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パリ滞在記〜第74回カンヌ国際映画祭 前夜〜②

坂本安美

6/16(水)

「一本の映画を作ることは人間同志による冒険である」

 オリヴィエ・ペールがブリュノ・デュモン監督、そして彼の映画製作を長年支えてきたプロデューサーのジャン・ブレアとランチ・ミーティングを行うというので、監督にも久々にお会いしたく、参加させてもらう。デュモン監督はこれまでに2回ほど特集を開催し、日本にお迎えしていて、最後は2015年、その当時の最新作『プティ・カンカン』(*1)を含めたほぼ全長編作、そして彼がもっとも敬愛する映画作家のひとりジャン・エプシュテインの特集を「カイエ・デュ・シネマ週間」の枠で開催させてもらった。大阪、京都、東京と、各会場でティーチインを行い、撮影、俳優とのやり取りについての具体的なエピソードのほか、各作品のテーマついて深遠かつ明晰な言葉で丁寧に語ってくれた。アーティストというのは、えてして他のアーティストの作品について語る時の方が、自分の創作の核心に触れるもので、デュモン監督も、エプシュテインについて語っていた時の方がまっすぐにその映画への情熱を吐露されていたように感じた。一見、物静かで、厳格そうに見えながら、その場、そこにいる人たちの中に自分のペースで入っていき、自然と馴染んでいくその姿を見ながら、監督の作品に登場する物静かな人々や風景が、突如ざわざわとノイズを発し始め、殺風景に見えていた場所がとてつもない表情、出来事性を纏い始める世界への眼差しの在処をひそかに探していた。観光にはほとんど興味がなかったが、京都で唯一訪れたいと言われたのが満願寺の溝口健二の碑だった。ひっそりと建っているその石碑の前にしばらくの間佇み、言葉を発することなく、その場を立ち去っていく監督の一瞬の目配せを受け、はっとして、そそくさと後を追った。
 バスティーユ広場に面したカフェのテラスはランチ時で多くの人たちで賑わっており、日常が徐々に戻りつつあるのを感じる。デュモン監督は6年前の巡業を覚えていてくれて、いい旅だったよ、とひと言、笑顔を浮かべて述べてくれた。レア・セドゥ主演の最新作『フランス』がカンヌ映画祭コンペでお披露目ということで、ポスターのデザインなど広報について確認しながら、主演であるレアとの仕事がいかに充実したものだったか、作品への満足感、幸福に満ちた言葉を耳にし、同作品への期待が高まる。

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ブリュノ・デュモン

 その『フランス』も共同製作しているオリヴィエ・ペール率いるアルテ・フランス・シネマは、年に20数本の長編フィクション作品、ドキュメンタリー作品1本、アニメーション作品1本、合計22本の製作を支援している。まずはディレクターであるオリヴィエと彼のスタッフによって応募された脚本が読まれ、そこで最初のセレクションが行われ、その後、アルテのスタッフと、外部から選ばれた人々と半々で構成される10名ほどの選考委員会によって話し合われ、支援する作品が決定する。ちなみに現在の外部からの選考委員は、元カンヌ国際映画祭前会長のジル・ジャコブから、若手映画監督のジュスティーヌ・トリエ(『ソルフェリーノの戦い』、『ヴィクトリア』)やニコラ・パリゼール(『アリスと市長』)、その他、配給会社、セールス会社の人々で構成されている。各々の脚本、キャスティングから見えてくるその企画の意図、その(技術的、商業的な)実現性、あるいは現代映画における革新性、新人でなければこれまでのその監督のフィルモグラフィー内での位置づけ、その他いろいろな観点から自由に意見を交し合い、時間をかけ、丁寧に検討していく。この日のランチでもデュモン監督の次回作についても触れられていた(どうやらSF映画であり、『プティカンカン』以来、作風、ジャンルを果敢に挑戦してきたこの監督の新境地がまた見られそうだ)。監督、プロデューサー、映画史家、映画祭プログラマー、批評家、配給関係者、それぞれ立場の異なる映画関係者たちが、批評的視座を持ち、今作られるべき、生まれるべき映画作品はどんな作品なのか議論し合う(万が一、自分の所属している団体、グループに寄りすぎた発言、意見が目立つ場合は退いてもらうとのこと)。そこからフランスだけではなく、世界中の映画作家たちに創造の可能性が開かれ、支援が決定された後も、製作中の監督やプロデュサーたちとのやり取り、劇場公開時、その後のテレビでの放送、ソフト発売まで、作品を支えていく。こうしてひとりの作家の創造の可能性を開き、時にアドバイスをしながら、作品が観客に届くまで寄り添い、参加していく仕事に喜びと誇りを感じているというオリヴィエ・ペールは、かつてロカルノ国際映画祭のディレクターを務めていた際に、同映画祭で特集を組み、大好きな監督のひとりであるというヴィンセント・ミネリの『バンド・ワゴン』(1953)を挙げながら、映画作りについてあるインタビューで次のように述べていた。

この映画で好きなのは、インディペンデントで、それぞれ異なる資質、キャラクターを持った人々が集まって、資金を集めて、ショーを行おうとしている姿が描かれているところで、映画を作ることも同じで、成功するかどうか分からないながらも、人々が一緒になって働き、資金を集めていく。 今日、良い映画を作るためには、そのことを忘れてはいけない。つまりもっとも重要なのは、自分が好きで、一緒に仕事をしたいと思う人たちと共に集まること、それは家族のようなものであり、多くのお金を得られなくても、芸術的な自由を持ち続けることだ。 映画作りは人間同志による冒険であり、それは非常に人間的な体験だ。とても長く、厳しいプロセスを要するからこそ、好きな人たちと一緒に作ることが大切だ。 勇気を持って映画を作っている若い人たちを心から尊敬している。20年前、40年前よりもずっと難しくなった映画作りを、今日でも行おうとしている人々を私は本当に尊敬していて、サポートし、成功する機会を与えたいと思っている。(オリヴィエ・ペール)

(*1)『プティ・カンカン』は現在、映画配信サービスJAIHOにて配信中


「途方もない何かを信じること」

 バスティーユからパリ18区のクリシー広場、その近くの路地にあるアートセンター 、ル・バル(LE BAL)で開催中の「ワン・ビン展」へ向かう。賑やかな広場を抜け、坂になっているアンパス(袋小路、行き止まりになっている通り)を上がるとすぐに緑に囲まれ、ゆったりと落ち着いた佇まいのル・バルのカフェのテラスが見えてきて、一気に、異次元へと誘われていく。ル・バルは写真、ビデオ、映画、ニューメディアに焦点を当てたアートセンターで、展覧会、講演会や討論会が開催されるほか、本の出版・販売も行っていて、パリに来ると一度は訪れたい場所のひとつだ。場所の歴史も興味深く、もともとは第一次大戦後、世界大恐慌が勃発するまでの1920年代、いわゆる「Les Années Folles 狂乱の時代」に賑わったキャバレー、ダンスホールであり、第二次世界大戦後、1992年まではフランス最大の場外馬券発売公社だったとか。その後しばらく放置されていたところ、2006年にレイモン・ドゥパルドンほかマグナム愛好家協会により、ル・バルを立ち上げる企画が生まれる。ダンスホール時代の天井や柱をいかして改築されたのち、2010年9月にオープン。ディレクターにはマグラムフォトのヨーロッパディレクターを務めていたディアンヌ・デュフールが就任し、「ワン・ビン展」はドミニク・パイーニと彼女がキューレーションを担当している。展示スペースは約350㎡あり、1階、地下と2つのフロアに分かれている。ブックショップを通り、1階の展示スペースへと入っていくと、待ち合わせをしていたパイーニ氏の姿が見え、すでに展覧会についてゲストたちに解説を始めていた。これまでもシネマテーク・フランセーズでドミニクが手がけた展覧会、アンリ・ラングロワ展、ミケランジェロ・アントニオーニ展など、彼の解説、ガイド付きで鑑賞する幸運に何度か恵まれてきたのだが、一つひとつの展示を説明するというよりも、まずは全体の構成、セノグラフィー(空間演出)をダイナミックに説明してくれ、その中を進んでいくための道標を示してくれる。ワン・ビンを『鉄西区』(2003)のフランス公開以来、擁護し、対話を続けてきたドミニクは、このアーティストの展覧会を現在開催する意義について次のように語ってくれた。

