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EURO2004ジャーナル 梅本洋一
 
 
7.4 ギリシャ対ポルトガル


 
  ギリシャの勝利には何の驚きもない。ギリシャはこれまで通りに戦い、これまで通りに勝利を収めたにすぎない。ギリシャのこれまでの戦いを振り返れば、この日のポルトガル戦に一番近いのは対フランス戦だったろう。その得点方法(チャリステアスのヘッド)もゲーム展開(1対0)もほとんど同様であり、ポルトガルの長所をマンマークで受け止め、徹底してスペースを消していた。古風な戦い方といえば、それは事実なのだが、フランスもチェコもポルトガルも、この古風な戦い方をうち破ることはできなかった。
ポルトガルの4-2-3-1に対して、ギリシャは4-3-2-1。パウレタ、フィーゴ、クリスティアノ・ロナウドにマンマークを付け、アタックに移れば、すばやく両翼に展開し、なるべく早くボールをゴール前に運び、クロスからチャリステアスのヘッドに合わせようとする。ポルトガルは、フィーゴ、ロナウドがマンマークにあい、さらに二人ともドリブラーだから、マークを外そうとするうちにギリシャゴール前は人混みになる。パウレ、デコの個人技でもギリシャの密着マークで打開できない。マニシェのミドルのみが唯一の武器になる。だが、ゴール・マウスを捉えられない。
だが、このゲームは決してつまらないものではない。ギリシャはともあれ、ポルトガルは、開幕当時よりもずっとチームとして成熟してきたからだ。フィートとロナウドのポジションチェンジも、デコとパウレタの前後の関係も、FCポルト勢を中心としたディフェンスも一応の型をすでに持っていた。だから緒戦のようにイージーミスから点を奪われることもなかったし、いくつかチャンスも作った。ギリシャも専守防衛ではなく、ワンタッチ、トゥータッチでボールが繋がり、ゴール前に迫るすべは十分に持っていた。ポルトガルにとって唯一の誤算は、好調だったミゲルが怪我をし、パウロ・フェレイラに交代したことくらいだ。
膠着状態で前半を終えてもスコラーリはカードを切ろうとしない。彼がいつもにない重い腰を上げたのは、チャリステアスに1点奪われてからだ。まずコスティーニャに代えて、ルイ=コスタ。ボランチを一枚にし、マニシェと共に攻撃に参加させること。そして残り15分でパウレタをヌノ・ゴメスに交代。だが、この交代でもギリシャは揺らぐことはない。もちろんポゼッションの割合はぐっと高まったが、中盤にますます人が多くなり、ポルトガルに大きな展開が可能になったわけではない。展開は重苦しさを増長しただけだ。
こうしたギリシャの作戦には、サイド・アタッカーの充実と、ミドルシュートだと前回書いた。確かに前半こそ、ミゲルの攻撃参加はポルトガルにチャンスをもたらしていた。だが、フィーゴ、ロナウドが壁になってポルトガルのアタックは常に減速していた。中盤でのサイドチェンジから両サイド奥深くまで素早くボールを持ち込むというモダンフットボールの原則とドリブルとスルーパスを得意とするポルトガルの元来の持ち味とは通底していないようだ。ルイ=コスタの天才性も、アナクロニズムに感じられた。
最後に今大会の総括をしてみよう。
今年のフットボールは徹底した中盤のプレッシングを基本とするポルトと、両サイドのスピーディーなアタックを武器にするモナコが席巻した。そこにデポルティーヴォの両サイドとバレロンのすばらしさも付け加えることができるだろう。だが、ユーロには、おそらくポルトガルを除いてそうした「今年のフットボール」の影響を感じたチームはなかった。
最大の失望はフランスとオランダだ。まずオランダは、よろよろの予選をファンデルファールトとスナイデルで勝ち上がったのに、またもとのスタイルに戻した理由がさっぱり判らない。オランダのフットボールはまず冒険だったはずだ。冒険をするリスクを冒さないコーチには勝利の文字はない。そしてフランスは、過去の栄光に頼り切り、これまたまったく新たな冒険に旅立とうとはしない反動的なチームに成り下がってしまった。パリSGにはメンディと素晴らしい才能を持った右サイドがいる(ブラジルとのフレンドリー・マッチでロベカルを何度も抜き去った)のに、メンバーにも残らなかったし、モナコの快進撃を支えたロタンもほとんど使わなかった。このチームに必要なのはレアルのジダンではない。次に失望を与えたのはスペインだ。バレロンをベンチに残し、モリエンテスを交代させ、ルケではなくビセンテを使い続けた。サエスは今年のチャンピオンズ・リーグを見たのだろうか。
ボスマン判決以降各国リーグに自国以外のユーロ出身の選手たちがあふれていている現在、ナショナル・チーム間の選手層の差は(ラトヴィアを除いて)減少している。例外はドイツであり、ブンデスリーガの置かれた困難な状況がよく分かる。だから自国リーグがそれほど強くないギリシャでも優勝できる。
そしてギリシャのオットー・レーハーゲルのようにある程度の期間、監督を務められる人は、自分の戦術をチームに植え付けることができるし、自国のチームはほとんど同じやり方で戦うイングランドのエリクソンを除いて、多くのコーチたちは、単なる人材の使い回しが自分の仕事だと心得ていて、チームコンセプトを明瞭に打ち出すことができた人はほとんどいなかった。
その点、スコラーリは老獪にポルトのディフェンス・ラインとデコを自チームの戦術に採用したが、フィーゴ、ロナウド、パウレタというポルト以外の選手に足下をすくわれた。
チャンピオンズ・リーグの優位がますます明らかになったが、もしもまだユーロやワールドカップに存在価値があるとすれば、短期間にいかに大きな実験が行われ、その実験に新たなフットボールの目が見いだせるかということであり、その実験を行うのはセレクションされた選手であるよりは、選手たちの適正を見抜き、彼らの関係性から潜在的な化学反応を予期できるコーチだろう。すでにイタリアの次期監督にはマルチェロ・リッピが就任し、フランスの次期監督候補にはローラン・ブランの名前が挙がっている。
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7.1 ギリシャ対チェコ


  ギリシャの戦い方は緒戦の対ポルトガル戦から同じだが、次第に洗練の度合いを高め、忍耐力と持続力が生まれてきた。ネドヴェドの怪我というアクシデントはあったが、このゲームでは、コレルとバロシュにマンマークでつき、スペースを徹底して消した。もちろん、それぞれ1本ずつ決定的なシュートを打たれたが、枠をそれた。シルヴァー・ゴールに繋がったのは、そうした守備とゲームメイクを最後の最後まで貫いた結果だ。
グループ・リーグのロシア戦で手抜きをした以外、ポルトガル、スペイン、フランス、チェコとここまで4ゲーム、ギリシャは同じ戦い方を実践している。まず相手の強いところを完璧に消しにかかる。トップの選手とキーになる中盤の選手にマンマークをつける。最終ラインに常に4人残し、引き気味に中盤を作るが、それは相手ディフェンス・ラインの裏にスペースをつくるためだ。
こういうチームを相手にすると、戦い方が実に難しいものになるだろう。打開する方策はいくつかあるかもしれない。まずこの日のチェコに見られたことでもあるが、中盤からミドルシュートを積極的に狙っていくこと。最終ラインにスペースが見つけられないにせよ、トップが相手ディフェンスを背負ってディフェンス・ラインの前にスペースを作り、そこからシュートを放ち続ける。ミドルシュートを潰すためにディフェンス・ラインが前に出てくれば、その背後にスペースが出来るはずだ。次に有効なのは、サイド攻撃。これも中盤の両サイドが仕掛けるノーマルなものではなく、両サイドバックが積極的に上がり、マイナスのクロスを上げる努力を継続すること。このふたつは基本的な戦術だが、基本的であるが故に、相手がどんなフォーメーションできても有効なはずだ。
ギリシャのようなオールド・ファッションなフットボールを潰すためには、基本的なことをねばり強くやるしかないだろう。
ではチェコに勝機はあったか? あったとも思うが、少なくとも、ベンチは何もしなかった。ネドヴェドの怪我による交代には選手枠をひとつ使ったが、あとの2枠は残したまま敗退した。これはミスというしかあるまい。延長にはいって1点勝負になれば、ゲームはどう転ぶか分からなくなる。今回の大会で1-0で勝つことの困難さはどのコーチも身にしみているはずだ。だからその前に、つまり、最大限75分以内に何らかの手を打っておくべきなのだ。このゲームではパワープレーにするか、両サイドの強化をするかどちらかだったろう。だが、ブリュクネルは何の手も打とうとせずピッチを去った。
決勝戦は開幕戦と同じカード。最初からチームだったギリシャとようやくチームになったポルトガルのゲームだ。オットー・レーハーゲルは、選手たちにどのような指示を出すだろう。もし90分間、ポルトガルを完封できれば、勝負の行方は分からない。
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6.30 ポルトガル対オランダ


