しかし、今日が最終回なので、フットボールの論理にあえて戻りたい。
イタリア対フランスは、まったく同じフォーメーションだった。4-2-3-1。そう考えると、どちらもアタッキング・フットボールではない。実にディフェンシヴだ。アタックの特徴はトニとアンリの個性の相違であり、ヴィーラとピルロの違いであり、ジダンとトッティの差だ。そう考えると、ジダンとヴィーラをふたりとも失ったフランスはよくやったと思うし、イタリアがフランスを上回ったのは、グロッソ、ザンブロッタの両サイド。特に今大会で光ったのはグロッソだった。
だが4-2-3-1が勝利を収めたのは、ちょっとつまらない。いかに屈強の両センターバックを持っているからと言っても、これでは余りにディフェンシヴだし、ふたりのボランチとトップ下というずいぶん昔のフットボールを彷彿とさせてしまう。なるほどリッピは、60分から選手交代を頻繁に行ってアタックへのシフトチェンジを何度もやった。それはイタリアとしては進化だ。だが、ベースが不変である限り、それは新たなフットボールではない。ドメネクは、その功績としてリベリを発見したことだけを記すべきであり、フランス・チームは、「キング・ジダン」チームでしかなかった。そういえばディディエ・デシャンはユーヴェの監督に決定した。ユーヴェは3部出発になるのだろうか。
もちろん最初にフォーメーションありきではなく、選手の特徴によってフォーメーションは決まってくる。アルゼンチンのように、リケルメのチームと決めてしまえばすべてはそこから始まる。だが、これも書いたとおり、ペケルマンは最後の最後に臆病になってしまった。そして戦術先進国のオランダのように常にサイドアタッカーを置き、今回のふたり──ロッベンとファン・ペルシ──はふたりとも左利きという実験を行っている。左利きは左に、右利きは右にという定石を最初から破った形は面白かった。ファン・ペルシの左サイドから中央に切れ込んでのシュートを何度も見た。アルセーヌ・ヴェンゲルはファン・ペルシの開眼に目を細めていることだろう。だが、ファン・バステンのオランダは、選手も監督も経験が不足していた。
やはりベストゲームは、予選リーグのチェコ対アメリカ。チェコの完勝に終わったゲームだが、ブルクネルの4-1-4-1が見事にツボにはまり、美しいパスゲームを見せてくれた。開幕戦からまるでクラブチームのようなスタイルのあるフットボールを見せてくれたチェコだが、ふたつの「1」に入る選手を相次いで失って、スタイルが形骸化して敗れた。ここでもキーになるロシツキをとったヴェンゲルはもう一度目を細めているだろう。
もっとも失望したのはイングランド。才能溢れるミッドフィールダーを持ちながら、彼らを活かしきれなかったのは、エリクソンの責任だ。4-1-4-1は付け焼き刃では無理だ。イングランドでほぼこれに近い形でやっているのはアーセナルだが、両方の「1」はジウベルト・シウバとアンリだ、つまりふたりともイングランドに属していない。イタリアの「カテナッチオ」ではないが、伝統のイングランド・スタイルで戦った方が敗れても納得がいったろう。
健闘したポルトガルだが、セミファイナルはいいところだ。よく言われる通りペナルティ・エリアの周辺まではベストのチームだが、やはり絶対のストライカーが必要だ。フェリッポンの精神論ではこの壁を越えられない。それにフィーゴ、ルイ=コスタの次の世代の選手たちが小粒すぎるのは気にかかる。
イングランドほどではないが、ブラジルにも失望した。ぼくも「キング」が好きだが、いつも笑っている長髪の出っ歯な奴──およそ「キング」の風体ではない──に「キング」の座を奪って欲しいと思ったのだが、キング候補の前に文字どおり立ちはだかったのが、デブで動けない野郎だった。なんでロビーニョと使わないか? と何度も思った。デブが通用したのは結局極東チーム相手だけだった。これほど才能のある奴らを集めているのに、老いた「キング」のチームに敗れるのは、よほど監督が悪いからだ。ドゥンガのような現場監督もおらず、横には院政を敷いている後白河上皇みたいなジジイが控えているのでは、笑うニューキングの出る幕がない。ブラジルに一番必要なのは、外国人の指導者ではないか。ブラジル協会にはペケルマンをパレイラの後任に推挙するような太っ腹な人はいないのか。もちろん中国に決まったからノーチャンスだが、ブラジルを率いるフース・ヒディンクなんか見てみたい。絶対優勝するだろう。
アフリカのチームを応援しているのだが、いつも壁を破れない。原因は次の2点だ。個々の才能のみで勝負していてチームの体をなしていない。盛りを過ぎた指導者や育成型の指導者ではなく、もっと大金をはたいて──国威高揚なのだから、ケチるな──、ヨーロッパ4大リーグの優秀なコーチを連れてくることだ。そして、合宿をもっと長く行って、チームのスタイルを作ること。このふたつをやれば決勝トーナメントでももっと上に行けるはずだ。
そして韓国やサウジ、イランはその力なりのポジションしか得られず、その範疇には日本代表も含まれる。4年間を選手の「自由」に任せ、その方法の是非は結果が語っているので明白だが、もっと根本的な原因は、「自由」を謳歌できる選手が、誰ひとりいなかったことだ──中田英寿も含む。ヨーロッパのベスト8とは絶望的な差異がある。トゥルシエのときはホームアドヴァンテージと鋳型に選手を当てはめることによる熟成度があって、それなりの結果が出た── 2000年のアジアカップを回顧した後藤健生の文章(Number)はその意味で面白い。後藤によればカタールでは、アジアのチームの中に唯一ヨーロッパのチームがある感じがしたということだ。(蛇足だが、あのチームの中心は名波浩だった。)だが、アジアで勝てても、その上に行けないチームに戻ったと後藤は言う。然り。決勝まで見てくるとその差の大きさにますます絶望がふくらむ。一応ぼくも絶望しているのだ。もともと絶望している、あるいは絶望から出発しているオシムはどうするのだろう。
しかし2002年に比べてずっと面白いワールドカップだった。何よりも3週間の休みとヨーロッパ開催のおかげだ。最終的に実験は経験に勝利を収めることはできなかったし、「キング」も有終の美を飾れなかった。「キング」自ら「革命」を起こし、ピッチを去った。権力委譲でも退位でもなく、また民衆による権力奪取でもない奇妙な革命をぼくらは目にしたことになる。とりあえず「キング」は退場した。そのあとどうなるのかまだ誰も知らない。