既成概念や先入観がまったくないという感覚を与えてくれるドキュメンタリー作家は、私にとってワン・ビン以外にはいない。ワン・ビンは『リュミエール主義者』であり、『ロッセリーニ主義者』である。つまり彼は現実に何かを押しつけることなく、そこから感情が生まれるかもしれない、あるいはそこから何かを知り得るかもしれないという可能性だけを信じている。彼の映画は、私たちの代わりに考えようとなどしない。しかも、ドキュメンタリー作家でありながら、美しさを恐れず、それに対して罪悪感も持っていない。ブレヒトが言ったように、美学的に正しいからこそ、政治的にも正しいことができるのだ。その意味で、彼の映画は、中国はもちろんのこと、それを越えて、世界について私たちに語りかけてくる。シャンタル・アケルマンや、ガス・ヴァン・サントを彷彿とさせるような芸術的なジェスチャーでね。

 ドミニクによると、同展はこの映画作家にとっていずれも本質的な3つのモチーフ、3つの時で構成されている。「破壊」(『鉄西区』)、「収容、幽閉」(『収容病棟』、『苦い銭』、『父と息子たち』)、そして「尾行、追跡」(『名前のない男』)、これらのモチーフをもとに、ワン・ビン自身と共に選ばれた作品の抜粋がループ上映されたインスタレーションへ、それでは進んでいこう。

 まずは1階の会場、「破壊」の時へ。日本占領軍が建設した鉄西区にある中国最大の鉄鋼コンビナートの解体を、2年間にわたりDVカメラで撮影した9時間の作品、世界が衝撃と共にこの映画作家を発見することになった叙事詩的なドキュメンタリー『鉄西区』。ひとつのスクリーンにはコンビナートが雪に埋まっていくその風景を押し分けるように進んでいく列車がトラベリングで捉えられ、もうひとつのスクリーンには工場の大浴場に蠢く労働者たちの肉体が煙の中から浮かび上がってくる。仮借なく覆われ、凍結されていく歴史と、すべてを剥ぎ取られ、肉体のみで寄り添い、抵抗し続ける労働者たち、白と赤、2つのスクリーンが並置されている。

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「破壊」(『鉄西区』)

 そこから少し離れた下の方にもうひとつ、小さめのスクリーンが設置されており、雪の中をひとりの少年が歩いて行く姿が映し出されている。その少年がカメラの方を振り向き、しばらくこちらを見つめ、そして踵を返して、雪の中へと去っていく。「一瞬、私たちの方を振り向きながらも、何もない場所、未来へと進んでいくしかない少年、彼の孤独を見せたかった。それは、この展覧会で出会うことになる幾人もの人々の絶対的な孤独を予告している」。ドミニクは強い口調でそう語った。

 地下に降り、まず『収容病棟』(2013年)の抜粋が映し出される幾つもの小さなスクリーンが壁に散りばめられた空間に入っていくと、病院に収容された人々がまさに正気を失うほど歩き回っていて、その廊下の閉塞感に私たちも包み込まれていく。しかし、インスタレーションのスクリーンに映し出されるそれぞれの生の時間を体験していくことで、ワン・ビンが本作でこの精神病院の抽象的かつ抑圧的な構造を示すと同時に、そこに幽閉されている人々が示す逃走線をあらゆる方向に辿っていくのを感じることができる。

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「収容、幽閉」(『収容病棟』)

 こうしてカメラを向ける人たちそれぞれが示す逃走線を辿りながら、ワン・ビンは形式を固定することなく、出会う人々に導かれながら,彼らの生のリズムと一体になって撮り続けていく。たとえば繊維工場で働く出稼ぎ若い労働者たちを描いた『苦い銭』(2016年)は、登場する人々が次々移動していき、映画はつねに枝分かれしながら、絶対的に自由な構成を持つに至る。

"流れゆくこと"は、今日の普通の中国人の重要なテーマだ。私は、彼らの物語を語るために、カメラのショットや捉える人物をずらしながら、ある被写体から別の被写体へ、焦点を揺らすようにひとつに絞らずに撮影した。(ワン・ビン)

 地下の会場の中央には、同展覧会でもっとも大きなスクリーンに、ギャラリーからの依頼で製作され、滅多に上映されることがない1時間37分の『父と息子たち』(2014年)が、同展唯一、全編通してループ上映されている。ワン・ビンは2010年に雲南省の山間部で『三姉妹〜雲南の子』(2012年)の撮影をしていた際に10代の兄弟に出会う。彼らは、仕事を求めて都会に出て行った石材加工の職人である父親の帰りを待ちながらふたりで生活をしていた。それから数年後、ワン・ビンは、四川省で父親と暮らしていた彼らと再会し、約1カ月間、彼らの日常生活を撮影する。父親の出勤、息子たちの起床、昼食、テレビを点けたり消したりする様子、不衛生な一室で過ごしている彼らの日常のささやかな出来事が固定カメラで記録される。非常に親密で、個人的な小さな空間はしかし、普遍性さえ越えて、私たちのもとへと広がってくる。「生の体験 experience of life」だとワン・ビンは述べる。                                     

彼らの生活状況こそカメラに映したかった。現代中国の問題、つまり経済成長に隠れて何百万人もの人々に影響を与えている物質的、精神的貧困を抱えるこのシステムの偽善を明らかにしなければならないと思った。(...)この映画が示しているのは、生の経験だ。彼らの人生は大切だ。彼らの苦しみを黙認すべきではない。彼らの脆弱さを見てほしい。そしてもちろん、彼らの人間としての誇りや強さも。

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『父と息子たち』、背後には『名前のない男』のインスタレーション

 この旅は、ワン・ビンの歩んできたその軌跡の中でももっとも先鋭的な作品、『名前のない男』(2008年)で締めくくられる。日々、ショットにショットを重ねて、取り憑かれたような執念でワン・ビンが追い続けた言葉を発することもなく、人間の形をしている以外は謎につつまれた、「最後の人」が、洞窟と風に吹かれた平原の間のどこでもない場所をせわしなく動き回っている。

『名前のない男』は、たった一人で、完全に自給自足で暮らしている。現代の物質主義的な中国において、彼の言葉なき静かな存在は、雄弁なる抵抗の行為であり、純粋な状態における存在であるだろう。(ワン・ビン)

 物質的にも歴史的にも急速に変容しつつある巨大な国のあらゆる場所に、まるで測量士のように足を運び、そこで出会った人々、そこに辿り着いた彼らの存在を、彼らの身体が生きるその時間を確認する。この展覧会のタイトルとなっている「歩く眼」は、ワン・ビンのそうした映画作家としての特異なアプローチ、その存在=不在を示しているだろう。そしてその映画作家への深い敬愛と理解を持つふたりのキュレーターによって巧みに構成された同展への旅とは、ワン・ビンの映画作りと同様に、意味やメッセージを見出していくよりも、その中に身を置くこと、その時間、それを身体で感じることがまず求められる。そしてそのことによって、私たちから絶えず奪われている歴史に対する突然の、そして瞬間的な認識を得ることができるだろう。

ワン・ビンの作品たちはかつてない、前代未聞の何かを宿していて、それらが記録する(ドキュメント)ものを絶えず越えていく。その途方もない何かを信じるために、まずはワン・ビンの作品たちを見なければならない。一歩下がったり、高いところから見たりするのではなく、その場に留まり、それぞれの状況や、それぞれの身体の持つ政治的な深遠さからゆっくりと表面へ現れてくるものに寄り添いながら。(リュック・シャセル「リベラシオン」)

「ワン・ビン----歩く眼」展
※同展には1000枚のフォトグラムとドミニク・パイーニ、アラン・ベルガラらの論考が収められたカタログが制作されている

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ル・バルのカフェで『ワン・ビン 歩く眼』展カタログに献辞を書いてくれているドミニク・パイーニ

 ル・バルを出て、ドミニクと共に地下鉄に向かう。6月ながら、パリは真夏の暑さだ。シネマテーク・フランセーズで同展に併せてワン・ビン特集が開催されており、ドミニクは上映前に毎回作品紹介をして、その後、別のホールで開催されている清水宏の作品を毎日、喜びとともに発見しているとのこと。私は、一度宿に戻り、夕方、ナダヴ・ラピドの最新作『HA'BERECH/Ahed's Knee(アヘドの膝)』の試写へと向かう予定だ。

「何の説明もなく、直接、ある雲が私たちを引きつけ、別の雲が私たちを引きつける」
ガストン・バシュラール

 2021年6月、パリへ。パリ?今?そう今。さまざまな不安、躊躇もありながら、仕事の都合もあり7月のカンヌ国際映画祭開催時には渡仏できそうになく、この時期に会いたい友人、家族たちのいるパリへ向かうことに。そう、会いたい、見たい、そこにいたい、切実な思いに導かれて...。パリの様子、そしていち早く観ることができたカンヌ出品作品、シネマテーク・フランセーズでの清水宏特集、友人たちとの再会、あるいはパリの街が想起させてくれた人々の言葉、映画、本、あるいは7月6日(火)に開幕したカンヌ国際映画祭についてのフランスのメディアの批評、インタビューを、いくつかに分けてお伝えする。

