__8日間のパリ旅行記です。

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                                          *写真も随時アップします、、                                 

 

Le 22 mars (jeudi) 晴れ

 朝4時起床。
9時30分発の飛行機なのでこんな時間に起きなくてはならない。
 普段この位の時間に床についている身としてはこの日に限って10時や11時に寝むれるわけもなく、当然睡眠時間は1時間程度。
まあ飛行機の中で寝ればよいので構わないが。
 山手線で東京駅、成田エキスプレスに乗り換え成田空港へ。飛行機はほぼ定刻に離陸し、ソウルでのトランジットも問題なし。
 乗り換えって初めてだったけど、こんなに簡単なものだったのね。ソウルからパリまでの飛行時間は確か12時間ぐらい。そう聞くと長いと感じるが、ほとんど寝ていた私にとってはあっと言う間。こんな時自分がトリアーや新垣氏のような閉所恐怖症でなくて本当によかったと実感する。起きている間はロラン・バルトの
「エッフェル塔」を読む。
 シャルル・ド・ゴール空港で迷いつつもなんとかRERの駅に辿り着き、Luxembourgまでの切符を買う。
仏語が通じて取りあえずは安心。
 駅からホテルは遠くはなかったが上り坂が少々きつい。部屋は心持狭いが、この場所で一泊590FFならば多少の窮屈さは我慢しなくては。部屋全体は落ち着いた雰囲気だ。浴槽は広くて満足。

 

 

Le 23 mars (vendredi)晴れ、雨

 7時30分起床。朝っぱらからトラブル。テレビが点かず、ドライヤーも使えない。昨夜はどちらも使えたのに。私らが間違った使い方したんだろうか..。フロントに一応言っておく。
 下のsalon de theで朝食をとる。オレンジジュースとカフェラテが両方ある朝食はすてきだと発見。
 まず最初にオレンジジュースを飲み、寝ている内臓を起こす。それからゆっくりとカフェラテを飲んでいると徐々に体が活動体制に入っていくのを感じる。最近は朝食らしい朝食をめっきりとっていなかったが、生きてく上で朝食って重要なのだと痛感。クロワッサンもおいしいが(外側はサクサク、中はもっちり)バターがやけに美味しい。
Presidentという銘柄だが日本でも紀伊国屋あたりで売っているだろうか。帰ったら探してみよう。

 空は薄い雲に覆われているがたまに青空が顔を覗かせる。寒くはない。
 キオスクでPeriscopeを購入。街路の至るところでパトリス・シェローの
『intimite』のポスターを見かける。28日に封切りらしい。昨日パリに到着した時にはもう既に日はとっぷりと暮れていたので、今日改めて太陽の陽に晒されたパリの、カルティエ・ラタン界隈の街並みを眺めるがどうもしっくりいかない。今私がパリにいるという実感がどうにも沸いて来ないのだ。確かに普段私が東京という土地で目にしている風景とは全く異質な風景が広がってはいる。こんなに古い建物が並んだ大通りは日本中の何処を探したって見つからないだろうが、しかしこんなような光景、一昨年の夏にロンドンを訪れた時にも見たような気がするな。
 ここがロンドンでなく、紛れもない正真正銘のパリであることを、一体何が私に感じさせてくれるのかな。いや、そんなものを求めることすらおそらく間違っているのだろうな。なんとなく予想というか、覚悟はしていたが、どうも私はパリに幻想を抱きすぎていたらしい。そうした幻想が音を立てて崩れることが即ち異国を訪れることであると自分に言い聞かせてみたりするが、しかしまだ私は少し期待している。幻想が幻想そのものとして、エッフェル塔は私の目に映るのではないか、と。でもやっぱり、期待しすぎるのはやめておこう。バルトの「エッフェル塔」の読み過ぎかもしれぬ。
 ルーブル美術館へ行くがストライキのため入れない。せっかくここまで来たというのに。
 もう来ないような気がするなあ。
 ポンピドゥーセンター脇のMK2BEAUBOURGで
『in the mood for love』を観る。この映画全体を覆い尽くす、エキゾチックな“mood”は強烈である。ここがパリだからそう感じるのか。いやそうではないだろう。マギー・チャンはこれでもかと言うくらいあのチャイナドレスっぽい服で登場するし、これが同時代の香港を忠実に再現しているのか分らないし、無知な私は2001年現在の香港もイメージすることができない訳だが、今私がこうして存在している2001年という現在からは果てしなく遠い世界に見えてしまう。
 映画を観終って気が付いたのだが、この映画はもうそろそろ日本でも公開されるはずだ。ひょっとしたらもうやっているのかも。だったらわざわざフランスで見る必要もなかったか..。
ともあれ、日本に帰ったらもう一度観ましょう。