]]>ぼくらがテレビのモニターを見て知っていることは、マテラッツィがジズーに何かつぶやき、互いに言葉を交わし、ジズーはマテラッツィから数歩前に出たが、また踵を返してマテラッツィに近づいて突然頭突きを喰らわせたことだけだ。この「事件」はボールサイドからかなり離れたところで起きたので、テレビもライヴで映しているわけではなく、ぼくも含めてテレビを見ていた者は、そのままボールの動きを追っていた。現地にいたうじきつよしのレポートも同じだ。ところがブフォンとガットゥーゾが審判に何かアピールし、審判は線審に確認したが、線審もことの顛末を見ておらず、レシーヴァーで繋がっている第4の審判が主審にレッドをアピールしたことだけだ。その瞬間に件のシーンのリプレイが画面に流された。どんな事情があってもこんなことは許されない、そう識者たちは語る。それまでこの大会はジズーのための大会であり、このフットボールのアーティストは、対スペイン戦以来、自らの王政復古を謳歌し、この「事件」がおこる数分前には、豪快なヘッドをイタリアのゴールに向けて飛ばし、ブフォンが危うく右手で逃れたばかりのことだった。そしてフランスの多くの新聞が書くとおり、ジズーのヘッドはイタリアのゴールマウスに吸い込まれず、マテラッツィの胸を直撃したのだ。
アングレームに住むジズーの従弟はこう語る。ジズーはいつも親切で決して人を殴る男じゃない。もしあいつが誰かに一撃を食らわすとすれば、「テロリスト」呼ばわりされたときだけだろう。「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌のインターネット版はそう伝えている。あの喧噪の中でチームメイトたちも、口唇術に優れた者たちも、そしてジズーの血縁者も推測するしかない。黙ってピッチを去ったジズーはどうしたのか。フランス・フットボール協会会長は。彼とはロッカールームで会った、たったひとりでみんなと離れたところにいたね、とても哀しそうにしていた、とても言葉をかけられる状態ではなく、握手して労をねぎらった。マテラッツィに何と言われたかなど聞けなかったし、ぼくはそんなことは知りたくもないね。今までのジダンの功績に感謝するだけだ。
ジズーは数日後に『事件」の顛末を語るだろうという報道もある。
ゲームとしては大して面白いものではなかったが、決勝戦とはああしたものが多いことはぼくらの経験が教えている。しかし、今回はとても後味が悪い。フットボールの論理から言えば、単にこんな行為は許されないと書けば十分だろうが、ジズーが自らの引退ゲームを自ら台無しにし、このワールドカップ全体をぶちこわしてしまった。なぜだろうか。マテラッツィに聞けば、彼がジズーに囁いた言葉を言ってくれる(そんなことはないだろう。もし言うとすれば、彼はこのゲームの冒頭で彼がとられたペナルティは、マルーダのダイヴだとまず認めてくれと言うだろう)かもしれないし、ジズー自身が語るかも知れないが、あとの祭りだ。フットボール、ゲームという枠の中で悠然とスポーツと人生を混同して楽しんでいたぼくらに突然、もっと野蛮な人間の怒りを突きつけたのがあの瞬間だったからだ。とてもジズーにもマテラッツィにも、そしてぼくらにも残酷で、フットボールの快楽に回帰する気持ちを萎えさせるのに十分な行動だった。
メフィストがファウストの耳元で何かを囁き、ファウストはその挑発で、別の世界に赴いた。きったただそれだけのことだろう。でも、件のシーンをモニターで見たぼくには戦慄が走った。
今大会の総括などをする前に感じたことを書いた。
]]>W杯効果というのは、とても大きい。小学校2年の息子のフットサルのゲームがあった。周知のとおり、この年齢の子供たちは、全員ボールの周囲に集まって、「ハンカチーフ」の上のフットサルになるのだが、息子たちのチームを見ていると、少しだけ視野が大きくなっているを感じる。「デコっていつも首を動かしているよね」「そうボールもらう前に周りを見ようぜ」ゲーム中は「周りを見ようぜ!」と声を掛け合っている。フットボールに興味のある子は皆W杯を見ている。そして学んでいる。先週まではボールを持つとドゥリブルでゴールに向かうことしか考えなかった子供たちがパスすることにトライし、ポジショニングを考えるようになっている。「体で止めろよ!」「負けるな」「頑張れ!」という周りの父兄たちの意味のない応援に耳を貸さず、格好いいフットボールを子供たちが目指している。終わると「とても楽しかった」と言っている。
そして明朝は決勝だ。昼食をとったピザ屋のイタリア人の親父は、今日は店に泊まって、そのまま友人たちと観戦すると言っていた。今日は、いろいろと展開を思い浮かべているのだが、完全にジズーのチームにしてしまったフランスは、それほど多くの展開を見いだせない。98年の優勝時は、当時右サイドバックだったテュラムの2発とか、重鎮センターバックのローラン・ブランの1発とか、意外な人が決めていたが、今回はジズー、アンリ、ヴィーラ、リベリ以外得点の匂いがしない。ジズーにはガッツゥーゾ、アンリにはカンナ、ヴィーラのトイ面はピルロ(?)、そしてリベリにはザンブロッタか。こういうゲームになると、1対1が大きなウェイトを占める。今名前の出てこないイタリア人の中盤はペロッタ! フランスの決定的なゴール──たとえばスペイン戦の2点目、ブラジル戦の得点──は全部ジズー経由。けれどもイタリアのそれはピルロからグロッソへのスルーパスだったり、カンナ→ジラルディーノ→デルピエーロだったり、トニの頭だったり、かなり多様だ。
フランスは、W杯に入ってから予選リーグ3ゲームでチーム構成を思考し、決勝トーナメントのスペイン戦でチームが軌道に乗ってきた。先発メンバーを代えることはないだろう。マルチェロ・リッピは当然ジズーを押さえることから考えはじめる。ガットゥーゾをポリスマンにするかもしれない。チャンピオンズリーグでも最後はやられたが、彼はロナウジーニョを担当した。ポジショニングに優れたイタリアのディフェンダーは、アンリにスペースを与えないだろう。とすればイタリア有利。あとはアタックだが、トッティはマケレレに押さえられるだろう。ジラルディーノとトニ対テュラムとギャラスということになるが、これはイーヴン。それにマケレレ、ヴィーラにトッティのパスが封殺されるだろうから、ジラルディーノとトニには好球が行かない。
とすれば延長戦濃厚だ。フランスは、誰を入れる? ヴィルトールやゴヴーといった常套手段か(この場合、交代はリベリとマルーダ)、トレゼゲ投入(誰と代える? )しかない。もしドメネクに、延長になれば運動量の落ちるジズーに代えてトレゼゲを入れる勇気があれば、フランスにも勝機はあるだろう。
イタリアは? まだすごいカードが2枚残る。デルピエーロとインザーギ! たとえトッティを残してジラルディーノとトニがアウトでも彼らふたりがいる。リッピは彼らの投入を延長まで待てれば満点。特にこのゲームではインザーギに注目している。
でも予想なんて外れるさ。膠着状態でPK戦かも。ゴドーさんは今日もいらっしゃいません、と言われるのはどっちのチームか?
