1. | 『ドラゴン・タトゥーの女』デヴィッド・フィンチャー The Girl with the Dragon Tattoo, directed by David Fincher |
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2. | 『ローマ法王の休日』ナンニ・モレッティ Habemus Papam, directed by Nanni Moretti |
3. | 『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』フレデリック・ワイズマン CRAZY HORSE, directed by Frederick Wiseman |
4. | 『眠れる美女』マルコ・ベロッキオ Bella Addormentata, directed by Marco Bellocchio |
5. | 『次の朝は他人』ホン・サンス The Day He Arrives, directed by Hong Sang-soo |
世界の傑作と出会い、そのたびに「チクショウ!」と落ち込むことは多々あると思う。だけど今年は落ち込んだことが多かった上に、さらには半べそをかくことまで覚えた。東京国際映画祭で見た『眠れる美女』は、現段階で日本での公開が決まってないとのこと。ベロッキオはふたたび僕たちに半べそをかかせる気だろうか。いやかかせてほしい。上記の他『戦火の馬』(スティーヴン・スピルバーグ)、『裏切りのサーカス』(トーマス・アルフレッドソン)、『幸せへのキセキ』(キャメロン・クロウ)は半べそを越えて自らを猛省した。
ポーランドのジャズシーンに興味を抱いた1枚。スコリモフスキーへの禁断症状も同時に再発。
著者の仕事をたくさん追いかけた1年だった。なかでも本著の「居酒屋の壁から」の塩らっきょうとえんどう豆のふたりの関係性に、不束な若輩者はシビれたのです。
『幕末太陽傳』のナレーションを製作当時以来に実演。藤本義一、小沢昭一亡きいま、川島雄三の語り部はほんとに少なくなってきた気がする。
往年の名選手がプレイグラウンドを去るなか、プロ野球界きってのキャプテンシーもついに引退。解説者や指導者というより、ダイエー、読売時代の奇妙な謎を紐解く、作家としての今後に期待。
八幡通りに面した地下のカフェ。外界の喧騒さから逃れ、ひと息つきたいときにはいつもいた。そんな場所。
『おとなのけんか』ロマン・ポランスキー Carnage, directed by Roman Polanski |
『ル・アーヴルの靴みがき』アキ・カウリスマキ Le Havre, directed by Aki Kaurismäki |
『私が、生きる肌』ペドロ・アルモドバル La piel que habito, directed by Pedro Almodóvar |
『ミッドナイト・イン・パリ』ウッディ・アレン Midnight in Paris, directed by Woody Allen |
『5月の後』オリヴィエ・アサイヤス Après mai, directed by Olivier Assayas |
『眠れる美女』マルコ・ベロッキオ Bella Addormentata, directed by Marco Bellocchio |
今年は1930年から1950年代にかけて生まれた巨匠たちに驚かされた1年だった。歳をとると人間はアグレッシブになる、と勘違いするほど斬新でおもしろい映画ばかりだった。上記には挙げていないが『J・エドガー』『戦火の馬』『ダーク・シャドウ』なども忘れがたい。映画祭のスピードに自分の筆が追いつかずレポートを中途半端に放置してしまっているが、個人的にはTIFFの印象が強い。『ゴールデン・スランバーズ』『帰り道』『インポッシブル』など、映画祭だったからこそ出会えた作品だった気がする。
