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2005年5月15日

コンペディション部門 『バッシング』小林政広

戦時下のイラクにボランティア活動のため滞在し、人質となり開放された日本人女性のその後をめぐるフィクション。今現在、フランスでもひとりの女性ジャーナリストと通訳が長期間人質にとられているという。そんな中での上映だが、私も現在ジャーナリストが人質にとられていることを知ったのは上映後だし、特に異様な雰囲気の中での上映とはならなかった。
主人公の女性、ユウコの心情を反映してか、常に曇天の空模様で劇は展開される。空模様とある人間の心情など、厳密に無関係であるが、その無関係性とは違ったある種の不可能を、この映画はその上映時間を通して提出しているように思う。
物理的ではない種々の暴力が、これでもかとフルコースで主人公とその家族に降りかかってくる。「言葉の暴力」と呼ばれるようなそれはその直接的な被害者以外、決して同じ体験を持つことはできない。つまりその被害を第3者が追体験するには想像で擬似的に体験するしかないということだ。そしてそこには決定的な距離があり、他人が理解することなどありえない。しかし、空模様と人間の感情に相関関係に見られる不可能とこの場合の不可能はまったく違うものだ。それは他人が被害者の心情、状況を理解するのに感じる/感じてしまう距離とは、何も悪意だけで埋められているわけではないからだ。その距離を作ってしまうもの、その中にはもちろん善意だって含まれるし、人間の持つ美醜すべての感情が複雑に絡み合っているのではないか。肯定的な意味で用いられるような「人間的な感情」が他人(そこにはもちろん家族のような親しい人間も含まれる)との距離を作り出してしまう状況。私の関心は悪意の表出よりもむしろそちら側にある。劇中の登場人物も観客も、主人公の状況を共有することはなく、観客の多数が上映中に席を立つ中、そんなことを考えていた。

鈴木淳哉

投稿者 nobodymag : 2005年5月15日 12:41