6/11(金)
 夕方16時頃パリに到着、お世話になる友人宅に向かうためタクシーに乗る。パリは夏に向けてどんどん暗くなる時間が遅くなっていき、6月でも9時近くまで明るく、この時間もまだ昼間のような明るさだ。空を見上げると、ぽかんぽかんと雲が浮いている。フランスの空の青さは、日本よりも濃く、雲が低く、近くに見え、もちろん季節によって異なりながらも、綿飴のようなちぎれ雲が、不規則に、ワイルドに浮かんで見える。到着して空を見上げ、ああ、フランスに着いたんだな、と確認するようになったのは、私が師と仰ぎ、今回会いたい友人のひとりでもあるドミニク・パイーニの影響もあるだろう。彼は自分のアパルトマンのテラスから毎日空を、雲を眺め、写真に撮るのがほとんど日課となっているとのこと。『雲の誘惑』と題した、映画の中の雲について著した本まで出している。そうそう、2019年来日時にはまさにその「映画の中の雲」について、ドライヤーの『奇跡』、ストローブ・ユイレの『雲から抵抗へ』、その他、『砂漠のシモン』(ブニュエル)、『獣人』(ルノワール)、『ブリスフリー・ユアーズ』(ウィーラセタクン)、『アパッチ砦』(フォード)などを引用しながら素晴らしい講演をしてもらったっけ。そしてこの本に影響を受けたことがひとつのきっかけとなって生まれたのがオリヴィエ・アサイヤスの『アクトレス〜女たちの舞台〜』であるのだが、それについてはまた別の機会に。

「私が雲に惹かれるのは、その形成過程や物理的な現実、変化する姿、消えていく謎やその気まぐれな形状に魅惑される理由と同様に説明することができないのだが、子供の頃から雲が私の好奇心を刺激してきたのは事実である。雲たちは私の(まれな)怠惰や気晴らしを視覚的に占領し、「おおいなる晴れの日」に対する私の特別なる嗜好を乱し、ルネッサンス絵画の中心的な主題や、古典映画の中心的な、つまり主要登場人物の勇敢なる行為に対する私の注意をしばしば奪ってきた。」(ドミニク・パイーニ、『雲の誘惑』より)

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『獣人』ジャン・ルノワール©DR

 フランスは、今年3月12日より日本からビザなしで入国可能となり、PCR検査陰性証明書の提出は義務づけられているが、出発数日前の6月9日から、これまで入国時に必要だった7日間の自主隔離義務が解除となる(ほっ...)。今年の1月にやはりパリを訪れた際は、まだ感染者数もかなり多く、夜間も8時以降は外出禁止、カフェもレストランも映画館、美術館も閉まっており、日が射すことがあまりない真冬だったこともあるが、人通りが少なく、街はまるで冬眠しているかのようだった。友人宅を訪れても、マスクをつけたままか、ディスタンスを取っての歓談、宿に20時前に到着するようにお別れしなければならず、いつものようにワイワイお喋りを楽しみながら、長い時間をかけてディナーを共にすることなどは難しく、再会を喜びながらもどこか切なく感じていたことを思い出す。しかし現在は、成人の50%以上が1回目のワクチンを打ち、感染者数もピーク時と比べて10分の1、それ以下へと日々減ってきており、5月19日には、ようやく6ヶ月半ぶりに映画館再開(当初は35%から)、レストラン、カフェなども店外のテラス席から再開となり、現在は店内も収容人数が3分の1、50%と徐々に制限が穏和されてきている。
 リュクサンブール公園近くにある、客間を提供してくれる女優である友人宅に到着。近くのカフェのテラスにはアペリティフを片手に歓談を楽しんでいる人たちが集っている。私も荷物を置いて、すぐに交わる。先日、ラジオで、映画監督のギヨーム・ブラックがカフェのテラスが久々に再開して思ったのは、見知らぬ人々の中に混じり、周囲の人々に何気なく視線を向け、彼らの人生を想像したり、会話の断片を何気なく耳にすることがいかに自分の映画作りに大切な時間であるか語っていたことを思い出す。ちょうど一ヶ月前、彼の長編最新作『A l'abordage(乗り込め)』が、ベルリン映画祭でのお披露目を経てアルテにて放映、『カイエ・デュ・シネマ』のシネクラブでも特別上映され、話題になっていた。昨年、第一回目緊急事態宣言発令で蟄居中、ちょうど初夏だったか、監督の厚意でこの作品を息子とともに見ることができ、閉じられていた空間、心が一気に開かれ、オープンエアの中へと漂い、不意にもたらされる出会い、偶然が生み出す悦び、思いっきり吸い込める大気、自然の中での抱擁、そして空っぽになったヴァカンスの酩酊感、そうした忘れていた感覚を思い出させてもらい、どんなにふたりで感謝したことか。ギヨームとは2019年の夏にまさに「ヴァカンス特集」を一緒に企画させてもらったのだが、その特集に寄せてもらった彼の言葉を以下に引用したい。

「夏は、異なる方法で映画を撮るように導いてくれる。(...)思いがけない出来事に対してもより柔軟でいられる。例えば変化していく光や、突然響き渡る嵐にも。天気や光、人の群れ、夏は、現実がもたらすものにより臨機応変に対応することを可能にしてくれる。ささやかながら、深く心に残る、その後の人生に余波を残すような出来事を語る映画が好きだ。夏はそうした微妙な感情を描写するに打ってつけであり、今この時の歓喜、生き生きとした様子、あるいは、すでにそこにないもの、すでに失われたものへのメランコリー、憂愁の中へと観客を深く導いてくれる。」

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『A l'abordage(乗り込め)』ギヨーム・ブラック©DR

 最新作となる『A l'abordage(乗り込め)』は、これまでの作品以上に、ジャン・ルノワールの映画に近づいているように感じた。作品の中に登場する複数の人々それぞれが予知できない人生に果てしなく開かれていることの悦び、そして時にその残酷さの間でおおらかに生きているのだ。そのギヨームは現在、短編作品を製作中とのことで、今回は残念ながらおそらく会うことができないだろう。『A l'abordage(乗り込め)』の日本配給はすでに決まっていると耳にする。この偉大なブラック作品の公開、そして監督の再来日を待ち望みながら、また何か面白い企画を共に行えることを願って準備したい。
 冷たい白ワインを喉に流し込み、ゆっくりとゆっくりと色、形を変えていく空や雲を眺めながら、半年前には見ることができなかった人々の表情を眺め、これから出会うこと、人たちへ思いを馳せながら、長旅に疲れた身体の緊張がだんだんほぐれてくるのを感じていた。