よく距離について考えていた。客席と舞台との距離、作品の題材との距離の取り方、自分と描かれている題材の距離、俳優と登場人物の距離感など。自分のなかにあった距離感覚が見事ひっくり返されていった。250キロ先は遠いのか? 飛行機なら2時間は遠いのか?片道25000は近いのか? 手持ちカメラは距離を持てているのか?ドア1枚の厚みはどのくらいか?そして現在、映画・演劇に限らず様々な場面で自分は距離音痴の状態に陥っている気がしてならない。
『エクスペンダブルズ2』サイモン・ウェスト The Expendables 2, directed by Simon West |
『バビロン2-THE OZAWA-』相澤虎之助 Babylon 2 -THE OZAWA-, directed by Toranosuke Aizawa |
『THE GREY 凍える太陽』ジョー・カーナハン The Grey, directed by Joe Carnahan |
『キリング・フィールズ 失踪地帯』アミ・カナーン・マン Texas Killing Fields, directed by Ami Canaan Mann |
『アウトレイジ ビヨンド』北野武 Outrage Beyond, directed by Takeshi Kitano |
(順不同)
「エクスペンダブルズ=消耗品軍団」。今年はこれによって指針を与えられたように思う。「1」のときから「2」みたいな居ずまいだったが、今回「2」になって据わりがさらに良くなった。「3」はジャッキー・チェンが参戦するらしく、それもかけねなしに楽しみ。「面白さ」の追求が「生きる意味」の探求でもある内省的な戦争映画とも言えるが、ファナティックなところがまるでなく、醒めてる。そんな連中の交わす冗談が最高。それはほか四作にも共通する。『キリング・フィールズ』はクロエ・グレース・モレッツ出演作のベストで、他の映画は彼女をまるで活かせていないと思った。マイケル・マンの娘が監督で、湿地帯の撮影のすばらしさに唸った。
(順不同)
映画と日本酒の共通点。料金がほぼ一律であること。ワインの価格はものによって大変な開きがあるが、日本酒はだいたいどれも同じ。四合瓶の純米ならばほぼ1000円台前半。純米吟醸で1000円台後半。映画一本分の値段なのだ。でもその味わいには著しい違いがある。だから価格には反映されない、作り手の技術の成果とどのように向き合うかが問われている。ここでのセレクトの基準は、大雑把にいって、酸渋と甘旨味の重層的な釣り合い。酸渋と甘旨味が適度に分離していて時間差を持って伝わること。そして酸渋があるから甘旨味をほしくなり、甘旨味があるから酸渋がほしくなる、という無限循環がつくりだされている、ようするに後を引く、ということ。
1. | 『ホーリー・モーターズ』レオス・カラックス Holy Motors, directed by Leos Carax |
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2. | 『4:44 地球最期の日』アベル・フェラーラ 4:44 The Last Day on Earth, directed by Abel Ferrara |
3. | 『ジェボと闇』マノエル・ド・オリヴェイラ O Gebo e a Sombra, directed by Manoel de Oliveira |
4. | 『次の朝は他人』ホン・サンス The Day He Arrives, directed by Hong sang-soo |
5. | 『コズモポリス』デヴィッド・クローネンバーグ Cosmopolis, directed by David Cronenberg |
次点に『下女』(キム・ギヨン)、『Querelles』Morteza Farshbaf、『Virginia/ヴァージニア』(フランシス・フォード・コッポラ)、『3人のアンヌ』(ホン・サンス)、『ライク・サムワン・イン・ラブ』(アッバス・キアロスタミ)、『キル・リスト』 (ベン・ウィートリー)、『Je suis』(Emmanuel Finkiel)
次に続くシークエンスでは何が起こるのか?