 ホテルへ戻る。テレビとドライヤーが使えるようになっていた!! よかった。高額の請求書を出されたりしないか心配だが、何も言って来ないし大丈夫だろう。
  夜、Rue MabillonのAux charpentiersへ行く。
 パリ一番のビストロの店らしい。店員の接客は非常に感じが良い。よく分からないまま適当に前菜、メインを頼む。
 Plat du jour は白身魚だった。少々塩味が濃いような気がする。隣のテーブルを見ると、ミネラルウォーター入りの水差しが置いてあるので、水を頼んだらあんなのに入れて持ってきてくれるのかしらんと思いカタコトのフランス語で頼むと、なんと2リットルぐらい入ったEvianの瓶をそのまま持って来られた。あの水差しみたいなのって、なんて言うんだっけ..。ちゃんと言わないとこうなるのね。こんな2リットルも飲めないですよ。

 

 

Le 24 mars (samedi) 雨、くもり

 8時30分起床。朝から雨が降っている。
 朝食を済ませだらだらする。仕度をし、シネマテークフランセ―ズのあるシャイヨ―宮に行くため最寄のメトロの駅へ。どんよりとした雲が空を覆っているが歩いているうちに雨が止んだ。パリの天気は日本より変わりやすい。折りたたみ傘が必需品だ。
 メトロ(地下鉄)の路線Eに乗る。文字通り地下鉄は地下を走っているわけだが、パリを流れるセーヌ川を渡るときに限ってはメトロも地上に出る。車内に貼ってある駅の案内表示の、ちょうど走っている辺の駅名の下に“Tour Eiffel”の文字を発見。もしかしたら私はエッフェル塔をもうすぐ見てしまうかもしれない。急いでMDウォークマンの電源をONにする。(恥ずかしいのであまり言いたくないのだが、)MDには
“Les 400 cents coups”のメインテーマをサントラから録音しておいたのだ。
 私は日本にいる時もよくこうやってその時私が見ている風景を楽しむ。
渋谷駅東口に行くバスや、昼下がりの総武線なんかがお気に入りだ。(その時の風景や、天気や、気分に合わせて選曲したり。)ジム・オルークの
「Eureka」を聴きながらバスに乗っていると、それだけでもうなんだか青山映画を観ているような感覚に浸れるのである。これこそ交通機関の醍醐味よ。(そこが九州でもなければ海に辿り着いてしまうわけでもなく、悲しいかな中目黒、代官山を経由して渋谷駅東口に着いてしまうわけではあるが。)
 “GENERIQUE ET CAR DE POLICE”が流れ始めたのを確認して顔を上げて外の風景へ目を向けると、やはり、エッフェル塔が、私の目に飛び込んできた。思わず目頭が熱くなる。(これもまた恥ずかしい話だが。)エッフェル塔が美しかったからなのか。
 いや、そうじゃない。笑わないで欲しいのだが、それが、
“Les 400 cents coups”“Baisers voles”のエッフェル塔、Francois Truffautのクレジットのバックのエッフェル塔と、まさに全く“おんなじ”だったからだ。トリュフォーがフィルムにエッフェル塔を捉えた1958年と2001年の現在には43年間の、どうにもならない時間の隔たりがある。しかしながら43年間、ずっとエッフェル塔はそこにあったのだし、2001年3月24日、1958年の冬と全く変わらない姿で、なにものにも傷つけられずに純真無垢にそれはそこにあったのだ。