  ポルトガルはようやくチームになってきたようだ。そのメルクマールは、メンバーの固定がある程度行われ、それぞれのポジションがはっきりしてくること。4-2-3-1のフォーメーションの中で、そのとき、それぞれの仕事が明確なものになる。守備陣は、グループ・リーグの2戦目から安定しているので変える必要はない。マニシェとコスティーニャのポルト・ペアのボランチはユーロ出場チームのなかでも出色だ。そして、デコを中央にフィーゴ、クリスティアノ・ロナウドが両翼でポジション・チェンジを繰り返す。パウレタからヌノ・ゴメスの1トップ。「ポルトガル」チームができあがった。
ではオランダはどうか? 右サイドの選手を固定できないでいる。ファン・デルメイデが多く使われたが、このゲームでは懐かしのオフェルマルスが起用され、それなりに活躍したが、後半開始からマカーイが起用された。フォーメーションも含めて、選手のこうした配置だと、なかなか流動性が生まれないだろう。事実、後半は、守備がアップアップ状態から抜け出せず、攻撃を組み立てることができなかった。タレントの宝庫といわれたオランダが、多くの優秀なタレントをベンチに置いたままピッチを去ることになった。何度も書いたので、スナイデルとファンデルファールトについてはもう書く必要もないだろうが、次期W杯のことを考えるなら、ダーヴィッツ、セードルフではなく、このふたりを使うべきだろう。
アヤックス対ポルトガルなら勝負になるが、オランダ対ポルトガルでは勝負にならない。ショッツ・オン・ゴールが1本だけしかないオランダなどオランダでも何でもない。ファン・ニステルローイはともかく、この日、2列目から上がって放たれたシュートは記憶に残っていない。ゴールマウスに嫌われたフィーゴのシュートなど、ポルトガルのアタックが記憶に残るのとは対照的だ。
決勝戦に出場するにせよ、決勝を含めて6ゲームしかないユーロ。こうした短期決戦にあっては、もちろんユーロ2000のフランス代表のように最初から完成されたチームを送り込むのがベストだろうが、クラブ・チームの日程がタイトになった今、その6ゲームで、ブレイクする若手を生み出すことも戦術のひとつに数えられるだろう。コーチとしては、経験のない若手を起用する──それもグループ・リーグで全戦使うことで見極める──のは、ギャンブルだと言えるだろう。だが、ここまで見てきただけで、紙一重の差しかないユーロの場合(W杯だとどうしても弱小チームが出場する)、ギャンブルをし、リスクを負わなければ勝利はない。ポルトガルでは、クリスティアノ・ロナウドが、そのギャンブルに当たるだろうし、チェコならバロシュだろう。グループ・リーグの緒戦で、左サイドに固定されたクリスティアノ・ロナウドはその窮屈さだけが目立っていたが、終了間際にヘッドで1点入れ、対ギリシャ戦完封を免れた。それが自信になり、2戦目からはフィーゴと頻繁にポジション・チェンジを繰り返し、次第にチームにフィットし始めた。点を取り始めるのだ。若手は短期間に伸びる。そのモティヴェーションを与えるのもコーチの役割だろう。
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6.27 チェコ対デンマーク


  後半のわずか5分の間に、バロッシュの個人技で、素晴らしいフットボールを展開していたデンマークが轟沈した。点差で言えば3-0でチェコの圧勝だが、前半は互角、あるいはそれ以上にデンマークがいつものフットボールを見せてくれた。ワンタッチ、トゥータッチで次々とボールが繋がり、両サイドから展開される、そのいつものデンマーク・フットボールだ。チェコは引きすぎて中盤のチェックが甘くなり、デンマークのボールは繋がる。
だが、後半、チェコの中盤がプレッシングを開始するとデンマークのボールの回りが悪くなり、まずコレルのヘッドで先制を許し、直後にバロッシュの2発で一気に勝負が付いた。
デンマークには不本意な結果だろう。何度も書くとおり、今大会で一番のフットボールを展開していたのは、デンマークだからだ。全体がひとつの器官のように運動し、文字通り流れるようなパスワークを中心に、敵ゴールに迫るデンマークのフットボールは前半こそ機能していたが、バロッシュの個人技で器官が息の根を止められてしまったのだ。良いフットボールをしていても負ける。なにしろフットボールの勝敗はポゼッションでも審美学でもなく、単に点差に追って決定するのだ。見ている私たちは、よりよいフットボールを展開しているチームに勝利がもたらされることを望むが、そうならない。
デンマーク対イタリア戦のときに書いたとおり、デンマークのフットボールではなかなか点を入れるのが難しい。最終ラインをがっちりと固め、トマソンに仕事をさせなければほぼ敗れることはない。見ていて奇麗でこちらの思うとおりに展開されるフットボールは、相手が予想することも可能であって、ディフェンスするのはそれほど困難なことではないだろう。ネドヴェドのように縦横無尽なドリブル、バロッシュのような速度、コレルのような高さといった常識はずれの何かは、デンマークに存在しないのだ。教科書通りのお手本のようなフットボール──それで勝利を収めるのは難しい。
だとしたらコーチとはいったい何なのだろうか? デンマークのオルセンはベストを尽くしてこのチームをここまで引き上げたと思う。だが、中盤でプレスをかけられると打開する方法が見つからない。勝利のためにはバロッシュ、ネドヴェドのようなスーパーなフットボーラーが必要なのだ。準々決勝初戦のポルトガルの勝利。スコラーリは、選手たちに勝つんだというメッセージを送り続けたのみだ。イングランドのエリクソンも悩んでいるだろう。ルーニーの故障など想像力の外側にあったろうから。昨日のスウェーデンのふたりの監督も気持ちが晴れないにちがいない。オランダをほぼ押さえ込んだのに、ゴールマウスに嫌われ続けた。ベストの選択をし、ベストの選手たちがベストのゲームをしても勝てない。それは実力だろうか? 思い悩んでしまうだろう。思い悩まずにすむのはジャック・サンティニくらいなものか。トレーニングも戦術も選手交代もすべて結果を残すためなのに、そしてゲームそのものを支配していたのに、結果が伴わない。人生と似ている。
準決勝はポルトガル対オランダ、ギリシャ対チェコという組み合わせになった。ここまで来れば、ホームのポルトガルがオランダを粉砕しなければならない。安全に戦い賭けをさけてきたアドフォカートはフットボールのアヴァンギャルドの名を欲しいままにしてきたチームの監督にはふさわしくない。私たちはスナイデルとファンデルファールトの仕切る新たな中盤を見たかったが、セードルフ、ダーヴィッツでは、単にデジャヴュのフットボールだ。このチームの発見はロッベンだけ。スコラーリは、イングランド戦の勝利でチームをすでに一つにまとめ、ふたたび、勝つんだとメッセージを送り続けるだろう。
これまで思うとおりのゲーム運びができているのはギリシャだけだ。ポルトガルを押さえ込み、スペインを引きずりおろし、フランスを奈落の底に突き落としたノーマークのギリシャだ。オットー・レーハゲルに対してブリュクネルはどう戦うのだろう。否、何もしていないブリュクネルよりもバロッシュ、ネドヴェド、コレルがどう戦うのかと書いた方が適切かもしれない。
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6.26 オランダ対スウェーデン