これは映画についてわれわれが往々にして自らに課す問いだ。しかしながら稀に、一本のフィルムの持続を通してその問いは課せられる。レオス・カラックスの総括的な作品であり美学的な集大成、そして同時に、文字通り前代未聞の感覚とアイディアの連続である『ホーリー・モーターズ』の達成した脅威とは、無数の物語を語ることという、映画の揺るぎない可能性に基づくものだ。
危機を避けることの困難。経済的、道徳的、文化的、美学的危機。100歳を超えたオリヴェイラは、『ジェボと闇』で倫理を欠いたネオリベラリズムの災禍についてのおそらく最も的確な寓話をつくりあげ、一方『コズモポリス』でデヴィッド・クローネンバーグは、抽象化の最中にある現代資本主義の絵画に彼のオブセッションを適合させる。 ホン・サンスは『次の朝は他人』(今年、同じく公開された『3人のアンヌ In Another Country』の素晴らしさに言及することもできるだろう)で、 ミニマルでコンセプチュアル、そしてきわめてローカルでありながら実に見事な普遍性を有したフィクションにおいて、男性性の恒常的な危機を思い起こさせる。アベル・フェラーラは『4:44 地球最期の日』において、自身の映画を哲学的につくり出す類希な方法を再び見出した。
最後に、今年初めてフランスで公開された1960年の韓国映画であり、驚くべきセクシュアルなメロドラマ、キム・ギヨンの『下女』について。シュトロハイム、あるいはブニュエルの作品と同様に並外れた自然主義のダイアモンドであるこのフィルムには、我々が映画史を旅したということにはほど遠いのだと思い知らされる。素晴らしいことだ。
1. | 『明日?』クリスティーヌ・ローラン Demain ?, directed by Christine Laurent |
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2. | 『ウマ・ムリェールの復讐』リタ・アゼヴェート・ゴメス A Vingança de Uma Mulher, directed by Rita Azevedo Gomes |
3. | 『ぎりぎりの女たち』小林政弘 Women on the Edge, directed by Masahiro Kobayashi |
4. | 『どこからか来た娘』ジャン=クロード・ブリソー La Fille de nulle part, directed by Jean-Claude Brisseau |
5. | 『あなたはまだ何も見ていない』アラン・レネ Vous n'avez encore rien vu, directes by Alain Resnais |
1. ジャック・リヴェットの数々の作品で脚本を担当してきたクリスティーヌ・ロランの6本目の長編『明日?』は、ウルグアイの詩人であるデルミラ・アブスティーニの伝記映画だ。作品において語られているように、彼女は二十歳の時、最初の詩集を発表し、作家であるルベン・ダリーオに賞賛を受けるが、それから7年後、別れた夫に銃殺される。この作品においてすべてのアクションは閉じられた一室を舞台に繰り広げられる。その部屋で一人の若い女性は、肉体的欲望ともに数々の美しい詩を創作する。彼女の友人たちは、革命に身を捧げ、新聞の見出しを飾っている。繊細ともいえる時間の省略は、時間の素早い経過を覆い隠しているように見える。この作品は、1900年から1914年、14年間という期間を巡りながら、巨大な世界から遠く離れているどこかであるはずの場所の膨張と亀裂を描く。同時期に同じ時代を巡る2本の作品が「フランス」で生まれたことはさほど重要なことではないーーベルトラン・ボネロの魅惑的な『ある娼館の記憶』。あらゆる芸術的、美学的な方向性は異なっているが、二本のフィルムにはともに、残酷なモチーフを扱っている。これらのコスチュームプレイは、新しい世紀の始まりを生きることと、世紀の終わりを目撃することへの欲望を見せようとする。現代にまさに一直線に繋がるのはこういう訳だ。だが、世紀の始まりはカレンダーの日付としてしか示されることはなく、その終わりは登場人物たちの目の前で緩慢と立ち消えていくのみだ。彼らは、始まりにも終わりにも無関心に、ただストラヴィンスキーのワルツに合わせて踊っている。しかし、時間の経過は避けられない。デルミラは、オーストリア皇太子が暗殺される3週間前に死ぬ。アブスティーニの家族が、何事もなかったかのように幸福な夏の時間を過ごす情景を映すラストショットは、リュミエール兄弟を想起させるだろう。この事実は、クリスチャン・ロランの作品をさらにスイスの作家であるカトリーヌ・コロンブの現代的な散文に近いものにしている。彼女の作り出す登場人物たちは、「途方もなく重要なものが、新たに出現した写真がすでに永遠に捕らえようとしていたであろう幽霊のような顔にあると考えていた」のだ。
