——ベッドやキッチン、バスルームなど様々な場所で、マスターベーションやストラップ付きディルドを用いたセックスなど様々な女性のセックスのあり方を率直に描いているのも特徴的かと思います。

AM:本当に今回は抵抗なく、制限もなく自由に作らせてもらえました。資金面で政府のサポートが入っている以上、そういった描写に制限が入りそうなものなのですが、全くそういうことはありませんでした。国民の税金を使うというのに、別に指導や監修もなく自由にやらせてくれました。最初から、たとえば「照明はこうしたい」「スタッフは全員女性でやりたい」「ヴィジュアル的にはこうしたい」「こういう映画でセックスシーンはこう描きたい」、そして今までの映画とはどう違うかという監督のステートメントをすべて明示した上で政府の資金を得ているのですが、気兼ねなく自由に映画を撮らせてくれました。そこはすごくラッキーだったと思っています。

©2016, Serendipity Point Films Inc.

——それはカナダという国が寛容だからなのでしょうか。

AM:国としてすごく自由なところです。非常に多様性に富んで、先を行った考えを持つ、どんどん先へ進もうとする気運を持った国です。唯一いまだに抱えていることがあるとすれば、先住民に対する扱いだと思います。これはまだ問題なのですが、それ以外は本当に自由でいい国です。

——また、本作にはラベリングに関する言及もあります。ダラスは小さい頃に母親から「女の子らしくしなさい」と説かれた経験を語りますが、同時に今は「トムボーイ」と呼ばれることもレッテルを貼られてるようで嫌っています。「私はそんな単純なものじゃない」というセリフもありますが、そのあたりも印象的に思いました。

AM:仰っていただいた場面は、たしかに人物を具体的に描いてるように思います。トムボーイと呼ばれて全然オッケーって子もいれば、嫌だという子もいるだろうし、これはおそらく脚本を書いたステファニー自身の経験から来ているものだと思います。彼女の性の目覚め、あるいはこういう色々なことを経て今に至るのだということがわかる、ひとりの人間の歴史がわかる部分だと思います。

——一方のジャスミンは、彼氏の昇進のために自分のキャリアを犠牲にしたことや小さい頃から男と恋愛するよう母から注意されていたことが次第に見えてきます。「女の子らしくありなさい」と生き方を押し付けられてきたこと、抑圧されてきたことがわかってくる面でも色々な歴史が見えてくるのかなと思います。

AM:セリフは多くはないですが、ふたりの歴史が見えるような描写になっていますよね。

——ジャスミンが20代前半の若い女性よりも少し年齢が高い社会で働くワーキング・ウーマンという設定になっていますが、それは意図していたところでしょうか。

AM:もともと脚本にある設定ではありますが、あえてその年代にしたのだと思います。というのは、成長物語を描くつもりでも、カミングアウトの物語にするつもりでもなかったからです。あのような年代に差し掛かっていて、自分はこういう人であるというひとつの礎や自信がある人だけれども、予期せぬことが起きたというその過程を描いています。13~18歳の思春期であれば自分というものがまだ形成されていなくて、色々と試したりする時期ですが、そこを描いてもしょうがないと思っていました。ある程度、自分の人生の道筋がすでに決まっているけれど、そこで一大決心をするひとりの女性の姿を描いています。結婚して家庭を築くはずが、ダラスとの駆け落ちで一緒になることを決断する。こうなるはずの予定が、思わぬことによって変化する過程を今回は描いたのです。

——同じ感情的な目覚めを描いた映画でも、若い女性と今回のような女性とでは全然違った印象を持ちます。

AM:全然違うものになりますよね。

——また、男性のライルに対して貶めるようなネガティヴな描き方をしているわけでもありませんね。

AM:決して彼をネガティヴに描かないよう意識していました。ライルはフィアンセに対する愛ゆえ、浮気をしたジャスミンを受け入れて許そうとします。脚本段階では彼がゴルフに出かける描写もあったりしたのですが、いかにも男性的な描写は一切排除するようにして、本当に彼をいい人だと感じさせる描き方を意識的にしています。だからこそ、ジャスミンが彼のもとを離れるのは一大決心だったのだろうと感じると思います。

——ところで、昨年の映画の中でも特にアンドレア・アーノルドの『American Honey』(2016)が大好きだそうですね。

AM:もう本当にあれは大好きな映画です!

——アンドレア・アーノルドも同様に、ライターやプロデューサー、撮影監督に女性は多くいるが、彼女たちは監督をしようとはあまりしていないこと、女性監督が少なく映画祭に行けば80~90%ぐらいは男性監督の作品であることを嘆いています。

AM:たしかにそれは事実だと思います。男性と女性の監督が五分五分の国ってどこにもなくて、やっぱりどうしても男性監督が多いと思います。実際に女性の監督が少ないのは、チームをまとめて先導していかなければいけないというこの仕事に求められるものが、それは男がやるものであるというひとつの固定観念も手伝ってのことなのかもしれません。でもそれ以外にも色々な要因はあると思っていますが、そのひとつはメディアやマスコミにフィーチャーされてきていないこともあると思います。私も若い頃に色々な監督に憧れてきましたが、それはやはりみんな男性監督に対してでした。そもそも女性監督をあまり知りませんでした。だって、ニュースだとか番組を宣伝するデート・ナイト・ショーだとかにほとんど出てこないわけですから。ロールモデルがいないので、若い女の子たちも誰に憧れて追い求めていけばいいかがわからないわけですよね。でも今はこれが問題だという認識が広まりつつあります。まだこれからの道のりは長いけれど、ゆくゆくは女性もどんどん受け入れられるような世界になるだろうと願っています。またもうひとつ大事なのは、脚本家でも女性が案外いないことで、私はこちらの方が問題だと思っています。つまりどういうことかと言うと、私たちが今見聞きしているものがすべて男性視点の男性の物語であるということです。だから物事のほんのひとつの側面しか見ていない、非常に狭い視点でしか物事を見られていないわけです。女性がどんどん出てきて、男女のバランスがちゃんと築けられれば新しいストーリーを見ることができるようになりますし、今まで感じたことのなかったもの、今まで見たことのなかったものを改めて見ることになるのではないかと思います。なので、そのようなうねりができれば、色々な新しい才能が入ってくる余地もできるでしょう。それが女優をやっているみなさんにもいい影響を与えると思います。これまでサイドキック的な役割や恋愛の対象でしか描かれていなかったものも、女性のキャラクターの一部始終が描かれた作品としてどんどん現れてくるようになるのではないでしょうか。そのような新しい波が生まれることを私も期待しています。

取材・構成・写真:常川拓也

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