特集『ONODA 一万夜を越えて』

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

 10月8日(金)より公開されたアルチュール・アラリ監督の新作『ONODA 一万夜を越えて』。今年の「第74回カンヌ国際映画祭」では「ある視点」部門に出品されたのち、先行して公開されたフランス国内での評価も著しい本作は、太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けることなく、1974年3月に作戦任務解除令を受け、30年後のフィリピン・ルパング島から日本へ帰還した小野田寛郎旧陸軍少尉に焦点を当てた物語だ。
 小誌では「特集『ONODA 一万夜を越えて』」と題し、アルチュール・アラリ監督のインタヴュー(近日公開)と本作を巡る3つの論考を掲載する。
『ONODA』が描く“何が起きても必ず生き延びること”、また小野田寛郎という人物に深く迫るとともに、この特集がスクリーンを前にした日本の多くの観客たちへと届くことを強く願っている。

アルチュール・アラリ 特別ロングインタヴュー
歌うこと、それは生きること

2021年9月17日 パリのアラリ宅にて
インタビュアー 坂本安美(結城秀勇、隈元博樹)

 『ONODA』を発見したのは、2021年6月パリ、カンヌ国際映画祭前に行われた試写だった。本作の製作を支援しているアルテ・フランス・シネマのディレクター、オリヴィエ・ペール氏の計らいにより逸早く観ることができた本作に、冒頭から引き込まれ、ジャングルの中へと身体ごと導かれていった。出演している俳優たち、そして彼らが生きる現実がとても身近に感じられ、今を生きる私たちに直接語りかけてくる切実さ、そして普遍的な広がりを持つ本作に魅力された。前作『汚れたダイヤモンド』にもましてフランス映画の枠を果敢に超えていき、映画の古典的な醍醐味と現代映画の可能性を見事に融合させてみせたアルチュール・アラリ監督に話を聞きたく、再び訪れたパリ滞在中にインタヴューを申し込むと、すぐに快く応じてくれた。9月半ばながら、まだ夏の陽射しと暑さが残る午後、シャブロル通り(!?)にあるご自宅に迎えて頂き、娘さん、そして仕事上でも協力し合うパートナーであるジュスティーヌ・トリエ監督を紹介頂く。1時間半に及んだインタヴュー、一つひとつ丁寧に答えてくれたアラリ監督からは、この作品をどれだけ大切に企画、準備し、苦労しながらも信念を持ち続けて実現していったか、そして映画に関わったスタッフ・キャストへの深いリスペクト、友情がその言葉、真摯な話ぶりからひしひしと伝わってきた。そしてアラリ監督の才能を逸早く発見し、監督と日本との架け橋となったひとり、2019年に永眠されたプロデューサーの吉武美知子さんへは感謝してもしきれないと述べ、本作のエンディングでも彼女への謝辞がひときわ大きくクレジットされている。今回、日本公開のために来日できないことはとても残念であり、辛いが、近いうちに日本を訪れ、俳優、スタッフの人たち、観客の皆さんと会うことができるのを信じている、と力強く述べる監督と日本での再会を約束し、別れた。

現実、そしてもうひとつの現実

──あるインタヴューで、監督は「小野田の話は現実との関係において私の心の内奥に語りかけてきました」と述べていました。あなたの映画を観て、もちろん日本のある歴史が描かれているわけですが、それを超えて、私たちの生きる現実もそこに見えてくるように感じました。ここで述べられている「現実」とは当時の、というだけではなく、より広い意味で理解してよろしいのでしょうか?

