2016年ベスト

赤坂太輔 (映画批評)

映画ベスト

  • 『天竜区シリーズ』堀禎一
  • 『晩秋/かくも遠く、かくも近く』ジャン=クロード・ルソー
  • 『Eine andere welt/2084』クラウス・ウィボニー
  • 『ジョギング渡り鳥』鈴木卓爾
  • 『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』黒川幸則
  • 『影たちの対話/アルジェリア戦争!』ジャン=マリー・ストローブ

他には『ホース・マネー』『イレブン・ミニッツ』『トレジャー オトナタチの贈り物』『クリーピー 偽りの隣人』『SHARING アナザーバージョン』『ハドソン川の奇跡』『皆さま、ごきげんよう』『光りの墓』『太陽』。 
今年はルソー、ウィボニー、堀ら作家一人で撮った傑出したソロワークと、正反対のワークショップ集団制作の代表作『ジョギング渡り鳥』が現在の映像の両極を示している。大量の無個性的映像が消費忘却されていく時代に、一方は作り手一人で何ができるのかという究極の問いに答え、もう一方はつかの間のシェルターというべきワークショップのユートピアを追求する。そこまで制作が追いつめられている状況とも見えるが、可能性が広がっているとも見える。例えばスタッフ一人一人がソロとグループを行来して作品を作り、それが観客にとってごく普通に楽しみとなる時代になっていい。制作や配給や場所がそのニーズに対して変わっていくと面白くなると思う(もちろんその人々も自分自身の作品を作っているだろう)。 
ブッシュ以来トランプやルペンを支える人々のニーズに応える「わかりやすい」イメージの帰結は戦争の廃墟だが、それが実現してしまうのは情報に即時反応することに慣らされた人々が問題を解決するまでの時間と複雑なプロセスを見てとることに我慢できないからだ。例えば今年亡くなったジャック・リヴェットの映画はそうした時間をとらえることができるという実例だった。

こちらの仕事と重なって『ディアゴナル特集』に行けなかったのは残念(何本かは見ているが)。一方DVDでフランス・ファン・デ・スタークの未公開作、ネット上でマチアス・クロプチッチの初期作を見られたのは貴重。いつか上映してみたいものだが・・・

その他

小説は『孤児』(フアン=ホセ・サエール)『伯爵夫人』(蓮實重彦)『執着』(ハビエル・マリアス)あとはフアン・ベネトの『帰郷』あたりが出てくれないかな、と。

梅本健司 (高校生)

映画ベスト

  • 『白鯨との闘い』ロン・ハワード
  • 『ヘイトフルエイト』クエンティン・タランティーノ
  • 『クリーピー 偽りの隣人』黒沢清

受験生なので、2016年上半期公開作品のみから3本だけ。クジラの油のためとか、復讐のためとか、妻を守るためとか、あるいは犯人をつかまるためとか、とりあえずそこに理由や目的があるから闘いに挑んでいるはずが、その理由や目的はしだいに空虚なものになり、ただただ絶望的に、あるいは惨めに、さらに異常なまでに暴力に駆り立てられていく。しかしその絶望や異常さは、ひたすら自分たちの妄想を肥大化させ、他者を排除するために暴力を正当化しようとするこの世界へと目を開かせてくれる。

その他

  • 『恋のツキ』新田章
  • 『ザ・ファブル』南勝久
  • 『ハピネス』押見修造

荻野洋一 (番組等映像演出/映画評論)

映画ベスト

  1. 『リトル・メン』アイラ・サックス
  2. 『偉大なるメリエス』ジョルジュ・フランジュ
  3. 『ダゲレオタイプの女』黒沢清
  4. 『アメリカから来たモーリス』チャド・ハーディガン
  5. 『ジャクソン・ハイツ』フレデリック・ワイズマン

黒沢清は「外国映画に招かれた日本人監督」として、ソ連映画『デルス・ウザーラ』(1975)の黒澤明、フランス映画『マックス、モン・アムール』(1986)の大島渚でさえ到達し得なかった領域に足を踏み入れた。『ダゲレオタイプの女』は存在するだけで素晴らしい。『ダゲレオ~』以外は一般公開作ではなく、特殊上映や映画祭上映ばかり選んだ。このまま日本未公開に終わるとしたら、あまりにも惜しいからである。1位のアイラ・サックス作品は一見地味で、これと言って特色がないように思えるが、映画をたくさん見てきた人ほど良さの分かる、そんな滋味溢れる作品である。フランジュの『偉大なるメリエス』(1952)はアンスティチュの怪奇幻想映画特集で初見。『リトル・メン』『アメリカから来たモーリス』はTIFF、『ジャクソン・ハイツ』はラテンビート映画祭で上映。いずれも日本公開未定。ワイズマン作品は、オペラ座やナショナル・ギャラリーが写っていればBunkamuraで上映されるのに、NYクイーンズの移民街が被写体だとまったく相手にされないとすれば、われわれがいかに浅薄な観客であるかという証明になってしまう。嘆かわしいことである。

美術展ベスト

  1. サイ・トゥオンブリーの写真《変奏のリリシズム》DIC川村記念美術館
  2. メッケネムとドイツ初期銅版画《聖なるものと、俗なるもの》国立西洋美術館
  3. アンディ・ウォーホル《SHADOWS》グッゲンハイム・ビルバオ美術館
  4. ジョルジョ・モランディ《終わりなき変奏》東京ステーションギャラリー
  5. 涙ガラス制作所+中村早 二人展《Photoglass》西荻窪みずのそら

中国美術と日本美術を贔屓とする筆者としては珍しく、今年は欧米中心の選考となった。トゥオンブリーは前年の原美術館《紙の作品 50年の軌跡》に続いて、2年連続で回顧展が催された。アメリカで生まれイタリアの土となった、この奇怪な作風をもつ作家の日本における再評価がいよいよ本格化してきた。ウォーホル《SHADOWS》はスペインのバスク地方にロケで訪れた際、たまたまやっていた特別展。グッゲンハイムは常設展ともども大いに堪能した。もちろんフランク・O・ゲーリーの建築自体も。ガラス工芸の松本裕子(a.k.a. 涙ガラス制作所)、写真家の中村早は、私がいま最も注目している女性作家二人である。