]]> だが、今日のゲームは、ジダンがPKを決めた後、フランスは徹底してゲームを「殺し」にかかった。前半30分でドメネクは1-0で勝つことにしたのだろう。フランスはアタックを捨てて、ポルトガルのスペースを消しにかかる。ヴィーラ、マケレレのふたりはもちろんのこと、右はリベリとサニョール、左はマルーダとアビダルがポルトガルに合わせてポジショニングを始める。クリスティアノ・ロナウドとフィーゴを消すことが何よりも優先される。当然と言えば当然なのだが、この戦術がゲームを「殺す」ことになる。今大会随一の両サイドから運動とパスの自由を奪うことになるからだ。両サイドがいなければ、中央でふたりからの「連絡を待ち」つづけるパウレタにはなしのつぶて。ボールがないセンターFWなど案山子と同じだ。だけど、デコがいるだろう! もちろん、デコはいるが、彼がボールを持つと、ヴィーラ、マケレレの餌食だ。だけどマニシェがいるだろう! いるけれども、彼の位置を10メートルばかり下げさせれば、彼のミドルはゴールマウスに飛ばない。残りの60分は、それだけを繰り返すフランス。
つまり、今大会絶好調のサニョールのサイドアタックも、リベリの突破もいらない。ボールを奪ったらジズーに渡して、「ゆっくりして」もらう。すると時間が流れる。もちろんフィーゴもロナウドも両サイドを突破してくるからもしれないが、フランスがサイドアタックを捨てたおかげで、突破に時間がかかり、屈強の両センターバックが十分に彼らの運動を規制することができる。万が一ショッツオンのシュートが飛んできても、バルテズにはっきりそのコースが見える。
ゲームは絶対的につまらないものになる。これでいいのか? ぼくだってどんどん眠くなるじゃないか。3時半に起きているんだぞ。バカにするなよ!もう睡眠不足は極限に達している。こんなゲームを見るために東京の夜明けを迎えたいわけじゃないぞ。ドメネクにそう言っても、極東のフットボール・ファンの言うことなど彼は耳を貸すはずがない。黙って寝てろ。俺たちは日曜日にイタリアとやりたいだけだ。そう言われるに決まっている。
うじきつよしの怒りに対して、東京新聞の財徳記者──オールドファンなら馴染みの名前だ──はこう答えていた。日本代表もいつかこんなゲームを仕組めるようになるといいですね。確かに。フランスは、スペイン戦でチーム戦術が確立し、代表の寄せ集めでなく、ひとつの戦術の下にたたえる本当のチームになった。延長で疲弊するよりも、省エネ・フットボールで老人中心のチームを維持させる。したたかな奴らだ。
]]>では延長でどうするのか? ぼくらはペケルマンとエリクソンの失敗を見てきた。ペケルマンは、自らの信条を捨てて、カンビアッソやフリオ・クルスを入れて、守れ!のサインを出し続けた。そしてエリクソンは、延長になってからベッカムに代えて投入したレノン──彼の突破は疲れた選手たちには鋭利な武器に見えた──をもう一度引っ込めてキャラガーを投入した。ここでも「守れ!」のサイン。そしてふたりはPK戦に持ち込むことには成功したが、そこまで。ドイツを去るしかなくなった。
イングランドに勝ったフィリッポンは、この人なりの無手勝流で元気な人たちをどんどん投入したが交代出場した選手が活躍したのはPK戦になってからだ。クリンスマンは、タッチライン沿いで選手を鼓舞してはいたが、彼の切るカードは凡庸だった。
じゃリッピはどうした? まずトニに代えてジラルディーノ。これが後半29分。この交代は普通だろう。疲れたワントップを入れ替えた。戦術的な変更ではない。
そして延長の頭からカモラネージに代えてイアキンタ。中盤をガットゥーゾとペロッタに任せて、右サイドに偏った2トップに。この時間帯、元気なサイドアタッカーを入れられるとトイ面のラームはいい加減疲れているのに、ディフェンスに追われることになる。事実、右サイドはぐんと活性化した。すぐにジラルディーノのシュート。だけどポスト! ピルロのCK。サンブロッタ、シュート。だけどクロスバー! もう一度ピルロのCK。それをカンナがヘッド。外れ! イアキンタを入れただけでシュート・チャンスが3回。しかもあわや1点ものが2度。
もちろん流れがあるから、ドイツの反撃にあうが、入りそうなシュートなし。延長の前半も終わりの頃、リッピはデルピエーロを投入! フォーメーションどうするの? まさかトッティと交代? でもアウトはペロッタ! このチームは、ガットゥーゾとペロッタのチームであることは論を待たない。もちろんトッティもピルロもいるけれど、誠実にいつも頑張るのはガットゥーゾとペロッタ。無尽蔵のスタミナでスペースを分担しあい、ボールの奪い合いになる場面や、スペースにボールがこぼれると、必ず顔を出すのはこのふたりだ。その内ひとりを引っ込め、「トッティと並び立たない」アレックスを入れる!
でもこれにはイアキンタ投入という複線がある。アタックが右サイドに偏り、左サイドにスペースが生まれ始めたのをリッピは見逃さない。ゴール左45度。デルピエーロ・ゾーンだ。最後はインザーギだろうとぼくは思っていた。ゴチャゴチャになったゴール前でどこからか足を延ばしてボールを押し込むインザーギだろうと思っていた。でも、リッピにとって、それは定石ではない。イアキンタで右に注意を引き、そこでデルピエーロ! いちばん得意なことを一度やってくれば、このゲームは勝てるさ。
そして延長後半も押し詰まって、またPK戦と誰でも思った時間、デルピエーロのCKのこぼれ玉をピルロがスルーパス。こんなことろでスルーパスかよ? シュートだろう!と思った瞬間、そこにいたのは、何と左サイドバックのグロッタ!おまえのいる場所は逆じゃないのか?その瞬間、左足のシュートがレーマンの左(!)に。ここで延長後半14分。もう終わりだな。その次の瞬間、ジラルディーノが左にバックパス。そこはデルピエーロ・ゾーン。いない訳ないよね。右足でカーブをかけてゴールマウス右にループ気味のシュート。タイムアップ。
アレックスが最後に一番得意なことをやってのけ、実力を見せつけた。干されかけていたデルピエーロに「俺が信頼しているのはおまえだ」とゲームを決めなければならない時間に送り出すリッピ。しかも彼を送り出す準備を整え、彼の得意技が炸裂するお膳立てをして……。
そういえばユヴェントスは3部降格? リッピも事情聴取? ブフォンは賭け事好き?