2. 今日に至るまでジュール・バルベー・ドールヴィイへのいくつかの映画へのアプローチがあった。1921年にドイツ表現主義のロベルト・ヴィーネが『Die Rache einer Frau』で、カルメロ・べーネが『Don Giovanni』で、カトリーヌ・ブレイヤが『Une vieille maîtresse』で、バルベー・ドールヴィイの作品を映画化している。不思議なことにポルトガル国外では未だ発見されていない、まばゆいほどの才能で満ちた監督Rita Azevedoは、彼の作品にかなり様式化されたと同時に過激な独自の解釈を加える。ナレーターの語る姿はすべて長回しで撮られ、昼の光は夜の暗闇に繋がり、フラッシュバックはカットされる事なく続く。幕開けとなるシーンにおいて、ナレーターは現代的なコスチュームで、マノエル・ド・オリヴェイラーーゴメスはかつて彼と仕事をしていたーーの『Le Soulier de satin』『Benilde ou a Virgem Mãe』の深淵な始まりを思わせる装飾的な室内を彷徨い歩く。彼女は、映画の因習を隠そうとはしない。むしろ彼女はこの作品で、ラウル・ルイス、モンテイロ、アントニオ・レイスと働いたポルトガルのもっとも素晴らしい撮影技師の一人である偉大なアカシオ・デ・アルメイダの助けを借りることによって、美しい映画的なイリュージョンを強調しているようにすら見える。『ウマ・ムリェールの復讐』は、2012年にもっとも魅力的な作品であることは疑いないだろう。
3. 『ぎりぎりの女たち』は、福島の悲劇から直後、監督自身の家で撮影されたフィルムだ。機能障害を起こしている家族の肖像は、三姉妹に焦点をあてている。彼女たちは、災害によって引き寄せられたかのように15年ぶりに再会する。地震後、幼少時代を過ごした家ー今は水も電気も通っていない、雑草が生い茂ったーで鉢会わせるが、最初はお互いを認識していない。私たちは、荒廃した恐ろしい映像を目の当たりにする。悲劇の反響は、強力な磁石のように、彼女たちを引き寄せる。小林政弘は、デジタルカメラを使ってラディカルで劇的な低予算映画を制作している。カメラは冒頭の30分、二人の女性が佇む一室を舞台に、最小限のカットを重ねていく。エピソードをなぞった後、唐突に激しいダンスを踊る長女の極端なクローズアップに切り替わる。彼女は9・11を覚えている。奇跡的に無償だった彼女たちの家はだからこそ過去の生活を思い起こさせるだろう。一つ一つのオブジェが、必然的に非難、トラウマ、記憶の連鎖をもたらす。映画の冒頭、三姉妹というモチーフは避けがたくチェーホフを想起させるが、このフィルムの終わり、私たちはドストエフスキーへのレフェランスを見るだろう。狂乱状態の三姉妹は、焚き火で現金を燃やす。彼女たちにとってそれは本当に必要なものでありながら、紙の塊は彼女たちの打ちひしがれた生を元に戻すことなどできない。この作品は、ベルイマンを思わせる。小林は、まさしくあらゆる愛と憎しみの関係に満ちた、荒れ狂った敏捷さを捉える優れた映画作家といえるだろう。
4.『どこからか来た娘』は、ブリソーがデジタルで撮った初めての作品だ。彼は自身のアパルトマンを離れることなくこの作品を完成させた。それはまさに今、世界的な方法なのだ。たとえば、彼の自宅で撮影せざるえなかったポール・ヴェキアリが完璧にフランスの助成システムの神話を否定したように。今、コッポラでさえ、個人資産に頼って映画を制作している。彼は美しい『Twist』の舞台として、彼の自室の書斎を選んだ。何ものも恐れない、個性的な俳優たちが身を任せられるのは、現在においては彼ら自身のみなのだ。ブリソーは、映画にとって本質的なメリエス的な要素をもつ、完璧な美、穏やかさ、愛情に満ちた作品を生み出した。フィリップ・ガレル『愛の残像』のように、ブリソーは、映画生来のイリュージョンを十全に表すのは、かなりシンプルな手仕事の効果であることを知っている。それと同時に、ブリソーは、初期のテレビ作品『Les Ombres』(1982)に回帰し、ついに彼の映画の魔法のメゾットを高らかに宣言したのだ。