  多くの人々はスウェーデンにセミファイナルに残ってもらいたかったのではないか。ひたむきさ、誠実さ、忠実さ──これらすべてでスウェーデンが勝っていたが、オランダから点を取れなかった。考えてみれば、この結果は、単に順当なものであって、ひとりひとりを比べればオランダの方がずっと優れている。この引き分けのゲームでも数年前のオランダならスウェーデンを圧倒できたろう。4-3-3の前半から3-4-3へのシフトチェンジでオランダは、確かに後半からスウェーデンを圧倒しかけたが、誠実さ、忠実さでスウェーデンは踏ん張り、ゴールを割れ競ることはなかった。イブラヒモヴィッチ、ラーションの2トップと、リュングベリ、スヴェンソンの押し上げ。スウェーデンは単純素朴なアタックに終始した。全員が戦術を信じ、それを実現すべく走り回った。
一方のオランダは、相変わらず、やっていることが理解できない。この日のスタメンにはフランク・デブールが起用された。スタム、F・デブール、ライジハー、ファン・ブロンクホルスト、ダーヴィッツ、コクー、セードルフ、ファン・デルメイデ、ロッベン、そしてファンニステルローイ。2〜3人を除いて「昔の名前」で出ている人々だ。ゲーム運びはうまいが、盛時のオランダに見られた未知の空間の創造という面では皆無。この大会の発見は、先回も述べたとおり、サイド・アタッカーのロッベンだけ。スナイデルもファンデルファールトもベンチに置かれたまま120分がすぎた。スウェーデンがこの面子のオランダに勝てない理由はふたつだけ。イブラヒモヴィッチとラーションの2トップにスピードがないことだ。スタム、デブールを振り切れない。優秀なサイド・アタッカーがいないこと。それほど選手層が厚いわけではないので、仕方がないが、たとえばデンマークなら、オランダに快勝したのではないだろうか。
準決勝は、ポルトガル対オランダという組み合わせになった。80年代から90年代を席巻したこの両チームは、21世紀に入ってから低迷しているが、ポルトガルがイングランド戦で見せた「死ぬ気のアタック」を見せ、オランダがまだ垣間見せてもいない可能性を発揮することになれば(それはもちろんメンバーを代えることだ)このゲームは非常に面白いものになるだろう。
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6.25 ギリシア対フランス


  ディフェンディング・チャンピオンがまさに敗れようとしているのに、フランスはさっぱりギアが入らない。ギリシアのキャリステアスが65分にドンピシャのヘッドをフランスのゴールにたたき込んでも、フランスはまったく目覚めることはない。だいたいこの大会に入ってから「覚醒していた」瞬間があったとすれば、イングランド戦のロスタイムとスイス戦のラスト10分ほどで、他の時間はいつも今日と同じだった。同じリズムでパスが回され、同じ失敗が何度も繰り返され、同じ速度でボールが回り、同じような場所でアタックが停滞した。ノックアウト方式の準々決勝だと言うのに、まだグループ・リーグででもあるかのように、まだ立て直す時間が十分残されているかのように不完全燃焼のままフランスはピッチを去った。
たとえば2002W杯で予選リーグでの敗退はジダンの怪我という言い訳があった。だが、今回のチームについては、そのジダンは常時出場し、セリエAとプレミアの得点王が2トップを組み、ピレス、ヴィーラ、マケレレ等、世界での指折りの中盤がいる。弱点はディフェンス・ラインとキーパーくらいだろうと言われていた。優勝候補の最右翼だった。しかし実際にゲームを始めて見ると、精彩を欠いているのはそれぞれの選手と言うよりは、このチームの全体だった。この大会を最後にトットナムに移る(そのことをユーロの直前に発表すべきだろうか?──失敗しても次の職は確保しているということだ)ジャック・サンティニは、敗因は、スペースが与えられなかったことだ、と何度も述べている。インスピレーションとクリエイティヴィティに富んだパス交換をするには、どのチームもフランスを警戒して、スペースを与えてくれなかったと言うのだ。
冗談も休み休み言って欲しいと思う。ディフェンディング・チャンピオンにスペースを与えないのは当然だ。チャンピオンは、天から降ってくるものではないスペースをどうやって創造するかを実践する義務がある。相手のプレッシングがなく、広大なスペースを与えられれば小学生だって素晴らしいパス交換をするだろう。ジャック・サンティニは、とりあえずコーチ失格だ。4ゲームにわたって同じ失敗を繰り返しただけだ。ジダンがいなければ対イングランド戦も敗れていたはずで、すでにそのゲームからフランスは会心のフットボールなどしていない。修羅場を数多く踏んできたスコラーリとサンティニの差異はそこにある。スコラーリは失敗から学び、教訓を明日の勝利に結びつけた(だからと言って、私はスコラーリを評価するわけではない)。サンティニは、私はずっとこのチームを信じていると言って、怪我人を入れ替えただけで、チームを手術しようとは思っていなかった。ジダンの2発で傷口が隠れ、クロアチア戦の引き分けで、見え隠れした傷が目立たなくなり、スイス戦の(得点上の)快勝で(しかもアンリが2ゴール)、傷口は忘れられた。だが、最初は表面からはっきりと見えた傷口は、内部に浸透し、チームという身体全体が機能不全を起こしてしまうまでなっていた。問題は、コーチがそれに気づかなかったことだ。
確かにフランスはB組1位で準々決勝に進出した。だが、このチームにユーロ2000当時の煌めきはなく(ユーロ2000のビデオを見ると、辛勝のゲームもあったが、とにかくフランスの特長が見えているのが分かる)、W杯のときにもすでに指摘されていたがとっくにピークを過ぎている。バルテズ、テュラム、リザラズ、ジダン、ドゥサイイはユーロ1996から代表であり、ピレス、アンリ、トレゼゲ、ヴィーラは98年のW杯からのメンバー──つまりチームのレギュラーのうち9人(ほぼ全員だ)がすでに6年間も代表のユニフォームを着続けている。フォーメーションもずっと同じ4-4-2。チームとしての鮮度が低くなると、モティヴェーションが低下するのも当然の帰結だ。こんな比較をするとわかりやすいかもしれない。96年当時の日本代表(加茂ジャパン)の主要なメンバーはカズ、中山、山口、井原などであり、98年は城、岡野、中田、名波など──彼らが今でもレギュラーを張っているのが、現在のフランス代表だということ。つまり、「昔の名前で出ている」人たちのチームがフランスだ。次のセレクショナーは、すでに完成されたフランス・スタイルを継承するよりも、それとどう対決し、どう乗り越えるかから思考を始めるべきだ。
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6.24 ポルトガル対イングランド