最後の瞬間、イタリアを取り囲むそうした事情の数々をまったく忘れてしまった。今、この瞬間に行われているフットボールだけしか頭になかった。選手も監督もこのスポーツを簡単に捨てられるものじゃない。こんな瞬間を何度も味わえるから、ぼくらもフットボールを見続けている。
駐車場からは息子がボールを蹴っている音が聞こえてくる。「デルピエーロ! デルピエーロ!」と叫びながら、コンクリートの壁を相手にシュート練習。疲労で意識が朦朧としてきた。濃いエスプレッソを入れよう。
]]>そんな話を聞いてからコンピュータを立ち上げると、中田英寿引退のニュース。どうするんだろう?と思っていたら、引退か? 賢い選択かもね。給料が高すぎてもらい手がないのが現状だからね。
でもジズーを見てると辞めたくなくなるんじゃないかな。昨日の会見では、Encore deux!(あと2ゲームだよ)と言っていた。ブラジル戦ではひとりだけ異次元に赴いていた。フェイントひとつで大観衆を味方にできるのを見ていると、「ロナウジーニョもカカもガキに見える」(原博美)。フットボーラーがピッチを去るときは、「フットボール以外の自分探しの旅」なんて下らないことを書くんじゃなくて、フットボーラーとしてスパイクを脱ぐときに過ぎないんじゃないか。ヒデがヒデなのはフットボーラーだからであって、それ以外の「自分」についてぼくはまったく興味がない。昨日のゲームでジズーを見、そして彼のインタヴューを聞くと、自らの調子の良さを感じてのことだろうが、とても静かな気持ちで最後を迎えているのが分かる。日本語が読めるわけではないので、ぼくの罵詈雑言は知らないだろうが、素直に、そして誠実に謝罪の気持ちを伝えて、あと2ゲーム(準決勝に負けても、3位決定戦がある)見守りたい。Encore deux!と静かな口調で言い、少しだけ微笑んだ彼を記憶に留めておきたい。
ペルージャ時代、ピッチの中央に君臨したヒデ、そしてローマに移籍してトッティの代わりに後半出場して輝いていたヒデ、パルマで冷や飯を食わされてから、一向に復活の兆しを見せないヒデ。盛りを過ぎた感は否めない。彼をセカンドストライカーで使うといいんだが、と釜本は自らの後継者にヒデを指名していた。いちばんシュートがうまい奴を前線に置かない手はないと付け加えていた。あれは02年のW杯直前のことだ。ぼくは、昨日のイングランドのハーグリーヴズを見ていて、ヒデもハーグリーヴズのように運動できるだろうし、どこか4-1-4-1のアンカーにヒデを使ってみたいという監督が出てくればいいなとも思っていた。そうなれば、あと2〜3年はヒデが活躍できるのではないかと思っていた。でも、勝手に別の「自分」を探して欲しい。
]]> 見ているぼくらもいろいろ思うこともある。
まずエリクソンはなぜうまく行っていない4-1-4-1を使い、1にクラウチでなくルーニーを入れたのか? まったくボールが収まらないルーニーのストレスは想像できるし、このタイプの選手はそういうストレスには弱いだろう。彼の退場の遠因にはエリクソンの選手起用があったのではないか。素直に4-4-2 でよかったのではないか。ルーニー退場後に出場したクラウチに本当にボールがよく収まった。
ひとり多くなったポルトガルが勝ちきれなかったのかなぜか? テリー、リオのふたりのセンターバックの頑張りもあるが、こうしたパスワーク主体のチームは、ペナルティエリアの中に引かれた相手に対処のしようがない。強力なストライカーが必要だ。ルイス・フィリッペが次々に切ったカードはほとんど効果がなかった。交代選手のレヴェルはそれほど高くない。つまりこのチームにはジョーカーがいないから、勝ちきれない。
イングランドは本来の力を出さずにピッチを去った。いくつか理由があるが、ひとつは結局出場機会はなかったがウォルコットを連れて行かねばならないくらいイングランドにはアタッカーが不在であること。04年のユーロではオーウェン=ルーニーのペアだったが、2年経っても「発見」されたのはクラウチのみ。豊かな中盤やサイドアタッカーに比して、ストライカー不在は目を覆うばかりだ。二つ目は、エリクソンの頑固さがチームにフレキシビリティを生まなかったことだ。4-1-4-1の〈1〉の不在が明瞭なのに、ルーニーにその重責を負わせた。ワンゲーム見て無理だと分かったのに、勝たねばならないゲームでそれを繰り返す。フラットな4-4-2のイングランドを見たかった。
ブラジル対フランス 0-1
イングランドの選手はPK戦に敗れてあんなに泣いたのに、ブラジルの選手たちは平然としている。ジダンを祝福するロビーニョまでいる。負けても平気! 1点ビハインドの75分ぐらいになると、ノックアウト・システムの場合、選手は必死でやるものだが、必死なのはロベカルぐらい。他の選手は普通にやっている。これでは「普通に」負ける。若い選手にはセレッソンの誇りなどもうないのだろう。地元で活躍し、高額でヨーロッパに移籍すれば、もう人生の望みが達成されてしまったのだろうか。
もちろん、敗因の多くはパレイラのフォーメイションのミスに由来する。昨日、ぼくは、ブラジルの監督は簡単だと書いた。トップにふたり選び、4バックを並べ、そしてボックス型の中盤の前にふたり、後ろにふたり選べば仕事はお終いだと書いた。でもパレイラは、弱気になった。王者が相手に合わせてしまった。ロナウドのワントップの下にロナウジーニョとカカ、そしてボランチにジュニーニョ、ジウベルト・シウバ、ゼ・ロベルトを3人並べた。4-3-2-1あるいはロナウジーニョをトップに置いたようにも見えるので、4-3-1-2。フランスは、もう打つ手がないので、清々しく4-2-3-1。フランスのこのシステムはジズーのためのもので、他の目的はない。ジズーを活かすには、これしかない──つまり、04年のユーロでの失敗は、ジャック・サンティエが4-4-2に拘ったことだ──。マケレレとヴィーラは走って潰し、マルーダとリベリは走ってチャンスメイク。アンリはここぞでシュート。単純な戦術だ。対するブラジルはロナウドが起点にならない。ロナウジーニョが前戦で消える。カカは走り続けるが多勢に無勢。パレイラが思い直すのは後半リードされてから。やっとジュニーニョに代えてアドリアーノ。遅きに失した。
さて準決勝はドイツ対イタリア、ポルトガル対フランス。
ドイツは、ここら当たりでもう現実の壁に突き当たって欲しい。マテラッティが戻ってくるイタリア。ネスタの体調はどうか。カンナヴァーロにクローゼは完封されるだろう。ガットゥーゾがバラックに襲いかかるだろう。ピルロをフリングスが潰せるのか。リアリズムが夢を蹴散らすだろう。
ポルトガルには、王政復古はアナクロニズムであることを王国に知らしめて欲しい。デコの頑張りにかかっている。まあ王政復古もあと2ゲームだから、許してもいいけど。ポルトガル対ドイツよりもフランス対ドイツの方が見たいかな?