その他のジャンルについてベストを。本=宮川隆画集『みやこ』(リトルモア)、演劇=SWANNY『女中たち』(柳橋ルーサイト・ギャラリー)、音楽=ウィリアム・クリスティ&レ・ザール・フロリサン『Bien que l’amour…airs sérieux et à boire』(仏Harmonia Mundi)、スポーツ=UEFA EURO 2016におけるアイスランド代表、食=Restaurante BeMa(スペインのミシュラン三つ星「マルティン・ベラサテギ」の2号店で、けっこう「分子ガストロノミー」していた)。

隈元博樹 (NOBODY)

映画ベスト

  • 『母よ、』ナンニ・モレッティ
  • 『幸せをつかむ歌』ジョナサン・デミ
  • 『シング・ストリート 未来へのうた』ジョン・カーニー
  • 『団地』阪本順治
  • 『パターソン』ジム・ジャームッシュ

「(演じられる)キャラクターの隣にいる役者が見たいの」という『母よ、』のマルゲリータ・ブイに導かれ、その真意に深く興味を覚えた5本です。たとえばそれはメリル・ストリープとメイミー・ガマーによる親子関係を越えた俳優としての似姿、現実と理想の中で葛藤する「シング・ストリート」バンドの飽くなき青春時代、団地の面々が繰り広げる荒唐無稽なアンサンブル(斎藤工の「どうもごぶがりです」キャラには今年一番救われた気がする) が示していたことではなかったのかなと思います。また『パターソン』は、STANLEYのランチボックスとともに流れていくアダム・ドライバーのミニマリズムをぜひともご覧になっていただきたいと思い、公開前ながら選ばせてもらいました。

その他に『グリーン・インフェルノ』(イーライ・ロス)、『砂上の法廷』(コートニー・ハント)、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ)、『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(黒川幸則)、『ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>』(デイヴ・グリーン)、『風に濡れた女』(塩田明彦)といった瑞々しくも特異な物語体験を擁する作品に出会えたこと、また今年は「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」の取材で拝見したブイ・タク・チュエンの『漂うがごとく』や、前作の『癒された地』といったベトナム映画を発見できたこともここに付記しておきたいと思います。

その他

  • 『バンコクナイツ』ジャパンプレミア爆音上映@YCAM(イベント)

    客席の下から突き上げてくるサブウーハの強烈な震動音をはじめ、上映中に何度か殺されかけました。『潜行一千里』のインスタレーションを寝そべりながら鑑賞する体験も格別で、タイ東北部イサーン地方の「モーラム」は、恍惚なケーンの調べとともに中毒性の高いトランスミュージックへと昇華されていくさまに圧倒されました。

  • 『映画という《物体X》フィルム・アーカイブの眼で見た映画』岡田秀則(書籍)

    国内外のアーカイブ事情やその変遷を紐解くための著物であると同時に、モノとしての物体ほど心を落ち着けて親身になれるものはないことを再認識させられた1冊。「私のシネマテーク修業日記 ノンフィルムの巻」の章で岡田さんがパリのアパルトマンで焼いているステーキもおいしくいただきました。

  • 「声ノマ 全身詩人、吉増剛三展」東京国立近代美術館(美術展)

    上京後すぐに大学で行われた大里俊晴さんとのライブセッションを目撃して以来、吉増さんから紡ぎ出される言葉に、いまもなお戸惑いを覚えてしまいます。曖昧に仕切られた空間の中に併置された多重露光の写真や書かれた原稿の数々、録音された「声ノート」のテープ、ハンマーで打ち付けられた言葉の銅板、「ゴーゾーシネ」と呼ばれる映像たちとは、声ノマの先にある「声の魔」を追求するあるべき表現の姿なのかもしれません。

  • 11/8~16 Autumn Meeting 2016@ダナン(ベトナム若手作家育成プログラム)

    「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」でお会いしたベトナムのファン・ダン・ジー監督にご招待授かり、今年で4回目となる同プログラムに日本人として初めて参加しました。アジアの同世代とともにトラン・アン・ユン先生の演出コースを受講し、並々ならぬ刺激を受けた次第です。詳しくは次号にてレポートします。

  • 京橋「びっくりうどん」(居酒屋)

    今年もっとも足を運んだ呑み屋だと思います。ドリンクは基本的にお金を払って自分で注ぎ、フードは前払い制のキャッシュオンデリバリー方式。座って落ち着くのも良いですが、僕は断然立ち呑み派。ランチもリーズナブルで良心的です。通称「BU」(ビーユー)。

坂本安美 (アンスティチュ・フランセ日本 映画プログラム主任)

映画ベスト(順不同、日本公開作品より)

  • 『ブリッジ・オブ・スパイ』スティーブン・スピルバーグ
  • 『ダゲレオタイプの女』黒沢清
  • 『ハドソン川の奇跡』クリント・イーストウッド
  • 『光りの墓』アピチャッポン・ウィーラセタクン
  • 『エヴリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』リチャード・リンクレイター

『ダゲレオタイプの女』を観たとき、黒沢清がここまで登場人物=俳優に寄り添い、信じ、一本の映画を撮ったことに感動した。主人公のジャンは「nobody」、誰でもない、取るに足りない青年であるが、ある写真家に雇われ、その娘に愛され、彼らに求められることで存在し始める。しかしその逆に彼らの存在はどんどん曖昧になっていく。それまでの時間が急に不確かになり、茫然としながらもジャンは「いい旅だったね」と口にし、観客である私たちは、ジャンとともにその「旅」を確かに過ごしたのだという思いで胸がいっぱいになる。
目の前のこと、そしてそれに対峙した自分を信じられるかどうか、それが『ハドソン川の奇跡』の核でもある。原題は『Sully サリー』、主人公である機長の名前である。途中何度も「サリー」と呼ばれる。もちろん彼の名前だから呼ばれて当然なのだが、呼ぶ声がどれもおぼろげに聞こえるのだ。乗客たちを助けた、いや危険に晒した、真逆であるふたつの評価の合間でその存在もおぼろげになっていき、生と死の境までおぼろげになっていく。おぼろげながらもその場所に立つ、立ち続けると決意することで「サリー」は「サリー」にふたたび、いや初めてなるのだ。
「立ち続ける」、『ブリッジ・オブ・スパイ』の中でソ連のスパイとして逮捕されたアベルはトム・ハンクス演じる弁護士のドノヴァンのことを『立ち続ける男(字幕では『不屈の男』)』と呼ぶ。『ブリッジ・オブ・スパイ』の賭け金は人と人の間でいかに「立ち、見続ける」ことだ。ドノヴァンは「ひとつ、ひとつ、一人、一人それだけしかない」、というような台詞を二回ほど口にしていた。スパイ映画の形を取りながらも本作はまずはひとり、ひとり、ひとつひとつと向かい合うことで映画が、世界が作られることを丁寧に見せてくれる。
『光りの墓』はまさにおぼろげなる生死の境界線の上に生きる人々であり、その両方を彷徨う人々の世界は哀しくも楽しい。アピチャッポンの世界はどんどんおおらかで大きくなっているように感じる。
楽しいといえば『エヴリバディ・ウォンツ・サム!!』。しかしともに楽しみ、ともに闘い、ほんの一瞬の青春を謳歌するためには「Good enough」でいなければならない。それはそれなりに過酷であるが、そのかわりとびきり楽しく、イカした瞬間が待っている。そう、ホークス的世界にようこそ!

