2003/12/9(tue)
映画版「名前のない森」青山真治(2002)
と「東京YMCA野辺山高原センター」内井昭蔵(1977)について

 

 

1
樹木というのは、ある程度系統化してとらえるならば、幹、枝、葉、根などからなっていて、それぞれがある程度の統帥の原理によって形態を構成している。一つ一つの原理はわりと単純なものだから、例えばどの枝を見ても、それが枝だということはすぐさまに分かる。そうした、一つ一つが単純な原理でできあがっているいくつかの系統が組み合わさった樹木というものの全体の形態は、一見同じように感じるが、しかし少しでも目を凝らせば一つとして同じものがないことがわかる。そういった樹木がいくつか集まってつくられる森もやはり、ある統帥の原理によってできあがり、同じように一見単純な集まりのように感じるが、やはり一つとして同じ形態にはならない。というようなことは、誰もが頭の中で整理する事ができるように思えるが、私が「名前のない森」というフィルムを観ていて思ったのはもう少し違う事だった。
「名前のない森」においていくつか森を写したカットを記憶している。確か森を遠景から、しかし森の輪郭が解らないように写し、徐々に動いていくカット。誰だったか有名な画家が描いた絵のような見事な冬枯れの針葉樹が、斜面に立ち並ぶカット。濱マイクが自分に似た木を見つけて、あたりを見渡すカット。山本金融が濱マイクが森をさまよい下りてくるのを見つけるカット。そしてエンドロール付近の遠景のカット。
この中で私が一番に複雑なものを観ていると感じたのは、ファーストカットの遠景からのそして輪郭のない森だ。頭の中で整理される森の問題とは、幹、枝、葉、根という単位があり、それが樹木という単位を造り、その樹木が集合して森という単位をつくるが、単位自体のなかに複雑性を実は含んでいて、本当はもっと複雑な関係だ、という様な問題だが、いくつかの森のカットを思い出して感じるのは、そういった単位自体がまったく感じられない、というかもはや単純も複雑も感じられない、無秩序でもなく、ただ理解を拒否して存在のみするような状態というのが実は決定的なフレーミングとして存在するということである。いつも単純のなかに複雑が潜んでいるというのではなくて、ある瞬間だけあるスケールだけにそれは起こるのである。
2
内井昭蔵はこのフィルムの舞台となった「東京YMCA野辺山高原センター」を設計するにあたって、やはり森というメタファーを用いてる。例えばロビーに林立する柱は木をシンボライズしたものであり、柱の表面には凸目地があり、その頂部は枝のように広がっている。建物全体も、通常の青少年施設がむしろ全体的合理性や簡素さに特徴があるのに対して、この建物では複雑さや単純な合理性の回避に特徴がある。むき出しの構造性ではなく複雑な意匠と詳細を持った柱、起伏を生かして分棟配置される施設の回遊性というように、つくられている。そうした具体的な事象の積み重ねこそを内井は「複雑」なものであると考え、それを「装飾」であると呼び、青少年はこの自然と装飾の融合の中で精神を育てるのだと述べている。このフィルムにおいて、内井の意図は充足されたかに見える。自己啓発セミナーの人間は、内井が考える青少年像そのもの(本当にやりたいことを模索している)であり、そこでの生活も内井の描いた青写真通り(自然と親しみ、自分と向き合う)である。しかし、彼らは殺人を望み、自殺を望んでしまう。そして今私は、内井の求めるボーイスカウトより青山氏が描く人たちがあの施設には似合うように感じてしまうのだ。

内井の森はまやかしであった。まやかしが何であるのかはもはや見えていても良いはずなのだが、どうやら我々もマイクのように何かを見落としてしまっているようだ。

(隈研吾建築都市設計事務所 藤原徹平)

 

2003/11/22(sat)
ジャン・ヌーヴェル展@東京オペラシティアートギャラリー

 

 