  良好なフットボールを展開してきたイングランドは、徹底して攻勢に出るポルトガルの背後のスペースにでたボールをオーウェンがアウトサイドに掛けて先制する。前半3分。ゲームが落ち着きを見せる前のことだ。
だが、オーウェンのゴールは、ポルトガルの攻勢にさらに油を注いでしまった。まるで明治大学のラグビーのようにひたすら前へ出てくるポルトガル。クリスティアーノ・ロナウドのサイドの突破を何度も何度もアシュリー・コールが止める。フィーゴの執拗なドリブルをジェラードとランパードが止めようとする。イングランドのディフェンスラインと中盤の間が極度につまり、パチンコ台の上の玉のようにボールが収まること場所をむなしく探し続ける。戦術といったものから遠い、ポルトガルのひたすら勝ちたいという意欲を表象するゲーム。ボールをキープし続ければ確かに失点はないはずだ。イングランドの4人の中盤からフィードされたボールがオーウェンとルーニーに収まらなければ、ポルトガルのアタックは継続する。ロナウド、フィーゴのサイド攻撃でアシュリー・コールもギャリー・ネヴィルもタッチライン沿いを駆け上がることは不可能だ。イングランドは、ただ耐える。大きなクリアでポルトガルを跳ね返すのが精一杯。だが、それでも1点勝っている。
問題は前半27分。ポルトガルのゴールライン近くでルーニーがびっこを引き始める。ヴァッセルと交代。この間も書いたとおり、イングランドの弱点はレギュラーと控えの力の差だ。ヴァッセルにルーニーのカリスマ性もなければ、ゴールへの執着心もない。起点はもうオーウェンひとりだ。イングランドが耐える時間は、結局、83分まで継続する。それまでに中盤が疲弊しているのは事実だ。だが、「切り札」になりうるスコールズをフィル・ネヴィルに、獅子奮迅の活躍をしていたジェラードをハーグリーヴズに代えるのは早すぎた。オーウェンをマークさえすればイングランドに点が入らない。誰でもそう考えるだろう。スコラーリはギャンブルにでる。フィーゴに代えてポスティガ。トットナムのアタッカーをポルトガルの至宝と交代させる。私が監督だったら、フィーゴ交代をためらうだろうが、スコラーリは躊躇なく代える。そして、直後にそのポスティガのヘッドがドンピシャのタイミングでイングランドゴールに吸い込まれる。ついでスコラーリはルイ=コスタまで投入!
イングランドが守備的な交代を行ったのに対して、スコラーリは次々に攻撃的な選手の投入を続ける。バランス? フォーメーション? どうでもいい。4バックとマニシェを残して、アタックをかけ続ける。結局1-1で90分間が終わる。そして延長。ここからは互いにスクランブル。イングランドはひたすらオーウェンとヴァッセルをめがけてロングボールを放り込むが、いかんせんゲームを作る者がいない。ポルトガルは、デコを右に、ルイ=コスタをやや左に配置し、多彩な攻撃を仕掛ける。ルイ=コスタのスーパーゴールがネットを揺らす。だが、その直後、それまでずっと「隠れていた」ランパードが起死回生のシュートで2-2。後は知っての通りのPK戦でポルトガルが準決勝に名乗り出た。
戦術のへったくれもなく、ひたすら勝ちたい気持ちで送り込んだアタッカーたちが自分たちで攻撃のスタイルを作ってしまうのだ。化学反応のようだ。XとYがそれぞれ別の機能を有しているのに、それらが同時に作用すると、みたことのない空間が露呈する。それはスコラーリの力ではない。彼はひょっとしたら化学反応するかもしれないと予想するだけだ。そしてスコラーリの強運は化学反応を起こしてしまう。今大会はどんなチームでも1-0で勝とうとすると足をすくわれる。1-0になったら、どうやったら2-0にできるのかを思考すべきであり、どんなことがあっても1-0のまま終わろうと考えてはならない。アタッカーを次々に投入することで、デコ、ルイ=コスタのひたりが並び立つという配置を選手たちが見つけていったのだ。そんなポルトガルに比べてイングランドはウブだ。
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6.23 ドイツ対チェコ 


  バラックの豪快なヴォレーでドイツが先制し、ハインツのFKがドイツのゴールネットを揺らして同点で前半終了。ドイツは「伝統の」3-5-2。ノボトニーがリベロ。とにかくドイツは勝つしか準々決勝に残る道はなく、チェコはすでにその進出を決めている。モティヴェーションは絶対にドイツが上で、「ゲルマン魂」を発揮する絶好のチャンス。
事実、後半も攻め続けるドイツ。バラックのシュートがゴールポストに当たり、シュナイダーのシュートがキーパーを襲う。だが、もちろん、チェコは、もうカウンター狙い一本で、前半休ませたバロシュを入れる。そのバロシュが文字通りのカウンターから1点。
ドイツは予選敗退が決定。チェコとオランダが進出。まずドイツの問題は何か? 簡単だ。常にパワープレーばかりで、点が入る確率は低い。だが、チェコの作戦は、ペナルティ・エリア周辺まで下がり、シュートのスペースを消すこと。だから中盤でドイツは楽にキープできるが、シュート・コースが限定され、圧倒的に攻めながらも、シュートを次々に放ちながらも、そのアタックは多彩さからは遠い。バラックの先制シュートは見事だったが、ボールの周りがあまりに一本調子なのだ。
チェコにも問題はある。この問題は初戦、2戦目を通じて改善されていない。この3ゲーム目は、メンバーを落としているとはいえ、圧倒的な強さはない。原因は、そのディフェンスにある。FKやPKからの失点ではなく、流れの中で点を奪われるのだ。ディフェンスの位置が低すぎる。つまりミッドフィールドが空くのだ。プレッシングではなく、ほぼ専守防衛に徹する守備は綻びが見えやすい。スペースを埋め、バランスを取るという思考が、このチームにはないようだ。もちろんゴール前ではこらえている。シュート数17対8で、ドイツのシュートがゴールネットを揺らしたのはバラックの1本だけ。ディフェンスは頑張っているのだが、攻撃とディフェンスが二分されている。ネドヴェドが出場すれば、中盤での構成もあるが、それよりも流動的な全体の動きが乏しい。この欠点は3ゲームを通じてのもので、勝利の影に隠れて議論されることはなさそうだ。でも、これは決定的だと思う。
「死のグループ」と呼ばれてはいたが、イタリアのグループCとスペインのグループAの方がよほど死のグループだった。全体を見れば、このグループでのチェコは圧勝。ドイツとオランダに見るべきものは少なかった。
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6.22 イタリア対ブルガリア 


  トラッパトーニもカテナチオも本日をもって閉店だ。
ヴィエリを膝の故障でベンチに置き、トッティもカンナヴァッロもガットゥーゾも出場停止。かつて「世界最高のリーグ」の呼称を思いのままにしたセリエAの威光も地に墜ちた。カンナの代わりにマテラッティ、ヴィエリの代わりにコッラッリ、ガットゥーゾの代わりにフィオーレをそのまま入れ替えただけ。前半は、マテラッティがPKを与え、ブルガリアのプレッシングになすすべなし。特にデル=ピエーロのフィジカルの弱さは目を覆うばかり。「失うものがない」ブルガリアのファイトのみが印象的。イタリアが決勝トーナメントに残るためには、ブルガリアに大勝する以外道はない。おそらくそれも無理だろう。無理なものに挑戦する気迫がイレヴンにまったく感じられない。好調なのは、カッサーノと両サイドのザンブロッタとパヌッチだけ。
さすがに後半は開始早々から必死に攻めるイタリア。ポジションもへったくれもなくとにかく前へ! 人数をかけてスクランブル。後半開始早々1点を返すが、それからは攻めても攻めてもブルガリアのディフェンスに返されるだけ。どうやって点を取るのか? トラップの回答は、ヴィエリ頼み。それ以外は、何もない。そのヴィエリも投入! しかし効果なし。かつて書いたことがあるが、プレミア・リーグからザッピングしてセリエAにチャンネルを変えると途端に速度が落ちる気がする。それと同じことが今目の前で起きているのだ。ザンブロッタもパヌッチもサイド攻撃をしかけるが、いかんせんスピードがない。デル=ピエーロにボールが渡っても、視野が狭く大きな展開が出来ない。ボールをこねくり回して、ついには囲まれてボールを奪われるだけ。ヴィエリは楔になれないくらい不調。展開は、だから決まってピルロから始まることになり、パスコースが読まれやすい。おそらくキエーヴォのペッロッタだけが遠くまでゲームを見渡せているのだが、ひとりではどうにもならない。
終了直前にカッサーノがファイン・ゴールを決めるが、ベンチに駆け寄るとデンマーク対スウェーデンが2対2のドローに終わったニュースを聞いたのだろう。目に涙を浮かべている。確かに君は頑張ったけど、チームとしてのイタリアは最低だ。もう一度書くけど、点を取るためにはヴィエリのフィジカル一本槍。1点取って後はカテナチオでは、もう今のフットボールは通用しないよ。確かにブフォンの力はこの大会のキーパーの中でも抜きんでている。でも思い出してみよう。デンマークの誠実で忠実なフットボールの前にやっと引き分けに持ち込み(デンマークが圧倒的に優勢だった)、スウェーデンのアタックを押さえようと、1点入れてからカテナチオにしたらまたも失敗。失敗から学ばない奴はバカと呼ばれる。ハンカチーフ一枚の上でミクロに展開されるフットボールの時代はもうずっと昔に終わっている。カウンターからロッシが2点取ったフットボールは懐メロ以外のなにものでもない。イタリアが3ゲームで奪った点はわずか3点だけ。おとなしいデンマークも4点、そしてスウェーデンは7点取っている。イングランド8点、フランス7点、敗退が決まったスペインはやはり3点(モリエンテスを使わなかったからだね)、やっと準々決勝に出るポルトガルが4点。要は1ゲームで最低限2点以上取り、失点を1点以内に抑えることが条件だ。0点で押さえるのはセットプレーがある限り不可能に近い。敵の長所を押さえて守り勝つというのがイタリアのレアリズモと言われた。だが、ネオレアリズモとは、ワイドなアタックで2点取るにはまずどうするかを思考することなのだ。それにはプレッシングをかいくぐってチームの長所をどうやって開花させるのかという方法論を徹底して考えることだ。トラッパトーニは、おそらく自らを最良のレアリストだと思っているだろうが、実は、昔を懐かしむノスタルジーにすがっているだけだった。
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6.21 イングランド対クロアチア