5. 僕は、二つの点を除けば、すでに書いた記事に付け加えることが難しいと思っている。(http://mubi.com/notebook/posts/testament-of-orpheus-alain-resnais-you-aint-seen-nothin-yet) 今年のカンヌ映画祭は、クローネンバーグ、アッバス・キアロスタミ、ホン・サンス、レオス・カラックス、ウェス・アンダーソンの作品を除けば、ほとんど驚きも刺激もない、良くも悪くもない平凡な作品ばかりだった。その中で、アラン・レネ『あなたはまだ何も見ていない』予期せぬ美しい宝石は、その年のカンヌでのもっとも深い感動をもたらした。僕はこの作品を何度でも見返すだろう。その一方で、これまで挙げてきた作品への国際的な無関心に対して何らかの分別のある解釈を見つけることができたとしても、なぜ誰も90歳になるアラン・レネがもう一度、自身の映画を再発明し、もっとも愛すべき作品を作りあげたという事実に言及しないのかが理解できないでいる。この作品は近年稀にみる、大胆不敵で、極めて重要な、驚きにみちたものだ。他の4本の作品と同様に、『あなたはまだ何も見ていない』は、どこともなく突然に生まれ、映画の本質である変容の奇跡がもたらす魅力的な在り方を私たちに見せてくれる。
アヴァンギャルド映画作家、グレゴリー・マーコポウロスは晩年の10 年間を『ENIAIOS』の制作に捧げた。彼のすべてのクリエーションを再創造する大胆な試みだ。この作品は22篇から成り、完璧な無声で80時間に及ぶ長編として構成されていたが、彼の死によってプリントされず残されたままになっていた。しかしながら、2002年から彼のパートナーであったロバート・ビーヴァーズは、ギリシャのアルカディアにある神殿ーーマルコポウロスとビーヴァーズが設立した野外上映劇場ーーで、『ENIAIOS』の特別上映を企画してきた。『ENIAIOS』の最初の五篇は、2004年から2008年に上映されたーーあいにく作品の復元とプリントはかなりゆっくりと進んでいるようで、今年は『ENIAIOS』の六篇から八篇だけが上映された。偉大なロバート・ビーヴァーズのマルコポウロスへの熱狂、愛情なしには生まれることがなかった世界でもっとも冒険に満ちた感動的なイベントだ。
去年のロッテルダムでは、伝説の監督、映画史家、Midnight Sun Film Fetivalのディレクターである、ペーター・フォン バーグを巡る特集上映が企画され、彼の最良の仕事とともに、かつてダグラス・サークに絶賛された唯一のフィクション長編であり、愛すべきコメディ『Kreivi』(1971)も上映された。彼の仕事もさることながら、約50本のフィンランド映画がセレクションされ、フィンランドの歴史を垣間見せる特集だった。二本の傑作、SF映画、『Eight Deadly Shots』(Mikko Niskanen, 1972、インターナショナルプレミア!)とミュージカルコメディであり、第二次世界大戦前のヘルシンキを捉えた最初のフィルム『Paraati』(Yrjӧ Norta, 1939)は、僕にとってその年のもっとも記憶に残る映画体験の一つになった。バーグは、回顧上映に加えて、彼の新作『Splinters』も上映された。この作品はフィンランドの古典であり、『Juha』ーーアキ・カウリスマキが彼の代表作である『白い花びら』で映画化したーの作家であるユニハ・アホの生涯を描いている。『Splinters』は、バーグ自身が捉えたショットだけではなく、写真、映画の引用、絵画、ニュース映画のコラージュから構成されている。僕たちは、このフィルムの終わりのクレジットでオーソン・ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』のワルツを聞くだろう。最初の瞬間からこの作品は観客を眩惑させる。これがドキュメンタリーであることを忘れ、魅力に満ちた劇映画を見ているような感覚に陥るだろう。20世紀の幸福な始まり、戦争以前の時間は常にフォンバーグの作品において重要なモチーフだーーユニハ・アホが息を引き取った時、ジャン・シベリウスがちょうど彼の家にやってくる。まさにそこで最初の映画が現れる。フォンバーグは、単に物語を語り、プロットあるいはナレーションを映画化するというよるむしろそれぞれの作品の中で、どのような文化が存在し、それがいかに機能しているのか、それを強固なイメージとして創造する。僕は彼にマノエル・ド・オリヴェイラが彼の生涯をかけているであろう仕事に近いものを感じている。