6/12(土)
 午後、アルテ・フランス・シネマのディレクター、オリヴィエ・ペールと会う。オリヴィエ・ペールは彼がロカルノ映画祭のディレクターを務めていた頃からの友人だが、昨年開催した「第2回映画批評月間」でセレクションをお願いし、アルテが支援する作品たちを一挙に紹介し、いかに映画の現在において重要な役割を果たしている人であることをあらためて確認した。今年のカンヌ映画祭でも、全部門を含めた31本、コンペ部門だけでも12本の作品を支援しているとのこと。そのオリヴィエに付き添い、ベルトラン・タヴェルニエの葬儀ミサに参列する。今年3月25日に亡くなられるも、コロナ禍のため、2ヶ月半にしてようやくミサが行われることに。教会にはご家族、関係者、友人とかなりの人数が集まっていた。師弟関係でもあり、タヴェルニエが理事長を務めてきたリュミエール協会のディレクターでもあるカンヌ映画祭総代表ティエリー・フレモーも当然ながら参列していた。タヴェルニエ監督作品については、正直、その半分ぐらいしか見ておらず、「カイエ・デュ・シネマ」派に近いことから、彼らのタヴェルニエ映画へのあまり肯定的ではない意見に影響を受け、発見することを怠ってきてしまったことを告白しよう。しかしタヴェルニエの映画の知識、とくにアメリカ映画についての知識は、本国の専門家を上回ると言っていいほど豊かなものであり、アメリカの著名な批評家であるケント・ジョーンズも「ベルトランのおかげで、デルマー・デイヴィスやヘンリー・ハサウェイ、その他多くの映画作家たちの作品と本格的に出会うことができたと感謝している」と、訃報を受けて述べていた。私自身は、1996年だったか、東京日仏学院にお迎えした際の、映画について語るその迸るような情熱、優しい人柄が記憶に強く、そして2018年に劇場公開されたドキュメンタリー『フランス映画による旅』からは多くのことを学ばせてもらい、本作はこれからも大切に見続けたい作品となるだろう。ギトリ、グレミヨン、ベッケル、ドコワン、ブレッソン、メルヴィル、そしてクロード・ソーテについて独自の観点、言葉で彼らの作品の魅力、その人間性を丁寧に紹介している。新しい才能、監督を発掘し続けるオリヴィエ・ペールは、映画批評家として、映画史の埋もれた作品、あるいは過去の作品を何度も見直し、再評価することをつねに実践している人でもあり、だからこそタヴェルニエへの尊敬は深く、今日のミサに来ることも彼にとって大切なことであり、声をかけてもらって、お別れができたことを感謝する。
 シネマテーク・フランセーズでは劇場再開後すぐに、今年3月に「世界のあらゆる記憶」映画祭の枠内で開催予定であった「タヴェルニエによるアメリカ映画」を5月19日から6月7日まで開催していた。同特集はタヴェルニエに白紙委任状を託し厳選された12本のアメリカ映画を特集し、本当であれば、本人が会場で一作ずつ紹介する予定だったそうだ。「網羅することはできませんし、したくもありませんが、自分がよく知っている作品や、とくに好きな作品を選んでいます。数本のフィルムで作品を照らすこと、一人称で語ることを試みたいと思います」。これはタヴェルニエが『フランス映画による旅』の冒頭で述べていた言葉だが、その「一人称で語ること」の重要性、まずは自分の好みを拠り所にすることから大きな歴史が見えてくるということを示してくれた人だと思う。『Afraid to talk』(エドワード・L・カーン、1932年)、『Wait till the Sun Shines, Nellie』(ヘンリー・キング、1952年)、『フレンチスタイルで』(ロバート・パリッシュ、1962年)、『ジョンソン大統領/ヴェトナム戦争の真実』(ジョン・フランケンハイマー、2002年)、『今宵、フィッツジェラルド劇場で』(ロバート・アルトマン、2007年)など、かなりレアな作品、セレクションで、タヴェルニエだからこそ見せてくれるアメリカ映画史、いつか日本でもこの12 本の中の数本でも特集し、追悼できることを願いながら、まずは予告編を、「味わって、楽しんで下さい!」(特集紹介文の最後のタヴェルニエ本人の言葉より)。

 夕方は、そのシネマテーク・フランセーズに移動し、開催中の清水宏特集、『霧の音』(1956年)を観る。シネマテークの2つの上映ホールの内、アンリ・ラングロワ・ホール、まだ座席数制限が多少あるようだが、かなり埋まっており、知られざる日本の巨匠の作品の発見を待ち望んでいる雰囲気を感じる。「知られざる」? 1988年に同シネマテークで、2001年にはパリの日本文化会館で特集が開催され、2018年に開催された「フランスにおける日本年、ジャポニスム」でも『有りがたうさん』(1937年)と『蜂の巣の子供たち』(1948年)が上映されているのだが、清水宏はまだ映画大国フランスにおいてもいまだ日本映画の重要な作家として十分には認識されておらず、その意味でも、今回の特集の意味は大きいだろう。さて『霧の音』は、上原謙、木暮実千代が相思相愛ながら運命に翻弄され、擦れ違っていく男女を演じるメロドラマであり、上原謙演じる植物博士が娘とその婚約者と日本アルプスを望む信州高原を訪れるところから映画は始まる。「秘めた思い出は、昭和22年の仲秋の名月まで遡る」とテロップが出る。信州高原、そこにぽつんと建っている山小屋、白樺林、そしてその場所に仲秋の名月になると、月を見に戻ってくる男と女。そのふたりの他に、宿を切り盛りする夫婦役の坂本武と浦辺粂子や芸者役の浪花千栄子(それぞれが素晴らしい!)、その他数人のみの限られた登場人物、限られた空間(北条秀司による戯曲を、依田義賢が脚色)ながら、いやそれだからこそ、清水宏の演出が光っている。清水にとって家の中というのは区分けされ、決められた役割を演じる場でありながら、その規則、大人たち、社会の決めことをどう壊して、遊びに、愛に変えていけるか、人物たちは突然、斜めに、横に移動し始める。あるいは、外へ、開けた地平へと駆け出し、自分たちの意思、物語とは関係なく存在している自然の中に身を投げ出し、孤独になりながらもより大きな世界へと近づいていく。

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『霧の音』清水宏©DR

6/13(日)
 ふたたびシネマテーク・フランセーズの清水宏特集にて『次郎物語』(1955年)。内へ、外へと往来し、ひたすら歩き続けながら、何人もの母なる存在との出会い、別れ、そしてまた出会う。感情は形を変えずに漂い、切なさ、後悔が残るとも、やがて風に流されていく。ふと、ギヨーム・ブラックの作品との共通点、先述した彼と共に企画した「ヴァカンス特集」で私から『簪』(1941年)を選ばせてもらい上映したことを思い出す。ギヨームにもぜひ、清水宏の作品をいつか発見してほしい。

6/14(月)
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『Annette』レオス・カラックス©CG Cinéma International

 オリヴィエ・ペールの厚意で、パリ滞在中、アルテの共同製作作品を映画祭前の試写で何本か見せてもらえることに。その一本目はまさに本映画祭のオープニングを飾ることになるレオス・カラックス9年ぶりの新作『Annette』であると知らされ、早朝の試写に喜び勇んで向かう。「グラン・アクション」という古典作品から新作まで上映していてパリに来ると必ずといっていいほど足を運ぶ名画座での試写。深々とした座席にゆったりと腰を下ろす。前作『ホーリー・モーターズ』(2012年)は、映画館という夢の機械の中にパジャマ姿のカラックスが入っていくところから始まった。まさにモーターが動き出すために、あの小柄な身体で、裸足で。そこで作動し始める夢、『ホーリー・モーターズ』は、映画の驚くほどの創造性、遊び心に満ち、過去の作品、作家たちを参照しながらも、映画の現在、未来、そのあらゆる可能性を試みるべく、さまざまなジャンルを横断していく。カラックス、あるいはその分身、ドゥニ・ラヴァン演じるオスカー氏は、仕草の美しさを求めて、アクションの原動力を求めて、そして彼の人生に登場した女性や亡霊たちを求めて、エディット・スコブが運転するリムジンに乗り込み、一つの人生からもう一つの人生へと旅を続ける。「もう一度生きる!」、映画はジェラール・マンセットによる崇高な曲で締めくくられていた。
 その叫び、「もう一度生きる!」に答えるように、『Annette』は、娘と手を携え、ミキシングデスクの前に腰を下ろしたカラックス自身による次の台詞でスタートする。「So shall we start? じゃあ、始めましょうか?」。そして本作のベースとなるアイディアと音楽を提供している音楽界の不死鳥、世界的にカルト的人気を集めるアート・ポップ・デュオ、スパークスがその合図を受け、音楽スタジオの中で歌い出す。そこからピアノが響き、合唱団が歌い始め、そして夜のロサンゼルスの街へと誰もかもが繰り出し、主演のふたりも普段着姿でそこに加わり、手を取り合い、喜びと祝祭感溢れるパレードが繰り広げられる。「じゃあ、始めましょうか?」、こうしてそれぞれの登場人物たちは普段着から衣裳へと、ヒーロー、ヒロイン、それぞれの運命へと身を置く儀式を行う。彼女、マリオン・コティヤールは、リムジンの後部座席で舞台恐怖症を反芻するスターオペラ歌手アン・デフラヌーに、彼、アダム・ドライバーは、愛を見つけた自滅的なスタンドアップ・コメディアンのヘンリー・マクヘンリーに、それぞれ変身するのだ。コティアールの歌声はなんと裸形であり、美しく、悲しく響き、その仕草はまるでリリアン・ギッシュを思い起こさせ、初期の映画の女優たちの美しさを湛えている。そしてメルド氏と同じ緑色のローブを羽織ったドライバーの野生的で官能的な身体と動きの危うさ、そのエネルギーは、観客たちと共犯関係を結びながら炸裂していく。そして悲劇は遅からず訪れ始める。『Annette』は、祝祭的と思われたプロローグから徐々に、夢の裏側にある廃墟、人間たちの暗い衝動、表象の毒性、夜の闇へと下降していく。まるでムルナウの映画の中の男たちのように、ドライバー演じるヘンリーは愛する女の姿を見失い始めたのか、ふたりの間にアネットが産まれてから、何かが彼の中で壊れてしまい、恐ろしい怪物へと変貌していく。
 しかし『Annette』はこうして要約されることを拒み、その形、方向、物語を作品の中で自ら生み出し続け、ジャンルさえも変化させていく。そしてドライバー自身も最後の最後まで、その渦の中を彷徨い、姿を変え続ける。しかしもっとも重要なのは、タイトルが示しているように、本作が「アネット」へと辿り着くための映画であること、「アネット」(へ)の道程であろう。先述したように、今回はひとりではなく、娘と共に、彼女と手を携え、全編ミュージカル・コメディである本作をスタートさせたカラックス。この60歳の「恐るべき子供」は、『ホーリー・モーターズ』の独創性をさらに越え、(彼自身が述べるように)まだ若い、そして不純な芸術である映画の可能性とその限界、フィクション、スペクタクルを生み出すための冒険とその代償、人間の、世界の美しさと醜さ、愛と死、それらすべてを包含するこの140分の夜の果てまでの旅で、私たちに喜び、当惑、恐れ、感動、そしてやはり大いなる喜びを与えてくれる。「So shall we start?」