アルチュール・アラリ(以下、AH) はい、1940年代、そしてそれからの20世紀の現実だけではなく、より広い意味で、私たちが現実と結ぶ関係について述べたつもりです。実際の生、現実とされているものと、それを構築する思考、あるいはフィクションというものとの距離について、私は幼い頃から、現実とは異なる、別の物語、別の現実に身を投じる必要を感じてきて、それはまず映画であり、小説でした。そうした現実との関係のメタファーとして、小野田の話に興味を持ちました。しかし当初は、現在私たちが生きている現実との関係でこの映画を構想しているつもりはありませんでした。ポスト・モダン的世界、インターネットや、恐怖を感じさせる狂信的な宗教信仰への回帰や、陰謀論などは、脚本を執筆している段階においてはじめてそこに見えてきました。つまりジハード(聖戦)、フェイクニュースのような現代の出来事とこの映画のテーマが明白に共鳴し合っているのに気づき始めたのです。そして撮影し、編集していくうちに、それは明白となってきて、スタッフみんなもそのことを語り始めたぐらいでした。でも私自身がそうした現代の様々な出来事を脚本に加えようとしたわけではなく、語ろうとしているテーマの中にすでに現代で起こっていることと共鳴するものが存在していたのです。

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撮影:ジュスティーヌ・トリエ

アルチュール・アラリ(Arthur Harari)

1981年フランス・パリ出身。
祖父は俳優・演出家のクレマン・アラリ。兄は撮影監督のトム・アラリ。
パリ第八大学で映画を専攻。長編第1作となる『汚れたダイヤモンド』(2016)は、フランス批評家協会賞・新人監督賞のほか、多くの映画賞を受賞、最も実力のある新鋭監督として注目されている。また俳優としても活躍、私生活のパートナー、ジュスティーヌ・トリエ監督作などに多数出演している。

フィルモグラフィー

<監督>
2021『ONODA 一万夜を越えて』
2016『汚れたダイヤモンド』
2013『PEINE PERDUE』(短編)
2007『LA MAIN SUR LA GUEULE』(短編)
2006『LE PETIT』(短編)
2005『DES JOURS DANS LA RUE 』(短編)
<俳優>
2019『SIBYL』ジュスティーヌ・トリエ
2017『ライオンは今夜死ぬ』by 諏訪敦彦
2016『ヴィクトリア』by ジュスティーヌ・トリエ、『DARK INCLUSION 』、『LE DIEUBIGORNE 』by いずれもベンジャミン・パピン(短編)
2013『ソルフェリーノの戦い』by ジュスティーヌ・トリエ
2011『PANEXLAB』オリヴィエ・セロール(短編)

10月8日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開

公式サイト:onoda-movie.com


『ONODA 一万夜を越えて』
監督:アルチュール・アラリ
脚本:アルチュール・アラリ、ヴァンサン・ポワミロ
プロデューサー:ニコラ・アントメ
撮影監督: トム・アラリ
編集:ローラン・セネシャル
美術:ブリジット・ブラサール
衣装:カトリーヌ・マルシャン、パトリシア・サイーヴ
サウンド:イヴァン・デュマ、アンドレアス・イルドブラント、アレク・“ビュニク”・グース
出演:遠藤雄弥、津田寛治、仲野太賀、松浦祐也、千葉哲也、カトウシンスケ、井之脇海、足立智充、吉岡睦雄、伊島空、森岡龍、諏訪敦彦、嶋田久作、イッセー尾形
2021年/フランス、日本、ドイツ、ベルギー、イタリア/アメリカン・ヴィスタ/174分

小野田の物語の厚みと混濁

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

三浦哲哉

 本作を見る前に、未読だった小野田寛郎の体験記『わがルバン島の30年戦争』(実際は津田信による聞き書き)を手に取ったのだが、ドス黒い闇に引きずり込まれるというのか、読めば読むほど視界が不透明になっていくような、なんとも奇妙な話が展開するので、魅了されつつ一気に最後まで読まずにいられなかった。
 小野田は、陸軍中野学校二俣分校で諜報の技術を教えられる。第二次世界大戦が終結したあとも引き上げ命令を無視してルバン島に居残り、数名の部下とともに「遊撃戦」を継続する。その期間がなんと30年。その間、小野田の兄や父が何度も捜索隊を結成してルバン島を訪れ、帰還を呼びかけた。戦後の世界がどうなっているかも様々な手段で示した。けれど驚くべきことに、小野田はそれが敵国の謀略であると解釈しつづけた。当時の日本の新聞記事や雑誌の切り抜きなどの情報もすべて、敵の諜報局が作り出した現実そっくりの虚構である、と考えつづけたというのだ。そこが異様でぞっとする。