ミケル・ゴメスは、国外ではほとんど知られていないポルトガルのもっとも才気あふれる監督の一人であるManuel Mozosを巡るレトロスペクティブのキュレーターをつとめた。この特集は、フォンヴァーグの回顧上映と同じ原理に基づいている。Mozosの作品だけでなく、5本のポルトガル映画が選ばれ、彼自身によるちょっとしたポルトガル映画史を辿るプログラムとなっていた。『Os verdes anos 』(Paulo Rocha, 1963)『Trás-os-Montes』(António Reis, Margarida Cordeiro, 1976)『O Bobo 』(José álvaro de Morais, 1987)、僕はこの三作品との出会いを決して忘れることはないだろう。もちろん、信じがたいほど美しいMozosによる『Xavier』(1992)の誕生はポルトガル映画における偉大な瞬間であり、驚くべき世界映画の生まれた瞬間として記憶されるべきだ。同時にこれらの作品は異なったレベルでの今日におけるポルトガル映画の理解を可能にするーーミケル・ゴメス、ペドロ・コスタ、ジョアオ・ペドロ・ロドリゲスの作品が不幸なことにポルトガル外のシネフィルの目からは実質的に隠された古典作品との対話の中で生み出されたことは明らかだろう。
昨年秋のリズボンはまさにシネフィルのための場所だった。まず、10月18日から28日に開催されたDocLisbona映画祭(http://www.doclisboa.org/2012/)で、Susana Sousa Dias, Ana Jordão, Cinta Pelejà, Cíntia Gilが企画した美しいドキュメンタリーの展望。コンペティションにはなんとSylvain George 『Vers, Madrid』(ワールドプレミア)がセレクションされていた!しかし僕にとってこの映画祭のメインイベントはFederico Rossinによる企画、United We Stand, Divided We Fall Retrospectiveだった。60年代、70年代、80年代と時代ごとに作品がセレクションされ、『Maso et Miso vont en Bateau』(Nadja Ringart, Carole Roussopoulos, Deelphine Seyling, Ioana Wieder, 1976)には大爆笑した。さらに、同様に注目すべき映画祭、Cinema à volta de cinco Artes - cinco Artes à volta do Cinema (http://ocinemaavoltadecincoartes.blogspot.com/) は、 近作とともに古典作品も組み合わされた洗練されたプログラムに、感嘆の声を挙げずにはいられなかった。Rita Azevedo『O Som da Terra a Tremer』は特別賞に値する作品であったように思う。そして最後に、このシネフィリックな2ヶ月の締めくくりとなったのが、パウロ・ブランコによるLisbon&Estoril(http://www.leffest.com/en) 映画祭だった。僕はここでオリヴェイラ『Le soulier de satin』『Francisca』を美しい35ミリプリント、巨大なスクリーンで初めて見、隠された傑作『O Construtor de Anjos』(Luis Noronha de Costa)を発見し、イングリット・カーフェンとともに、ダニエル・シュミット『La Paloma』の上映に立ち会った。この二ヶ月間は、僕の人生でもっとも素晴らしい瞬間であり、あっという間に過ぎ去ってしまったように感じている。
このレトロスペクティヴは、ソヴィエトの初期のスタジオ、レンフィルムに焦点をあてたものだった。ロシア国外では滅多に上映することが出来ないであろう、魅力的な古典映画のプログラムは、ソヴィエト映画の短い歴史を垣間見せてくれた。フレードリッヒ・エルムレルの二本立て上映『Fragment of an Empire』(1929)『Facing the judgment of history』(1965)には、驚かされた。彼の遺作となった『Facing the judgment of history』は、フィクションとノンフィクションを混在させたロシア帝政の崩壊をテーマとしている。共産主義を受け入れず、敵対している白軍を擁護したことから、当初、全体主義への賛歌と見なされていたが、サイレント映画の傑作『Fragment of an Empire』の自身によるリメイクとして脚光を浴びた。時代を超えるタイムマシーンのように、エルムレルの作品は、ロシアを巡る歴史的視点を再考するよう僕たちを導くだろう。このフェスティバルについて重要な事実を付け加えておきたい。上映と同様に、トーク、ディスカッション、ワークショップなどのイベントも充実しており、とりわけChristoph Huberの講演「Holmes and Watson Go to the Cinema Soviet-style」は素晴らしいものだった。
1. | 『ミッドナイト・イン・パリ』ウディ・アレン Midnight in Paris, directed by Woody Allen |
