【「マスター・クラス、アンゲロプロス」リポート〜『エレニの旅』テオ・アンゲロプロス その1】
取材・構成 渡辺進也


テオ・アンゲロプロス監督
テオ・アンゲロプロスはギリシャを、そしてヨーロッパを代表する映画監督のひとりだ。そんな彼が、『永遠と一日』(98)以来6年ぶりの新作『エレニの旅』を持って日本にやってきた。また、この来日の期間中には、映画制作を目指す若い人たちと監督が対話をする「マスター・クラス」が開かれた。「マスター・クラス」はすでに世界各国で開催されており、監督と直接話をすることができる貴重な機会だ。『旅芸人の記録』(74-75)や『霧の中の風景』(88)といった傑作を作った監督とはいったいどんな人間なのだろうか。アンゲロプロスの映画にいつも驚かされてきた私は、彼と話す機会が得られるということに興奮を覚えながら会場に向かった。会場は立ち見が出るほどの盛況で、アンゲロプロスとの対話は当初の時間を大幅に越える熱気に溢れるものとなった。その様子をここで紹介したいと思う。
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◆◇◆「映画は“使命”なのです」

アンゲロプロスは日本に来てから不眠症ぎみで体調を崩していたと聞いていたのだが、私たちの前に現われたその姿は元気そうでとりあえず安心する。彼の映画はいつも壮大だ。だからか監督本人も身体の大きい人だと勝手に想像していたけれど、実際には意外と身体は小さい。アンゲロプロスはひとつひとつの質問に対して、まるで彼の映画を思い起こさせるように息の長い返答をする。アンゲロプロスと言えば、やはりワンシーン・ワンショットであろう。『エレニの旅』でもワンシーン・ワンショットが多用されている。

「私は常に“モンタージュの映画”、すなわち編集でつないだ映画に対して反発をしてきました。それがなぜだかはわかりませんが、息の長い文章を書く必要があったのです。同時にシーンでもあるようなショットを作る必要を感じていて、ショットはシーンの一部ではない、そういう考え方をしてきました。もちろん、私だけがワンシーン・ワンショットを使っているわけではありません。映画が始まってから、長いショット、すなわちワンシーン・ワンショットを使っていた人はいます。しかし、疑問は、モンタージュ映画は、ワンシーン・ワンショットが発展して変化をしていった結果なのか、それとも逆に、ワンシーン・ワンショットの方が到達した成果なのかを考えることです。一度ニューヨークでレトロスペクティブが開かれたことがあり、ある男性が私に近づいてきました。彼は地方の大学の教授で、私に一冊の映画理論の本をくれました。その中に彼の書いた記事があり、死を直前にしたエイゼンシュタインについて触れていました。その記事によると、『イワン雷帝』(44)を撮ったあと、エイゼンシュタインはこんなことを言ったそうです。「あのアクロポリスをワンショットで撮ることができていたとしたら、おそらくワンショットを選んでいただろう」と。エイゼンシュタインはイデオロギー的な編集を提案し、モンタージュの巨匠としても知られていますが、自分のキャリアの最後になって、ワンシーン・ワンショットをやりたかった、というところに達したのです。映画は、文学から多大な影響を受けています。映画における言語学的な探求―ムすなわち映画の言語の探求、映画で求められてきた、映画が言語として求めてきたものムムそれらすべては絶対的に文学の中に存在しています。いちばん最初のワンシーン・ワンショットは、ホメロスが書いた『イリアス』の中にあるのです。その『イリアス』の中のアキレウス(古代ギリシャの侍)の武器について5ページの描写があります。また、(ジェイムズ・)ジョイスの『ユリシーズ』の中には、数ページに渡って句読点のまったくないページがあって、ひとりの女性、モリーの独白になっています。これもまた、ワンシーン・ワンショットです。私が好きな映画作家たち、オーソン・ウェルズにしても溝口(健二)にしても(ミケランジェロ・)アントニオーニにしても(カール・T・)ドライヤーにしても(F・W・)ムルナウにしても、ワンシーン・ワンショットの映画作家たちです」

