここで訳出するよりは、まず彼が毎日かかさずパートナーのアンヌ=マリー・ミエヴィルと共に読んでいるという仏日刊紙「リベラシオン」の若き批評家、リュック・シャセルによる卓越したテキストを以下に訳出したい。同紙文化チームは、4月から週末を除き、毎日ニュースレターを配信している。インタビューからほんの1時間後にメールボックスに届いた4月7日付けレターのエディトリアルが以下の文章である。



GODARD, PAS À BOUT DE SOUFFLE AU TEMPS DU COVID-19
ゴダールはCOVID-19の時代にも息切れ(à bout de souffle)することがない

リュック・シャセル

1305609-godar_ecal_instagram.jpg 「テクノロジーに勝利した世界は自由に敗北してしまった」。ジャン=マリー・ストローブの最新短編作品で、レマン湖岸を背中を向けて歩ているひとりの男が最後に呟く言葉である。『ロボットに対抗するフランス』(2020年/夜と昼の2バージョンで10分)、ジョルジュ・ベルナノスによる同名の社会を風刺した文書(*1)の一節による反テクノロジーの革命の呼びかけは、ストローブによってロールの自宅に籠城している隣人、ジャン=リュック・ゴダールに捧げられている。本作は4月5日よりサイトKino Slangにて無料配信されている。そしてその配信スタート日から2日もあけずして、つねに偶然が物事を成しているかのように見せながら、JLGは彼なりの方法でストローブへ応答することになる。
 本日の午後1時間半の間、ローザンヌ州立美術学校のインスタグラムにてスイスの映画監督リオネル・バイアーの質問にライブで答えたジャン=リュック・ゴダール、その顔の下に次々と映し出されるユーザーたちからのコメントのひとつにあるように「世界一のクール・ガイ」は、マスクではなく葉巻を口にくわえ、いつものように、出来事を作りだした。おそらくパンデミックが起こっているこの時だからこそJLGの基本的とも言える言葉が私たちにより強く響いてくるのでないだろうか。優しくも残酷で、寛大かつ控えめな彼の言葉は、それが述べられている現状を描写し、その覆い(マスク)を取り外そうとするのみである(それに対して、質問者は現在流通している防御用マスクをきちんとつけている)。それでは今回、ライブ配信というメディアで、そのかぼそい声に注意深く耳を傾ける者、あるいはまったく傾けることのない者たちによる、スクリーン上のあらゆる言語、絵文字のラブコールに対し、読むことのないロールの予言者の口から人々は何を聞くことになったのだろうか?
 「ウイルスはコミュニケーションであり、他のものを必要とする。隣人のもとを訪れ、そこに入るために。たとえば幾羽の鳥たちが隣の巣を訪れる、そこに入っていくように。ネットでメッセージを送るとき、そのメッセージがどこかに送られ、そこに入るために、誰か別のものを必要とするように」。ゴダールは情報理論に触れながら、おおよそ以上のようなことを述べた。そしてしばらくして再びこう続けた。「ウイルスはコミュニケーションである。私たちが今まさにしているように......。それで死ぬことはないかもしれないが、それによってうまく生きることはできないかもしれない」。そしてゴダールは最近しばし口にする彼の思考、つまり(アルファベット、そして、通常であれば経済成長を示しているが、現在は感染数の上昇を示す資本主義的成長カーブによって固定しようとするーーJLGによるいつもの天才的ひらめきが感じられる批評だ)「言語 langue」と、「口にされる言葉(パロール)と映像(イメージ)の混合」、映画が時に可能とするその混合としてある「言葉 langage」の対置についてここでも語ってみせる。そう、午後のひと時、テクノロジーに勝利した病める世界における言葉(パロール)と映像(イメージ)が伝えてくれるのは、ジャン=リュック・ゴダールのもとでは必ずしもそうではないということ、すなわち世界はまだ必ずしも自由に敗北してしまったわけではないということなのだ。

[著者原文]:https://next.liberation.fr/cinema/2020/04/07/godard-pas-a-bout-de-souffle-au-temps-du-covid-19_1784498
(*1)『ロボットに対抗するフランス』はジョルジュ・ベルナノスが1947年に発表したエッセー集であり、産業化した社会への厳しい批判を綴った幾つかのテキストが集められている。ベルナノスはここで機械化は人間の自由を制限し、思考方法まで混乱させると述べている。