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2005年3月27日

2005年3月27日

私は基本的に仕事は遅番なので、遅くまで家で眠っていることが多い。今日もお昼頃までうとうとしていた。布団の中で、寝ぼけなまこで折り曲げていた足をぐっとのばした。ふと、ベッドの上で横たえる私のその足先に、冷たい感触が走った。反射的に飛び起きた。足下を見てみると、暑さで蹴り上げられた上の布団の塊が、一面ぐっしょりぬれているのがわかる。おねしょ?? それにしてもすごい量だ。耳を澄ますとぽたぽたという水滴の音が聞こえる。あわてて眼鏡をつかみ取り、天井を見上げると、中央の照明カバーの中に、透明の液体がいっぱいにたまり、さらにそこからはみ出した液体が、少しずつ垂れて布団を濡らしているのがわかる。カーテンを開けて外を見る。昼の明るい日差しが差し込む。雨漏りではない。いや、そもそも集合住宅の1階に住む私の部屋に、雨水が滴るはずもない。私はとりあえず布団をよけ、浴室から持ってきたポリバケツをその下に置いた。ジャージ姿のまま部屋を出て、私のちょうど上の部屋のチャイムを鳴らす。確か2、3ヵ月前から、空き部屋になっていたはずなのだけれど。新しい人が入ったのだろうか。「はーい」。しわがれた女の人の声が聞こえる。扉ががちゃりと開き、中から私の肩ぐらいの背丈のおばあさんが顔を出す。奥につなぎ姿のおじいさんが、掃き掃除しているのが見える。「すいません。初めまして。下に住むものです。あの、なんか雨漏りしてるみたいで……」。おばあさんはゴム手袋をはめた手に、マジックリンを握りしめている。以前のここの住人とは知り合いだったので、この部屋の構造はわかっている。そういえば、私のベットの上は、ちょうどここのお風呂場にあたる。「その辺なんですけど……」。私は玄関から浴室を指差す。「あらぁ、いまちょうどお掃除してたのよ。なにしろすっごい汚いの!」「……はぁ」「ごめんね。もう、すぐ終わるから。ちょっとそのままで待っててくださる? 後で全部きれいにしに行くから」「……あ、はい」。そんな悠長なレベルの雨漏りではないと思いつつ、よっぽどお風呂が汚くて、それをすっかり磨いてしまいたいという彼女の気持ちがあんまりストレートに私に届いたので、何も言えずに家で待つことにする。バケツに滴る水音が、なんだかすごく懐かしい。しばらくぼーっとそれを眺めていると、急に水の量が多くなって、水道の蛇口をひねったように天井から水が流れ出る。家の中なのに辺りはもうびしょびしょだ。私はひとりでおかしさに笑いをこらえつつ、あっというまにいっぱいになってしまったポリバケツを交換する。そうこうするうちに、部屋のチャイムが鳴る。私は彼女を部屋に招き入れる。相変わらず天井からは水が滴る。「まぁ、大変!!」彼女はあわてて踵を返す。「ちょっと、お掃除道具とってくるから!」私は再び部屋にひとりになる。2階から話し声が小さく聞こえてくる。「お父さんおおごとよ! おおごと!!」 またチャイムが鳴る。おじいさんとおばあさんが、私の部屋に駆け込む。おじいさんは脚立を広げ、天井の照明を外し、おばあさんは彼の足下にバスタオルをいっぱいに広げる。私はおじいさんから照明カバーを受け取り、それを浴室へと持って行った。水を捨て、部屋に戻ると、脚立に腰掛けたおじいさんの小さな背中がクタリと丸まっているのがわかった。彼も途方に暮れているのだ。どこかに連絡をとりに行っていたらしいおばあさんが戻ってくる。「ほんとごめんなさいね。私ったら大変なことしちゃって。今、部長に連絡したから、すぐ大家さんから電話が来ると思うけど。……とにかくここは全部奇麗にして帰るから」「……部長? え? 上に住まれる方じゃないんですか?」「いいえ、私たちは掃除屋なんです」。なるほど。彼女たちは入居者ではなく掃除屋さんだったのか。だからさっきからあれほど掃除して奇麗にするということを繰り返し言っていたのだ。私は飽き症で、これまでも何度か引っ越しを繰り返してきたが、その中でいつも不合理に感じていた、1万円とか2万円とか平気でとり上げるあやしい「クリーニング代」とは、彼女たち夫婦のような人たちのもとに届けられていたのか。ほかのことは不器用だけれど、彼女たちはなんて「クリーニング」に誇りを持って取り組んでいることか。「中間搾取」してゆく「業者」っていうのは、こんな素敵な人たちだったのだ。それからは照明を全部取り外し、びしょぬれだった部屋が素早く美しく片付けられていくのを眺め、部長と呼ばれる若い女の人が謝りにきて、その後大家さんも来て、とにかくばたばたと大変だった。やっと落ち着いてみんなが去って行くと、辺りはもうすっかり暗くなってしまっていた。私は着替えをすませ駅へと急ぐ。今日は普段は絶対に触れようのない素敵な仕事を見た。眠い目をこすりながら、あらためて私も仕事に気合いが入る。

投稿者 nobodymag : 2005年3月27日 01:40