倉地久美夫の音楽は限られたところでしか聴かれていないだろうし、常に特異な存在として捉えられるものかもしれない。確かに彼が紅白歌合戦に出場することなど万が一にもあり得ない話なのだが、出場すべき人ではある。レコ大やミュージック・ステーションでは駄目で紅白こそふさわしい。ただし現在の一瞬の余裕もない紅白では意味も無意味もない。仕方がないので今年の大晦日は私的紅白リストをつくり、我が家で音楽を聴くことにしよう……。
つまり私が言いたいのは、倉地の音楽が古くも新しくもないということだ。変と言えば変かもしれないが、変であることに価値があるんじゃない。彼の音楽を変だから聴く人なんてひとりもいないはずだ。確認を取ったわけではないけれどそれは断言できる。
倉地の音楽は500年前からあるものと5秒前からあるものが隣合わせているかのようにある。それはもちろん歌や誰も書かないような歌詞によるところもあるだろう。が、彼のギターの音もかなり大きな要素かもしれない、新譜『I
heard the ground sing』を聴いてまずそう思った。ギターの音が正しいのだ。正確な音ということではなく、間違いない音であるという意味で。音の数(量)という点では幾分多すぎになるところもないではないが、それが決して主張されることはない。それぞれのものがそれぞれの時間を持ってじっとそこにあるように、それぞれの音があるように聴こえる。
この新譜はトリオ演奏(倉地のギターの他に菊池成孔のサックスと外山明のドラム)が基本となっているが、ギターインストの曲が1曲入っている。もちろん倉地はまず歌手として存在するのかもしれないが、その曲もまたすばらしく、「中央公園」というそのタイトルがまた正しい。季節を感じる公園でどの季節に聴くにもふさわしいような。
(黒岩幹子)
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