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みなし子の「自然塾」

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相澤虎之助

 地平線というものを生まれて初めて観たのはブラジルだったと思う。今から30年ほど前に高校生だった私は、夏休みを利用してブラジルの中西部の街カンポグランデの郊外にある街の教会にホームステイさせてもらっていた。そこから日系移民の子供たちを教える学校まで行ってボランティアをしながら小学生に絵を教えたり、中学生に英語と日本語を教えたりしていた。実際は子供たちと一緒に絵を描いたり、中学生たちに逆に英語を教えられたりしながら一緒にビリヤードをして遊んでいただけだったのだが、日本の学校と違ったのは校門の前には麻薬の売人がいて生徒にコカインを売っていたことだ。日本からブラジルに派遣されている神父さんと共に、山に住むインディオたちの村まで行ってミサをあげる手伝いもした。インディオの村には教会が無かったから茅葺きの集会場に椅子を運んだり、カンタンな祭壇を作ったりして定期的にミサを行っていたのだった。
 村からの帰り道、南米大陸のどこまでも続く広陵の一本道を走る車に揺られながら、その果ての地平線に沈んでゆく夕陽に感動しているとハンドルを握っている神父さんが「ほら、見てごらん。トラックのドライバーが銃の試し撃ちをするから、みんなこうなっちゃうんだよ」とロードサイドの穴だらけになった道路標識を指差して笑った。しばらくして、とある牧場の前を通り過ぎながら「ここはあの小野田少尉の牧場だよ、フィリピンの」と神父さんが言った。「え、最後の日本兵の?あの小野田さんですか?」と高校生の私は聞き返した。80年代も終わろうとしていた当時でも小野田さん生還のニュースは年に1回ぐらいはなんらかのカタチで報道されていたし、確か歴史の教科書にも記事が既に載っていたように記憶している。小野田さんはフィリピンから日本に戻ってその後ブラジルに渡って牧場をはじめていたのだった。

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俺存在した?

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梅本健司

 1999年、私が生まれてから二週間少し過ぎたあたりに、どうやら一人の男が冷蔵庫の下敷きになって死んだらしい。彼にとって人生の半分弱にあたる10年間を昏睡状態で過ごしたばかりだったというのだから、目覚めた後も彼はどこか夢を見ているようだったのかもしれない。逝く直前に、彼は天を仰ぎながらそこに居合わせた男に聞く。「俺存在した?」。男は答える。「お前は確実に存在した」。
『ニンゲン合格』の忘れることができないこのシーンを、しかし今更ながら思い出してみたのは、牧場に仰向けになった西島秀俊とは逆に、上空に連れ出されて、下方の遠ざかるジャングルを見つめる小野田寛郎の顔を見たからである。彼が戦地を飛び去る直前に見ることになったその光景をどう感じたのか。それを想像できるほど、小野田に扮する津田寛治の顔にはわかりやすい演出が施されていない。高所恐怖症で航空兵になり損ねたのだというのだから、こんなにも上空からルバング島を望むことを彼は予想だにしなかったのかもしれない。ただ、「私は存在したのか?」と、小野田も問うているように思えてならない。無論、現実に彼は存在した。NHKで放送された小野田寛郎の特番のなかで、父親を小野田に殺されたというフィリピン人が「彼を殺したかった」と包み隠さず話していたことが忘れらない。小野田のつけた傷は今でもルバング島に残っている。だが、映画『ONODA』が問題にしているのはそうしたことではない。西島秀俊にとっての役所広司のような人物も、小野田の30年間、ただその時間が存在したことを肯定することなど出来なかったし、もちろん見下げたジャングルは、ただ彼の踏み締めた大地を覆うばかりで彼に関心などあるはずもない。彼が生きた30年間の虚構ともいえる生を終わらせたのは、「現実」ではなくまた別の虚構でしかなかった。では、「私は存在したのか?」という問いは、あの空で、文字通り宙吊りにされたままだったのか。

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アルチュール・アラリ インタヴュー(nobodymag過去掲載)