その他

  • ” Would it help?”(台詞)

    つねに冷静にみえるアベルにドノヴァンが「不安にならないのですか?」と尋ねると、アベルは必ず、「Would it help?なにかそれが役に立つのでしょうか?」と返す。「A standing man」、「one, one, one」とともに『ブリッジ・オブ・スパイ』で耳に残った台詞。

  • トキオカ(飲食店)

    神楽坂のダイニングバーで昔から行きつけのお店だが、昨年は、仕事帰り同僚とともに、そして来日ゲストもお連れしてずいぶんよく通わせてもらった。カウンターに座ると、何も言わなくても店主のトキオカさんが次々に美味しい小皿料理を出してくれる。いつも笑顔でバーに立ち、アーティストでもある北林さんのチョイスで、他ではなかなか聞けないような日本のノスタルジックで現代的な音楽が聞ける。

  • 『エミリー・ディキンソン詩集』(書籍)

    「I’m Nobody! Who are you?」ときには驚くほど大胆で、勇敢で、ときには痛いほど繊細で…毎日のように手に取っていた詩集。

  • シャンタル・アケルマン特集 会場:アンスティチュ・フランセ東京(特集)

    誰かの特集を組むことは、その人の仕事、その人自身に自分がどこまで迫り、みなさんとどのくらいその世界をシェアできるか、という挑戦であるのだが、アケルマンは、厳しそうに見えて、こちらが真摯に向かい合おうとするとそれだけ親しげに受け入れてくれる作家のように感じた。そのせいか会場にはいつもたくさんの人が集まってくれ、特に若い人たちが多かったのが嬉しかった。

  • ドミニク・パイーニによる「リュミエール兄弟とフランスの芸術史:印象派の絵画と映画の発明」についてのアテネ・フランセ文化センターでの(講演会)

    印象派からリュミエール兄弟による映画の発明が、視線の歴史の上でいかに必然であったかを絵画やリュミエール兄弟の映画の抜粋とともに、見事に語ってくれたパイーニ。リュミエールの作品の中にすでに映画の演出、撮影方法のほとんど見えてくることをあらためて見せてくれた。

佐藤央 (株式会社イーストブロー取締役/映画監督)

映画ベスト(順不同)

  1. 『ブリッジ・オブ・スパイ』スティーブン・スピルバーグ
  2. 『ザ・ウォーク』ロバート・ゼメキス
  3. 『ロスト・バケーション』ジャウマ・コレット=セラ
  4. 『ハドソン川の奇跡』クリント・イーストウッド
  5. 『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』リチャード・リンクレイター

今年は封切りものが多作だった一年である。ここに上げた5本以外にも『白鯨との闘い』『キャロル』『幸せをつかむ歌』『ヤング・アダルト・ニューヨーク』『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』『ダゲレオタイプの女』など、最後までどうしても入れたいと思う映画が数多くあった。

特に『白鯨との闘い』の人間と自然描写の執拗な押し出し方は、成瀬の『浮雲』や溝口の『近松物語』を思わせる粘りを感じさせて素晴らしかった。ただ、今回は『白鯨との闘い』に代わる形で『ロスト・バケーション』を選ばせてもらった。陸がまったく見えずたどり着けるかどうかわからない不安と陸がすぐそこに見えているにも関わらずたどり着けない不安、集団で行動する男たちと若く美しい女性一人、鯨と鮫、見えないものと見えるものなどそれぞれ対比が際立つ2本であるが、海という自然を相手にどうサバイブするか?という点で一致する2本でもある。その意味で『白鯨との闘い』のアメリカ文学のスピリットを感じさせる重厚感ある描写よりも、『ロスト・バケーション』のほぼ水着姿のブレイク・ライブリーによるワンシチュエーションものというアメリカB級映画らしいスピリットをここでは買うことにした。

ボクシングベスト(順不同)

  1. 5月7日 ラスベガス
    WBCミドル級タイトルマッチ(155lbs契約)
    サウル・カネロ・アルバレスVSアミール・カーン
  2. 9月10日 ロサンゼルス
    WBCスーパーフライ級タイトルマッチ
    カルロス・クアドラスVSローマン・ゴンサレス
  3. 9月10日 ロンドン
    WBC・IBFミドル級タイトルマッチ
    ゲンナジー・GGG・ゴロフキンVSケル・ブルック
  4. 9月16日 大阪
    WBCバンタム級タイトルマッチ
    山中慎介VSアンセルモ・モレノ
  5. 11月19日 ラスベガス
    WBAスーパー・IBF・WBOライトヘビー級タイトルマッチ
    セルゲイ・コバレフVSアンドレ・ウォード