 感傷に浸っているのも束の間、メトロは再び地下へ潜る。トロカデロ駅で下車。
 シネマテークフランセ―ズの入口を探しているうちに雨が降ってきた。スニーカーが濡れてきて少し冷たい。
シネマテーク入口に到着、がまだ閉まっている。上映は16時30分からで、まだ昼過ぎなのだから無理もない。近くのカフェでお昼ご飯にする。カフェ・クレームとクロックムッシューを注文。レストランやカフェで注文をするくらいなら怖じ怖じしないで出来るくらいには慣れて来たようだ。入口でタバコを売っていたり、日本で言うパチンコのようなゲーム(なんて言うんだっけ?)が置いてあるようなくだけた感じの、庶民的な店である。ギャルソンはジャック・タチに負けずとも劣らずコミカルなおじちゃまだ。カフェ・クレームは日本円で300円ぐらいか?日本で300円で飲むカフェ・オレよりやはり遥かにうまい。300円だして納得できるカフェオレをだしてくれるのは日本ではスター・バックスぐらいだろうか。(私は何気にスターバックス学芸大学駅前店の常連だ。)そういえばハワイへ行った時もロンドンへ行った時も、街や空港で嫌というほどスターバックスに遭遇したが、パリではまだ一度も見かけていないなあ。
 15FFだせば座って、タバコも吸えて、マグカップで美味いカフェオレ、エスプレッソが飲めるカフェがそこら中にあるのだから、それもそのはずか。
 映画まで時間があるので、徒歩で近代美術館へ行く。建物と建物の隙間からエッフェル塔が見えたり、セーヌ川が見えたり。晴れていたらこんなに楽しい散歩もないのだろうがなにせ雨がひどい。足が冷たい。
 再びシネマテークフランセ―ズへ。
 受付には特集が組まれている監督や俳優の写真が飾られている。それらの脇にアンリ・ラングロワの、なんとも言葉では形容できない、愛らしく、素適な写真が飾ってある。(是非実際見ていただきたい)ここでも私はやはりトリュフォーのフィルム
“Baisers voles”を思い出してしまう。(観た人は、あの映画がシネマテークフランセ―ズの入口を映したショットと、“Baisers voleをアンリ・ラングロワのシネマテークフランセ―ズに捧げる”で始まるのを憶えておいでだろうか。)
 16時30分からクロード・シャブロルの
『Ophelia』の上映。
 
『二重の鍵』の犯人役の青年のようなマッドな男が主人公。父親を殺した母親とその愛人に、映画を撮ることで復讐をするという話。(だと思う。多分)葬式のシーンからはじまり、映画のそこかしこに死の記号がちりばめられた、気持ちのいいくらい暗い映画だった。
 バルコニー席に座って観たのだが、映画館の造りから、なんだかトンネルの向う側にある景色がスクリーン(=映画)であるように見えた。これは昔からそうだったのだろうか。
 夜、雨あがる。
 ホテルの近くでイタリアンを食べる。今日はサッカー、日本vsフランス戦だと店員が教えてくれた。

 

 