ドイツ対アルゼンチン。前半だけ見れば「格の違い」で完全にアルゼンチン。そして後半早々アジャラのヘッドでアルゼンチンが先制。ここまではペケルマンの筋書き通りだったろう。確かに前半もテベス、クレスポでの突破はできなかったが、それでも、ドイツのシュートが入るように見えなかった。中盤でのボールの奪い合いに終始すれば、後半、アルゼンチンはボールが持てるスピードスターをある時間帯からクレスポに代えて投入し、勝負を賭けることもできたはずだ。アジャラのヘッドは、そのサインを送る前兆になっていたと思う。
だがGKのアボンダンシエリとクローゼが激突し、アルゼンチン・キーパーはゲーム続行不能。ペケルマンは急いでフランコを投入する。不思議なのは、それから1分後の72分。GK交代の後、もうひとり交代。カンビアッソが準備している。中盤の強化を試み、もう一度前半のようなつぶし合いに持ち込みたいペケルマン。だが、交代はゴンザレスではなく、リケルメ! ペケルマンはこのチームとリケルメの心中を誓ったのではなかったか? マークがきつかったとは言え、リケルメは悪い出来ではなかった。
もちろんリケルメはぼくの好きな選手ではない。昔ながらの職人と書いたことがある。だがアルゼンチンのマキシ・ロドリゲスが得点を重ねているも、リケルメにマークが集中するせいだ。中途半端な位置でブラブラしているロドリゲスは掴まりにくい。比較的フリーにシュートを放つことができた。だが、リケルメを欠くとなると、テベス、クレスポが孤立するのではないか? それにGKで交代枠1名を使い、リケルメとカンビアッソの交代で2枠目を使うと、あとひとりしか交代できないということだ。
ドイツも、すでにシュナイダーを下げオドンコルを入れて、攻撃参加するソリンをゴールから遠ざけ、シュバインシュタイガー・アウト、ボロブスキー・インで肉離れ(?)のバラックを補助しようとしている。そしてこの効果が現れはじめていた。だが、ゴンザレス、ロドリゲスの中盤がドイツに負けていたとは思えない。このままにしてリケルメも活かしておいた方がよかったのではないか。
あと1枠の交代枠をクレスポ・アウト、フリオ・クルス・インで使ったペケルマンには驚いた。もちろんこの驚きはネガティヴ。つまり、このゲームにはサビオラも、メッシも、アイマールも使わないということだ。もし敗れれば、アルゼンチンの至宝を3つもベンチにおいたままで、W杯を去るということだ。確かにドイツのセンターバックは高さがある。それに対抗できるのはフリオ・クルスひとり。だが、ここまでコーナーを蹴ってきたリケルメの弾道のように、アルゼンチンは低さで勝負だ。とすれば、センターバックの足下にフレッシュで足技に優れた選手を送り込むのが勝つことではないのか? このチームは放り込みで勝てない。だからポゼッション。だからサビオラやリケルメだったのではないか?
クローゼの1発はこの直後だ。79分にクレスポとフリオ・クルスの交代。そして80分にクローゼの頭。この瞬間、アルゼンチンには粘るしか選択肢がなくなった。見ているぼくらはがっかりだ。いや、たとえ延長になっても、交代枠をとっておけば、リケルメを逆三角形の下の頂点に、サビオラ、メッシの俊足ランナーがでかいドイツ・センターバックの間に走り込むことも可能だったし、ぼくはそういうシーンが見たかった。PK戦はレーマンのものだった。
72分と79分、ホセ・ペケルマンはいったい何を考えていたのだろう。どうだい、ぼくの作った選手たちを見てくれよ、ぼくの創造したチームはどうだね!という自負も自信もなく、相手に合わせたフットボールをしてしまった。W杯参加チームの中では、おそらくブラジルと並んでもっとも才能豊かな選手が揃っているのがアルゼンチンだろう。その「持てる者」アルゼンチンがまるでプロレタリアのようなゲームをしてしまう。前半のようにチャンスは生まれないが、失点はあり得ない状況を作り、アジャラが1点とっても、2点目、3点目を狙うために新たなタレントを繰り出すカードをペケルマンは持っていたはずだ。クリンスマンがごくまっとうな勝負を挑んできても、でかいだけで並の選手に比べたら、アルゼンチンのベンチを温め、そのまま帰国するハメに陥った背の低い若手たちは小さいけれども極上の「松」だ。アルゼンチンが残す悔いの大きさはジーコを選んだ日本代表の比ではない。その絶望的に大きな悔いは、ペケルマンとアルゼンチン代表選手たちだけが持っているわけではない。サビオラとメッシがアイマールやリケルメからのパスで自在に走り、ディフェンスを切り裂くフットボールを期待したぼくらの悔いである。なぜなら、彼らが同じチームでプレイする場はワールドカップ以外想像できないからだ。GKの怪我が原因かも知れないが、ペケルマンは、見せかけのレアリスムを選択してしまい、フットボールの持つスペクタキュレールなファンタジーを放棄してしまった。本当のレアリスムを知るマルチェロ・リッピのイタリアと未だに姿を見せないファンタジーへの可能性を持ったアルゼンチンの対戦を、もうぼくらは見ることができないのだ。
]]>だからどこが勝つか分からない。だから見ている。それだけ。昨日はビートルズが羽田に降り立って40年だそうだ。50歳を越えているぼくはその日のことを覚えている。ぼくのクラスからもふたり武道館に行った。40周年でラジオからはビートルズ・ナンバーが何曲も聞こえてくる。どれも一緒に歌える。彼らが出ている映画もクラスメイトと一緒に見に行って、一日中映画館にいて何度も見たことを思い出す。日本代表が国立競技場で杉山の2ゴールで3-3で韓国と引き分け(もう1点を決めたのは釜本だったっけ?)、メキシコ・オリンピックのアジア予選を勝ち抜いたのはその翌年だった。ぼくは武道館には行けなかったけれど、国立競技場にはいた。
]]> そしてこの日の注目のゲーム。スペイン対フランス。どちらも予選リーグで「実験」を終え、本気。負けたらおしまいのノックアウト・システムは緊張する。
ジズーも復帰。キングは退場せよ、もうデモクラシーの時代だ、ぼくはそう書いた。向こう見ずな若者よ、ひとり芝居をせずに、もっと皆と一緒に戦え、とも書いた。でも、他の選手たちは、キングが好きで、キングに敬意を持って接し、若者には試練を与えた上で、自然に学べばよいと考えたようだ。
序盤はスペイン優位で進む。シャビ、シャビ=アロンソ、セスクの中盤がいい。そしてサイドアタック、次にヴァイタルエリア。だがスペインのアタックがことごとくそこで停止してしまう。右サイドのサニョルがアタックを控え、センターの強靱なふたりがスペインの新星にゲームの厳しさを教える。強靱なふたりのうちのひとりにとって、このゲームを落とすときこそ、この王国との別れの時である。最初の数分間、キングにはまったくボールが渡らない。左サイドに住処を与えられた独りよがりの若者は、いつもように強引な突破を試みるが、今日は抜ける。背後に、右に左にキングの足音を聞いたスペインの将校たちが、少しばかり若者に道を譲ってくれるからだ。そして若者が危険なエリアに押し入ろうとする頃、キングにボールが渡り始める。