『スパイの妻』、あるいは不意に露呈する外側

坂本安美
6月25日(木)

 最後にこの場に日誌を記してからなんと2ヶ月以上がすでに過ぎてしまった。毎日のようにこの場に戻り、ぎこちなくても、間違っても、とにかく言葉を紡ぎ、聞こえてくる、見えてくるもの、この時間に体験し、考えていることを記録しなければと思いながらも、時間は矢のように過ぎていった。テレワークとやらで朝から晩までコンピューターを前に仕事をするほか、IVCから出るオリヴィエ・アサイヤスのブルーレイボックスの制作を手伝い(特典映像にどうしても付けてほしいと嘆願したアサイヤスとマチュー・アマルリックの対談にもがんばって字幕を付けました、ぜひ本編たちと共に見て頂きたい)、そして今月、劇場の再開とともに公開が始まったアンナ・カリーナのドキュメンタリーのパンフへの執筆、劇場休館によって苦難を強いられていた映画業界の人々へのほんの微力ながらの応援、国内、海外にいる親しい友人や家族たちとのやり取り、一日、一日はあっという間に過ぎていった。もちろんときに不安に苛まれ、発狂しそうになることもありながらも、そうして家の中に身を籠もり、日常を送ってこれたのは、外に出て働き続けていた人たちがいたからこそだ。ブレィディみかこの「欧州季評」(「朝日新聞朝刊」2020年6月11 日)で「ケア階級」という言葉を知った。人類学者デヴィッド・グレーバーが、医療、教育、介護、保育など、直接的に「他者をケアする」仕事をしている人々のことをそう語っているとのこと。「製造業が主だった昔とは異なり、今日の労働者階級の多くは、こうしたケア階級の人々であり、彼らがいなければ地域社会は回らない」と。そしてコロナ禍において「わたしたちは、わたしたちをほんとうにケアしてくれているのがどんな人々なのかに気がついた。ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的な存在にすぎず、互いにケアしなければ死んでしまうということにも気がついた」。そうしたケアする仕事がなぜか経済とは別のもののように考えられ、本当に社会にとって必要な仕事ほど低賃金という倒錯した状況が生まれている、とブレィディみかこは述べる。ちなみにそのケア階級の仕事と対峙する概念として、グレーバーが唱えるのが「ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)」、たとえばなくてもいい書類作成のため資料を集め、整理するために忙殺されているホワイトカラーの管理・事務部門の仕事......。

 「ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的な存在にすぎない」。そしてその存在、生命としての身体は「"自然"、自分自身の所有物に見えて、けっして自らの制御下に置くことができないものだ」と生物学者の福岡伸一は語る(「福岡伸一の動的平衡」朝日新聞朝刊2020 年6月17日)。いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬのか、選り好みなどできない。しかしふだん、都市の中で生きる私たちはそのことを忘れて、すべて制御でき、効率よく、予定通り生きていけると思い込んでいる。福岡は本来の自然ピュシスとそれを制御しようとして創り出された自然ロゴスつまり、言葉や論理の対立を語る。制御できないもの、たとえば「生と死、性、生殖、病、老い、狂気......」そうしたものを見て見ぬふり、あるいは隠蔽して、タブーとして押し込めてきた。そしてそうして押し込めてきた「ピュシスの顕れを、まさに今回不意打ちに近いかたちで我々の前の前に見せてくれたが、今回のウイルス禍ではなかったか」。

 生物学者である福岡の文章は、生物学という学問に疎い私にも、おおいに響くものがあると同時に、4月初めにスマートフォンの画面に現れて、私たちにユーモアを交え、穏やかながら、いつもながら力強く語ってくれたゴダールの言葉とも共鳴して聞こえてきた。「それが何なのか私だって分からない、ただ我々と同じ生きものではあることは確かであり、もしかして我々のことを好きなのかもしれないよ」 

 その文章を読んでから数日後、黒沢清監督の最新作『スパイの妻』を見る。
私たちが生きている世界は様々な瞬間、行為、思考、感情によって構成され、動き、あるいは繰り返し、しかし確実に少しずつ変化し、姿を変えている。現在起こっていること、たとえば今、世界中を震撼させているウイルスの感染拡大もすべて、そうした流れ、大きなうねりの中のひとつであり、その変化や動きのしるしは遙かかなたの彼の地で見つけることもできるかもしれないし、実は目の前でふと見えてくることもある。それは人間が制御してもしきれなかったなにかとして貌を表す。黒沢清はそうした貌、見えないけれど見えるもののもとへと接近し、かつて確かに存在し、しかし今や過去になってしまった取り返しのつかないいくつかの事実の積み重ねであるところの「世界」を誰よりも果敢に描いてきた。そして『スパイの妻』で、黒沢清はそれをこれまで以上に大きなスケール感、迷うことのない姿勢で見せる。驚愕し、興奮しながら、帰宅して黒沢さんの著書を一冊手にとってみる。

「どうも僕たちは今とりあえず安心して『ここ』にいるようだ。しかし、その外側は『暴力』に満ちていて、しかも向こうにある暴力の原因のかなり部分が、実はこちら側から送り込まれているのではないか。となると、この安心した内側の世界と、もうひとつの暴力的な外側の世界とは、いつか必ず、というかすでに『戦争状態』に入っていて、そのことに関する責任は、実は『ここ』にいるこの僕たちにも大いにあるではないでしょうか」(『黒沢清、21世紀の映画を語る』発行:boid)

 ちなみに私たちの目の前の「暴力」とはウイルスではない。「人もウイルスも制御できない自然」であり、それを制御するために生活という個人の領域に不用意に介入してくる公権力こそが「暴力」であるだろう。