「1」と「3」は2階級下のカーン、ブルックを相手にPFPファイターであるカネロとゴロフキンがミスマッチを証明したファイトである。これらの試合がミスマッチではなくドリームマッチであるとして組まれた時、プロモーターたちが夢を語るツールとして援用したのが2008年のデラ・ホーヤVSパッキャオであったが、今は夢を語る時代ではないとばかりにカネロ、ゴロフキンの圧勝で終わった。とはいえ、とりわけカネロを相手にしたカーンの前半のスキルフルなファイトはこの試合にファンが見るはずだった夢をわずかの間だが確かに見せてくれた。方や、ゴロフキンを相手にしたブルックは彼の持っているポテンシャルの高さにも関わらず、わずかばかりの夢をファンに見せることもできずに終わった。これはブルックのせいではなく、単にすべてにおいてゴロフキンがブルックを上回っていただけのことである。その意味において、この2試合の質は大きく異なる。

そして何よりコアなファンが待望した「5」のコバレフVSウォードである。PFPのトップを決めるといっても過言ではないこの試合は、立ち上がりにコバレフがスキルでウォードを上回り、2Rにはウォードからダウンを奪うという予想もしなかった幕開けとなった。しかし、圧倒的劣勢から5Rには試合を立て直し、中盤~終盤にかけて各ラウンドともわずかな差ながらもポイントをピックし続けたウォードの勝利は、彼のメンタルの強さ、修正能力、そしてマネジメント能力の高さに改めて胸を撃たれた素晴らしい試合であった。

杉原永純 (山口情報芸術センター[YCAM]シネマ担当)

映画ベスト

  • 『バンコクナイツ』富田克也(YCAMスタジオA《爆音上映》/2016.9.24)
  • 『この世界の片隅に』片渕須直(イオンシネマ防府/2016.11.21)
  • 『淵に立つ』深田晃司(XXI Empire(インドネシア・ジョグジャカルタ)/2016.11.29)
  • 『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』スティーブン・スピルバーグ(機内モニター(吹替)/2016.11.28)
  • 『劇場版501』ビーパップみのる(ユーロスペース/2016.2.18)

『ブリッジ・オブ・スパイ』、『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』、『ハドソン川の奇跡』、『スーサイド・スクワット』、『ズートピア』などなど見逃している作品があまりに多い。アメリカ映画を普通に見たいだけなんだけど、その普通はもはや地方にはない。 
『BFG』は、ほとんどまともに上映された気配もなく、見ようと思った時はとっくに終わっていて、結果ガルーダ航空の、ローファイな小さなモニターで食いつくように見た。メリッサ・マシスン追悼。 
到着したジョグジャカルタで翌日『淵に立つ』を、ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭で見た。隣のスクリーンでアクション大作か何かをやっていたらしく、低音がこちら側にガンガン漏れていたのだが、『淵に立つ』のおそらくほとんど音のないシーンで、その低音が今こちら側のスピーカーから鳴っているSEなのかどうか判然としないまま、絶妙な不穏さを余計加速させた。深田晃司監督作に伏流する、人間への絶望に対して共感する。 
『この世界の片隅に』を見て、近所のイオンシネマの5.1chがきちんと生きていたことに驚く。『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』、『ワイルド・スピード SKY MISSION』でも眠ったままだったサラウンドシステムが叩き起こされる、なんとも豊潤な音響設計。 
『バンコクナイツ』は、瞬間熱量を共有し、参加した履歴のみ残せばあとは忘却するためのイベントとしての現代日本映画から遠く離れた傑作。『サウダーヂ』にはまだあった憧憬が昇華した先の、森の奥で紡がれるゲリラの映画。山﨑巌さんによって一回限りのYCAM爆音の環境に完全にチューニングされた爆音上映は2016年の映画体験ベストワン。そして世界を歪ませるようなモーラムの強靭さ。映画が映画からこぼれ落ちていく至福の体験、限りなく豊かな映画。 
『劇場版501』しょうもなく、どうしようもなく、しかし絶対に忘れられないスクリーン体験。何にも似ていなく、映画には絶対に似せようとはしまいとするみのるさんの断固たる意志による10年に一本の怪作。

映画が映画以外のものをいかに掴み得るのか、容れ物としてどこまで柔軟でありえるか、その観点で興味深かった5作品です。

ホテル私的5選

  • 東急ステイ渋谷
  • ホテルモントレ半蔵門
  • De Laxston(ジョグジャカルタ・インドネシア)
  • ナインアワーズ京都
  • 金沢都ホテル

今年は遠出が増えた。6月は「バンコクナイツ」展示づくりのためにタイ~ラオス、11-12月は映画祭に参加するために、ジョグジャカルタにゆったりと滞在できた。De Laxstonは朝食が美味かったらほとんど完璧だった。 
カネに余裕ができたら東急ステイ渋谷には住んでみたい。これまで渋谷新南口、西新宿の東急ステイは泊まったことがあるが、神泉からほど近い東急ステイ渋谷は立地的にも自分にとっては大変快適。モントレ系列は神戸、横浜と泊まったが、これも半蔵門が良い。そういえばこの近所に以前のPFF事務局が入ってたぴあの本社があってバイトに行ってたなあと思い起こした。ナインアワーズ京都は、快適な牢屋。 
今年最後の出張は金沢で、惜しくもカナザワ映画祭が今年幕を閉じた都ホテルで、今この原稿を書いている。1泊だけしたラオス首都ヴィエンチャンのホテルも印象に残っているが、名前を覚えていない。

高木佑介 (NOBODY)

映画ベスト(順不同)

  • 『インデペンデンスデイ:リサージェンス』ローランド・エメリッヒ
  • 『サウスポー』アントワーン・フークア
  • 『インフェルノ』ロン・ハワード
  • 『ハドソン川の奇跡』クリント・イーストウッド
  • 『ズートピア』リッチ・ムーア、バイロン・ハワード

ベストを選出できるほど映画を見ていないのだが、2016年に心に残った作品5本をとりあえず。『インデペンデンスデイ:リサージェンス』は作品の出来映え云々はともかくも、前作から20年のあいだに何があったのかを考えさせることもないほどの楽天的な作品に見える一方で、トランプが大統領になった世界を風刺/予言しているかのような不気味さを持つ明るい破滅映画だった。アントワン・フークアはいまや封切り作品があればすぐさま駆けつけたくなってしまう監督のひとり。馬鹿馬鹿しいまでのヒーローものだった『イコライザー』に続き、この『サウスポー』もとても面白く見た。シリーズ3作目となる『インフェルノ』のトム・ハンクスは、同じくロン・ハワード『白鯨との闘い』の船員たち以上に白鯨を追いかけている人物のように見えた。記号の海のなかで自信満々に謎やサインを解読してみせる彼はほとんど狂人にしか見えない。『インフェルノ』が破滅を回避するために奔走する映画だった一方で、『ハドソン川の奇跡』は回避のあとに破滅的なイメージを垣間見るという作品だった気がする。『ズートピア』は、どうしてなかなか、見ていてはっとさせられる瞬間が数多くある忘れ難い作品。