今日のキングは、専制を振るおうとしない。長年このキングと共に戦場にあった強靱なディフェンダー、そしてこのキングに影のようにつきまとい、窮地にあるキングに常に救いの手をさしのべてきた忍耐力にあふれる小兵と一緒に、まるでこの瞬間を共有することこそ、自らの喜びであったことを再発見するように、キングは、「共にあること」の最後の時間を謳歌する。
強靱なディフェンダーの一歩がスペイン勢の足を踏みつけた失敗を若者は脅威の運動量で償おうとする。今までならば途中で止められていた突破が、前半の終了近くに成功し、若者の放った銃弾がスペインのゴールに突き刺さる。王国はまだ立派な呼吸を続けている。専制君主を王として祭り上げているフェオダルな政治制度でなく、王もまた自らの国を構成する欠かすことのできない部分であるかのように、キングは静かに自らの存在感を示し始める。
スペイン勢のもっとも優秀な部分に疲労が見え始める。スペインを率いる百戦錬磨の老将軍は、自軍の中央にいるそれまで何度も自軍を救った人物と今回の戦いで功労のあった新たな人物を下げ、影のように敵軍の背後にせまる刺客と右サイドを切り裂く名人を送り込む。だが、中央に位置するスペイン軍のもっとも優秀な部分に次第に疲労の色が濃くなってくる。
その最終の防御を司る誠意のディフェンダーが王国の速度あふれる先兵を体で止めてしまうとき、その場にキングはゆっくりと歩を進める。キングの僚友たちはもとより、キングと共に時間を過ごすことで少しずつキングの偉大さを理解し始めた諸侯たちもキングの力を信じて、相手陣の適切な位置でキングのボールを待ちかまえる。
ゴールをかすめるように左に弧を描いたキングの放ったボールは、イングランドからイタリアへと領地を変え、かの地で攻撃を会得した長身の重臣の頭を捉え、スペイン防御兵の足に当たってスペインの堅陣へと吸い込まれていく。
王国の復活を告げる鬨の声が聞こえてくる。キングは健在だ。老いたとはいえ、キングはわれわれのキングにふさわしい活躍を、この戦場に成し遂げている。やはりキングはキングだ。その退位の時刻は今ではない。キングの退位の祝祭を10 日ほど後で過ごしたい。スペイン勢が最後の力を振り絞ってフランス人への攻撃を続ける背後をキングは冷静に狙い、とどめの一撃をスペイン勢に与える。Vive le roi! デモクラシーを信じ続けるぼくらも思わず声を合わせて叫んでしまう。王政復古。だが、キングの健在ぶりが知られた今、諸侯たちはキング退位の花道をどのように飾り付けるかを考えればいいのだ。
]]>先発はトッティではなく、デルピエーロ。この選択に意義を唱える者は少ないだろう。ガンガン攻めてくることが予想されるヒディンク=オージーに対抗するには、アタックのみのトッティよりはアレックスのまじめさを取るリッピの選択は正しいと感じられるからだ。それにジラルディーノ、トニの左下にアレックスを置く変則的なスリートップがどのように機能するのか見たい気持ちもあった。前半は、一応フィフティフィフティの展開だが、ジラルディーノもトニもシュートを外しまくる。
そして後半、問題のシーン。怪我のネスタの代わりにセンターバックに入ったマテラッティが1発レッド。必ずしもレッドに値しないような感じだったが、今大会のジャッジは厳しい。
そこからがリッピ=イタリアの腕の見せ所だった。 後半はスタートからジラルディーノに代えてイヤキンタを入れていた。そしてマテラッティがレッドで退場すると、トニに代えてディフェンスのパンツァッリ。ディフェンスの人数は4人。そして中盤にペロッタ、ガットゥーゾ、ピルロ、そしてアレックスとイヤキンタ。これでオーストラリアのアタックを守りきってしまう。確かにポゼッションはみるみるうちに落ちていったが、落ちたのではなく、落としたのであって、オージーはボールを回すものの、決定的なチャンスを作ることはできない。城の周囲をぐるぐる回るだけの軍隊。あるいは、騎兵隊の周囲をぐるぐる回るインディアンのような状態。中に少しでも攻め入ると、痛い目に遭う。そんな感じ。もちろんカンナヴァッロの頑張りは本当にすごい。ヴィドゥーカを完封。まったく仕事をさせなかった。格の違いってやつだね。普通だったら焦って、ボールを前に運んでしまうところだが、ガットゥーゾをはじめ中盤の砦でいる者たちも砦から外に出てこない。ピルロも気が利いたパスを控えてクリア。
きっと延長だろうな、と誰でもが思った停滞状態の75分。アレックスに代えてトッティ。マルチェロ・リッピは役者だね。皆が、そろそろあいつを出せよと思い始めた頃合いにそいつを出してくる。つまり「俺は勝つつもりだ」という強烈なサインを送っている。我慢が快感に変わり始める。カテナッチオとはマゾヒズムの極致だね。ロスタイム。まだヒディンクは動かない。やっぱり延長か。そんなとき左サイドバックの長身ディフェンダーのグロッソが満を持して左サイドを突破。そしてPK。イル・プリンチペのキックがオージーのゴールネットの天井をぶち抜いた。
イタリアはカテナッチオを棄てて4-3-3できている。ディフェンスの時代ではなくアタッキング。フットボールだ。けれども昔覚えた必殺のディフェンス方法は誰も忘れていない。体が自然に目前の敵を封じ込め、ゴールマウスを封印してしまう。スカパー!に出ていた自由が丘のピザ屋のアンジェロさんは、「これがカテナッチオ、しかもドッピオね!」と叫んでいた。
]]>そしてポルトガル対オランダ。好ゲームを期待するのは自然だ。だが、両チームとも入れ込みすぎ。ロナウドの怪我から始まり、コスティーニャのレッド等々、大荒れのゲーム。絶好調のマニッシュのシュートでポルトガルが逃げ切ったが、クォーターファイナルではデコを欠いてしまう。後半20分からはファール=イエローというぐあいでゲームになっていない。
20枚のイエローが提示され、2枚目をもらった選手が4人。これはゲームではない。イヴァノフ主審には批判が集まっているが、ぼくも同感だ。これではどちらがベスト8に残っても最高のメンバーを見られない。審判とはゲームをコントロールする人のことで、悪人を裁く人ではない。カードを出すという特権を握っていることで、ゲームをコントロールするべきだ。カードというのは「核兵器」みたいなもので、出すぞ出すぞと脅しをかけながら、出さないのがいい。(もちろん、国際政治の舞台でそんな軍備の平衡で平和を保つ方法など終わったしまったことはぼくにも分かっているし、そんな方法を今も信じているのは、キム・ジョンイルとジョージ・ブッシュだけだ。)終始笑みを絶やさず、興奮するなよ、冷静さを失った方が負けだぜ、と諭しながら、選手から信頼を勝ち得つつ、この人の言うことに従おうという気にさせるのは良い審判だ。くれぐれも選手を見下し、俺の言うことを聞け、という態度を見せてはいけない(もちろん時には毅然とした態度も必要で、「核兵器」を発射しなければならないこともあるが、それは本当に最後の最後の手段だ)。世界中の人々が、ぼくも含めて良いゲームを期待して、こんな朝早くから起きて見ている。ゲームをぶちこわさないで欲しい。