 21世紀の映画の宿命を真っ向から引き受けた黒沢清のあらたな傑作については、次回、あらためて語らせてほしい。

4月14日(火)
 京都、出町座にて開催中の「第2回映画批評月間」において、今回の目玉であり、特集のひとつであるのがセルジュ・ボゾンである。ボゾンの2013年の長編作品『ティップ・トップ ふたりは最高』は、とにかく主演女優のふたりイザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランのかけ合いがタイトル同様に最高なのだが、それはたんに彼女たちの演技がうまい、台詞がよく書けているといったことだけではなく、まさに言葉や所作をかけ合っていくことによって、ふたりが混ざり合い、影響を与え合い、ときにその役割を交換し、コンビを作っているその様をライブで追っていくことができるからだ。そしてこのふたりの登場で、町の人々、本作に登場する誰もが、混ざり合っていく。「プロトコル」、「公平性」と暗号のように呟かれる言葉たち、それはまさにみんなが混ざり合い、全体が調和していけるような「公平」な場所でものを考え、言い合えるための暗号のようにさえ聞こえてくる。
 本特集の企画協力者であるオリヴィエ・ペールはセルジュ・ボゾンの作品をつねに擁護してきたひとりだが、彼が以下に訳出した紹介文の中でボゾン、そしてゴダールの作品を「大衆に見放され、だがそれでも大衆について語り続けようとしている映画」と述べるとき、ドゥルーズがかつて「現代的な政治映画があるとすれば、次のことを前提にするしかない。民衆はもはや存在しない。あるいはまだ存在しない...民衆が欠けている。」と書いた一文を想起しないわけにはいかない(『シネマ2*時間イメージ』)。
 未曾有の危機に直面している世界中の「人々」、私たちは分断ではなく、いかに調和、混ざり合っていくことができるのだろうか。そんな壮大な問いはしばし脇に置いて、まずはこの赤毛のふたりの風変わりな女性警官たちのやり取りに笑い、感動してほしい。
『ティップ・トップ ふたりは最高』の上映はこれからも続けます。
『ティップ・トップ ふたりは最高』セルジュ・ボゾン
オリヴィエ・ペール
 ある地方都市で、ふたりの女性捜査官がアルジェリア出身の情報提供者、密告者の死について捜査を行っている。ボゾンは、かつてゴダールが用いた方法を応用してみせる。つまり犯罪小説を題材に用いながら、そこからまったく別のことを語るという方法である。それでは彼らは何を語っているのか?ゴダールとボゾン、いかにそれぞれの作風は異なっていようとも、彼らが語っていることを探そうとすれば、その答えは、ボゾンの前作、傑出したその長編のタイトルに見つけるべきだろう。そう『フランス』(2007)である。
 そして本作は、不釣り合いなふたりの女性警察官の物語でもある。彼女たちはそれぞれ、私生活での素行が理由で職務執行を干渉されることになる。片方は叩き(夫とのサド・マゾヒズムの関係を窮めている)、もう一方は覗くことが趣味なのだ。イザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランによるコミカルなコンビは、これまで彼女たちも、いや誰も見せたことがない見事なかけ合いで、主演女優たちもそれを思いっきり楽しんでいるように見える。そしていかがわしい警官を演じるフランソワ・ダミアンは、その持ち前のクレイジーな魅力がうまく引き出され、才能溢れる俳優であることがあらためて証明されている。ひそかに展開していく不条理な笑い、陰謀と謎の香りを、乾いたタッチ、素早い表現、そしてフランス、いや世界の作家主義的映画が引き付けようとするものたち(あまりにもそのリストは長い)をあえて拒否しようとする態度。セルジュ・ボゾンの映画のレシピ(映画作法)を数行で述べてみるならこのような特徴を挙げられるだろうが、ボゾンの映画とは、とりわけ多くのことにノンと言い、それ以上のことを記憶しながら、別の、まったくもって独創的なものを創り出そうとしている。引用したり、参照したりすることはないものの、『ティップ・トップ ふたりは最高』は映画の歴史に対する反旗の記憶を担っており、ポンピドゥー・センターからの白紙委任状を与えられた際にセレクトしたお気に入りのフランスの監督たち、新機軸を求め続けた監督たちを継承するボゾンに相応しい作品となっている。したがって「フランス」というテーマ、ボゾンの愛する反自然主義的な映画作家たち(とりわけシャブロルやモッキー)、そしてこれみよがしに政治的であろうとすることがないながら、作品の隠れた主題である移民や統合の問題、これらすべての要素が本作を豊かなものにしている。そしてこの作品のもうひとつの核を語るならば、ある種の古典アメリカ映画からの影響を挙げることができるだろう。ハリウッド映画のいくつかのジャンルの特徴や、演出の優位といったものが、目立たないながらもあちらこちらに感じ取ることができる。『ティップ・トップ ふたり』は、『Deux Rouquines dans la bagarre(抗争の中のふたりの赤毛の女たち)』(1955年 アラン・ドワン監督の作品で、原題は『Slightly Scarlet』)というタイトルも当てはまるのではないだろうか。イザベル・ユペールとサンドリン・キーベルランの髪の色が赤毛に近いからだけではない。ボゾン作品の威風堂々としたところ、あるいはそのダンディズムは、擬似文化的オーラを脱ぎ捨て、映画の炎を燃やし続け、50年代のアメリカB級映画、あるいは70年代土曜の夜に放映されていたような映画の精神を持ち得ていると思うからだ。大衆的な作品の体裁を取りながらも、大衆に見放され、だがそれでも大衆について語り続けようとしている映画たち。大作、あるいは低予算の作品でも、人々について自問し、人々を映画の中に描こうとする作品たちがある。ボゾン、ゴダール、そして何人かの他の映画作家たちのようにいまもなお、絶えず。

067042-000-a-tip-top-2008455-1491320374.jpg ティップ・トップ ふたりは最高 Tip Top
フランス=ルクセンブルク/2013年/106分
監督:セルジュ・ボゾン
出演:イザベル・ユペール、サンドリン・キーベルラン、フランソワ・ダミアン、キャロル・ロシェ

フランス北部でアルジェリア系の情報屋が殺された。その情報屋は、地域のドラッグの密売に関わっていたが、警察署内部を探るため、ふたりの女性監察官、エスターとサリが派遣された。ひとりは殴りこみをかけ、もうひとりは覗き見る...そう、ふたりは最高のコンビ!

◆「第2回 映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~ in 関西」@出町座にて上映
4月13日(月)
 本日、京都の出町座にて日本初上映されたジャン=ピエール・モッキーの代表作の一本、『赤いトキ』。モッキーの作品は発見する度に、こんな映画、これまでに見たことがない!という驚きと共に、その作品に宿るアナーキーなまでの自由な精神、けっして感傷的なものに陥らずも人間へのおおらかな眼差しに心踊らされる。
 この作品をスクリーンで多くの方に見ていただける日が近いことを願い、ここに、オリヴィエ・ペールによる『赤いトキ』の作品紹介を訳出する。
『赤いトキ』ジャン=ピエール・モッキー
オリヴィエ・ペール
 70年半ば、フランスの制度、社会を激しく批判する、アナーキーで扇動的な作品を連続して撮っていたモッキーが、息を抜くようにして撮ったのが『赤いトキ』であり、不条理さと詩的な要素、ブラック・ユーモアをたっぷり散りばめ、犯罪映画の画一的なコードを覆してみせる。モッキーはアメリカの犯罪小説を題材として用いることが多く、ここでは「セリ・ノワール」(暗黒・犯罪小説叢書)の一冊として出版されたフレデリック・ブラウンの『3、1、2とノックせよ』を元に、風変わりで、怪物じみていながら、心惹かれる登場人物たちによる世界を描いている。
 モッキーはつねに俳優たちを愛してきたが、本作ではミシェル・セローとミシェル・ガラブリュが、これまでの道化的な役柄とは離れて、表現の幅を広げ、哀感をそそる人物を作り上げている。セローが演じるのは孤独で、引っ込み思案なサラリーマンであり、子供の頃の性的トラウマによって女性たちを襲う連続絞殺者。対するガラブリュが演じるのは元タンゴの踊り手で、美しい妻(エヴリーヌ・ビュイル)を今でも愛していながらも離婚を求められ、さらにポーカーの賭けで多額の借金を抱え、ギャングたちに追われている男である。そして本作がスクリーンでの最後の出演となったミシェル・シモンが演じる年老いた新聞売りジジは、口やかましく、虚言癖で、厭世的で、これまで彼が演じてきた役柄、『パニック』(1946、ジュリアン・デュヴィヴィエ)のイール氏、『素晴らしき放浪者』(1932、ジャン・ルノワール)のブデュ、『アタラント号』(1934、ジャン・ヴィゴ)のジュールおじさんといった記憶を呼び起こし、その存在はただただ私たちの心を揺さぶる。ジジの唯一の友だちはお洒落なスーツに身を包んだバナナ好きな黒人の少年である。この三人のミシェルのほかにも『赤いトキ』は、脇役からエキストラに至るまで、精彩に富んだ人物たちがたくさん登場し、モッキー秘訣のキャスティングの妙を見て取ることができる。風変わりな顔たち、遊び心あふれた小道具、おかしな服装、口癖、身体的ハンディキャップ......。この風変わりな人々たちのいかがわしい集団、界隈は、モッキーが演出によって、あらゆる社会階級が渾然一体となったフランスの鏡として見えてくる。
 本作は、ほとんどのシーンがサン・マルタン運河沿いや、その界隈で撮られており、戦前のフランス映画の古典作品の中で描かれている大衆的なパリを想起させる。おそらくそこには『おかしなドラマ』(1937、マルセル・カルネ)『北ホテル』(1938、マルセル・カルネ)、『アタラント号』(1934、ジャン・ヴィゴ)などが記憶として蘇ってくるだろう。
 詩的レアリスムの伝統を風変わり(ビザール)なセンスで味付けしたモッキーは、中央アジア出身の映画作家たちの作品、ロマン・ポランスキーの『テナント/恐怖を借りた男』(1976)やスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』(1971)などに見られるグロテスクでファンタスティックなユーモアのタッチもそこに付け加えている。『赤いトキ』の夢幻的な雰囲気、熱狂的なリズム、モッキー独特の演出方法、いつまでも頭に残るテーマ曲、常軌を逸した俳優たちの演技、こうしたモッキー映画の魅力が詰まった本作は、傑作『あほうどり(L'Albatros)』(1971)の映画作家が、フランス映画でもっとも我々を熱狂させてくれる一人であることを確認させてくれる。権力批判をし続け、茶目っ気あふれるモッキー、彼の創意に富んだ演出方法、映画への果てることなき情熱、彼の作品を活気づけてきた俳優たちへの愛情を我々はこれからも忘れることはないだろう。
ibis-rouge-1975-01.jpg 赤いトキ L'Ibis rouge
フランス/1975年/80分
監督:ジャン=ピエール・モッキー
出演:ミシェル・セロー、ミシェル・シモン、エヴリーヌ・ヴュイル