Le 25 mars (dimanche) 雨

 8時30分起床。今日からサマータイムになるらしい。時計の針を1時間早める。
 という事はいまは昨日までで言うところの7時30分。そう思ったら眠くなってきた。

 朝食をいつも通りホテルで済ませ、アラブ世界研究所へ行く。
 通りに人気がなく物寂しい。雨降りだから?それとも日曜だからか。アラブ世界研究所は、ジャン・ヌーヴェルというフランスで最も優れた建築家が設計した建築物らしいが、どうやら私達は来るべき日を間違えたらしい。確かにガラスのファサードは美しいが、太陽の光が外から入ってこなければそれはほとんど活かされていないのではないだろうか。
 次にピカソ美術館へ。偶然、海部元総理に会う。そう言えば彼は同じ愛知の人間だっけ。
 ロメールの
『パリのランデブー』の第3話“母と子”の舞台はピカソ美術館だった。そこに登場した画家がほんとうにいそうな、小さなアトリエが並ぶ細い通りがこのあたりは多い。両側に建物があって、曲折せずひたすらまっすぐ延びる大通りを日本ではあまり見掛けないので、銀座の中央通りだとかを歩くと壮観な感じがして私は好きなのだが、パリで歩いていて楽しいのはシャンゼリゼ大通りやサンジェルマン大通りのような大通り(ブルヴァ―ル)ではなく、逆にこのあたりに多くあるような、小さな、細い通りだ。細い通りの両側には4階建てとか5階建てのかなり高い建物が建っているので方角によっては昼間で天気が良くてもそんなに日差しが入ってこなかったりする。そこを歩きながら通りの突き当たりを見ている時の感覚は、例えて言うならば、暗い部屋の中にいて、ドアが少し開いていてその隙間から隣の部屋を見ているような感覚だろうか。自分が今いる空間とはある絶対的な距離を保った風景が広がっている。パリには、風景の向う側にもうひとつまた別の風景がある。(渋谷はスーパーフラットだという話を聞いたことがあるが、そういう意味で渋谷とは対照的だろうか)
 ピカソ美術館近くのパン屋さんでバゲットサンドを食べた後同行人と別れ、コリ―ヌ国立劇場でベンヌ・ベッソン演出、ブレヒト作
『コーカサスの白墨の輪』を観る。舞台にたつ役者は皆目と口に穴を開けた白マスクを被って演じている。舞台の上手と下手、奥も同じような素材の布が壁になっており、その布の切れこみから出入りが出来るようになっている。その布も、見慣れて来ると人肌のようなモチモチしたものに見えてきてこわい。有名な話だったが、フランス語を解さない私は彼らの声を音楽を聴くような感覚で聴いている他なかった..。客層は年配の方が多かった。
 急いでホテルへ戻る。
 同行人は私と別れた後、ホテル近くの、カルティエ・ラタン周辺を散歩していて迷子になったらしい。地図を持っていなかったからと言い訳していたが、この人実は方向オンチなのではなかろうか。迷っている時に偶然見つけたらしい、多国籍料理のたくさん並ぶ通りに連れていかれる。(Rue de la Harpe,St-Severin)アラブ系の外国人が日本語で話しかけてきてやたら上手い。日本人の観光客が多いのだろうか。これだけたくさん多国籍料理の店が集まると、転勤かなにかでフランスに在住している外国人が利用する店が集った、ひとつの共同体のような臭いを感じる。

 夜、同行人が溝口健二の『雨月物語』を観たいと言い出す。滞在時間は限られているのだから日本でも観られるものをここで観ても..とも思ったが付き合うことにする。別に安いし。(日本円で400円!)日曜のレイトショーだが客の入りはいい。1年前に名古屋の映画館で一度観たが、今回はとりわけ、最初の方のシーンで田中絹代と息子が久しぶりに帰ってきた父親に駆け寄るショットに感動する。
 たかがこれだけの運動なのに、こんなにダイナミックに見えるのは何故だろう。不思議だ。

  

 

 

Le 26 mars (lundi)くもり

 8時ごろ起床。
 シャブロルの
『Merci pour la chocolat』を観にMK2BEAUBOURGへ。
 ここへ来るのは2度目だ。
 ポンピドゥー脇のパン屋さんでパリジャンという名前のパニー二を食べる。これは先日来た時に同行人が食べていて、かなり美味しかったので。今日も美味い。映画まで時間があるので近くのカフェでお茶をする。店員が若かりし頃のシャルル・アズナブールに似ていて、決して愛想は良くないがクールでかっこいい。
 映画の後、私のワガママでメトロでポルト・マイヨまで行く。そこからエッフェル塔の周りを走って、リュクサンブール駅まで走るバスが出ているからだ。パリに来て初めてのバスだ。MDウォークマンで音楽を聴きながら、幼稚園児のように窓に顔をくっつけてパリの街並みを眺める。バスの形がもう少し過し易い形で、例えばロンドンのバスのように2階席があったりしたら最高だが、それでもバスに乗るためだけにパリに来てもいいと思うくらい楽しい。