もうひとつ残念なこと。それはファン・バステンの選手起用だ。対アルゼンチン戦でカイトを見た人は、まだ一流には物足りない。やはりロッベン、ファン・ニステルローイ、ファン・ペルシだろうと思ったろう。何かの事情でファン・ニステルローイが先発ではないにせよ、後半押し詰まった時間帯、どうしても1点欲しいときにも、ファン・バステンは断固としてファン・ニステルローイを出さなかった。この選手にはいろいろと問題があることぐらいマンチェスター・ユナイティドを見れば分かる。でも彼は、どう考えてもオランダではナンバーワンのストライカーだ。ジーコの柳沢とアレックス偏愛には罰が下った。ファン・バステンがもしこれからも指導者を続けたいなら、私情を棄ててファン・ニステルローイを起用すべきだった。ポルトガルのルイス・フィリッペが老獪だとは言え、ファン・バステンの幼さには目を覆った。
]]>そのメキシコの頑張りにホセ・ペケルマンは、おたおたせず、常にアタックのサインを送り続ける。テベス、メッシの投入は分かるが、その上、アイマールまで投入。リケルメと心中のはずの自らの意志を曲げ、両雄を並び立たせなければ勝利をたぐり寄せられないと考えたのだろう。リスクを冒す。そしてリスクを冒しているのだというサインは、ピッチに立つ皆に伝わる。対するメキシコ。もちろん最後までファイティングポーズをとり、一度もノックアウト・パンチを受けることはなかった。マルケスとボルヘッティ以外ビッグネイムのいないこのチームのやり方は素晴らしい。全員が意思統一され、与えられた任務をこなし、リケルメはほぼ姿を消していた。バックラインも下がりすぎることなく、マルケスを中心に常に勇気を持って、アルゼンチンに対応した。だが、勝負をつけたのは、アルゼンチンの選手層だ。テベス、メッシがいて、そしてアイマール。彼らが70分過ぎから続々と投入されるのだから、このチームは本当にすごい。水入りの大勝負が最後の最後で寄り切りで決着という感じ。
このゲームに限らないが、解説は人の良い井原や眠くなる木村和史ではなく、反町がいい。フットボールおたくとして何でも知っているし、その場その場でとても冷静な分析が気に入っている。「サッカー批評」誌が反町を大特集した理由も理解できる。もっともW杯前に発売されたその号で、反町が優勝候補にしたのはチェコだし、韓国も決勝トーナメント進出を予想し、アルゼンチン対オランダの予選リーグはそのゲームで決勝トーナメント入りが決まるといった彼の予想はすべて外れたが、チェコの戦術を好む彼の嗜好は共有するし、C組のコートディヴォワールは敗れたけれども、まだまだ潜在能力があることは誰の目に明らかだろう。三浦俊也と並んで、この人は、フットボールを思考している。アルビレックス監督時代の彼も評価するけれども、それ以上に、これからユース代表監督としての彼に期待したい。それに「サッカー批評」を読む限り、彼とオシムはダチらしい。もう決まったのだから、オシムにブルックネルになってもらおう。予選敗退でもブルックネルはチェコの監督続行を決断したという。2010年は南アフリカで老人監督対決を見たいものだ。老人と言えばアラゴネスのスペインは欧州予選では冴えなかったが、本戦に来ると、采配の老獪ぶりが気に入った。CXの解説をしていたヴェンゲルはトーレスこそ得点王候補だと言っていたが、アラゴネスによって、トーレスは完全にスペイン・ドメスティックのストライカーではなくなり、ラウルを完全に押しのけたような感じがする。
スペイン対フランス。すごいね。
いや、これからイングランド対エクアドル、それに、オランダ対ポルトガル! 日本や韓国の将来を考えている暇はない。
]]> 韓国がスイスに敗れて結局アジアからは決勝トーナメントにどのチームも進出できなかった。予選の2ゲームを消化した段階で、韓国はスイスに勝つだろうと思ったが、ちょっとセンターバックが強いチームにかかると点が取れない。これじゃアジア4,5枠の確保は難しいだろうね。
そしてフランスはジダンの欠場によって、相手がトーゴだとはいえ、非常に良いゲームとしたと思う。安定した4バックとヴィーラ、マケレレの中盤、アンリ、トレゼゲの2トップも思ったよりも機能していた。ここでもなぜ使われるか分からないのがリベリ。持ちすぎ、ふかしすぎ、パス弱すぎ。自分でチャンスを作って自分でチャンスを消している。フランスはフラットな中盤がもっともスムーズだ。ジダンをボールが経由しないと、全員が簡単なプレーを心がけている。これはいい。
さて日本代表の次期監督にオシムが決まりそうだと報道されている。ユーゴ時代から申し分のない経歴、そしてジェフ千葉でのチームの底上げ、さらにベストセラー本……。昨日の日刊スポーツでは、ディディエ・デシャンの名も挙がっていたが、やはり彼はユヴェントスを選んだのだろうか。
今朝からはジーコ・ジャパンの検証記事が多く執筆されている。多くの記事の共通点は、このW杯で今まで見えなかったこのチームのネガティヴな面が一気に可視化したというもの。スカパー!の解説陣のひとりは、ブラジルと同じやり方をしていては、差は永遠につまらないと発言していた。組織か自由かという二律背反で物事が語られてきたが、もうそうした議論は不毛だ。個人の力も大幅に上げなければ、コンスタントに決勝トーナメントに残れるチームはできないだろうし、個人の力は一挙に上がるものではないから、個人の力のなさを覆い隠すような戦術が求められていることは言うまでもない。
思えば98年のチームで日本以外のチームに所属していた選手はいなかった。02年のチームにはヒデだけ。そして06年のチームにはヒデ、稲本、俊輔、高原の4人。それと伸二、柳沢の「出戻り」組。これからは国内組対海外組などといった馬鹿げた議論はもうよそう。同じパスポートを持ったもっとも優れた選手たちのチームを代表チームと呼び、彼らができる最大値を引き出す戦術を立てよう。韓国のパク・チソンを見ていると、ビッグクラブでレギュラーを張る選手はやはりすごい。ヒデにせよ、稲本にせよ常にゲームに出ることをまず目指すべきだ。その意味で、今回のチームに松井大輔の姿がないのは寂しい。彼はルマンの立派なレギュラーだ。
前回のW杯日記には「今度はジーコだ」を書いてたくさん反響をもらった。今日辺りつぎは○○だと書いてまた反響をもらおうと思ったが、もうオシムに決まったらしいから何も書かない。でも日刊スポーツの記事がちょっと見えたときは、少し嬉しかったと小声で告白しておきたい。ぼくは、かなり長い間、ディディエ・デシャンのファンだったし、モウリーニョに真っ向勝負を挑んだデシャンは格好良かった。