  昨日書いたことと矛盾したことを今日は書かざるを得ない。とりあえずこの大会でもっとも「良い」フットボールをしているのはイングランドだ。たらたらしたアタックを繰り返すクロアチア──先制点を撮ったので当然か──に対して、イングランドは愚直に自らのフットボールを貫く。テリー、キャンベルの両センターバックは、スピードはないが1対1で絶対に負けない。そして中盤にフィードする。ランパート、ベッカム、ジェラードがボールを拾い、G・ネヴィルかA・コールにボールを渡す。ジェラードに渡ったときは、逆サイドにロングパスを出すことが多い。両サイド・バックは、少なくとも必ずペナルティ・エリア付近までは、ボールを運び、フォローした中盤にボールを預けるか、ゴール・ライン付近まで進出したときはマイナスのクロス。クロアチアの4バックは皆大きいのでヘッドで勝てるわけではないが、オーウェンは何とか競ってスペースを作り、そこに誰かが飛び込む。ベッカムを右サイドに固定しているが、他の3人はスクランブル。ジェラード、スコールズ、ランパートが次々に顔を出す。ルーニーが空くのは当然で、彼は常にシュートを打てる体勢にある。
4対2という結果だけ見ると、2点は取られすぎだとも思えるが、1点目は開始早々、2点目は3対1になり、スコールズ、ルーニーを下げた後だったことを考えれば、イングランドの完勝だ。スイスに続いてクロアチアにもイングランドは完勝した。ルーニーばかりがクロースアップされるが──事実、この新「ワンダーボーイ」はフィジカル面、テクニック面、タクティクス面のどれをとっても申し分ない──、それよりも、イングランドがチームになっていることが好調の原因だ。ポルトガルやスペインがまったくチームの体を成しておらず、その場限りの采配が目立つ中で、ドイツやオランダがもう「名前」だけでは通用しなくなった現実を直視する中で、フランスがジダンに、チェコがネドヴェドに「おんぶにだっこ」状態である中で、チームとして機能しているのはイングランドと、そしておそらくギリシャだけだろう。グループ・リーグのラストでロシアに敗れ、それまでの健闘に水を差したギリシャに比べて、イングランドは、対フランス戦もジダンの2発を除いて、ほぼ完璧に押さえ込んでいたのだ。そしてエリクソンは、難しいことは何もしていないし、選手に難しいことを何もさせていない。オーウェンとジェラードにはリヴァプール、テリー、ランパートにはチェルシー、ルーニーにはエヴァートン、コールとキャンベルにはアーセナル、G・ネヴィルとスコールズにはマンUでのプレーをそのままやらせ、そしてベッカムにはもっとも得意なプレーをするように言っているだけだ。たとえばルケがリーガではやったこともない右サイドに張り、クリスティアーノ・ロナウドが利き足とは反対の左足で窮屈にクロスを上げる。そんな姿はイングランドにはない。それぞれの所属チームで自らの特長を出すプレーを代表チームでもやっているだけだ。カップ戦を加えると50ゲームにもなる所属チームでもゲームの中でほぼオートマティックに行えることを代表でも実行し、その総和をチームの力とする。エリクソンのタクティクスはそれだけだ。でもそれはとても大事だと思う。プレミアを見ていると、スタジアムに必ずエリクソンの姿(隣にはいつもケバイイタリア女がいるが)がある。常に合宿を行えるわけではない代表チームの監督は、選手を見極める必要がある。だからスタジアムに足繁く通う。もちろんプレミアはどのチームも同じフォーメーションで戦うことが多いので、それぞれのポジションに選手を放り込めてよいのだろうが、スピード感溢れるアタックとシステマティックな運動感は他のチームには見られない。弱点は、レギュラーと控えの差(特にミッドフィールドから前)では大きいことだ。だからエリクソンもほぼ固定したメンバーで戦っている。次のポルトガル戦は楽しみだ。
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6.20 ポルトガル対スペイン


  勝たなければ準々決勝はないポルトガルと引き分けても残るスペイン。フィーゴとクリスティアノ・ロナウドは頻繁にポジション・チェンジをし、ロナウドが左サイドに張り付くことのなくなったポルトガル。確かにアタックの切れはある。だが、かつての「黄金の世代」が仕切ったポルトガルのように華麗なパスが文字通りグルグルと回るフットボールはない。対するスペインもホアキン、ラウル、この日先発のフェルナンド・トーレスを中心に攻めるがアタックの枚数が足りない。豪華な顔合わせの割に、見所の少ないゲームだった。互いに良いところを消し合い、プレッシャーを掛け合い、いざとなればファールも厭わない。これではゲームが停滞する。互いにワンチャンスをシュートに結びつけようとするが、シュートが外れたり、ゴール・キーパーがセーヴしたり、ゴール前の微妙な展開のほか、どんなフットボールをしたいのかが判りにくいゲームになった。とにかく負けたくないのだ。負ければ次のステージはない。モティヴェーションはそれだけだ。
サエス、スコラーリともに「面白くない」フットボールを志向しているようにさえ見える。互いに同じようなアタックの反復。体を張ったディフェンスの反復。ゲームは局地戦に終始する。デポルティーヴォの華麗なアタックもない──だいたいバレロンはベンチだ。レアルの奔放なアタックもない──ジダンはフランス人だ。ホアキンとフィーゴの執拗なドリブルも屈強なセンターバックが跳ね返す。
状況は後半にパウレタから代わったヌーノ・ゴメスが1点を決め、ポルトガルがリードしてもいっこうに変わらない。ホアキンに代えて、ルケが投入されてもバレロンはまだベンチだ。そしてモリエンテスの投入。今シーズン絶好調のモリエンテスをラスト10分でしか使わないサエス。ルケは慣れない右サイド。ビセンテは左サイドに残ったままだ。サエスはいったい何を考えているのか? マニシェ、コスティーニャが走り回り、スペインのボールの出所を必死に押さえに行く。ますますゲームは停滞する。予想通りゲームは停滞したまま終了し、開催国ポルトガルが準々決勝に残った。
ユーロ2004はフットボールの新たな展開を示すようなゲームはまだ見られない。3ゲームのトータルで準々決勝進出が決まるグループ・リーグでさえこの有様だから決勝トーナメントでも悪い予感がする。ポルトガルが暑いせいだろうか。パス・スピードをそぐ長い芝生が原因だろうか。今シーズンのチャンピオンズ・リーグでモナコの両サイドのアタックがリーグを席巻し、ポルトのシステマティックなフットボールが王者についたというのに、ユーロにはそうしたフットボールの影響が見られない。ユーロ2000のときのポルトガルは戻ってこないし、W杯のときのスペインの頑張りもない。ネイション・ステーツのフットボールは、その残滓も含めてもう終わっているのだろうか。オランダ、ポルトガル、そしてフランス……。僕らはどこが勝っても構わない。素晴らしいフットボールが見たいだけだ。このゲームで見られるのは近未来のフットボールよりは昔ながらの「開催国の意地と誇り」だけだ。
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6.19 チェコ対オランダ


