10/10「開会式」

 気持ちの良い秋晴れで、比較的過ごしやすい気候。だが明日からの天気の崩れを踏まえると、長袖のうえに上着の用意はマスト。
 昼飯は実家のすぐ裏のやぶ長でそば。山形市内の蕎麦屋はたいてい中華そばを出す。中でも、牛だしの中華そばは山形名物なのだそうで、あえて蕎麦屋で牛だしラーメンを食うというのも通な選択。
 ここ10年以上、結城のひとり企画と化していたNOBODYの山形国際ドキュメンタリー映画祭日記だが、今年は映画祭の30周年記念企画ということで、多くの書き手に参加してもらう豪華版で行こうと思ってる。
 開会式の冒頭で流れた映像素材の、1989年の映画祭初回の小川紳助の「アジアにはドキュメンタリー映画の土壌がない」発言に続けて、同年のキドラット・タヒミックのアジアにインディペンデントなドキュメンタリー映画のネットワークをつくっていこう宣言には胸が熱くなる。それから30年。2001年から通い始めて約20年になるというのは感慨深い。
 ジョナス・メカス『富士への道すがら、わたしが見たものは......』。メカスが異国で見た映像は、サウンドトラックがエクスペリメンタルなドラムの音に占められ、声もなく時に暴力的なほどのコマ落としと断片的なカットの連鎖にもかかわらず、メカスが被写体に注ぐ親密さはいささかも減じることがない。時折映り込むメカス自身の顔が、いつもよりなお一層満面の笑みに見えるのは、彼が旅の途上にあるからというだけではなく、これを見る映画祭参加者の多くもまた、旅の途上にあるからか。上映前のトークで木村迪夫さんが触れていた芋煮会のシーンには思わず「あ、芋煮だ」となる。時間にしてほんの2、3秒にすぎない束の間だが、そこにはまぎれもない親密さが刻まれていた。(結城秀勇)

 新幹線の中では、nobody 2号を読んでいた。"Spiritual Adventure "と題されたその号では、デプレシャン、アサイヤス、ペドロ・コスタと共にnobody編集部が心の 冒険、青春を謳歌していた。当時の彼らはおそらく今の僕と同じ20歳くらいではな いだろうか。羨ましいなぁと思いつつ、12日から合流する他のゼミ生たちのこと が心配になった。12日には台風19号が迫っているからだ。後々、僕はその対応に追われることになるだろう。
 学生団体パスを受け取りに映画祭本部を訪れる。最初4階の受付で「すみません、学生パスは1階の窓口なんですよ。」と言われ、1階にいくと、「学生パスは4階ですね」と言われ、また4階に戻る。本部の奥に通され、そこで手続きを行う。やは り台風が心配なので、僕のパスのみを発行することはできますかと頼むと、担当の 仲井さんがとても親切に対応してくれて、そうすることができた。
 ジョナス・メカスの『富士山への道すがら、私がみたものは...』の前に木村迪夫 さんのトーク。彼がジョナス・メカスの名を口にするときの、「メカスさん」とい
う呼び方が好きだった。「⤴メカスさん」ではなく、「⤵メカスさん」である。実 は、はじめてのメカス体験だった。見た瞬間、「あ、『ワールドツアー』だ」と思った。飛行機からの景色で始まる。ただIPhoneよりも重たいカメラにも関わらず、 めまぐるしく動き、無言日記よりももっとなにかを待っていないように振る舞う。 それでもハッとさせられるショットで溢れている。影で隠れた女性の顔に太陽光が 差し込む、けれど、彼女の顔ははっきり映るどころか、より抽象的なものになって いく。そんな数秒のカット。メカスが蕎麦屋で、相席している日本人にカメラを向 ける、と、奥の女性が照れくさそうに会釈する。そんな数秒のカット。ただ地面を 歩くだけ。そんな数秒のカット。見たら数秒で忘れそうにカッティングされたショット達。でも終わった後不思議と思い出すことができた。
 夕食は「金魚」で食べた。きのこ推しの大衆居酒屋である。女将さんが金魚に似ていた。12日に行うゼミ生の宴会場としてついでに予約することにした。でもそれも台風次第ですよね、と女将さんと話した。(梅本健司)