2003/11/21(fri)
『森有正先生のこと』栃折久美子著(筑摩書房)

 

 

70年代初頭の大学受験生は森有正という書き手の書物を読んだことがあるにちがいない。単に現代国語の問題によく出題されたからだ。「経験」と「体験」は違うとか、サン=ドゥニのカテドラルに感動したとか、いろいろなことが書かれていた。「バビロンの流れ」とか「木々は光を浴びて」いるとか、なんだかよく分からない文章を読んで分かった気になっていた。でも、西欧ってこんなものなのか、とは少なくとも思ったし、大学に入ってから読んだことのある辻邦生の小説にも森有正と似たところがあった(文章はもっと分かりやすかったが)。どちらの著者もパリで書いていて、西欧の孤独やそれに裏打ちされた思想に出会ったりするのだった。
その森有正が亡くなったのが1976年で、彼の最後の仕事がパリの日本館館長だった。私がパリに住み始めたのは、彼が亡くなった2年後で、飛行場から日本館に行って、森有正の次の館長に会った。後で知ったことだが、森有正は65歳で亡くなっている。だから私たちが森有正の文章を読んだ頃、当の著者はまだ60歳になるかならないかの年齢だった。私は、本当に驚いた。80歳ならこんな文章を書く人もいるだろうが、60歳の人が書くなんて辛気くさいと思った。
パリに住む前は、一応、森有正も辻邦生も読んだけれど、実際にその都市に住むようになると、彼らの名前は完全に忘れてしまった。「経験」と「体験」がちがうと思ったこともないし、大学に通う途中、満員のバスの中から見るサン=ドゥニのカテドラルに感動したことなど、一度もなかった。ノートルダムは住んでいたアパートのトイレから見えたが、それも単に日常の一部だった。もちろん東京とパリは異なる場所だったが、西欧ってこんなもんか!などと思ったことはなかったし、思索にふけることもなかった。単にそんな暇はなかった。
久しぶりに森有正という固有名と出会ったのは栃折久美子の『森有正先生のこと』を読んだからだ。この本の中の森有正という人は、とても変な人だった。ファンの女の子にパンツを買いに行かせたり、ファンの女の子と先述した辻邦生に荷造りを手伝わせたり、平気で時間に遅れたり、金を借りたりしていた。栃折久美子──装丁家──によって美しいブルーに飾られた書物の帯には、ひとつの恋、ひとつの季節と書いてあった。栃折久美子の文章は簡潔で美しいけれど、それが描く森有正は、「知識人」という言葉が生きていた時代に、その言葉の意味内容に甘えていた人だったように私には思える。時代が変わった。もうこんな生活など許されないだろう。私はそう思った。

(梅本洋一)

 

2003/10/7(tue)
「Number」最新号「神様、日本ラグビーに『奇跡』を」

 

 