「会場は大変暗くなっておりますので、足下にお気をつけください」、そう注意を受けて足を踏み入れたのは、照明が極端に抑えられた一室である。そこでは壁一面に配された数多くの小さな写真だけが光っている。5×10程のその小さなポジフィルムは、背後からの光を通して色鮮やかにその「透明性」を晒している。(2時間半近くかけてすべての展示を見終わってからわかったことなのだが)他の部屋で投射されるスライドの原版のすべてがおそらくこの部屋に展示されている(もっともそれを確認するために最初の部屋に戻る気力もなかったので定かではないが)。「アラブ世界研究所」「カルティエ財団現代美術館」「ギャルリー・ラファイエ」「トゥール国際会議センター“ヴィンチ”」等々、ヌーヴェルの代表作の写真が所狭しと並べられており、黒い壁面に映り込む外界からの光というモチーフ(しかもそれがフィルムの「透明性」に支えられている)は、確かに彼の80年代後半から90年代初頭にかけての「代表作」を包むイメージとぴったり符合する気はする。だが、それらの写真は一枚一枚が順不同とでも言おうか、「カルティエ」の隣に「ヴィンチ」、その隣に「ネモージェス」、その隣にまた「カルティエ」……といった具合に全く周囲のコンテクストから切り離された形で存在している。この各々の細部を併せ持つある途方もない大きさの建築を夢想し、そこに閉じこめられたような気分になり気が重くなる。その細部はいったいどんな全体を持つのか、可能な限りの順列組み合わせの計算に目眩がしてこの部屋に掲げられたジャン・ヌーヴェルの言葉の中にこんな一文を見つけてしまう、「ある建築の一部分を一瞬だけ見せられることほど欲求不満になることはない」……。
あらゆる写真が最初の部屋にあると述べたが、他の部屋にはいったい何があるのかというと、実現されなかったプロジェクトあるいは現在進行中のプロジェクトといった、写真には取り込むことのできないものが、デジタル・プリンタによってプリントアウトされた形で展示されている(唯一の例外が「電通本社ビル」ではなかったろうか)。照明の効果によってこれらの作品も前述の写真と同様に暗闇に浮かびあがるように写るが、光を取り込んだ素材とそれによって投射される映像に対する、レーザーによって排出された色彩というコントラストはそれなりに興味深くもあった。写真になった現実に存在する建築とプリントアウトされた現実には(まだ)存在しない建築。だがこれら200点以上に及ぶ画像の数々の関係を構成するだけの情報が私にはない。1作品につき3、4枚の画像からでは、いかなる全体像も把握できない。無数の穴が穿たれた暗い部屋・・・・の中で重なり合う図像を前に、この部屋の外の世界はいったいどんな様相を示しているのか把握できずに困惑する。実物大に近いサイズで投影される映像によっても(たとえそれがその場で録音された音響とともに投射されていようとも)、ひとつひとつの画像の間の距離や関係性を実感することができない。
暗い部屋々々を抜け出たところには、ウィンドウズのコンピュータが何台かおいてあって、図面やより詳細なデータが見られるようになっている。ここで初めて、これまで得られた映像を構成する機会が得られるのだが、通り過ぎてきたすべてを再び振り返る気にはなれない。暗い部屋のスペクタクルはいったい何だったのかと思ってしまう。
暗い部屋のスペクタクルは外界の存在を映し出すことで初めて魅惑的なものとなる。外からの光がピンホールを通して壁上に作り出す光景。映画の比喩で語られるヌーヴェルの建築も、その結果だけを外からの光なしに壁に映し出しても、ただキレイなだけだ。先ほどのヌーヴェルの言葉どおり、建築を見るためには視点の運動とそのための時間が必要だ。それなしには網羅的に集められた(といっても「アラブ世界研究所」以前のものは存在しないのだが)膨大な画像もキレイで「透明」なだけ。ある定点からの遡及的観測の限界だけが実感される。

(結城秀勇)

 

2003/09/03(wed)
「JR渋谷駅ファサード」隈研吾

 

 

