メイン | »

2005年10月 7日

例年、この季節に山形に来ると秋口の寒さはこんなにもだったかと思い知らされる。その教訓を生かして、真冬でもいけるアウターとニット帽を身に着けてやってきたが、肩透かしを食らったように寒くない。むしろ東京のほうが寒いのではないかというくらいだ。開会式の時間に急いで走っていったら汗ばんだ。
そんな個人的な事情とはお構いなしに、オープニング上映の2作品はどちらも豪雪映画だった。小川紳介『肘折物語』(92)と石本統吉『雪国』(39)。前者は温泉で有名な肘折を舞台にフィリピン人妻の問題を作品化しようとしていた小川が、そのテスト撮影のために肘折を訪れた際の素材である。彼の死によりその作品は制作を中断した。後者は、こちらも豪雪地帯として名高い大蔵村の冬場の雪との戦いを、3年の歳月をかけて取材したものだ。
『雪国』では、雪は克服されるべき敵だという主張を繰り返す。夏場の田植えの時期にも、秋の収穫の時期にも、目には見えずとも住民たちを冬への危機感へと駆り立てるような存在なのだと。そのために傾斜が50度を越える勾配の切妻屋根を持つ西洋風の住宅が建設され、雪道をものともしない戦車のような乗り物が配備される。その一方で、たったひと言なのだが村の上役のような人が、「雪の恐怖を克服して、われわれは雪の白さを持った明るい心を持つようにならなければならない」というような棒読みの台詞を言う場面がある。駆逐しなければならないが、同時にそこに同一化してもいかねばならない対象である雪。広い窓をもつ西洋風の実験住宅とその周りにたくさんある従来の薄暗く住民も馬も(馬も同居しているのだ)健康を害するような民家、あるいは巨大な雪上車と馬が引く荷車とは、漸近的に接近していくような関係ではなく、むしろまったく関係を持たずにただそこに併置されているかのように見えた。
残念ながらフィリピン人妻とどのように関わっていくはずだったのかはうかがい知れない『肘折物語』だが、冒頭の男性の言葉が彼女たちも必ずや受けたに違いない雪による拒絶を想像させる。「寒の雪だから。ここいらのもんでも大変だ。ましてやよそのもんでは無理だ」。大変だ大変だと繰り返しながらもどこか楽しそうなその男性は、こんな印象的な言葉をつぶやく。「寒の雪だからね。下から下から吹き上げてくる。そのまま持ち上げられて、自分が雪になっちまうみてえだ」。その愉楽のような苦痛への、同化と拒絶の境界線へ向けてこの作品は作られるはずだったのかもしれないと、そんなことを考えた。(結城)

投稿者 nobodymag : 2005年10月 7日 13:11