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2006年06月10日

6月9日 開幕

W杯を初めて見たのはいつだったか? 1966年のイングランド大会だったと思うが、より正確な記憶をたどると、70年のメキシコ大会で、やはり「後半は来週ご覧いただきましょう」の「三菱ダイアモンドサッカー」だったと思う。「肉を切らせて骨を切る」のドイツ。フォクツ、ベッケンバウワーといった面々、そしてジャイルジーニョ、ペレらのいたブラジル。金子勝彦アナ、岡野俊一郎解説とともに思い出す。それからW杯はずっとテレビで見ている。
そして、2002年の記憶がまだ薄れてはいない昨日、ドイツW杯が開幕した。組織委員長のベッケンバウワーの白髪が、ぼくも歳を取ったことを思い出させる。リベロという名詞を彼とともに初めて知ったのはやはり70年のことだったか。「三菱ダイアモンドサッカー」はぼくらにとって「世界への窓」だった。それからフットボールは変容した。W杯も変容した。最高峰の大会はW杯ではなく、もうチャンピオンズリーグであって、「国民国家」を背景にしたW杯など不要だ。そんな意見が出てきてすでに10年は経ったろうか。W杯が不要かどうかは別にして、最高峰のフットボールがチャンピオンズリーグであるのは論を待たない。事実だ。ポルトガルのデコ、日本のアレックスをはじめ、多くのブラジル選手が別の国籍を獲得していることを考えても、W杯の国別対抗戦の「国家」は、「国民国家」さえ形骸化していることを知らせてくれる。
だが、ぼくはW杯が好きだ。たとえば開幕戦に登場したコスタリカなどは、おそらく予選リーグで敗退するだろうから、わずか3ゲームのために、何年も強化し予選を戦ってきたことになる。これは「晴れの舞台」であって、彼らを見ていると、晴れがましい。チャンピオンズリーグの緊張感とは異なるフットボールがここにある。
それはどんなフットボールなのか? 2002年のW杯ジャーナルにも書いたが、1ヶ月の間、優秀な選手たちが普段とはまったく別のチームに所属して、別のフットボールをする。その実験室がW杯なのであり、その実験の結果がすぐさま日の目を見るのがこの大会だ。バルサ育ちのアルゼンチン人のメッシが、ボカ育ちでビジャレアルで仕事をしているリケルメとどうやってフットボールをするのか、というのが、たとえば問題のひとつだろう。そしてときにその実験は、ぼくらの想像の外側にある驚くべき結果を生むこともある(もちろん、いつもではないし、むしろ失望の方が多い)。いつもゴダールを引用したくなる。「信じがたいものを信じること、それが映画だ」というあの言葉だ。「映画」に「フットボール」を置き換えたくなることは言うまでもない。

だが開幕戦は、何の「信じがたいこと」も起こらなかった。ドイツは攻撃的に戦い4点取り、そして2点とられた。日本戦でも露呈したディフェンスの弱さは対コスタリカ戦でも解消されていない。特に柔なのはセンターバックだ。バラックが出場して彼がマークされると、この日のように点を取ることはできないだろう。翌朝スカパー!で去年行われたオランダ対ドイツを見た。そのゲームはドローで終わったがドイツは、両サイドまでも簡単に破られていた。まずディフェンスから入るという鉄則をクリンスマンは忘れているか。決勝トーナメントでは期待薄だ。オープニングマッチに対コスタリカ戦を持ってきて、自チームの弱さを覆い隠すことは、「興業」としてはよいかもしれないが、フットボールとしては、現実逃避だ。レーマンもアーセナルのディフェンダーに守られれば、何とか失点は防げるが、突っ立っているだけのドイツセンターバックの影から湧いてくるシュートはとても防げないだろう。

投稿者 nobodymag : 2006年06月10日 17:49