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結城秀勇
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結城秀勇
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2009年10月11日

二日目
結城秀勇

前夜、フィリップ・アズーリにも勧められていた『生まれたのだから』(ジャン=ピエール・デュレ、アンドレア・サンタナ)。
ブラジルの郊外、長距離トラックが通過する幹線道路沿い。そこに暮らす、日々の生活に希望も見出せずにいるふたりの少年を、絶妙な距離感のフレームと音声で切り取る。長距離トラックや長距離バスが一時的に停止しては去っていく、ガソリンスタンドやダイナーなどの集まる区画で少年たちは何とか日々の糧を得ようとしている。観光客相手のみやげ物の売り子、家畜の飼育、農作物の収穫、レンガ焼き。
「このままこの場所で、こんな風には生きていけない」、そうひとりの少年は言う。もうひとりの少年は、それにこう答える。「ただ生きるためだけに働くのにはもううんざりだ。僕がしたい唯一のことは、自分の生活を持つために仕事が欲しい。ただそれだけだ」と。これは成長についての映画でもあり、同時に労働についての映画でもある。この映画を見終えてすぐ、両監督へのインタヴューを決めた。
続いて、ハルムート・ビトムスキー『ダスト――塵――』。塵=粉末状の物体のイメージを様々に連鎖させながら、環境問題から家庭の掃除、果ては9.11や軍事兵器まで形態の類似によって映像を連ねていく。そのひとつひとつが丁寧に、きれいに作られているのはわかる。しかし、この前に見た『生まれたのだから』にあったそのイメージとサウンドの、完成度というよりも他のものへの交換不可能性はまったく欠けているように思われた。16mmフィルムの映像を侵食するホコリの影にはそれなりの力があったが、しかしそのひとつの対象が欠ければ映画自体が変質して成り立たなくなってしまうような存在は、映っていなかったような気がした。
その後、同郷の友人に山形牛と米沢牛の鉄板焼きをご馳走してもらったまではよかったが、その後チェーン系居酒屋に流れ飲みすぎて暴れた顛末は、酷すぎてとてもここには書けない。

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写真:茂木恵介

投稿者 nobodymag : 2009年10月11日 00:19