アンゲロプロスにとって、映画とはただ楽しむためのものではなく、世界を変えられるかもしれないものとしてあった。これまで彼は何本も政治的な題材を扱ってきたはずだ。現在の映画の状況を、彼は楽天的にとらえてはいない。

「果たして映画で何ができるでしょうか? 人々の意識をより醒まし、啓発させるために、一体、映画に何ができるでしょうか? 今日、映画は世論に対してCNNほどの権力を持っていません。CNNが世論を決めてしまいます。私が属していた世代は政治を信じていました。世界を変えることができると信じました。いまでは、私は映画が世界を変えるとは思えなくなってしまいました。私が映画を始めた頃、映画で世界を変えることが本当に重要だと思っていました。同世代で私の友人、大島渚さんも時とともに世界は変わらなかった、そうではなかったと理解しました。政治は真実を語るため、真理を語るためでなく、嘘を語るための道具になってしまったのです。私の時代には、(“偽りの”と付け加えますが)学生運動が存在していましたが、今、世界中どこに行っても学生運動は存在しません。私は様々な国(メキシコやアメリカ、カナダや韓国)でマスター・クラスを行ってきました。そこで多くの映画を作ろうとしている若者たちと出会いましたが、彼らから私たちが映画を始めようとしていた頃にあった熱意が感じられません。彼らはむしろ、仕事をするために映画を作ろうと思っているような気がしました。映画は仕事ではありません。少なくとも私がこうあるべきだと思っている映画、こうあり得ると思っている映画は、仕事、職業ではなく、“使命”なのです。世界を良くしていきたい思う宣教師たちは今何人いるでしょうか? TVや商業的な映画が語る言語とは違う言語を語りたいと思っている人々は何人いるでしょうか? 彼等はおそらく少数派でしょう。しかし、様々な時代において、少数派が小さな変化、大きな変化をもたらしたことがあります。ですから、私は今の時代はひとつの移行期にあると思いたいと思います。今までに存在したものと来たるべきものとの中間の移行期であって、待機している時代だと考えたいと思うのです。待っているのは、より良いもの、より本当のもの、真実です。それを来させようとするのはあなたたちだと思います。私たちの世代はいま通り過ぎていっています。皆さんは自分に対して疑問提起をしなければなりません。「映画とはなにか?」「映画に何を期待するのか?」「なぜ映画を作りたいのか?」それを自分自身に対して問いかけるべきでしょう。もうひとつ重要な疑問があります。皆さんが自分に問いかけなければならないこと、「果たして、映画は私を望んでくれているか?」「映画は私を欲してくれているか?」という疑問です。おそらく、ひょっとすると世界を変えるために、自分たちが何か小さな寄与をすることができる、そうした可能性が生まれてくるかと思います。
 プラトンのこんな言葉があります。「誰かが自らを知ろうと思ったら、他者の目の中に映った自分を見よ」。これは、監督の目、それから観客の目との出会いです。自分の姿が映っているところを見れば良いのです。映画があなたを望んでいるかどうかは他者の目の中にはっきりとすぐに分かります。あなたがたが自分の対話相手だと思っている人に、何かをした時はそれを見せて、そこに映った自分自身を見ればすぐにそれが分かります。しかし、それよりもさらに重要なことは、映画の方に向かっていくことです。もちろん、何年もの間、映画を作れないで過ごしてしまうこともあり得ます。まったくお金が稼げない、困難な生活を送ることもある、そういうことが分かっていながら、映画の方に進んでいかなければいけないと思います。いまの時代はとても難しい時代であって、代替者で映画を作れるような時代ではなくなってしまっています。溝口、小津(安二郎)、黒澤(明)の時代とは違っています。映画を作る事はより難しくなってきていると思うのです。ですから、皆さんは彼らよりより多くの困難に出会うでしょう。しかし、その状態に対して抵抗しなければならないし、忍耐強く、映画に向かって進んで行かなければなりません」

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マスター・クラスの様子