  後半が押し詰まって交代を命じられたオランダのロッベンが肩を落とし、不満を顔にためて、タッチ・ライン際に引き上げてくる。待ち構えるボスフェルトとのタッチを力一杯行うことで、アドフォカート監督に体で抗議するロッベン。このゲームでもっとも目立っていたこのPSVアイントホーフェンのレフティ。数々のすばらしいクロスをファンニステルローイにおくってチャンスを広げ、2点目の好アシスト疲労したのも彼だった。誰にも交代の理由は分からない。この時点でオランダは2-1とリードしていたし、ダーヴィッツ、セードルフのリードで好球が左右に流れ、昔のオランダを彷佛とさせるアタックを展開していた。特にロッベンは好調で、ゼンデン、オーフェルマルスといった往年のサイドアタッカーの存在など影が薄くなっていた。なぜロッベンに代えてボスフェルトなのか? 誰にも分からない。昨日のトラップの二の舞いにならねければよいが、解説の野口ならずとも誰でもがその思いを共有する。僕らは78年のオランダを覚えているからだ。オランダが世界のフットボールの最前衛だった時代をしっかりと記憶しているからだ。
もちろんこの点の取り合いのゲームの原因を作っているのは、両チームのディフェンスだ。中盤からの激しいプレッシングという現代フットボールの同義語とは別の中盤にスペースが有り余る程存在する中で、ボールが回るフットボール。バックラインは右往左往する。だからバックラインとゴールキーパーは忙しい。だから点が入る。当初こそ、オランダはディフェンスラインを浅く保っていたが、中央のふたりは共に1対1で勝負するタイプだし、コクーのリードが恐ろしく悪い。事実、彼のミスパスでチェコに1点献上している。一方、チェコのディフェンスも似たようなものだ。バロシュ、ポボルスキー、ネドヴェドといったアタッカーはすばらしい出来だが、ディフェンス・ラインがずるずる下がるのはオランダと同じだ。一見、点の取り合いの様相を呈しているが、実はディフェンスの未整備が露呈した両チーム。
チーム戦術というか、「オランダの伝統」をたったひとりで体現していたロッベンが下がると、どっちに点が入るか分からなくなる。ライン・ディフェンスだとか、プレッシングとかは関係なくなり、要は個人技の世界だ。つまりネドヴェドだ。そのうえオランダは退場者を出した。ファン・デルファールトがセードルフと交代。遅いよ。僕らの脳裏にはファン・デルファールトとスネイデルの対スコットランド戦の活躍がずっと浮かんでいた。アドフォカートのやることはまったく理解できないし、オランダにもこんな優柔不断な監督がいたのか? クライフの伝統はもう誰も覚えていないのか?ネドヴェドが自在に動き回り(マークを命じられたボスフェルトはまったく消えたままだ)、チャンス・メイクとシュート。見事だ。チェコに点が入るのは時間の問題だ。そして僕らの予想通り、ゲーム終了間際にチェコがオランダ・ゴールを陥れ、3-2で逃げ切ることになる。
前のゲームでドイツとラトヴィアがスコアレスドロー。チェコは一足早く準々決勝進出を決めたが、ラトヴィアを含めてこのグループもまったく分からない。明日からは同時刻2ゲーム開催だ。まずポルトガル対スペイン。勝った方が準準決勝だ。
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6.18 イタリア対スウェーデン


  トッティの「つば吐き」でカッサーノが起用され、中盤にはいよいよピルロだ。大雑把にいって4-3-3のシステム。中盤の3の中央にピルロ、アタッカーの中央にカッサーノ。起点が2カ所になり、攻撃のオプションが累乗で増える。さらにザンブロッタ、パヌッチの両サイドがサイドラインを何度も駆け上がる。イタリアにしては珍しいファンタスティックなフットボール。ピルロ、デル・ピエーロ、カッサーノという3人のファンタジスタによる多様な変奏がスウェーデン・ゴールを次々に脅かす。だが、ヴィエリが次々に外しまくる。ドンピシャのヘッドを2回も外す。今シーズンのヴィエリはまったく精彩を欠いたが、それがユーロまで継続しているようだ。ヴィエリの不調を除けば、このシステムは機能し、ガットゥーゾ、ペロッタが拾いまくり、ピルロが展開し、デル・ピエーロ、カッサーノの創造力に連続する。そして、トップの3人が右のクロスからゴール前に殺到し、カッサーノがヘッドでコースを変え、見事なゴールが生まれる。
そして後半、スウェーデンが攻めに回るのは当然だ。イブラヒモヴィッチ、ラーションの2トップは前半まったく消えていて、ネスタ、カンナヴァッロに完全に押さえ込まれていた。だが、後半20分を過ぎた頃から、イタリアのプレッシングに少しずつ陰りが見え始める。原因は、トラパットーニにある。まずカッサーノに代えて、フィオーレ、デル・ピエーロに代えて、カモラネージ。今、この時代に、カテナチオ! 解説の野口幸司いわく「イタリアは最近ずっとこれで失敗していますね」。ラーション、イブラヒモヴィッチの2トップはかなり強力だ。あと20分以上を0点で抑えられるというのだろうか。確率としては抑えられるかも知れないが、1点取られれば終わりだ。ここしばらくないくらいにアタックが見事だったのに、その可能性を消し、「伝統のカテナチオ」に回帰するのはトラップが老人だからだろうか。次第にスウェーデンのポゼッションがあがり、中盤でのボールの奪い合いというセリエAの戦いに様相が似てくる。ハンカチーフ一枚のボールの奪い合い。だが、ヴィエリの1トップではとうてい追加点は狙えない。なにしろ彼は不調なのだ。
案の定、イタリア・ゴール前の混戦からイブラヒモヴィッチが右のアウトサイドにボールをひっかけ、ヴィエリの頭上をボールは越え、ゴールマウスに吸い込まれた。スウェーデンが良かったわけではない。イタリアはトラップの采配で自滅した。C組はデンマークとスウェーデンが勝ち点4で並び、イタリアは2ゲームとも引き分け。次のデンマーク対スウェーデンの勝った方が準々決勝に進出し、イタリアはおそらく対ブルガリア戦での得失点差の問題になるだろう。イタリアはこの種の大会で常にこうした戦いを反復し、つねに上位に残っているから、これはイタリア・ペースだとも言えるが、同時に1-0で逃げ切れるイタリアはもう存在しないのも事実だ。
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6.17 フランス対クロアチア


  Number誌のインタヴューでアンリがアーセナルと代表とでは戦い方が異なると発言している。スピードに溢れたパス交換を中心に攻めていくアーセナルと、ポゼッションを基本に徐々に攻撃の網を絞っていく代表との差異は、ヴィーラ、アンリ、ピレス、ヴィルトールといったアーセナル勢のとまどいとポジショニングの難しさを示している。もうひとつの(大きな)差異は、アシュリー・コールがゴールラインぎりぎりまでオーヴァーラップし、マイナスのクロスを上げて、そこに中盤の選手まで含めて飛び込んでいくアーセナルに対して、代表の場合、マイナスのクロスは実に少ない。リザラズの力の衰えからシルヴェストル、ギャラスが両サイドをつとめ、本来、彼らはふたりともセンターバックであるため、スピードの点で物足りないこともあるだろう。現在の代表は、アタックの起点のほとんどをジダン頼みにしている。しかもポゼッションを中心にするため、アタックの速度が遅く、ポゼッションはしているが、相手方の守備陣形はどんな場合にも整っているのだ。
このゲームでも、ポゼッションは圧倒的にフランスであり、クロアチアはプルショとラパイッチ中心にカウンターが戦術の中心だった。フランスはこの日右のMFに入ったヴィルトールは、アーセナル風のプレーを展開し、ときにはゴールライン近くまで進出していたが、いかんせん試合勘が戻っていない。ポゼッション中心のフランス代表は、ポゼッションのパーセンテージが上がれば上がるだけ、スタンディング・プレーが増え、スピード不足のバックラインの背後を狙われることになる。このゲームで失った2点もドゥサイイのミスとシルヴェストルのミスからのものであり、いずれもカウンターへの対応がドタバタしているせいだった。
もちろん異常な暑さの中で行われているポルトガルのユーロであり、だからこそ、スピードよりもポゼッションという選択になるだろうが、常にポゼッション中心だと、ディフェンスが合わせやすくなるのは自然だ。
何度も書いていることだが、代表チームというのは短期間で熟成させることを運命づけられたクラブチームだ。それを前提に、ひとつ提案をしてみようと思う。何でも対応できるジダンはとりあえず別格として、他のメンバーはそれぞれのクラブで優れたプレーを展開している。だから、クラブでの特性を代表でも活かし、その総和を代表チームの力に持っていくことが、とりあえず短期決戦のこの種の大会の場合、もっとも手っ取り早い方法ではないだろうか。つまり、ピレス、アンリはアーセナルで左サイドを任されている(もちろんポジション・チェンジは多いが)から、それで固定する。ほとんど消えているトレゼゲを思い切ってはずし、ジダンにベルカンプの位置についてもらう。センターバックはチェルシーで組んでいるギャラス、ドゥサイイのコンビをそのまま使う(ギャラスを右サイドで使う意味が分からない)。ユーヴェで右のサイドバックをやっているテュラムは、ここでも右サイド、そしてヴィーラの相棒は、ダクール、ペドレッティ、マケレレのスクランブル。先発はこれでいいだろう。そしてジョーカーとしてトレゼゲ、ロタンを用意する。トレゼゲを入れるときはアンリ、ジダンと共に3トップで、そしてロタンを入れるときは、ヴィーラのパートナーにピレスを入れる。方法はこれがベストだと思うが……。とにかく、ジャック・サンティニのやり方は分からないことばかりだ。
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6.16 スペイン対ギリシア