  パリの街は、どうも街が創られた順序が、物理的に考えられるのと逆であるように私の目には映る。建物は、あらゆる建物が「ここにあります」というアピールをしない。はなっからそこにあったような顔をしているのである。つまり、もともとあったのは建物のほうで、それを削っていって通りをつくっていったように見える。通りにも、今は見えないがかつては建物がそこにあったのではないか。つまり、パリにいて受ける力とは、建物の存在感ではなく、それらを削ぎ落としていく運動である。通りは概して円形の広場へと繋がっており、広場には車線もなく、そこには車が雪崩のように押し寄せて来る。ここでもその運動力を受けることができる。パリにおいて、通りは痕跡になる。通りと通りが交わる部分、(いわゆる角部屋にあたる)角の部分には窓が施されているが、これは、比喩的な表現をすれば、建物を削っていった彫刻家の、建物に対するいたわり、誠意のようだ。トリュフォーのフィルムで、青年になったドワネルが角部屋に住んでいるのも、「家庭」や「思春期」でパッサージュが舞台になっているのも、その空間と登場人物、物語がシンクロするためには至極当然のことであったような気がする。
 ヌーヴェルヴァーグが、とまでは言わなくとも、少なくともトリュフォーのフィルムが生まれた瞬間とは、パリという“都市”と“映像”が出会った瞬間だったのではないだろうか。(頻出するエッフェル塔は、バルト曰く、“エッフェル塔は、部分で全体を表すあの換喩によってパリになったのである”)

  夕方、Cine Refeleという名前の、映画関係を専門に取り扱う本屋へ行く。
 カイエ・デュ・シネマから出ているポケットブックの中にセルジュ・ダネ―の文字を発見。友達からダネ―に関する本をと頼まれていたが。しかし日本でも買えそうな気もする..。店の奥には映画のポスターやポストカードが所狭しと並んでいる。
『Ester Kahn』『イルマ・ヴェップ』のポスターは日本ではなかなか手に入らないだろう。しかしスーツケースに入らないと思い諦める。
 Dinerは梅本氏オススメのクスクス料理屋。以前一度、横浜のパトリス・ジュリアンのお店でクスクスを食べたことがあるが、その時はそれほど美味しいとは思わなかった。私の口にクスクスはあまり合わないみたい..と思っていたが、ここで食べてみて悪かったのはジュリアンの方だったと痛感。めちゃめちゃ美味しい!感激!ス―プもおいしいのだがクスクス自体が以前食べたのと全然違う。しかもこれで78FFは安い。またパリに来た時には絶対来よう。日本でこんなにおいしいクスクスを食べさせてくれるところってあるんだろうか。
 夜、サッシャ・ギトリの
『La poison』を観る。帰宅したミシェル・シモンがスイッチをひねり、ラジオから音楽が流れるシーンがあるのだが、そんなことは映画の中ではよくやることで、珍しくも無いのにやけに新鮮であった。モノクロの映画でこういうことが起こるのをあまり見たことが無いからだろうか。
 今日は珍しく一度も雨が降らなかった。明日も晴れるといいが。

 

 