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2. | 『ポエトリー アグネスの詩』イ・チャンドン Poetry, directed by Lee Chang-dong |
3. | 『親密さ』濱口竜介 Shinmitsu-sa(Intimacy), directed by Ryusuke Hamaguchi |
4. | 『ラム・ダイアリー』ブルース・ロビンソン The Rum Diary, directed by Bruce Robinson |
5. | 『道化の前で』イングマール・ベルイマン In the Presence of a Clown, directed by Ingmar Bergman |
1は、スペイン出張のルフトハンザ機内で初見。旅情という名のスパイスが効いたのでしょうか、涙が頬をつたいました。鋭い批評性もあって、こういう喜劇はいいですね。4も、いわば1の変奏のような感触。2, 3 &5は「現在進行形の死」たる映画の差異反復がまざまざと体現された3本だと思います。カプリッチ特集(日仏)で幻のベルイマン遺作である5と遭遇できたのは、なにげなく奇跡の体験でした。あとは、『J・エドガー』『ファミリー・ツリー』『Pina』『ヴァージニア』といったところ。旧作上映では、G・コージンツェフ、L・トラウベルグ共同監督『新バビロン』(1929)を初見、ヒロインの毅然たる肉体の美しさに打たれました。
その他のジャンルについて、ベストを1つずつ。本=ジャン・ジュネ著『判決』(みすず書房)、写真=篠山紀信〈写真力〉(東京オペラシティ・アートギャラリー)、スポーツ=アンドレス・イニエスタ(FCバルセロナ)、演劇3本=『温室』『アンダスタンダブル?』『ファンファーレ TOKYO Mix』、音楽=CAN『The Lost Tapes』、食=尖閣問題をじっと耐える東京のハイエンド中華「福臨門酒家」(銀座)、ビバレッジA=ソイ・ラテ+エスプレッソショット追加(スターバックス)、ビバレッジB=バカルディ・ゴールド(ラム)のお湯割り(身体が芯から温まる)。
1. | 『次の朝は他人』ホン・サンス The Day He Arrives, directed by Hong sang-soo |
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2. | 『ミステリーズ 運命のリスボン』ラウル・ルイス Mistérios de Lisboa, directed by Raúl Ruiz |
3. | 『J・エドガー』クリント・イーストウッド J.Edgar, directed by Clint Eastwood |
4. | 『灼熱の肌』フィリップ・ガレル Un été brulant, directed by Philippe Garrel |
5. | 『記憶が私を見る』ソン・ファン Memories Look at me / Ji Yi Wang Zhe Wo, directed by Song Fang |
2012年に発見した作品ベスト5。
映画の公開の出来事性、事件性がどんどん希薄になっていくように感じられる今日この頃、それでもあの場所、この場所で、あの人、この人たちと発見し、驚き、喜び、涙した作品たち。似ているようで一本、一本まったく異なり、見る度に唖然としながら、知らずに心震えているホン・サンスの作品が一挙に公開されたのはまさしく事件であった。その中でもお気に入りが『次の朝は他人』。ユ・ジュンサンのぼけーとした感じがいい(新作『3人のアンヌ』でもサイコー)。『ミステリーズ 運命のリスボン』、この世で生きるすべての人々それぞれの生誕、そして恋愛、それだけがこの世の大いなるミステリーであることをあっさり(4時間30分が人生のようにあっという間に過ぎる)見せてくる、とにかく面白い。ガレルはあえて『灼熱の肌』。カラーを撮る時のガレルの一見、雑にさえ見える生々しい手つきが好きだ。そしてロカルノ映画祭、東京フィルメックスで発見した『記憶が私を見る』は映画の演出によって歴史が召還されるということをあらためて確認させてくれた。そしてようやく息子と一緒に見ることができた『カリフォルニア・ドールズ』のチラシを今年もデスクの前に貼ったまま、傷を負おうが、踏みつけられても、前を進んでゆく覚悟。今年公開予定の『ホーリー・モーターズ』、『Laurence Anyway』、『コズモポリス』、そして青山真治の『共喰い』を幸運にも早々発見することができたが、これらの作品とともに、そしてさらなる出会いを求めて、いざ映画館へ、Let’s go!