2016年の思い出など

  • 展覧会:古代ギリシャ展@東京国立博物館

    どこが良かったというわけでもないが、真夏の暑さを逃れて涼しい博物館のなかで何千年も前の器や像に囲まれているのはとても心落ち着く経験だった。厳かな表情のアリストテレス像が心に残った、夏休みらしい展覧会。

  • もの:Carharttのアクティブジャケット(ブラック)

    精神錯乱騒ぎのあったカニエ・ウエストも着ている超頑丈なワーカー向けフード付ジャケット。フィリップ・ガレルとフローベールが大好きな友人がとても格好良く着こなしていたのを見て、内緒で色違いを購入。値段も格安で、羽織ったときのざっくり感がすごく良い。真似したのがバレないようにこっそり着ている。

  • 食1:有楽町「後楽そば」の焼きそば

    有楽町駅前のガード下にあった立ち食いそば屋。2016年5月に閉店。ここの焼きそばが好きでランチタイムに何度も足を運んだ。味は大して美味くなかったけれども、店構えと卓上に大量の刻みネギがデフォルトで用意されているのが魅力だった。

  • 食2:ペペロンチーノなるもの

    バイトで働きはじめたイタリアン・バルで、生まれてはじめてペペロンチーノをつくったのだが、これがすごく奥深い代物だった。基本はオイル、にんにく、鷹の爪のみ。別名は「絶望のパスタ」というらしい。シンプルな味付けなだけに、なかなか美味しくつくれない。今後も追求してみたい一品。

田中竜輔 (NOBODY)

映画ベスト

  • 『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』リチャード・リンクレイター
  • 『あなた自身とあなたのこと』ホン・サンス
  • 『団地』阪本順治
  • 『ザ・ウォーク』ロバート・ゼメキス
  • 『夏の娘たち ~ひめごと』堀禎一

きわめて小さな目の前の世界に執着しているように見えながら、そこでの物事があたかも世界の果てから知覚されているような、いささかちぐはぐな遠近感を有した映画たちを選んだ。『ジョギング渡り鳥』(鈴木卓爾)の宇宙人たちと、『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(黒川幸則)の飲ん兵衛たちは、私にとって今年の映画で最も愛すべき「ふつうの人々」だったが、先に述べた「ちぐはぐな遠近感」というのは、ひょっとすると彼らの知覚に似ているのかもしれない。目の前の出来事に対して安直な白黒をつけることをいったん放棄し、永遠に続くかのごとき留保を揺蕩うように耐え忍ぶことで、宇宙人や飲ん兵衛たちは己の生を未決定なままに持続させる。それはもちろん彼らの自由の表明でもあるのだろうが、同時にこの世界に対する闘い方のヴァリエーションを教えてくれるものであるように思う。なお、最後の堀禎一監督作品は公開待機中の新作で、監督の御厚意で一足早く見せて頂いたものだが、今夏に上映された「天竜区」シリーズの延長線上で撮られたような劇映画で、本当に驚くべき作品として結実している。少しでも多くの観客の目に触れるよう期待を込め、公開前だが2016年のベストにした。

5つの読書

  • 『埋葬』横田創

    なぜか手にしてから一年近く積ん読だったが、それは完全に過ちだったと反省するほどの大傑作。妻と娘の死についての夫の手記といくつかの証言やその犯人とされる男の告白を紡ぐ言葉は、いつの間にかその語り手の人称を逸脱していき、気づけばいったい誰の言葉がそこにあるのかがまるでわからなくなる。映画のベストで記した「ちぐはぐな遠近感」と通じるような何かが、この小説では言葉において織り成されているように思えた。本書が絶版なのは明らかな文化的損失だと思う。文庫化を願います。

  • 『リープ・イヤー』スティーヴ・エリクソン

    この異様な大統領選の年に、このフィクションを通読できたことは大事な経験だった。選挙というシステムがいかなる希望や欲望を満たすものなのかについては、少し改めて勉強し直したい。このシステムが人類に今何をもたらしているのか、それは本当に平等を生み出しうる装置なのか、といったことが本当にわからなくなってきている。この小説はそれに解を与えてくれるようなものではもちろんないが、そこに疑いを積極的に導入する契機を与えてくれるという点で今もなお、否、今でこそ重要な作品だと思える(これも邦訳は絶版……)。

  • 『クロックワーク・ロケット』グレッグ・イーガン

    世評を耳にしてから絶対に手に負えないと思っていたが、つい磨がさして読んでしまった。解説も何度か読み直してはいるのだが、理論的な事柄は5%も理解できてないと思う……。とはいえある種の言語実験のように読んでしまった以上、その理解の及ばなさを含めていったいこの異様な小説がどこに辿り着くのかだけは確かめるために、もっと難しくなるとのことだが、続編にも挑戦するつもり。頑張りたい。

  • 『植草甚一自伝』植草甚一

    秋頃に唐突に植草ブームが再来して、既読本のほか関係書や未読のものをいくつか手に取った。本書も初読。これを自伝と言ってしまうことに素直に驚いたのだけど、しかしよく考えてみるとぜんぜんおかしくないとも思えてきた。結局のところ植草甚一って誰なのだろう? 実際に植草氏と交友関係にあった人たちの語る植草像だとか、あるいは植草論として書かれた書籍の記述を読んでいても、どんどんイメージは横滑りしていくばかりで、何も固まらない。当時の日誌などを再読していると、この人は本当に実在したのかどうか、ことによるとこの人は架空の長編小説の登場人物なのではないか、という疑いを抱くようになった。たぶんその疑いはある面で正しい、はず。