Le 27 mars (mardi)晴れ、曇り、雨

 洗濯物がたまってきたので、近くのコインランドリ―に行く。
 使い方がよく分からず、あーだこーだ言いながら、人に聞いたりしてなんとかこなす。
乾燥機をまわして、洗濯物が乾いていた時は純粋にうれしかった。私は普段の生活でも、朝洗濯物を干していって、帰ってきたときに洗濯物が乾いていると何故だかうれしくなってしまう。そんな些細なことで楽しくなってしまう私は結構幸せな人種だと我ながら思うが。しかし嬉しくなったのはそれだけが理由なのではなく、洗濯物に限らず、外国にいれば普通に不都合なことは多い。地下鉄の乗り方や切符の買い方や、それら生活のベースになっている超当たり前のことのこなし方が分らず、それらを方程式を解くようにひとつひとつの問題をクリアにしていく。
答えが分るとやはり嬉しい。
 サン・ルイ島に、“ペルティヨン”という世界一おいしいアイスクリーム屋さんがあると聞いたので、天気もいいしそこまでホテルから散歩がてら歩くことにする。サンジェルマン大通りを進み、Tournelle橋を渡ると左にシテ島の先っちょとかノートルダム寺院が見える。橋を渡っている時は島の地形を視覚で把握できるのだが、一旦サン・ルイ島に入り込んでしまうと4、5階建ての建物に視線を遮られてしまうのでここがセーヌ河の真中であるということを忘れてしまう。しかしほんの少しだけあるけばまた再び河と、そこに架かる橋が見えてくる。さっき歩いた所をまた歩くような、時間が逆戻りしたような変な気分。(因みにアイスクリーム屋さんはお休みだった..。)
 地図を見るとイメージフォーラムまで近そうなので、そこまで歩いていくことにする。今日はよく歩く日だ。
この旅行ももう終盤だが、なかなかどうして天気にはあまり恵まれていなかったので、こんなふうに割と陽気な日にふらふらと散歩が出来るのは実に嬉しい。
 歩いていると、なんだか街の雰囲気が異質であることに気が付く。妙にインテリアの店が多い。後で調べたのだが、このあたりはマレ地区と言って、ユダヤ人や、芸術家が多く住んでいて古い貴族の館がたくさん残っている少し特殊な街らしい。そんなことは露知らず、お昼ご飯を食べようと適当にお店に入る。どうやらユダヤ人の経営するお店らしい。店は客の話し声で騒々しい。昼ご飯が食べたいと言ったら、店の主人がキッチンから顔を出してこっちへ来いと手招きしている。恐る恐る近づくとキッチンの中に案内され、「poisson,thon,poulet..」などと説明している。多分前菜、メインで何が食べたいか選べと言うことなのだろう。
 私はthon(マグロ)を選ぶ。「前菜はおいしかった?」「召し上がれ」など、こまめに声をかけてくれて、店を出る時はその店にいた客全員が「Au revoir.」(さようなら)と挨拶してくれた。気分はとっても和んだ。(がしかしあれで200FFは高いかなぁ..。)
 イメージフォーラムでリヴェットの
『duelle』を観る。
明らかに頗る低予算で作られており、わたしの持っている資料によれば日本未公開となっているが、それも納得。私がこれまでに観たリヴェットのフィルムの中で、最も“一般的に当たらなそう”な映画であった。
 
『セリーヌとジュリーは舟で行く』『北の橋』『パリでかくれんぼ』のようにパリ内部を舞台にした作品で、手の込んだセットなどほとんど見当たらないのだが、設定からしてものすごく現実ばなれしている。ビュル・オジェとジュリエット・ベルトが月の女神と太陽の女神で、彼女らが不老不死の宝石をめぐって対決するというような話だと思うが。物語も理不尽極まりない。2つの世界、人格が無秩序に交錯する。
(多分)映画に全然通じていない私の同行人曰く、“つっこみどころの多い映画”。
 イメージフォーラムの掲示板には、次回の特集だろうか、シャルル・トルネの出演した映画が何本かプリントされたチラシが貼られていた。先日行った、日本で言う所のタワーレコードのような大型レコード店には彼のCDが、イヴ・モンタンやピアフ並に山のように置いてあったし、地下鉄の駅に貼ってあるポスターにも、“Charles Trenet”の名前をよく見る気がする。ここではフランスでは大御所なのか、それともたまたま今トルネブームなのか?渋谷のタワレコで以前探した時は4,5枚しか置いてなかったがなあ。パリでのトルネ情報の多さには少々驚いた。

 今晩の夕食は、ある方がデザート代わりにチャーハンをおかわりしてしまうほどチャーハンが美味いという、噂の“竹林”に行かねば、と思いReu Gay Lussacで探すが見つからない。店じまいしてしまったんだろうか。仕方ないのでその通り沿いの中華料理の店に入る。Noodleと書いてあるのでてっきりラーメンのようなス―プ状のものが出てくるかとおもっていたら、日本で言う焼きうどんのようなものが出てきて驚いたが、なかなか美味しい。海老チリも美味。

 

 

