特集『彼女のいない部屋』

「家出をした女性の物語、のようだ」というごく簡素な物語の中に、いくつものボイスオーバー、モンタージュ、音の調べが重なり合っていく。一見「家出をした」とされる主人公・クラリスの振る舞いや囁きは、見る者を戸惑わせ、置かれた現実と妄想とも言える理想(イメージ)との彷徨を通じて、ある種の不確かな状況さえ浮き彫りにさせてしまうのかもしれない。だが、そのような不確かなものであるからこそ、映画がもたらす新たな発見と希望は生まれ、あらゆる状況に囚われるのではなく、ともに生きていくことの源泉として目の前に立ち現れてくるのではないだろうか。
この映画(もしくはクラリス)に寄り添ってみたい。原題の”Serre moi fort” に呼応するように、NOBODYでは本作をめぐる3つの論考を通じて、その声に耳を傾けてみたいと思う。

*近日、マチュー・アマルリック監督インタビューを本特集内にて掲載予定です

8月26日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次公開

公式サイト:https://moviola.jp/kanojo


『彼女のいない部屋』
2021年/フランス/97分/アメリカン・ヴィスタ
原題:SERRE MOI FORT/英語題:HOLD ME TIGHT
監督:マチュー・アマルリック
出演:ヴィッキー・クリープス、アリエ・ワルトアルテ
日本語字幕:横井和子
配給:ムヴィオラ
8月26日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次公開
© 2021-LES FILMS DU POISSON–GAUMONT–ARTE FRANCE CINEMA–LUPA FILM

ともに生き延びる

© 2021-LES FILMS DU POISSON–GAUMONT–ARTE FRANCE CINEMA–LUPA FILM

池田百花

 物語は、ベッドの上に裏返しに並べられたポラロイド写真のイメージから始まり、そこで主人公のクラリス(ヴィッキー・クリープス)が、トランプで遊ぶ時のようにそれらをめくっては元通りに裏返して苦しそうにわめいている。そしてショットが切り替わり、今度はひとりでドライブしながら、彼女がカセットに録音した娘の拙いピアノの演奏を聞いていると、その音が別の場所から、つまり「彼女のいない部屋」から聞こえてくる。そこにはピアノを弾く娘と息子、そして父親がいて、彼らは彼女のいない日常を送っているのだが、ふたつの異なる空間にいるはずのそれぞれが発する声や音がまるで交感しているかのように響き合う。こうして、物語の時間軸は定まらず、つじつまの合わない描写が重ねられていく中で、あらゆる事実関係が宙吊りにされたまま、しかしここに映っているのが、おそらく何か決定的なことが起こってしまった後の光景であることが伝わってくる。

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愛の発明

© 2021-LES FILMS DU POISSON–GAUMONT–ARTE FRANCE CINEMA–LUPA FILM

秦宗平

 私たちが生きる時間は、一人きりでいる時間と、誰かと一緒にいる時間の二つに分けられる。そして、一人でいる時間とは文字どおりの意味だけでなく、いつだって、私にとってだけの誰か(何か)がそばにいない時間、というものを措定している。いてもいなくても、誰かという存在が、私たちが生きるすべての時間に横たわっている。

 映画作りをああでもないこうでもないと、もがき楽しんできた映画作家、マチュー・アマルリックの新作『彼女のいない部屋』は、家出をした女性の物語、のようである。一人で車を走らせているクラリスは、夫のマルク、娘のリュシー、息子のポールがそこにいない時間から逃避し、そこにいる時間をいつくしむ。彼女は、すべての時間を懸命に生きている。

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喚起する音、そして悲しみを取り戻す

© 2021-LES FILMS DU POISSON–GAUMONT–ARTE FRANCE CINEMA–LUPA FILM

養父緒里咲

 クラリス(ヴィッキー・クリープス)は、並べた写真を神経衰弱のように合わせていると思うと、「やり直す」と何度も口走りながら、写真を叩きつける。写真には、家族や家の中が写っている。これらの写真や、「やり直す」という言葉は、今までやってきた何かが、彼女が求めるものと違っていることを思わせる。彼女は、写真に写っている何かあるいは写っていない何かに不満があるために、家族との関係をやり直すのか、過去をやり直すのか、それとも自分の人生をやり直すのか。
 彼女が家を出る直前、落とした鍵がピアノの鍵盤を叩く。その一音が鳴った瞬間、画面の中に流れる時間が変わってしまったように、誰もいないはずのダイニングからリュシー(アンヌ=ソフィ・ボーウェン=シャテ)とポール(サシャ・アルディリ)の声が聞こえ、クラリスのいない朝食が始まっている。他方でクラリスは、ひとり車に乗り「家を出た」と想像してると言い、家出をしていて、どうすれば良いのか、家族が自分についてどう思っているのかについて悩んでいる。しかし、彼女が家を出た理由が必要だと言ったことに対して、家族が話し合っている。クラリスと他の家族3人の思考が、一致しているのだ。それだけでなく、家出をしたクラリスとマルク(アリエ・ワルトアルテ)は頭の中で直接会話し、リュシーとノートを通じて会話する。正直、最初は意味がわからなかった。かと思えば、4人揃って庭で話をしていたり、ポールがママを捨てたのはパパだと言ったりする。このことから、それまで感じさせられていた違和感の正体のひとつは、クラリスの言っていることや考えていることは、何かが現実と違っているという点にあるのかもしれないと気づく。過去や現在、彼女の妄想が入り混じっている。この映画は、最初のピアノの一音から始まり、さまざまな音とともに、画面に流れる時間の性質の変化みたいなものを幾度も重ねていく。私は、この変化が起こるたび、クラリスが彼女の頭の中の時間や過去、現在を行き来し、時には複雑に絡め合わせてしまう様を、目撃しているのだと思った。

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