「Number」最新号の特集は「神様、日本ラグビーに『奇跡』を」。もう「奇跡」でも起きない限り、ワールドカップでの1勝もあり得ないのか? ラグビー特集などめったに組まれないこの雑誌でさえワールドカップの「お祭り気分」を盛り上げるどころか、「特攻隊」みたいな特集を組む。「こうやって、このように展開すれば勝てるかもしれない」という内容はなく、とにかく「ハードタックル」、とにかく「運動量で勝つ」──勝てるわけないよ! 練習試合で東芝府中と引き分けだからね。頼みのミラーは怪我で出場が危ういし、岩淵も間に合わなかった。辻のタックルが良くても、広瀬のキックが冴えても、箕内と伊藤、大久保が頑張っても、ひとりひとりのスキルも低く、全体の戦術も確定していない。「特攻隊」、「神様」、「奇跡」というチョウ右翼的な言葉が踊るのも無理ない。
先日のイングランド対フランスのテストマッチを思い出すまでもなく、ワールドカップは「戦争」だ。武器も兵力のなくて「特攻」しても惨めなだけだし、アルセーヌ・ベンゲルは、インタヴューで「選手に死んでこい、なんて言えない」と語っていた。コーチたる者は、「どうやって勝つか」を教えるために存在する。でも、もしワールドカップが「戦争」なら、「敵」のチームも「死ぬ気」で来るのだから、弱い方が単に負ける。予選リーグで、「死ぬ気」で来ないのは、フランスくらいだ。五割の力で流せば、ジャパンには50点差で勝てる。怪我をしない方がよい。その程度の気持ちだろうし、その程度の気持ちで結局、50点差(最低)で勝つだろう。(南アフリカでのワールドカップでは2軍のオールブラックスに145点とられて当時のギネスブックに載る大敗をきっしたことを思いだそう。)
緒戦のスコットランド戦に「すべてを賭ける」と大畑大介が言っている。相手も緒戦だから「すべてを賭ける」だろう。ひとりひとりの力が圧倒的に異なる。スコットランドが大勝するのが自然だ。FW周辺でゆっくり攻めてくるスコットランドに対して、ジャパンのディフェンスは前半頑張るが、20分過ぎから、徐々にディフェンスに疲れが見え、ポジショニングの悪い大畑が抜かれてトライを奪われるのをきっかけにどんどん差が開いていく。そんなところだろう。 91年の第3回ワールドカップでジンバブエに勝ったのが、ジャパンの唯一の勝利だ。だから、もし予選で、それを上回る2勝を上げたいとすれば、スコットランドとフランスは捨てて、アメリカとフィジーに「すべてを賭ける」方が可能性があるのではないか。先日のテストマッチで大敗したとはいえ、アメリカに勝ったことはあるし、ただでかいだけのアメリカの選手たちに「特攻精神」で「ハードタックル」を見舞い続ければ勝てるかもしれない。フィジーに対しては、なるべくボールをキープしながら、FW中心に攻めていき、ゴールラインが近づいたところでバックスにボールを展開するというオーソドックスな攻めをすれば好勝負になるだろう。とりあえずマイボールを確実にキープする。向井監督のキャッチフレーズ「スピードアタック」は、破綻が起こると、フィジーに何本もトライを奪われるだろう。
予選リーグを突破しようなどと考えるのは、僕の母校の野球部が甲子園に出ようと思うのと同じくらい根拠のない無謀な、つまり浅はかでばかげた夢だ。アメリカとフィジーで勝てば誰からも怒られはしない。

(梅本洋一)

 

2003/08/22(fri)
「BRUTUS」No.531「雑誌好きなもので!」

 

 

「「面白い雑誌がない」という声をたまに聞きますが、木を見て森を見ず、ではありませんか?」というわけで集められた雑誌数は752誌。「ブルータス」の雑誌特集である。
 本誌で面白かったところ。p13のブラッド・ピットの写真。『ベン・ハー』なんかで見られるような甲冑を身にまとっているが、全然まったく似合っていない。暗いグレーの甲冑に白い太股が映える。艶めかしい。p33のおしゃれヌード誌についての記事。あんなもん誰が買うんだ? と不思議に思っていたが、出続けるということは売れているんだろう。購買層は男性6割に女性4割、「男性にとってはグロくない、かわいいヌード」が好評の秘訣とのこと。勝手な思いこみだが、かわいいヌードが好きな人はセックスとかは好きくないんじゃないだろうか。少子化がますます進みそうで、日本の将来が心配である。p48、49の「COUNTER VOID」についての記事。「COUNTER VOID」とは、テレビ朝日新社屋の前にあるガラススクリーンに巨大な数字が写り、その数字が次々変わっていくというもの。常々、六本木に行くたびにあれを見て,「何じゃあれは? 現在時刻……じゃないしな。世界水泳開催日へのカウントダウンかな?」とか色々思っていたので、やっと謎が解けた気分。そうですか、アートだったんですね、あれ。失礼しました。今度はちゃんと見てみよう。
 あとは北山恒がレゴについて熱く語っていたり、ゲビン山崎とソニンが一緒に写真に写っていて何だか死ぬほど似合っていたり、色々面白いところはあるのだが、じゃあ本誌全体をひとつのパッケージとして捉えたらどうかというと、これがもう泣くほどつまらない。別に泣く必要はないんだが。何故かと言えば、ひとえに「森」を見るために生真面目に752誌も集めちゃう「ブルータス」の態度。その生真面目さのために失われているのが、編集という行為なのだと思う。ひとつひとつの「木」が面白くても、全体としての「森」が面白いかどうかとは別の話。強引にでも、その「木」を選択して、つなぎ合わせて、新たな「森」を形成すること(つまり編集だ)、それが雑誌の面白さなんじゃないだろうか。

(志賀謙太)