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Vivre sa vie.png これまで何度も来日し、「エリック・ロメール特集」、「フランス女優特集」、「シャンソンと映画特集」など、素晴らしいプログラミングと講演を行い、その優れた批評によって、つねに映画の現在、映画史への新たな視点、考察を示してくれるジャン=マルク・ラランヌ。「カイエ・デュ・シネマ」編集長を経て、2003年から現在にいたるまでラランヌ氏が編集長を務める人気カルチャー雑誌「レザンロキュプティーブル」、通称「レザンロック」が5月17日より開催するカンヌ国際映画祭を記念して、映画特集号を組み、同映画祭に出品予定の作品の紹介や、それら作品の監督や俳優のインタビューを掲載している。そこには3月21日に惜しまれて亡くなった青山真治監督へのラランヌ氏の感動的な追悼文も掲載されている(この追悼文はまた追って訳出してお伝えしたい)。
この特集号の記事の中でもとくに紹介したいのが「なぜ映画館?」と題し、世界の11人の偉大な監督たちにインタビューしているページである。

「映画館での上映は、映画体験を構成する要素としていかに絶対的なものであるのか?」
ペドロ・アルモドバル、アルチュール・アラリ、ベルトラン・ボネロ、クレール・ドゥニ、グザヴィエ・ドラン、ミア・ハンセン=ラブ、ガス・ヴァン・サント、ヨアキム・トリアー、アピチャッポン・ウィーラセタクン、レベッカ・ズロトヴスキ、そして濱口竜介らがこの問いに答えている。ラランヌ氏から依頼を受けて、濱口監督に原稿をお願いしたところ、大変お忙しい中すぐに送ってくれる。うんうんと頷き、映画館でのいくつもの体験を想起し、高揚しながらフランス語に訳し、その原稿をラランヌ氏に送ったところ、「素晴らしい文章だ!」と喜びの言葉が戻ってきた。濱口監督より特別に許可を得て、その原文を以下に掲載させていただく。他の監督たちの言葉はまた別の機会にお伝えしたい。

Pierro le fou.png私にとって、映画とは映画館で見るものに他ならず、「なぜ」と考えるのは難しいことです。それはなぜ映画が映画であるのか、と問われているようなものです。勿論、配信やソフトで映画を見ることはあります。ただ、一度でも同じ作品を映画館と家のモニター(+スピーカー)で見比べた体験さえあれば、それらがどれだけ本質的に異なるものであるかについては語るまでもないことと思います。よく、映画には人生を変える力があると言われます。それは間違いではありませんが、実は人生を変える力をより強く持っているのは「映画館」という場の方です。私にとって、自分の人生の方向を根底から変えてしまったと思えるような映画体験はすべて、映画館で起きたものでした。映画館という、集団で映画を見る場のほうが、驚くほど個人の身体に深く決定的に働きかけます。映画館の暗闇が私達の輪郭を溶かしてしまうからでしょうか。繭の中のサナギのように溶かされて、まったく異なる自分に作り変えられてしまいます。映画館に入る前と後では、まったく違う人間であり得ます。映画は身体に入り込んで、自分の人生を支える芯棒のような役割を果たすようになります。そんなにも強烈な変化をもたらす2時間は「劇場」という場以外では生まれ得ないでしょう。
愚かかもしれませんが、私は映画館の未来に対して、徹底的に楽観的です。「映画館で映画を見る」。人類がこれほど強烈な快楽を手放す未来を、私は想像することができません。

濱口竜介