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2006年07月11日

メフィストの囁き

 マルコ・マテラッツィがジダンに何をつぶやいたのか? ぼくは知らなかったよ。ちょうどベンチに腰を下ろすところだったからね、そのときブフォンの叫びが聞こえたね、とティエリー・アンリが語る。ブラジルのテレビ局の特別番組では、マテラッツィは、ジダンの妹を娼婦呼ばわりしたのよ、と唇を読める少女たちが証言したと言う。ポルトガル語とイタリア語で「娼婦」は同じ音韻なのだろうか。ならばフランス・チームの中でもっともイタリア語がうまいダヴィド・トレゼゲに聞けばいい。ぼくは聞いてなかった、それにそれどころじゃないさ、ぼくがPKを外したのを見たろう。トレゼゲにこんなことを聞くのは酷だろう。

 ぼくらがテレビのモニターを見て知っていることは、マテラッツィがジズーに何かつぶやき、互いに言葉を交わし、ジズーはマテラッツィから数歩前に出たが、また踵を返してマテラッツィに近づいて突然頭突きを喰らわせたことだけだ。この「事件」はボールサイドからかなり離れたところで起きたので、テレビもライヴで映しているわけではなく、ぼくも含めてテレビを見ていた者は、そのままボールの動きを追っていた。現地にいたうじきつよしのレポートも同じだ。ところがブフォンとガットゥーゾが審判に何かアピールし、審判は線審に確認したが、線審もことの顛末を見ておらず、レシーヴァーで繋がっている第4の審判が主審にレッドをアピールしたことだけだ。その瞬間に件のシーンのリプレイが画面に流された。どんな事情があってもこんなことは許されない、そう識者たちは語る。それまでこの大会はジズーのための大会であり、このフットボールのアーティストは、対スペイン戦以来、自らの王政復古を謳歌し、この「事件」がおこる数分前には、豪快なヘッドをイタリアのゴールに向けて飛ばし、ブフォンが危うく右手で逃れたばかりのことだった。そしてフランスの多くの新聞が書くとおり、ジズーのヘッドはイタリアのゴールマウスに吸い込まれず、マテラッツィの胸を直撃したのだ。

 アングレームに住むジズーの従弟はこう語る。ジズーはいつも親切で決して人を殴る男じゃない。もしあいつが誰かに一撃を食らわすとすれば、「テロリスト」呼ばわりされたときだけだろう。「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌のインターネット版はそう伝えている。あの喧噪の中でチームメイトたちも、口唇術に優れた者たちも、そしてジズーの血縁者も推測するしかない。黙ってピッチを去ったジズーはどうしたのか。フランス・フットボール協会会長は。彼とはロッカールームで会った、たったひとりでみんなと離れたところにいたね、とても哀しそうにしていた、とても言葉をかけられる状態ではなく、握手して労をねぎらった。マテラッツィに何と言われたかなど聞けなかったし、ぼくはそんなことは知りたくもないね。今までのジダンの功績に感謝するだけだ。
 ジズーは数日後に『事件」の顛末を語るだろうという報道もある。

 ゲームとしては大して面白いものではなかったが、決勝戦とはああしたものが多いことはぼくらの経験が教えている。しかし、今回はとても後味が悪い。フットボールの論理から言えば、単にこんな行為は許されないと書けば十分だろうが、ジズーが自らの引退ゲームを自ら台無しにし、このワールドカップ全体をぶちこわしてしまった。なぜだろうか。マテラッツィに聞けば、彼がジズーに囁いた言葉を言ってくれる(そんなことはないだろう。もし言うとすれば、彼はこのゲームの冒頭で彼がとられたペナルティは、マルーダのダイヴだとまず認めてくれと言うだろう)かもしれないし、ジズー自身が語るかも知れないが、あとの祭りだ。フットボール、ゲームという枠の中で悠然とスポーツと人生を混同して楽しんでいたぼくらに突然、もっと野蛮な人間の怒りを突きつけたのがあの瞬間だったからだ。とてもジズーにもマテラッツィにも、そしてぼくらにも残酷で、フットボールの快楽に回帰する気持ちを萎えさせるのに十分な行動だった。

 メフィストがファウストの耳元で何かを囁き、ファウストはその挑発で、別の世界に赴いた。きったただそれだけのことだろう。でも、件のシーンをモニターで見たぼくには戦慄が走った。

 今大会の総括などをする前に感じたことを書いた。

投稿者 nobodymag : 2006年07月11日 00:05