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2.26
最終回
前回の「男子回転」でこの日記を終わろうとも思ったが、オリンピック後の報道がかまびすしいので、最終回として総括しておこう。
ライヴでの観戦を続けていると、ソルトレイクでのアメリカ人たちの感動が次第に遠いものに感じられていった。オリンピックという一応のインタナショナル──グローバルではない──なイヴェントが、今回は、極めてアメリカというホームのドメスティックなイヴェントに仕立て上げられていたのだ。
オリンピックにもホームとアウェイはあると先日書いたが、それは強化日程と応援のせいであって、イヴェントそのものが、今回のようにドメスティックなものに成り下がったことはなかったろう。ホームがあるのは、アウェイがあるからであって、ホームは、つまり外部を前提しているのだ。ところが、ドメスティックには外部はない。「のっぺりしたアメリカ」と書いたが、どこまでもホームであり、かつて「ゴダールの宇宙」について書いた奴がいたが、ゴダールの宇宙のようにのっぺりしたアメリカには外部はないのだった。
韓国で大騒ぎが起きようと、ロシアが提訴しようと、外部を欠いたドメスティックは微動だにしない。
そんなことはソルトレイクでオリンピックが開催される以前から分かっていたことだし、メジャーリーグ・ベースボールの最終段階を「ワールドシリーズ」と称するのだから、昔からそうなのだ。
かつてヴェンダースにインタヴューしたとき、「アメリカとニューヨークがあって、ニューヨークはヨーロッパの出島みたいだ」と笑っていたが、今回のオリンピックにはニューヨークという出島もなかった。9月11日以降の政治的な情勢がそうしたアメリカに拍車をかけているのは当然だろう。
そして肝心の競技のほうも、時差でライヴ中継を見ている眠い目を完全に覚醒させてくれる興奮はなかった。強いて言えば、モーグル女子くらいなものか。アルペン・スキーにふさわしい風景を欠き、アイスホッケーは準決勝でロシアが敗れ、アメリカ対カナダというNHLオールスター戦になった。アルペン種目にしても、ジャンプにしても複合にしても、正直言ってワールド・カップ中継の方がゲームとして面
白かった。それはアメリカの中継チームがスキーの中継に慣れていないせいだろう。試合の勘所が分かっていない。具体的に言えば、ショットの大きさとゲームの興味に対応するテロップに大きな問題があった。ジャンプでは、スローの後、ようやく選手の得点が掲示される。ワールド・カップ中継だと、点差と距離の問題を選手が飛ぶ前から分かるように作られているのだ。今回の中継で競技のおもしろさを発見した人は少ないだろう。
そして近所の人たち(日本選手)は? 札幌オリンピックまでは、猪谷千春の銀メダル(52年コルチナ)だけが冬季のメダルだったわけだから、こんなものさ。ホームでオリンピックが行われた次の回のオリンピックは、どこも成績が悪いのではないか。理由は簡単だ。強化の到達点をホームでのオリンピックに焦点を合わせるために、新陳代謝が遅れるからだ。ジャンプと複合は完全にそれ。スピード・スケートもそれ。個人競技なのにチーム・スポーツであるという歪みを是正すべきときがきている。「個人主義の若手」たち頑張れ!
さて、フットボールのワールド・カップまであと90日あまり。僕の住む町内にもチンチョウゲの香りがしている。春が来た。春の終わりには、近所で大きなイヴェントが開催される。ホームで行われたイヴェントの後もフランス・チームは強いようだ。例外になりうるのだろうか? 町内の代表チームはどうか? 稲本も中田もいないプレミア・リーグとセリアAが続いている。
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