  • 『JUSTICE LEAGUE: DARKSEID WAR』『DC UNIVERSE: REBIRTH』ジェフ・ジョンズ

    個人的に今年一番の収穫は、アメリカン・コミックスというものの面白さに魅入られたことで、今や財布を投げ捨てる勢いでハマり込んでいる。そのなかでも今年のDCコミックスの目玉となったこの2作は、作品がそれを成り立たせているシステムや歴史自体を問い直す構造を内包しているという点でも、非常にドラマティックで刺激的だった。ライターのジェフ・ジョンズは現在のDCコミックス全体の統轄者の立場にある人物で、DCEUと名付けられた映画シリーズ製作にももちろん関わっている。ザック・スナイダーの『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は成功しているとは言い難く(とはいえ個人的には『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』よりも遥かに良いと思っていますが)、続く『スーサイド・スクワッド』に至っては目を覆わんばかりの有様だったが、2017年公開予定の『ワンダーウーマン』以降には、このジョンズが脚本に本格的に関わり始めたとのことで、大いに期待。しかし何よりもベン・アフレック監督・主演による「バットマン」がひたすら待ち遠しい。

常川拓也 (映画批評)

映画ベスト

  1. 『ソニータ』ロクサレ・ガエム・マガミ
  2. 『リトル・メン』アイラ・サックス
  3. 『シング・ストリート 未来へのうた』ジョン・カーニー
  4. 『マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり』ベン・パーマー
  5. 『ワタシが私を見つけるまで』クリスティアン・ディッター

1.法律で女性が歌うことを禁じられた国イランでラッパーになることを夢見るアフガニスタン難民の少女ソニータを追った、ドキュメンタリー版『裸足の季節』的な傑作。兄の結納金のために母親から花嫁として身売りさせられそうになった体験を彼女が自身の言葉でスピットした曲「BRIDES FOR SALE」が痛切に胸に迫った。ヒップホップが沈黙を強いられてきた者にいかに力(言葉)を与えるか、そして、作り手が被写体に対して親身に寄り添うことでいかなる関係を築くことができるかを示した点などに非常に感銘を受けた。 
2.『人生は小説よりも奇なり』のアイラ・サックスのビターな新作で感じたのは、私がとりわけアメリカ映画を観て感動することのひとつに、ハグという行為の持つ静かなエモーションがあることへの再認識だった。『リトル・メン』ではそのようなアメリカ的な身振りが、繊細に美しく描かれていたような気がしている。また、第29回東京国際映画祭では、ティーンを描いた青春映画を特集した新設のユース部門が出色だったことも書き留めておきたい。 
3.ただひとり夢が破れた後の人生を生きるかのようなロック狂の兄ブレンダン(ジャック・レイナー)の言葉が胸に沁みた。 
4.“Fuck the past”! サイモン・ペッグとレイク・ベルの相性が抜群で卒倒しそうになったロマンティック・コメディ。ほか、『浮き草たち』(アダム・レオン)、『Me Him Her』(マックス・ランディス)、『Barefoot』(アンドリュー・フレミング)といったロマンティック・コメディもとても印象深い。 
5.ダコタ・ジョンソンとレベル・ウィルソンの快演に元気が出るし、劇中で使われているポップ・ソングがホットでとても楽しい。マンハッタンでシングル・ライフを謳歌する女性の友情を描いたコメディと言えるが、シスターフッドというコンセプトを描きつつ、孤独を愛するというテーマにも展開していくあたりに好感を抱いた。その意味で、シェリル・ストレイドの自叙伝『私に会うまでの1600キロ』のレファレンスがあることも興味深い。ドリュー・バリモアが製作総指揮のひとりを務めている。

なお、以下、6.『ホワイト・ガール』(エリザベス・ウッド)、7.『お嬢さん』(パク・チャヌク)、8.『ドント・ブリーズ』(フェデ・アルバレス)、9.『最後の追跡』(デヴィッド・マッケンジー)、10.『コップ・カー』(ジョン・ワッツ)を挙げたい。また、『最高の家族の見つけかた』におけるマーゴ・マーティンデイルと、『ブルージェイ』におけるサラ・ポールソンのパフォーマンスも忘れがたい。

ベスト・ソング(順不同)

  • C.O.S.A.×KID FRESINO「LOVE」

    JJJによるトッド・ラングレン「マーリーン」をサンプリングしたメロウなトラックが抜群にかっこいい。すべてが際立ってハイセンスな日本語ラップの最先端。

  • Snowgoons「Goon Bap ft. Sicknature & Reef The Lost Cauze」

    一切トレンドに流されず、90年代のオールドスクールなブーム・バップ(Boom Bap)へオマージュを捧げた太く重いビートがドープ。

  • Princess Nokia「Tomboy」

    1992年NY生まれのいま最も注目すべきフェミニズム・ラッパー、プリンセス・ノキアは、この曲の中で“with my little titties and my phat belly”と何度も連呼し、自らの小さな胸と脂肪のついたお腹について、自身の体型について誇らしくスピットする。M.I.A.やSantigoldなどからの影響を感じさせる優れた音楽性を持ち、自らの身体をもってボディ・ポジティヴなメッセージを謳う姿が素晴らしく、たとえばレナ・ダナムと通じるフェミニズムがそこに認められるかもしれない。MVは必見。“My body little, my soul is heavy”!

  • Nadia Rose「Skwod」

    1993年サウスロンドン生まれのフィメール・ラッパー、ナディア・ローズが、全身アディダスに武装したガール・ギャングを引き連れてクロイドンのストリートをリズミカルに闊歩する様をワンテイクで捉えたMV、そして彼女たちのなめらかで楽しいダンスが最高。

  • CupcakKe「LGBT」

    1997年シカゴ生まれのフィメール・ラッパーによるド直球なLGBT讃歌。笑ってしまうほどカラフルかつパワフルで祝祭的なMVのインパクトに一票。

中村修七 (映画批評)

映画ベスト

  • 『ブリッジ・オブ・スパイ』スティーブン・スピルバーグ
  • 『山河ノスタルジア』ジャ・ジャンクー
  • 『ホース・マネー』ペドロ・コスタ
  • 『イレブン・ミニッツ』イエジー・スコリモフスキ
  • 『ダゲレオタイプの女』黒沢清