Le 28 mars mercredi 雨、くもり

 今日は朝から雨降り。初めてポンピドゥーセンターの中に入る。
  短い滞在期間にもかかわらず、このあたりにはもう3,4回来ているのだが、結局毎回時間が足りなくなって建物の中には入れずじまいだったのだ。ピカソ、シャガール、マティス、セザンヌらの作品を見る。最上階は全面ガラス張りになっていて、ちょっとした展望台になっていた。パリがほぼ一望出来る高さだが、エッフェル塔に登ったらもっと高い位置からパリを見下ろせるのだろう。でもそれはまだもったいないような気がする。旅行に行く直前と、飛行機の中でバルトの「エッフェル塔」を読みながら“エッフェル塔には最後に登る”と心にきめた。もし今日雨が降っていなかったら登ろうかなとも思ったが、ポンピドゥーのこの高さでもう十分かなとも思う。
 もっとパリ市内を“遊歩”してからエッフェル塔には登ろう。いつになるか分らないが、またいつかパリに来た時にでも。

 ポンピドゥーを出たらもう雨は止んでいたので昨日は入れなかったアイスクリーム屋さんに寄って、ホテルまで歩いて帰ることにする。“ペルティヨン”で、同行人はバニラ、私はショコラとココナッツアイスを注文。美味しいけど店員のお姉さんがマネキンみたいでこわい。あと席狭すぎ。隣に座っていた8歳ぐらいの女の子が店員にものすごい勢いで注文をつけていて、「アイスクリームに関しては譲れないわ」風で見ていて面白かった。彼女は若干8歳にして、数知れずのアイスクリーム屋さんを今まで渡り歩いて来たに違いない。食べ方も特殊、というか異常。そうやって何かに執拗にこだわりをもつという事は良いことだとも言えるが、将来ものすごい我が侭な女になるか、果ては口うるさい小姑になるのではなかろうか。
 店の中や電車の中で子供を観察してその子供が将来どんな大人に成長するかを勝手に空想するのは結構な暇つぶしになるのでよくやるのだが、では私は子供のころ、世間の大人からどう見られていたんだろう。私は喋らない子だった訳ではない。しかし、ものすごく喋る時と喋らない時で波があって、喋るときはマシンガントークなのだが喋りたくない気分の時にはうんともすんとも言わなかったような気がする。
小学2年生の時、下校途中に尋常でないほどひとりになりたくなって、その時話しかけてきた子を張っ倒したことがある。その子はケガをし、その子の親からうちの親に怒りの電話がかかってきて、教師も巻き込んで学校で問題になったことがある。その時「何であんなことをしたのか」と皆から問い詰められたが、当然言葉で説明できるわけもなく、始終わたしは黙っていたと思う。“してはいけないことをした”というのは分ったが、“どうして”と聞かれたら「そのときそうしたかったから」としか答えようがなかったし。
 でも大人からしたら、割とおりこうさんで通っている明るい陽子ちゃん(学級委員とかやってたもん)が、どうしてそんなことしたのか不可解だったに違いない。もし私がいつか親になるとして、子供がそんな突然だまりこくるガキンチョだったら普通に嫌だ。
 最後のディナーはRue GuisardeのMachon d‘henriで。
 メインはマトンとじゃが芋とカブの煮込み。気を失いそうなくらい美味い。
 夜、デプレシャンの
『EsterKahn』(完全版)を観る。

 

 