8月中旬はあれだけ涼しかったというのに、今頃になって暑くなってきた。電車の中吊りで見た週刊誌の記事によると、今年の秋は猛暑になるらしい。ついこの間まで空一面を覆っていた雲もめっきり姿を見せなくなって、ぎらぎらとした日差しが指すようになっている。
めっきり姿を見せなくなった、といっても、曇りの日に空を見上げてばかりいたわけではないので、雲の存在というのはその不在による日差しの強さや熱気で知ることになる。実際、30度を超える快晴の今日も、よく見ればちらほらと浮かんでいる雲の姿を目にすることができる。とあるサイトによると、快晴というのは雲の空全体に占める割合が0〜1割のときで、晴れが3〜8割、9〜10割になると曇りで、雨が降ったら雨、ということなのだそうで、8割も雲があっても晴れと感じるということは、雲というのは案外透明度が高いものなのだな、と思った。
そんな雲が今年の4月からJR渋谷駅のハチ公口にあしらわれているのに気がついた人も多いかと思う。7月には南口の壁も同様に改修され、合わせガラスにプリントされた雲の姿はバスターミナル越しにも窺えるようになった。ファサード全体に対して雲の占める割合は6〜8割といった印象で天候的にはかろうじて「晴れ」といったところだが、それでも透明度はかなり高い。JR山手線のホームからプリントガラス越しに目にする駅前の風景は、微妙な高さとも相まって非常に新鮮な感じがする。
駅の外側から眺めると、曇りの日にはガラスの質感が目立って雲の姿はさほど気にならないのだが、晴れの日にはその姿をくっきりと浮かび上げる。中には空にまばらに浮かんでいる実際の雲の影が紛れ込んでいたりもして、不在によることのない雲の存在を確かめる手がかりを提供してくれる。
あるいは、雨が降らない限り見上げることもないような、都会には無いといわれている広い空を、文字通り「谷」と化している渋谷の光景の中のその切り通しの向こうに確かにある空の存在を、確認する機会も与えてくれる。

(結城秀勇)

 

2003/05/05(mon)
安藤忠雄建築展2003 @東京ステーションギャラリー

 

 

<4月某日>
六本木にてJ=P・リモザン監督へのインタビューを終え、東大安田講堂へ向かう。大学院主催、安藤忠雄記念講演会「建築の可能性を語る」。<定員1200名、先着順>と案内にあり、開演前に入れば端っこの方にでも座れるだろう、とタカをくくっていたのが間違いだった。正門をくぐるといつにない人混みで、太い列が200mほど続いている。これはどれだけの人数が並んでいるのだろうと、目算してみる。新宿ミラノ座の座席数を想起して、目の前の群衆をそこに座らせてみる……やはり1000人以上いるな。すでに開場しているから講堂内にも大勢いるだろう。早々と講演会をあきらめ、東大病院に入院している身内を見舞うことにする。病院から帰るとき講演は始まっていたのだが、安田講堂前にはまだまだ長い列が続いていた。

<4月某日>
昨日のリベンジということで、今日は東京駅へ。安藤忠雄建築展2003「再生─環境と建築」。
六甲の集合住宅から同潤会青山アパート建替計画まで、安藤忠雄の代表作が展示されていて、展示数は多くないが大まかに安藤忠雄建築を知ることのできる構成だ。大規模なプロジェクトが中心に展示され、住吉の長屋やTIMEユSといった小さな建築の代表作がなかったのが残念だ。
『愛の世紀』(01)とともに思い出されるスガン島のピノー美術館プロジェクトは知っていたが、兵庫県立美術館とフォートワース美術館は、模型も写真も初見だった。兵庫県立美術館は湾岸にあって大きく海を見渡せるように窓が配置されている。海を見渡す眺望といえば、たとえば六甲の集合住宅、直島コンテンポラリーアートミュージアム、最近ではBRUTUS個人住宅プロジェクトなどがある。環境や立地に配慮した安藤忠雄らしいモチーフだと思う。フォートワース美術館は建物の外部に水を張り巡らし、やはり窓から水を望む建築である。その窓の上には大きな庇(ひさし)がある。これは兵庫県立美術館にも共通していて、推測するに、日光の直射から芸術作品を守るためなのかもしれない。そうであるならば、とうぜん館内を訪れたお客さんもまぶしい思いをすることなく芸術鑑賞ができるわけだし、それと同時に、明るい光がそそがれた窓外つまり海へ視線を誘われることになるだろう。
環境に立脚した建築をつくりあげ、大きく広い眺望を提供する。そこに住む者や通う者の生活の中に建築がとけ込んでゆけば、当然その視覚的体験も彼の身体の一部になるだろう。そうして、建築によって変容された視線で街を見つめることになるのだ。建築は、人々の身体を通して、外部へ環境へと広がる契機を得るのかも知れない。
期待とともにがっかりもさせられた同潤会青山アパート建替計画。安藤忠雄の計画案では、3・4階部分が住宅になるという。ドローイングを見ると住宅の窓はケヤキ並木よりも高い位置にある。おそらく、向かいのヴィトンビルと同じ程度の高さになるのだろう。そこで新しい視線を得た人々が、表参道の坂を下りながら街を見つめ直す、その後の変容を楽しみにしたい。

(衣笠真二郎)

