2.22

社会面vs.スポーツ欄

競技そのものよりも別の話題がソルトレイクを賑わしているようだ。
「アメリカの愛国心」の問題だ。
開会式のとき、9月11日の瓦礫から出てきた星条旗のことを書いた。そして、オリンピックとは、国威高揚の場であることも仕方がないと僕は思う。けれども、フィギュア・スケートの問題から端を発して、ショート・トラックの失格の問題が重なり、ロシアや韓国は選手団を引き上げるとまで主張を始めているという。フィギュアが嫌いでショート・トラックに興味のない僕には、それほど関係のない問題だが、ロシアや韓国では、皆、怒っているんだろうという想像は十分につく。新聞等の論調は、北米よりの採点と裁定が行われているとされている。アメリカで冬季オリンピックが開催されたのは、80年のレイクプラシッド以来だし、北米では88年のカルガリー以来だ。その両オリンピックでは、そんな問題は起きなかった。グローバライゼーション以降にわき起こった反動的なナショナリズムの波とこのオリンピックは無縁ではない。
フィギュアの採点の問題は、可愛い子が勝ち、ショート・トラックの失格問題は協議に詳しくない僕には判断しようがない。でもホームなんだから当然ではないのか。フランス人・ジャン=クロード・キリーがアルペンで3冠王になったのはホームのグルノーブルだった。札幌や長野で特に日本のジャンプが頑張ったのはホームだったからだ。カルガリーの団体戦では最下位 だった。ホームで選手は力を出すし、ホームでのオリンピックをめざしてそれぞれの協会は特別 に大きな予算枠で強化を図るはずだ。北米有利の採点について、がたがた言わずにホームもアウェイもあるワールド・カップで総合優勝する選手になればいいのだ。たとえば複合のすべての種目で金メダルを獲得したフィンランドのラユネンや
アルペン種目で4つ目の金メダルを得たコステリッツのように、圧倒的に強く運も味方すれば、オリンピックで勝てる。
僕らスポーツ・ファンの取り得る最良の態度は、徹底してスポーツとしてのオリンピックを観戦することだ。プロ解禁以降、オリンピックはテレビ資本の餌食なっている。札幌でスキー板のクナイスル社から金銭物品供与を受けていたかどで追放されたカール・シュランツなど単に昔話だ。だからオリンピックに現在の政治経済的な表象を見ろという意見は分かる。アメリカでの人気競技は地元のテレビのゴールデンタイムにライヴで放映されるために、選手のコンディションなど無視して開始時間が決められることだって知っている。だから東京に住む僕らはアイスホッケーの興味深いカードをなかなかライヴで見られない。「愛国心」という抽象性を即物的に支える資本主義が存在していることももちろん知っている。
だが、ことオリンピックに関しては、ノブレス・オブリージュを以て観戦することだ。そうしたすべてのことを知って上で知らぬ 顔をして観戦すればよい。ロシアや韓国の問題は新聞の社会面が報じているが、そんなことにはいっさいかまわず、スポーツ欄を読むように観戦すればよい。