Le 29 mars (jeudi) 晴れ

 8時ごろ起床。いつも通り一階のサロンで朝食を済ます。
 早めにチェックアウトをしておこうと思い、受付で明細票に目を通す。
7泊(朝食込み)で4500FF。VISAカードを渡してぼーっとしていたら、なんだか様子がおかしい。どうやら機械でカード処理が出来なかったようなのだ。
 パリのVISAの会社に電話して聞いてくれたのだが、理由がはっきりしないがとにかく使えなくなっているらしい。仕方がないので通りにあるディスペンサーで現金を下ろす。ボタンの最高金額が2000FFなのでとりあえず2000FF引き落とす。残り2500FFを下ろそうともう一度同じ手順でボタンを押したのだが、何故だかカードが返って来てしまう。何度やっても同じようにカードが返ってきて現金を引き落とせない。残り2500FF,日本円にして約5万円、足りない。公衆電話でVISAの盗難、紛失窓口に電話をして事情を説明し、状況を調べてもらう。
 「お客さまのカードですと、1ヶ月のご利用限度額が10万となっておりまして、今現在ですね、9万ほど利用されてますので、今から5万引き落とすということはちょっと無理ですね。」
 あっさり言い放たれる。あと5万払わないと日本に帰れないっちゅーのに。
カードはこれしか持ってきていない。さすがに焦りを感じて、「なんとかしてくださーいい!」と泣きつく。「少々お待ちください」と言われ、2、3分だろうか。もしどうにもならなかったら、凱旋門あたりにいる日本人観光客に頭を下げて金を巻き上げるか、果ては路上パフォーマンスか..待っている間、そんなことを考えていると、「お待たせしました。親御さんの方からこちらに電話していただければ、一時的に限度額を引き上げることが可能かもしれませんので、親御さんの方に一旦電話して頂いて.....」はやくそれを言えっつーの。親に早速電話し、頼んでもらう。
事はすんなり運び、現金3000FFゲット!!
 ほっと胸を撫で下ろす。生きてく中で、なんともならないことってそんなにないよね、とはやくもいつもの調子に戻るが、しかし改めて考えてみると、日本時間が夕方で、うちの母親が外に働きに出ていなくて在宅中だったからすんなり事が運んだわけで、そうでなかったら事態はもっと深刻だったわけで、こわいこわい。ホテル代を支払ったら手持ちの現金は二人合わせて300FF、いきなり貧乏旅行になる。
 (こういうわけで、私の友人の皆さんへの御土産は無くなりました。)昼御飯はマック。日本のマックよりおいしい。単なる気のせいか。
 帰国便は21時ごろ出るので、だいぶ時間はあるが金がない。
 こんな時の素適な時間つぶしはバス、というわけで82系統のバスに乗る。今日は日差しが強く、風も強い。
 時間も中途半端なので、4時ごろカルティエ・ラタンを後にし早めに空港に行くことにする。
 空港まで行くRERが出ているはずの北駅のホームへ行くと人が溢れている。嫌な雰囲気。次の列車は17時25分発と出ているが、その時間になっても列車が来るけはい無し。待てども待てども来ず。やっと来たと思った時にはもう18時30分を回っていた。早めに出たので良かったが、最初は18時ぐらいにカルティエ・ラタンを出ればいいだろうぐらいのつもりでいたから、もしそうしていたら間に合わなかったかもしれない。タクシーに乗るお金なんて持ってなかったし。腹は立つ、がしかしこれはこの国では日常なのだろう。

 ソウル行きの飛行機に搭乗し座席に着くと、隣に座っている男性が知人にそっくりであることに気が付く。
 おそるおそる「山田君ですか。」と声を掛けるとやっぱりそうだった。中学2、3年の時の同級生の山ちゃんだった。成人式の時少し挨拶を交わしたがゆっくり話をする時間も無く、今何をしているかは全く知らなかった。いまは国立の方に住んでいて、武蔵野美術大学の建築学科に在学しているとのこと。スイス、南仏、パリを周り、コルビジェらの建築物を見てまわって計2週間ほど滞在していたらしい。彼は訪れた地をデジカメで撮影していて、サヴォア邸などを映したそれを見せてくれた。中にはジャン・ヌーベルのアラブ世界研究所も収められており、私がそこを訪れたのは雨の日だったが山ちゃんが撮ったのは快晴の日で、とても同じものを見たとは思えないほど美しく、デジカメといえどもその美しさの違いは歴然。やはり晴れた日に行くべきであったか。山ちゃんとは成田空港まで一緒だったが、そこからはなんとなくで別れてしまい、結局連絡先も聞いていなかったことに後から気が付いた。共通の友達もいないようなものなので、もう会うことは無いだろう。電話番号ぐらい聞いておけばよかったな、と今更ながらそう思う。

    

 

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