 

2003/05/04(sun)
下馬の4軒長屋(北山恒)

 

 

テラス下馬ストラータの隣に「下馬の4軒長屋」が完成した。北山恒の足跡をたどると、「Plane+House」以来、テラスハウス方式を自らのエクリチュールにしているように思う。東京の狭い敷地面積の上にいかに充実した住空間を創造しうるかが問題の中心だ。そこには階によって価格をアメニティが異なる従来の集合住宅とは異なる、すべて平等な価値観が充満し、同時に、バリアフリーという現在住宅のキータームのひとつからも晴れやかに背を向け、文字通りの意味で狭さを明るい広さに変貌させる方法論が見られる。「下馬の4軒長屋」はその究極だ。20平方メートルほどの平面に80平方メートルの空間を実現するためには、単に4層にすればよいわけだが、高さ制限、明るさ等、多様な困難が、その実現のために立ちはだかっている。3階建てしか不可能な高さ制限のある場所では、常識的に20平方メートルの敷地では60平方メートルの空間しか確保されないはずだ。だが地下をつくればどうだろうか。それが80平方メートルになる。だが、地下に自然光を取り入れるためにはどうすれあよいのか。明るい地下室をつくるためにはどうすればよいのか。アクセスの通路にガラスブロックを張れば地下は明るくなる(下馬の4軒長屋)したり、1階のエントランスをガラス張りにして、2階まで吹き抜け(テラス下馬ストラータ)にすれば採光のよい「地下空間」が実現する。住む人が「階段を上がり下りする」決意をすれば、住空間における魔術は完成するだろう。
単純な構造(20X4=80)から出発し、その単純で決定的な事実の実現を拒否する要素をひとつひとつアルカイックな方法で消していく。北山恒の作業はそれにつきている。意匠を凝らすのとは正反対の単純明快な晴れやかさ──北山の近年の作品を包み込んでいるのはそうしたことだ。そして同時に、そこには建築の美意識についての革命が隠されていることも忘れないようにしよう。単純な構造物こそ美しいのであって、その上に行われるいかなる加算も醜悪であるという確信がそれだ。

(梅本洋一)

 

2003/03/19(wed)
山本理顕展「つくりながら考える/使いながらつくる」

 

 

ギャラリー間で2月15日から開催されている山本理顕展へ行く。
展示スペースへ入ると、大きなガラステーブルの上に透明な直方体のブロックが山程なげだされている。1辺が250mmの透明なキューブを9つ、すなわち1辺が250mm×3の正方形の面ができるように組み合わせたのがこのブロックである。それを磁石でくっつけてつなげていく。これは「邑楽町(おうらまち)役場庁舎等/Ora Town Hall」でコミュニケーション・ツールとして使用されたものであり、つまり子供から老人までだれでもこれをガチャガチャ組み立てれば自分なりの役場庁舎をつくることができるというわけである。ガラステーブルの片隅に誰かのつくった「邑楽町役場庁舎等/Ora Town Hall」の模型が、これがここの展示物なのですよという顔をして置かれている。
前々から来よう来ようと思って今日までこの展示に足が向かなかったのは、実はこのブロックのせいで、この展示の名前の「つくりながら考える/使いながらつくる」のせいで、山本が挙げるキーワード「プロセス」のせいだった。それらはとてもやさしいのじゃないかと思ったからだ。小さい頃よくやっていたブロック遊びから建築ができる(もちろんそれだけでできるわけじゃないが)。それはとても優しくて易しいのではないかと。
しかし実際にガラステーブルの上でガチャガチャやってみると、意外だった。ブロックにはランダムに白い色がついていてそれが思い掛けないパターンを組み立てる。あたりまえだが磁石には+と−があって、任意に選んだブロックが必ずしもくっつけたいところにくっつくわけではない。ある時はどこまでも反発し、ある時は静かな室内に響き渡るような大きなバチッという音をたててくっつく。いやそもそも、おれはブロック遊びなんてしない子供だったじゃないか。
この展示にあわせて出版された同名の本の中では、「プロセス」というのはパラパラ漫画のようなものだ、と書かれている。ひとつひとつの絵の積み重ねですらない、動いているという錯覚にして実感。「プロセス」や「システム」や「つくりながら考える/使いながらつくる」は、組み合わされたブロックたちにあるわけではなく、思い掛けない反発とバチッという大きな音にある。

(結城秀勇)