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予選リーグ屈指の顔合わせが、共に2連勝で決勝トーナメント出場を決めている、アルゼンチン対オランダのような消化ゲームではなく、真剣勝負で行われるのは嬉しい。イタリア対チェコだ。対アメリカ戦で素晴らしいフットボールをしたチェコがガーナに敗れたことが原因。チェコは、イタリアに勝たねばならない。チェコはコレルが怪我で──などと言い訳をしている暇がなくなっている。どうやってイタリアに勝とうとするのか? ブルクネルの解答はいつも通りで勝てるというもの。コレルの代わりにバロシュ。
でもいつも通りで勝てる──それはブルクネルの慢心だったようだ。ネドヴェドが獅子奮迅の活躍。キレキレ。でもロシツキが消えている。素晴らしいパスとドゥリブルを持っているのに、まるで相手チームのピルロのように中盤下がり目でバランサーをやっている。負けないためなら、これでもいいかもしれないが、勝つためにはネドヴェドひとりじゃしょうがない。ネドヴェドのこぼれを拾える位置にロシツキがいなければ……。でもいない。いつもいない。
中盤のつぶし合いからチェコにレッドが出ると、ブルクネルは1点ビハインドの後半から4-4-1にした。これでスペースのできた中盤をイタリアに完全に制圧されてしまう。打つ手なし。あるいは面子がいないのか。したたかなリッピは、インザーギを投入してまんまと追加点を奪う。万事休す。選手層が薄いのはつらい。
そして2時間ほど仮眠して日本対ブラジル。結果は周知のとおり惨敗(1−4)。このチームの弱点がすべて露呈したゲーム。
前半の20分ぐらいまでは、川口のスーパーセイヴの連続でなんとか傷口が広がるのを防いでいた。でも展開はべた押され。玉田の先取点でブラジルのアタックに火が点き同点にされると、後半一気に崩れた。火だるま状態。
ちょっと詳しくこのチームの弱点を見ていく。
1. フォーメーションの問題
ブラジル相手にポゼッションできないことは子どもでも分かる。ならば、4-4-2のガチンコ勝負を挑めばこうした結果は見えていた。こういうゲームこそ、落ち着いて3バック。そしてワントップ。オーストラリアを怖がって3バックにし、ブラジルに真っ向勝負するのは暴挙。ぼくだったら3-6-1。スペースを埋め、ブラジルに自由にさせない。(「ブラジルにスペースを与えたらやられてしまう」ジーコの前日記者会見の談話。)それじゃ2点差で勝てないだろうと言われれば、その通り。でも絶対に2点差で勝てない──プレスにはそう言わなくても、そんなことは誰でも知っている。もし1点とれば、ブラジルは顔色変えて攻めてくる。負けるわけにはいかない。だから、このゲームはこのチームの有終の美でいい。引き分けを狙い、チャンスがあったら1点差で勝つ。それも後半が押し詰まってから1点とる。それがゲームプランであるべき。オーストラリアに負けて、クロアチアに引き分けて、3戦目がブラジルで、それに勝って、しかも決勝トーナメントに行くと考えるのは、1+1=100だと言うのと同じ。これがラストゲームだから、ブラジルに一泡吹かせ、選手に自信をつける。これが正解。
2. 個々の選手の問題
何度も書いているとおり、このチームは戦術で勝つことを最初から選択していない。選手個人個人の能力で相手を上回ることが勝ちに繋がるというのが国是。事実、選手の力は伸びた。アジアカップを思い出すといい。もっと早く勝負をつけられたのに、戦術的な手段をこうじないから、延長やPK戦という個人の力しか発揮できない時間に勝敗が遅延され、そして、アジア・レヴェルでは個人の力で勝った。W杯アジア予選でも同じ。ジーコは選手が判断に困ったときも助けない。W杯予選の対イラン戦で1点リードした後、俊輔がジーコに攻めるのか守るかを尋ね、満足な答をもらえなかったという逸話が「ピッチに立っているのはおまえ等だからおまえらで考えろ」というジーコの主張の証明(本当はジーコも迷っているかどうかは知らない)。
確かにオフト時代に比べれば選手の技術レヴェルは向上している。だが、判断のスピードがとても遅い。何よりも、かなり長い時間同じ面子でやっているのに、メンバーが「同じ絵」を描けないのは大きな問題。ヒデと俊輔の描く絵とアレックスと加地の描く絵が異なる。これではチームが有機体にならない。ちなみに生まれたときから同じフォーメーションでやっている(4-2-2-2)でやっているブラジルの選手は、同じ絵を描くオトマティスムを持っている。フラットな4-4-2のイングランドでもそれは同じだろう。アヤックスの育成で育ったオランダも同じ。
3.スカウティングの問題
1-1にされた後半、ペナルティエリア左側からブラジルがFK。この面子ではリヨンのジュニーニョがキッカー。日本チームは壁にふたりしか入らない。信じられない。リヨンのゲームを1ゲームでも見ていれば、ジュニーニョがゴール前で合わせるボールを蹴ることはあり得ない、絶対に直接狙うことが分かるはず。壁を4枚にしてもジュニーニョのFKは8割の確率で決まる。年間1000 試合見ていると豪語するジーコだが、チャンピオンズリーグには興味がないのか。ジュニーニョのFKが綺麗にゴールマウスに吸い込まれ、1-2になると日本選手は完全にファイティングポーズを失っていった。つまり、このFKはこのゲームの分水嶺だ。それに注意を喚起しないのはスカウティングが十分ではない証拠。
ではそうすればいいのか?
98年のW杯後は、経験不足が一番大きな問題とされた。ヒデがペルージャに行き、経験の端緒を示した。そして02年は自国開催だから予選リーグを勝ち抜けることが必須とされ、トゥルシエが招かれた。多くの軋轢をもたらしたが、当時でもちゅっと古くなったフラット3をスローガンにヒデ中心のチームを作り上げた。当時に伸二を始めとする黄金の世代が伸びてきた。ワールドユースの準優勝によって、伸二が高原が「海外」で経験を積むにようになる。
そしてジーコ。トゥルシエの拘束と束縛と罵倒から解放された選手たちがジーコの「自由」を謳歌するのは当然だ。こうやれ、ああやれと何かとうるさい鬼のようなフランス人から、日本人のこともよく理解し、名前を看板にできる男の下で楽しい練習ができたからだ(ただしウザイシュート練習だけはいやだったが)。
「海外」で経験を積む選手が増えたが、レギュラーを張れる人材はまだいない。ビッグクラブへの羨望もいいが、ヒデが成功したのが唯一ペルージャだったように、セリエA流に言えばまずプロヴィンチアでレギュラーを取り、実績を作ることからはじめる。時間がかかるが、それしか道はない。川口、大久保、伸二、稲本の失敗──おそらくヒデも失敗だろう──に学ぶこと。
そして、もっと時間がかかるだろうが、経験と言えば、指導者側も「海外」のチームで指導経験を積むことだ。チャンピオンズリーグに出場するヨーロッパのチームのコーチに複数の日本人がいる時代が来なければ、代表チームも強くならない。