  このゲームの焦点は、ラウルに代えてフェルナンド・トーレスが投入された後半35分だった。ポゼッションは圧倒的にスペインだったが、カウンター1発で同点に追いつかれたスペイン。ここで勝ち点3を狙わなければ次のゲームは開催国ポルトガルであり、それに勝たなければ準々決勝はない。すでにエチェベリアをホアキンに代え、モリエンテスをバレロンに代えているサエス。勝つために、フェルナンド・トーレスは理解できるが、なぜラウルと代えるのか? アルベルタか、バラハに代えてトーレスなら、ワンボランチ、あるいはラウル・ブラボに代えるなら3バック。おそらく後者の選択がベストだったはずだ。ビセンテ、ホアキンが高い位置でプレーするスペインに対して、ギリシアの両サイドはほとんど上がれていない。上がって、スペインのサイドハーフにボールを奪われ、ディフェンスラインの裏をとられると、決定的なチャンスを与えてしまうからだ。最低限引き分けでもポルトガルに勝つ(おそらく勝てるだろう)つもりなら、これでよいが、このゲームを絶対に落としたくなければ、3-2-3-2とシステムを代えるのがベストだったはずだ。事実、ここからはアタックの人数が不足し、右サイドのプジョル、センターバックのエルゲラが積極的に攻撃に参加している。つまり、バランスを保とうとしても、結果は同じであり、もし同じなら、バックラインからひとり削って、アタッカーを投入し、サイドからのボールに備える。これが正解ではないだろうか? したがってラウル・ブラボに代えてトーレスだったろう。サエス監督は、どうも安全に行き過ぎる傾向がある。
ラウルは、キャプテンであるばかりではなく、アタックの空間を創造する役割も持っていて、この時間帯までほぼ完全にラウルは自らの動きを手の内に入れていた。そして、何度も書くが、左サイドは、ビセンテではなく、やはりルケだろう。ビセンテにクロスはあるがシュートはなく、ルケにはクロスもシュートもあるからだ。トーレス、ラウルの2トップ、トップ下にバレロン、ビセンテ(仕方なしよ!)、ホアキンの両サイド、そして、アルベルタとバラハの2ボランチ。これで良かったはずだ。
それにしてもギリシアはよく頑張る。対ポルトガル戦は決してフロックではない。おそらく準々決勝に渡欧できれば、それに越したことはないが、テレビのモニターからも、ギリシャの戦術がよく分かる。守ってカウンター。だが、ディフェンスラインを引き上げ、中盤でプレスをかけ、攻撃を遅延させ、なるべく早くボールを奪取するためにはある程度の訓練が必要だ。ギリシアはゲームごとに鍛え上げられていく。
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6.15 ドイツ対オランダ


  ひと時代前なら予選リーグでもっとも注目を集めたゲームになるはずだろうが、両チームとも前評判は芳しくない。ドイツはブンデスリーグ自体の地盤沈下がささやかれ、オランダはスコットランドとのプレイオフでようやく出場権を得た有様。
ゲームが始まるとドイツの出来の良さが目立った。バラックが全力投球でゲームに臨んでいる姿が伝わってきた。フォーメーションもドイツ伝統の3-5-2ではなく、4-2-3-1のもっとも先端的なスタイル。対するオランダは、かつての栄光がまったく感じられない。スタイルはドイツと同じ4-2-3-1。トップはファンニステルローイ。コクーとダーヴィッツが配球役だが、オランダ伝統のウィングであるゼンデンにかつてのスピードはない。ドイツ優勢で推移した後、フリングスのFKがそのまま決まり、前半はドイツの1-0。
そして後半、オランダはゼンデンに代えてオフェルマルス(ゼンデンと同じじゃん!)、ダーヴィッツに代えてスナイデル。考えてみれば、オランダは前回のユーロ2000からずいぶんメンバーが入れ替わり、完全な世代交代に差しかかっているのだ。スナイデル、ファンデルファールト、ファンデルメイデなど若手とコクー、ダーヴィッツ、スタム等の年代の融合が課題なのだろう。クライフ時代に戻れとは言わないし、それ以後も、オランダはヒディンク時代もライカールト時代もそれなりに存在感を持ったチームだった。デブール兄弟、セードルフ、そしてベルカンプなど特徴溢れる選手が、伝統のオランダを維持してきた。確かにスナイデルなど若手には大きな可能性を感じるし、現在のアヤックスの若手は次世代のオランダの中心の存在になるだろう。
であるのなら、なぜ後半の20分過ぎにファン・ホーイドンクを入れてパワープレーにでてしまうのだろうか。結局ゲームは1-1で引き分け(これはファンニステルローイの個人技だ)、ドイツにとってもオランダにとっても悪い結果にはならなかったのだが、パスを回し、両翼をえぐり、ミドルシュートを打つというオランダ・スタイルはまったく忘れられてしまった。「良いフットボール」よりも「レアリスム」が選択されたことになるだろう。だが、問題は、この2方向の間の選択ではないのだ。「良いフットボール」の中にいかに「レアリスム」を融合させるかこと問題であり、後半30分を過ぎると、真ん中にいるでかい奴めがけてロングボールを入れてみんなで走るというプリミティヴなフットボールばかりが選択されるのは、決して面白いことではない。ウィング・プレーからいかにディアゴナルなパスを組み合わせ、ペナルティ・エリア周辺に展開するか──この問題に「レアリスム」はない。ここにはロジックと個人技があるだけだ。スナイデル、ファンデルファールトらには、その個人技はもう備わっていると思うのだが、それでも、パワープレーという「レアリスム」だけが常に選択されるのだろうか?
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6.14 デンマーク対イタリア