孤独な会社員ジェレミーは赤いマフラーで次から次に女性たちを絞め殺してきた。同じ界隈に住み、賭博好きレーモンは、借金を返済するために愛する妻のエヴリーヌに宝石を売るよう頼む。そんなふたりが出会い、ある計画が立てられることに......。

◆「第2回 映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~ in 関西」@出町座にて上映

「モッキーはささやかな人間喜劇の作家であり、その喜劇は年月が経つにつれ、奇跡へと姿を変えてきた。彼は自らを道徳家と見なすことはなく、寓話作家だと考えていた。暴力や憎悪、偽善と闘う自由な精神の持ち主だったモッキーは、笑いとともにそれらと闘い続けた。なぜなら敵を嘲笑することこそが最良の武器となり、観客たちに真の満足を与えると考えていたからだ。モッキーは風刺、寓話、幻想的あるいはシュールレアリスト的要素を用いて世界を語った。下品だと批判されることもあったが、彼の作品はその逆に、ある種の純粋さ、無垢さを説いてきた。 永遠の反逆者モッキーは、彼の映画の登場人物たちのように、実在する問題に対して常軌を逸しているばかげた、あるいは詩的な解決策を見出し、人生を変えようとしてきた。 モッキーは、自分の作品のもっとも忠実なる観客は子供たち、そして移民労働者たちだと述べていた。モッキーは最良の意味で大衆的な映画作家だったのだ。」

オリヴィエ・ペール(アルテ・フランス・シネマ ディレクター)

4月12日(日)

 オリヴィエ・ペールは2020年3月13日にアンスティチュ・フランセ東京にて行ったジャン=ピエール・モッキーについての講演の最後を、上記の言葉で締めくくった。「第2回映画批評月間」で、昨年のギィ・ジルに続き、フランス映画の知られざる作家、名作を特集する枠で誰を特集したいか、と同氏に尋ねたところ、すぐに名前が挙がったのがモッキーだった。その後、素材や権利の問題が生じたにもかかわらず、モッキー特集を実現させるために協力し続けてくれたペール氏の同講演の原文は「日本におけるジャン=ピエール・モッキー」と題され、以下のブログにて公表されている。

https://www.arte.tv/sites/olivierpere/2020/03/18/jean-pierre-mocky-au-japon/

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 東京、横浜では「第2回映画批評月間」が現在、中止・延期となってしまったが、京都の出町座では、モッキー、そして彼をこよなく敬愛するセルジュ・ボゾン、両監督の特集が現在開催されている。そこで4月12日、本日上映される『言い知れぬ恐怖の町』についてのペール氏による作品紹介を以下に訳出させてもらった。ペール氏のモッキーと本作への熱い想いを通して、本作の魅力を感じていただき、モッキー作品が上映される日が近いことをお待ちいただきたい。


『言い知れぬ恐怖の町』ジャン=ピエール・モッキー
オリヴィエ・ペール

 『言い知れぬ恐怖の町』はジャン=ピエール・モッキーの最良の一本である。ブールヴィル演じるシモン・トリケ警部は、逃亡した偽札偽造者の捜索に乗り出す。逃亡者を追っていくうちに、トリケ警部はオーヴェルニュ地方の想像上の村、バルジュにたどり着き、風変わりなふるまいの住民たちに出会う。そして中世の時代に首を斬られたと言われている「バルジャスク」と呼ばれる獣の存在が村の者たちのもとに恐怖の種をまいていた。

 ジャン=ピエール・モッキーは本作で、ベルギーの作家、ジャン・レーの幻想的な世界を自由に脚色しているが、そこには大いなる幸福感と原作に対する繊細な配慮が十分に感じられる。主役のトリケ警部を演じるブールヴィルを取りまくのは、モッキー作品の常連俳優たち(ジャン・ポワレ、フランシス・ブランシュとその風変わりな子分たち)、そしてフランス映画のかつての名俳優たち(ジャン=ルイ・バロー、ヴィクトル・フランセン、レイモン・ルーロー)がとりわけ奇抜でエキセントリックな役を演じている。バーレスク的かつシュールレアリスト的調子をともなって幻想映画のジャンルに闖入してきたこの驚くべき作品は、公開当時、あまりにも突飛とされ、理解されることがなく、観客の入りもよくなかったため、配給会社からは再編集を求められ、より観客受けするようにと、タイトルも『大いなる恐怖』に変更されてしまった。しかし今回は喜ばしいことにモッキー自身によって監修された真の「ディレクター・カット」修復版、つまり完全版で特別にご紹介させていただく。主役を演じるブールヴィルの魅力的な演技(モッキー作品のブールヴィルはつねに素晴らしい)、そして偉大な作家レーモン・クノーによるユーモアと言葉への愛が詰まっている台詞(契約上の問題でクレジットされていないのだが)が大いに貢献している、滑稽かつ感動的な本作、そのゾクゾクさせる不気味さと、突拍子もなさをたっぷり味わって頂ける貴重な機会となるだろう。

 モッキーにブールヴィル、クノー、ジャン・レー、そして心ゆくまで楽しんで演じている傑出した俳優たち、そして忘れてはならないのが、映画史上もっとも偉大な撮影監督のひとりオイゲン・シュフタン。このように素晴らしい才能が結集し、モッキーのフィルモグラフィーの中でも他に類がない成功作品となった『言い知れぬ恐怖の町』は、60年代以降、あまり試みられることがなくなってしまったフランス映画の貴重な水脈、「詩的幻想作品」の中に位置づけられるだろう。

著者原文:https://www.arte.tv/sites/olivierpere/2013/08/19/la-cite-de-lindicible-peur/
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言い知れぬ恐怖の町
フランス/1964年/92分/モノクロ/デジタル
監督:ジャン=ピエール・モッキー
出演:ブールヴィル、フランシス・ブランシュ、ジャン・ポワレ、ヴェロニク・ノルデー ほか

逃亡した偽札偽造者の捜索に乗り出したシモン・トリケ警部は、オーヴェルニュ地方の想像の村、バルジュにたどり着くのだが、そこには摩訶不思議な住民たち、出来事があふれていた......。ベルギーの幻想小説家ジャン・レーの原作を自由に、幸福感と繊細さとともにモッキーが映画化。モッキー作品にかかせない俳優のひとり、ブールヴィルが風変わりな警部役を魅力一杯に演じている。

世界で隠れて見えないものたち

坂本安美

4月10日(金)

 「それが何なのか私だって分からない、ただ我々と同じ生きものではあることは確かであり、もしかして我々のことを好きなのかもしれないよ。ぴったりくっついている(tout contre)と同時に、敵対(contre)もしている、そう『女性たちにぴったり寄り添っている(tout contre)と同時に、彼女たちに逆らい(contre)もする』とサシャ・ギトリが言ったようにね」。4月8日(木)、インスタグラムにて配信されたマスタークラスの中で、現在、世界中で猛威をふるっているウイスルについて質問されたゴダールは、サシャ・ギトリの有名な一文を引用して、微笑みさえ浮かべてさらっとそう答えてみせた。「反する」という意味と、「ぴったりくっつく」という、相反する意味を持つ「contre」という単語を用いて、ゴダールはウイルスは我々の敵でありながら、この世界の中の生きものとひとつであるという当然の事実にあえて立ち返ってみることを促す。当初は一時間以内で予定されていながらも、一向に疲れを見せることなく、時に辛辣な言葉を交えながらも、茶目っ気のある笑みを浮かべながら、一つひとつの質問に丁寧に応じる89歳の巨匠のインタビューは、最終的に一時間半も続くことになった。その中でゴダールが何度か口にした「アクション」、「リアクション」というふたつのシンプルな言葉が、上記のウイルスについての発言とともに頭の中で響き続けている。「絵画とは手によるアクションである」、「コンピューターを打つ手、それはアクションではない」、「印象派とは写真の誕生へのリアクションで起こった運動だ」、「科学、それもまたアクションである」......。