『ブリッジ・オブ・スパイ』は代理・表象をめぐる映画だ。人質たちは、弁護士によって代理される。そして、人質たちの不等価な交換は、国家の庇護から放擲された弁護士が橋の真ん中に立ち尽くす姿によって表象される。 
ジャ・ジャンクーは、故郷へ寄せる感情を取り上げ、自身の故郷である汾陽を舞台とした。『山河ノスタルジア』において、故郷への回帰は、物語における主題として表れているだけでなく、撮影地の選択としても表れている。 
『ホース・マネー』は、手の震えが止まらず記憶の欠落を抱えた男を見つめ、その肉体が語る歴史に耳を傾ける。ペドロ・コスタは、どこへ連れて行かれるのかも分からないまま、異形の存在に付き添ってゆく。 
『イレブン・ミニッツ』は、破局へと向かう時限装置が既に作動している一つの世界を複数の視点から捉えている。その中にはゴダールの近作『さらば、愛の言葉よ』のように犬の視点さえ含まれているのだから、スコリモフスキは、終末論的な悲観主義とはまったく異なる野心的な態度でこの映画を作り上げている。 
『ダゲレオタイプの女』の黒沢清は、怨念とも狂気とも愛とも定かではない理由によって幽霊を出現させることでジャンルを越境し、映画の理想形へと歩みを進める。

美術展ベスト

  • 「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」東京ステーションギャラリー
  • 「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」東京国立近代美術館
  • 「杉本博司 ロスト・ヒューマン」東京都写真美術館
  • 「トーマス・ルフ展」東京国立近代美術館
  • 「Charlotte Dumas – Stay展」Gallery 916

ジョルジョ・モランディの油彩画においては、画面の構築とフォルムの溶解が共になされている。セザンヌが水浴図でおこなったことをモランディは静物画でおこなったのかもしれない。
吉増剛造にあっては、驚異的なことに、併存しないはずのものが併存する。彼の創作を突き動かしているのは、未だないものへの好奇心でもあるし、かつて見た記憶があるものへの憧れでもあるだろう。彼の作品は、記憶に働きかけると同時に、記憶に新しい結びつきを作り出す。
新作「廃墟劇場」シリーズを見ると、杉本博司が「劇場」シリーズを続けてきたのは廃墟化した劇場の作品化へと到るためだったのではないかとさえ思わされる。廃墟を照らす光が滅亡の前の最後の輝きなのか、あるいは救済を導く光なのか、人類には未だ確かなことは分からない。 
トーマス・ルフの作品は、ステレオタイプと紙一重だ。しかし、彼の面白いところは、ステレオタイプからのずれにあるだろう。彼は、誰もが目にしたことのあるようなものから誰も見たことがないものを作り出す。 
シャルロット・デュマは、慎み深く日本の在来馬たちと接する。被写体に対する敬愛の念と自身の仕事への誇りを持って写真家が作品製作をしていると感じられる素晴らしい作品だ。

則定彩香 (NOBODY)

映画ベスト

  1. 『ヒッチコック/トリュフォー』ケント・ジョーンズ
  2. 『母よ、』ナンニ・モレッティ
  3. 『ジャングル・ブック』ジョン・ファヴロー
  4. 『SHARING』篠崎誠
  5. 『サウルの息子』ネメシュ・ラースロー

もっと早く、50年くらい早く生まれていたら名作の封切りに立ち会えただろうとずっと悔しく思っていたのを『ヒッチコック/トリュフォー』が思い直させてくれた。もちろん名作と呼ばれる過去の作品は見るべきだけど、それだけじゃなくて今封切られている作品を私たちがちゃんと追いかけなければならないというのを思い出させてくれたので、1位。以下はこれからも追いかけるべき「現代の映画作家」として作品を作っていると感じた監督の作品4本。古い作品では『アンジェリカの微笑み』や『地球に落ちて来た男』も変な映画で面白かったし、特集上映ではサミュエル・フラー特集、ロメール特集などにも通えたいい年だった。

今年のお気に入り

  • 瀬戸内国際芸術祭2016(芸術祭)

    念願の内藤礼「母型」を見ることができたし、それも綺麗に晴れた日だったので、格別だった。その他にも安藤忠雄、ジェームズ・タレルなど肝心なところは押さえることができて、いい旅だった。

  • フランソワ・トリュフォー『映画の夢 夢の批評』(1979年、書籍)

    冒頭に収録された「批評家はなにを夢見るか」のトリュフォーらしいまっすぐで素直な映画愛が、これからも映画ファンでいていいんだという勇気をくれたので、古い本ながら挙げさせていただいた。これから修論で心が折れそうになったときは、何度でも読み返したい。

降矢聡 (映画批評/グッチーズ・フリースクール主催)

映画ベスト(順不同)

  1. 『グランド・ジョー』デヴィッド・ゴードン・グリーン
  2. 『白鯨との闘い』ロン・ハワード
  3. 『最後の追跡』デヴィッド・マッケンジー
  4. 『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』アルバート・メイスルズ
  5. 『ディア・ホワイト・ピープル』ジャスティン・シミエン

1.セス・ローゲンから離れた(?)デヴィッド・ゴードン・グリーンの近作は、世界の片隅で孤独に生きる人々のリアルを見つめながらも生の豊かさを感じさせる初期のころの凄みを取り戻しつつある。同監督の『選挙の勝ち方教えます』はしれっとDVDスルーになっていた。
2.『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』と『インフェルノ』も公開されたロン・ハワード・イヤーというだけでうれしい1年だった。『白鯨との闘い』の極小スケールといった趣の『ロスト・バケーション』(ジャウム・コレット=セラ)も印象深い。
3.どんなにオイルが湧き出ようと決して潤うこともないアメリカの物語。乾ききった銃声、着弾の響きとともに忘れられない一本になった。
4.若きファッショニスタ、タヴィ・ゲヴィンソンを前にした94歳のファッショニスタ、アイリスの圧倒的な若さといったら!そんな彼女をなんのてらいもなく飄々と撮る80後半のアルバート・メイスルズの清々しさ。
5.今年の青春映画の一本としてぜひともユーモラスな語り口とシビアな内容を同居させたジャスティン・シミエンのこの長編デビュー作を挙げたい。そして今後も期待したい。

書籍ベスト(順不同)

  • 『金持ちは、なぜ高いところに住むのか 近代都市はエレベーターが作った』

    たしかに。なぜなのか。と気になり本書を読んでみると、複雑に入り組んでいたものを垂直方向へと均一化、一本化されていく際の空間変容のダイナミズムや、金持ち/貧乏ではなく「平等をもたらす偉大なもの(グレート・レベラー)」としてのエレベーターの考察が面白い。タイトルになかば騙された感がある。