  デンマークは素晴らしいフットボールをする。中盤の激しいプレッシングからボールを奪うと、まず大きなサイドチェンジ。両サイドからアーリークロスが上がり、長身のFWがボールを追う。すべてが流動的に動き、こういうフットボールを志向するのだ、という「思想」がプレーに満ちあふれている。そしてそのフットボールは、おそらくジュニア・チームが理想とするものに近い。狭いフィールドに拘らず、大きな視野を持ち、ひとりひとりがひとつのプレーに入る前に次のプレーがあらかじめ決定されている。
当然のことながら、デンマークはイタリアを圧倒する。ポゼッションでもシュート数でもデンマークはイタリアを大きく凌駕している。もしフットボールをというスポーツを、その基本技以外でも教えることが可能なら、このゲームのデンマークを見せるべきだろう。こういうフットボールをイメージしつつゲームに臨むことは、若いフットボーラーの能力を大きく向上させることになる。きれいだ。理にかなっている。合理的で美しいフットボール。
だが、合理的に美しいが故にデンマークはイタリアから点を奪うことができない。ネスタ、ファビオ・カンナヴァッロが適切なポジショニングと激しさでトマソン、サンに襲いかかり、デンマークは最後までイタリアのゴールネットを揺らすことができないのだ。もちろん1対1の対応でイタリアのディフェンダーがデンマークのアタッカーを上回るという言い方も可能だろうが、デンマークが点を取れないのは、彼らが志向するきれいで美しいフットボールのせいなのだ。どうやってゴール前までボールを運ぶかまでは、デンマーク・フットボールは満点だ。だが、ブフォンの堅守まで含めて、どうやってイタリアのゴールネットを揺らすかについて、デンマークは零点だ。
だからフットボールは難しい。合理的で美しいだけでは勝利を収めることができない。デンマークに足りないのは何か? 簡単なことだ。「死ぬ気」でゴールを奪う「根性」だ。絶対に勝つという信念だ。どんなに汚い点でも1点は1点なのだという冷徹さだ。もちろん、別のことも言える。今日のデンマークは、アーセナルにも近い合理性と美学を持っている。だが、アーセナルには、ベルカンプとアンリがいる。その2トップに比べれば、トマソン、サンのふたりはやはり見劣りする。「泥臭さ」か「スーパープレーヤー」のどちらか、それがデンマークに欠けている。
一方のイタリア。点を取られなかったからよいが、トッティ、ヴィエリ、デル・ピエーロの3人のアタッカーだけで現代フットボールにおいて勝つことは難しい。ザンブロッタ、パヌッチのサイド・アタックを混ぜても足りない。誰かが必要だ。解答はひとつ。ピルロだ。
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6.13 フランス対イングランド


  イングランドの掌中にほぼ収めかけられていた勝ち点3がジダンひとりの手でフランスにもたらされた。後半ロスタイムに入ってからの素晴らしいの一語に尽きるFK、そしてアンリが得たPKを鬱憤を晴らすかのように豪快に左サイドネットにたたき込んだジダン。90分を通じてイングランドはほぼベストのゲームをし、エリクソンは、勝利を確信したろうが、ユーロ2004に期するものがあるひとりのフットボーラーが、たったひとりの力でフランスの希望をつなぎ止めた。
このゲームは、全体として明らかにイングランドのものであり、もしベッカムのPKが決まっていたら、勝負はついたのに、という仮定法の文章は不要だ。PK失敗がなくてもイングランドは原則的に勝ちを収めていたろう。だが原則的にという一語は重要であって、そこには例外はあるという意味になる。コーチが演出できないのはまさにその例外だ。ヴァッセル、ヘスキー、ハーグリーヴズを、ルーニー、オーウェン、スコールズに代えて投入したエリクソンには、もう勝ちは見えていたろう。前線からプレッシングしてポゼッションというフランスの武装を解除させ、確実な勝利をたぐり寄せるエリクソンの方法は誰にでもうなずける。重い腰をようやく上げたのはよいが、プレミアでほとんど出番のなかったヴィルトールを好調のピレスに代えるという無意味な交代を敢行したジャック・サンティニの無策ぶりとは好対照だった。どちらも負けないことを最終目標にゲームにのぞみ、セットプレーから上げた虎の子の1点を守りきろうとするイングランド。このチームの攻撃力の乏しさを考えれば、誰が見てもエリクソンと同じことをするだろう。対するサンティニ。前半からすでにこのチームがうまく機能しないのは両サイドのせいであることは明瞭だった。黄金時代のスピードを失ったリザラズ、本来はセンターバックのギャラス。マンチェスターUでは右サイドもこなすシルヴェストル、ユヴェントスでも代表でも右サイドだったテュラムのセンターバック・コンビ。この配置を見て奇妙だと思わない人がいないだろうか。好意的に考えれば、イングランドのアシュリー・コールのオーヴァーラップを牽制するために屈強なギャラスを右サイドに回したとも思えるが、前半は、そのギャラスが攻撃の起点を作らざるを得ない状況が何度もあった。その時点で、コーチは、ギャラスをセンターに、テュラムかシルヴェストルを右に回すことを決断すべきだ。後半が終わりかけて、あわててサニョールを右に入れ、シルヴェストルと交代させるくらいなら、最初からサニョールを使えばいいのだ。
アタック面においても、サンティニが選手に授けたポジショニングはおかしい。アンリ、トレゼゲの2トップは、人選として誤りではないが、ふたりに同じ役割を与えるのはまちがっている。プレイスタイルからして、トレゼゲは中央に張り、ひだりの下がり目でアンリを使えば、リザラズの衰えもカヴァーできるはずだ。
だが、そうしたすべての不安はジダンの2発で雲散霧消してしまった。とりあえず言えるのはサンティニよりも選手たち自身の方が経験が豊かであるということだろう。フランスの弱点は監督にある。一方のイングランドは、今日の敗戦は運がなかったという以外考えられない。ダイアモンド型の中盤も機能していた。夜明けはとてもきれいだった。
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6.12 ポルトガル対ギリシア


  開始早々ギリシアがポルトガル・ディフェンダーのミスから1点を取ったところで、すでに、このゲームの趨勢を占うことができるように感じた。ポルトガルはチームの様相を呈していない。まったくチームになっていないのだ。ルイス=フェリッペは、単にベストの11人を選んだにすぎない。どんなチームにするのか、どんなディフェンスをし、どんなアタックをするのかは、おそらく選手任せだろう。典型的なブラジル人コーチだ。中盤のプレッシングを徹底し、ディフェンスからのオーヴァーラップを控えるというギリシアの「まずは守ってカウンター」という作戦を突き崩すために、こういうチームには個人技しかない。フィーゴは空しくドリブル突破を繰り返し、ルイ=コスタはほぼ完全に消え、空いた中盤をコスティーニャが走り回るだけで、チームとしてまったく機能していない。もちろんスコラーリもそれを感じ、後半からルイ=コスタをデコに代え、右サイドにクリスティアン・ロナウドを投入する。確かに多くのボールはデコを経由するようになり、後半開始5分ほどはポルトガル・ペースになった。だが、ロナウドがPKエリア内で反則を犯しPKを取られ、万事休す。
なぜマンUでは左サイド専門(利き足は左だ)のロナウドは右に入れたかは、フィーゴと重なるからだろうが、ロナウドが右サイドを突破してからあげるクロスは逆足になり、常に正確性を欠いた。終了間際に、右に回ったフィーゴからのクロスをロナウドが中央からヘッドにたたき込みやっと1点を上げたが、時すでに遅し。スコラーリの選手交代も不調の者を別の者に代えるだけで、バランスを欠いている。チームはますます混乱するばかりだ。思い出すのは、同じスコラーリが監督で優勝した2002年W杯のブラジルだ。予選リーグではチームができあがっておらず、決勝トーナメントに入って、ロナウジーニョの開花で快進撃を続けたあのチームだ。ただブラジル人は、どのチームでも同じようなフォーメイションで同じフットボールをするから、次第にチームにフィットしてくれば、パフォーマンスは向上するが、ポルトガルのフットボーラーは、今年のチャンピオンズ・リーグでポルトが優勝したことに表れているように、絶対的な戦術と規律が必要なのだ。でなければ、この日のポルトガルのように、それぞれが個人技に走ってしまう。これでは勝てない。流れるようなパスワークから、スルーパスが次々に繰り出されるポルトガル・フットボールにお目にかかる前に、このチームが消えてしまうかもしれない。スコラーリに頼らず(どこかのチームが神様に頼るのをやめたときに良いパフォーマンスができるように)フィーゴとルイ=コスタを中心に話し合い、ポルトガルの2004ヴァージョンを早急に作り出さない限り、この日の第2ゲームに出場した好調スペインの後塵を拝することはまちがいないし、開催国のアドヴァンテージなど知らないうちに、このチームは消え、モウリーニョのチェルシーに関心が移るかもしれない。仮にこのチームとポルトが対戦すれば(そんなことはできないが)5-0でポルトが圧勝するだろう。次のロシア戦でベストのパフォーマンスが見られるだろうか?
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