« 点が取れない! 日本対クロアチア 0-0 | メイン | イングランドの実験 »

2006年06月20日

フランス、勝てないわけ

 朝日の夕刊が「フランスの落日」を伝えている。98年の優勝、02年の予選リーグ敗退、そしてジダンらの復帰と06年の予選──もっと詳細に見ると、ジーコの後任に取りざたされているエメ・ジャケがカントナを代表から外し、96年のユーロでのジダン、ジョルカエフの並置を試み、結局ジダンを選択し、98年のジダン中心のチームで頂点を経験し、ジャケの後継者である現チュニジア監督のロジェ・ルメールの下で、そのチームが最高のパフォーマンスを見せたのは00年のユーロ以後、このチームは常に若返りに失敗し続けている。
 02年のW杯の惨敗でルメールが辞任し、その後任にはジャック・サンティエが就任したが、04年のユーロで失敗してサンティエも辞任、その後任にはローラン・ブランやディディエ・デシャンが取りざたされたが、エメ・ジャケの鶴の一声でレーモン・ドメネクがレブルーの監督になった。ユース監督出身の彼は、チームの大幅な若返りを試みるがW杯欧州予選で苦しみ、例の「神のお告げ」でジズーが復帰、彼を追ってマケレレ、テュラムが復帰。現在の姿がある。

 人事の問題と共に語られるのがシステムの問題。98年の4-5-1(トップにはギバルシュが置かれたが覚えている人は少ないだろう)以後、アンリ、トレゼゲが成長し、そのふたりをどうやって並び立たせるかが話題になり、02年の予選敗退の原因をジズーの怪我に帰すことで一時期、システムが議論されることはなかったが、04年のユーロでのまったくクリエイティヴィティのないフットボールで再び議論が沸騰したが、それも次期監督人事にかき消されてしまう。98年と00年の成功でジャケの後継者は皆、ジズー中心のチームを理想とし、そのシステムの検証をしないまま、選手を入れ替えるだけで、システムを温存してきた。ジズーが復帰し、最後のW杯だと公言する今大会、ドメネクがやるのは過去の栄光をもう一度なぞることだけだ。

 ボールは必ずジズーを経由する。なぜか。それがこのチームの義務だからだ。ジズーが有名になりすぎた「切り返し」をする間に、アンリやヴィルトールのスペースは消され、残るのはこのチームにもっとも不似合いなクロスからヘッドだけ。アンリをワントップに据えるのなら、彼に左サイドのスペースを与えることに、他の選手は専念すべきだし、中盤でショートパスを交換しつつ、左に流れるはずのアンリの前方にスペースを与え、スペースが生まれた瞬間、彼に早いパスを出す。それが、この希代のストライカーを生かす唯一の方法だ。もし、今のままジズーからの配球に拘るなら、トップはトレゼゲの方がずっといい。

 今から2年前、デシャンのモナコがチャンピオンズリーグ決勝でモウリーニョのポルトと対戦したことを記憶している人も多いだろう。プルショ、モリエンテスを中央に、ジュリ、ロタンを両サイドに置いたアタックは見応えがあった。当時のモナコに在籍し、フランス代表に今残っている者はディフェンダーだけだ。ジュリが右サイドを疾走してロナウジーニョのパスを受ける姿は今年のチャンピオンズリーグの白眉だったことは、レーモン・ドメネク以外誰も忘れてはいまい。

 今、ピッチの中央に君臨する王はどのチームも必要としていない。重々しく移動するジズーの過去の栄光に文句を言う人などいない。しかし、否、だからこそジズーは、自ら退くことでレブルーに、その拘束から、その幻影から離れる自由を与えるべきだ。イエロー2枚で出場できない次戦の対トーゴ戦は、ジズーのいない自由を味わう最大の実験室になるだろう。だが、惜しむらくはその実験室にジュリは入室していない。

投稿者 nobodymag : 2006年06月20日 00:21