  • 『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』

    例えば、史上初の音を記録する装置を発明したエドアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルは、しかし音を再生する機能を付け忘れていた。というくだりを読んで、なんというおっちょこちょい!と思ったあなたは(僕も)、もうこの本の虜だ。

  • 『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』

    言葉、対話を失い沈黙する人々が、自分、そして世界のことについて語り始める瞬間はいつでも素晴らしい。本、そして読書に対する愛はもちろん、語り出すことの勇気と希望がぎっしりつまっている。

三浦翔 (NOBODY)

映画ベスト

ヘイトスピーチや沖縄の基地問題が日本のなかでは目立ち、アメリカでは劣悪な言葉を吐き散らしたトランプが大統領選を制するような時代、「分断」という言葉よりも、「差別」という言葉を強く意識しました。より構造的なレベルでマイノリティーを排除すること。こんな時代だからこそ、闘争的な映画が求められるのかと言えばどうなのだろうか。むしろ、難しい理論をこねくり回すよりも、鬱々した閉塞感を語るよりも、新しい観客をつくるために「単純さ」のことを考えていました。「単純さ」と言えば、今年亡くなったジャック・リヴェットのホークス論を思い出さずにはいられないのですが、いまの時代にクラシック=古典とはなにか、「あるものはある」と言わんばかりの「単純さ」で観客を驚かせる映像とはなにか、を考えることを考えています。

ここに選んだ5本はそのヒントになったものです。ベスト5に入れられませんでしたが、山戸結希『溺れるナイフ』、トッド・ヘインズの『キャロル』、黒川幸則『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』も擁護したい作品でした。アジェンデと民衆の『チリの闘い』、そして機械かパイロットの判断かを問う『ハドソン川の奇跡』は、政治家や英雄を描いた2本。『息の跡』の知性とユーモア溢れる佐藤さんの祈り、ぴあフィルムフェスティヴァルで出会えた『おーい、大石』の菊沢さんと大石さんの日常には収まらない身体、『わたしの自由について』でSEALDsの底なしの明るさ=笑顔によって肯定される「正しい政治」。どの作品も決して古びずに繰り返される「人間」への問いを、その作品の「単純さ」で問い掛けていたように思います。

舞台芸術ベスト

  • 地点『スポーツ劇』KAAT
  • 地点『かもめ』吉祥寺シアター
  • 大道寺梨乃『これはすごいすごい秋』blanClass
  • 劇団 唐ゼミ☆『腰巻お仙』新宿中央公園 水の広場 特設劇場
  • 吉増剛造×空間現代(「声ノマ 全身詩人 吉増剛造展」特別パフォーマンス)国立近代美術館

舞台芸術関連の今年を考える上で、わたしにとって大きかったのは、8月にSTスポットで行われた「緊急ミーティング:政治、いや芸術の話をしよう」でした。僕にとってはなんとも煮え切らない会だったのですが、演劇の政治化へ違和感を示しつつも政治を考える、その中途半端さにこだわる批評家:藤原ちからさんの宙吊りな思考に巻き込まれることで、見えないものが見えてきたように思います。大きな発見は、大道寺梨乃さんの「私的」なところを守りながらも、国境も何もかもを乗り越えていく力強さでした。 
それから、「いまの日本の演劇には作家がいないことが悲劇だ」と語る、演出家:三浦基率いる地点の舞台は、なにより映画において作家主義が通用しないことも同時に考えなければいけない、重要な問いを含んでいるように思いました。唐十郎の戯曲『腰巻お仙』は60年代の作品ですが、愛国心と左翼的な思考が入り乱れる人間を、いまどの作家が問うことが出来るでしょうか。 
それから、吉増展での空間現代とのコラボは、吉増の詩を徹底的に現代的な音と光で物質化していき、まるで空間自体が叫ぶような圧巻の交霊パフォーマンスでした。

渡辺進也 (NOBODY)

映画ベスト

  • 『人生は小説よりも奇なり』アイラ・サックス
  • 『団地』阪本順治
  • 『ジャングル・ブック』ジョン・ファヴロー
  • 『ダイアモンド・アイランド』デイヴィ・シュー
  • 『ハドソン川の奇跡』クリント・イーストウッド

順不同。2016年はニューヨーク映画の良作が多かったのではないか。フランス人フィリップ・プティが見る1974年のニューヨークを描く『ザ・ウォーク』から、住宅状況や性愛をモチーフにニューヨーク以外では撮れない『人生は小説よりも奇なり』があり(同監督『リトルメン』も然り)、ニューヨークを守る女性たちの戦い『ゴーストバスターズ』があり、『ハドソン川の奇跡』もまたニューヨーク映画の1本として考えられるかもしれない。マーヴェルものなど概して特定の都市が描かれない大作ものばかりが目立った中で大変嬉しいことであった。都市の映画という点では、最もカンボジアらしくないところを撮ることで現在のカンボジアを移しとろうとする『ダイアモンド・アイランド』もまた好感を持った。
『ハドソン川の奇跡』における感動的な行動をちゃちな映像で再現するという対置にただ驚かされ(これは人工知能について描いているのではないかと思うのはうがった見方だろうか)、『団地』の藤山直美にはただただ感心してしまい、『ジャングルブック』のビル・マーレイとクリストファー・ウォーケンの軽さはただただ楽しかった。

その他

  • 「将棋エッセイコレクション」(ちくま文庫)
  • 「将棋自戦記コレクション」(ちくま文庫)
  • 「将棋観戦記コレクション」(ちくま文庫)
  • 「不屈の棋士」大川慎太郎
  • 「ルポ電王戦」松本博文

2016年は将棋の本ばかり読んでいた。たぶん人工知能への関心あたりの興味から手を伸ばしたように思う。未だ将棋を指す面白さはよく分かってないが将棋を巡る文章はすこぶる面白かった。誇りと矜持と、覚悟と根性と、強さと弱さと、それらを棋士たちは盤上で、そして文章で剥き出しにする。大げさなことを言ってしまえば、将棋に文学を見つけたことに感動したのである。