 世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略投資効果局長の國井修は朝日新聞のインタビューで次のように述べている。「新型コロナとの闘いはまだ終わっていませんが、今回のようなパンデミックは今後も起こりえます。昔なら地方の風土病で終わっていたものが、都市化や交通の高速化、地球環境の変化などで世界に広がるようになっています。(...)抗生物質の過剰使用による新たな耐性菌は確実に増え、地球温暖化で蚊の生息域が広がりマラリアの流行拡大も報告されています。(...)微生物からすれば、自らの生存のために変異しながら人間への親和性を高めているのかもしれません。環境や自然を含む地球の健康と人類の健康を総合的に考える『プラネタリーヘルス』を発展させ、人類と微生物との共存を模索することも大事だと考えます。(...)世界で隠れて見えないものをもう一度見直してほしいのです」(「朝日新聞」3月25日朝刊)。その肩書きを読み、正直このような団体が存在していることにさえ知らずにいたのだが、同氏の言葉は、いたって明瞭であると同時に、見えない危機を前に右往左往しがちな今日この頃、インタビュアーがふと漏らす言葉の通り、「現状を異なる風景として」浮かび上がらせてくれる。

 あるいは3月14日にフランスの国営ラジオ局フランス・インテールでインタビューされた政治学者のベルトラン・バディは「社会」が再び発見される時だと述べる。新自由主義が支配していた世界で、経済成長は持たざる者たちにもいいことであると説かれてきたが、2019年に世界各地で、まったく別々ながらも同時多発的に起こった社会運動、そして現在のこの状況がそれが誤りだったことを物語っている。他者というもの、他性についての解釈をあらためる時がきている。社会への回帰が起こっている。ホモ・エコノミクス(経済人)ではなく、「人間」による社会への回帰が。「自分が勝利するためには、相手は敗北しなければならない」、というのがこれまでの解釈だったとしたら、新たな、グローバル化の真の文法、教えとは、「自分が生き残り、勝利するためには、相手も生き残り、勝利しなければならない。つまり、他者を守ることが自分の利益にもなる」。バディはおおよそ、以上のようなことを述べていた。そしてこのバディの言葉は、「全体が調和していく、全体として栄えていくような形にしないと再生はない」と述べる哲学者の西谷修の言葉とも共鳴しているように思える。

 ウイルスという危機に対面し、神経をとがらせながら、自分たちの健康、生命、そして日々の生活を守ろうとしている現在、「人類と微生物との共存」について考える余裕などないと言ってしまえばそれまでだろう。しかしこのウイルスという「我々と同様に生きているもの」、そして「隠れて見えないもの」、そのすべてと共にこの世界を、勇気と英知を持って、新たな目で見つめ直すしか、この闇の中を進んでいく術はないだろう。ご多分に漏れず、見えない不安の前でおろおろと怯えながらも、アクション、リアクションととりあえず、日々、つぶやき続けようと思う。

 ゴダールはウイルスについての先の発言の後、『ゴダール・ソーシャリズム』でも引用しているジョゼフ・コンラッドの次の言葉(しかし実はヘンリー・ジェイムズの!)をつぶやく。「私たちは闇の中で仕事をするーーできることを行い、持っているものを与える。私たちの疑問、それは私たちの情熱であり、情熱こそが私たちの務めである。残りは、芸術の狂気である。」

アクションとリアクションーーJLG とともに

坂本安美
4月7日(水)

 日本ではなにやら世の中を大きく変える宣言とやらが出されたようだが、何が変わる、変わらなければならないのか。たしかに健康は、命は大切である。それが危険に冒されていることは否定できない現実として目の前にあるのだが、そのことを理由に、どんな補償を受けられるのかもほぼ不明なまま、私たちは様々なことを阻まれ、自由が大きく制約されようとしている。

 はたして命や健康が危険に冒されていることが怖いのか、そうした危機の名のもとに、昨日まで、数ヶ月前まで当たり前だったことがすべて断ち切られ、明日の生活も補償されず、将来の見通しがまったく見えないことが怖いのか。あいまいな状況のあいまいな不安のなんと気持ちの悪いことか。

 そんな日の夜、海の向こうにいる「世界一クールな男」が私たちの携帯の中にライブで現れるという。気持ちの悪い不安はおきざりにして、とりあえずワイングラスと携帯を持って今宵を過ごそうではないか。そしてジャン=リュック・ゴダールは緑のチョッキを着て、葉巻を片手に、涼しい顔で世界中から送られてくるコメントや絵文字とともに私たちの前に登場した。

 1時間半のそのインタビューをそのままここで訳出するよりは、まず彼が毎日かかさずパートナーのアンヌ=マリー・ミエヴィルと共に読んでいるという仏日刊紙「リベラシオン」の若き批評家、リュック・シャセルによる卓越したテキストを以下に訳出したい。同紙文化チームは、4月から週末を除き、毎日ニュースレターを配信している。インタビューからほんの1時間後にメールボックスに届いた4月7日付けレターのエディトリアルが以下の文章である。



GODARD, PAS À BOUT DE SOUFFLE AU TEMPS DU COVID-19
ゴダールはCOVID-19の時代にも息切れ(à bout de souffle)することがない

リュック・シャセル

1305609-godar_ecal_instagram.jpg 「テクノロジーに勝利した世界は自由に敗北してしまった」。ジャン=マリー・ストローブの最新短編作品で、レマン湖岸を背中を向けて歩ているひとりの男が最後に呟く言葉である。『ロボットに対抗するフランス』(2020年/夜と昼の2バージョンで10分)、ジョルジュ・ベルナノスによる同名の社会を風刺した文書(*1)の一節による反テクノロジーの革命の呼びかけは、ストローブによってロールの自宅に籠城している隣人、ジャン=リュック・ゴダールに捧げられている。本作は4月5日よりサイトKino Slangにて無料配信されている。そしてその配信スタート日から2日もあけずして、つねに偶然が物事を成しているかのように見せながら、JLGは彼なりの方法でストローブへ応答することになる。
 本日の午後1時間半の間、ローザンヌ州立美術学校のインスタグラムにてスイスの映画監督リオネル・バイアーの質問にライブで答えたジャン=リュック・ゴダール、その顔の下に次々と映し出されるユーザーたちからのコメントのひとつにあるように「世界一のクール・ガイ」は、マスクではなく葉巻を口にくわえ、いつものように、出来事を作りだした。おそらくパンデミックが起こっているこの時だからこそJLGの基本的とも言える言葉が私たちにより強く響いてくるのでないだろうか。優しくも残酷で、寛大かつ控えめな彼の言葉は、それが述べられている現状を描写し、その覆い(マスク)を取り外そうとするのみである(それに対して、質問者は現在流通している防御用マスクをきちんとつけている)。それでは今回、ライブ配信というメディアで、そのかぼそい声に注意深く耳を傾ける者、あるいはまったく傾けることのない者たちによる、スクリーン上のあらゆる言語、絵文字のラブコールに対し、読むことのないロールの予言者の口から人々は何を聞くことになったのだろうか?
 「ウイルスはコミュニケーションであり、他のものを必要とする。隣人のもとを訪れ、そこに入るために。たとえば幾羽の鳥たちが隣の巣を訪れる、そこに入っていくように。ネットでメッセージを送るとき、そのメッセージがどこかに送られ、そこに入るために、誰か別のものを必要とするように」。ゴダールは情報理論に触れながら、おおよそ以上のようなことを述べた。そしてしばらくして再びこう続けた。「ウイルスはコミュニケーションである。私たちが今まさにしているように......。それで死ぬことはないかもしれないが、それによってうまく生きることはできないかもしれない」。そしてゴダールは最近しばし口にする彼の思考、つまり(アルファベット、そして、通常であれば経済成長を示しているが、現在は感染数の上昇を示す資本主義的成長カーブによって固定しようとするーーJLGによるいつもの天才的ひらめきが感じられる批評だ)「言語 langue」と、「口にされる言葉(パロール)と映像(イメージ)の混合」、映画が時に可能とするその混合としてある「言葉 langage」の対置についてここでも語ってみせる。そう、午後のひと時、テクノロジーに勝利した病める世界における言葉(パロール)と映像(イメージ)が伝えてくれるのは、ジャン=リュック・ゴダールのもとでは必ずしもそうではないということ、すなわち世界はまだ必ずしも自由に敗北してしまったわけではないということなのだ。

[著者原文]:https://next.liberation.fr/cinema/2020/04/07/godard-pas-a-bout-de-souffle-au-temps-du-covid-19_1784498
(*1)『ロボットに対抗するフランス』はジョルジュ・ベルナノスが1947年に発表したエッセー集であり、産業化した社会への厳しい批判を綴った幾つかのテキストが集められている。ベルナノスはここで機械化は人間の自由を制限し、思考方法まで混乱させると述べている。