『その日』のキスシーンを思い出すだけで涙が出る。『グッバイ・マイ・ファースト・ラブ』(今春公開予定)は、時間とともにどんどん心に沁み入る作品。昨年はメルヴィル・プポーとともにラウル・ルイスの世界を訪れるという至福の時間を過ごせた。『誘惑者の日記』はパリが舞台のスリラー&ラブ・コメディーでマチュー・アマルリックの魅力も炸裂。デュブルーには、是非、また映画を撮ってほしい。『ワンス・モア』はやはり傑作である。ヴェキアリ特集もいつか実現したいものだ。今年も少しでもいい作品をみなさんにお届けできますよーに。
1. | 『J・エドガー』クリント・イーストウッド J.Edgar, directed by Clint Eastwood |
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2. | 『戦火の馬』スティーブン・スピルバーグ War Horse, directed by Steven Spielberg |
3. | 『フランケンウィニー』ティム・バートン Frankenweenie, directed by Tim Burton |
4. | 『Virginia/ヴァージニア』フランシス・フォード・コッポラ Twixt, directed by Francis Ford Coppola |
5. | 『危険なメソッド』デヴィッド・クローネンバーグ A Dangerous Method、directed by David Cronenberg |
『ザ・ホール』ジョー・ダンテ The Hole, directed by Joe Dante |
『J・エドガー』に出てくる白い馬はいったい誰が見たのだろうかという問いが解決できないまま、年老いたエドガーとトルソンがキッチンの片隅で食事をするシーンの見事な演出と、『戦火の馬』のカットを割らずに画面に収めた雪の降り始めに深く胸を撃たれた。『ダーク・シャドウ』かどちらか一本選ぶのに骨が折れた『フランケンウィニー』は、『ヴァージニア』と共に死者や異界との遭遇をテーマに据えており、その意味でとてもクラシックだともいえるが、それは同時に決して古びることのない題材が放つ輝きでもある。『危険なメソッド』と『ザ・ホール』は、乱暴にいってしまえば「自分探し」がテーマとなっているが、前者の他者ごと抱え込もうとする切り返しの演出と、後者のともかく説話を語っていく演出の澱みのなさに舌を巻いた。ジョー・ダンテの演出力は、今円熟を迎えている。
マニー・パッキャオ(フィリピン)×ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)
WBCミドル級タイトルマッチ
フリオ・セサール・チャベスJr.(メキシコ)×セルヒオ・マルチネス(アルゼンチン)
WBA・WBCミニマム級王座統一戦
八重樫東(日本)×井岡一翔(日本)
WBCライト級タイトルマッチ
アントニオ・デマルコ(メキシコ)×エイドリアン・ブローナー(アメリカ)
WBAスーパーウェルター級スーパー・タイトルマッチ
ミゲール・コット(プエルトリコ)×フロイド・メイウェザーJr.(アメリカ)
何を置いても「パッキャオの失神KO負け」という誰もがイメージすることができなかった瞬間が今年のすべてだろう。パウンド・フォー・パウンドがとうとうキングの座から明白な形で滑り落ちた、ということ以上の衝撃を見るものに与えてくれた2人のボクサーの圧倒的なパフォーマンスに心から感謝を捧げたい。「スタイルが試合をつくる」とはボクサーのインタビューを読んでいるとよく目にする言葉であるが、これらの5試合は各選手のスタイルをスピリットが越えて行く瞬間が垣間見えた好試合だった。3は井岡の固いジャブに視界が完全にふさがりインファイトを挑むしか手がない八重樫をアウトボクシングすることなく迎え撃った井岡のスピリットに胸を撃たれた。2は圧倒的優位で迎えた12R、思わぬミスからチャベスJr.の左フックでダウンしたマルチネスがおぼつかない足下でクリンチせず手を出し続けて迎撃する姿に思わず声を上げた。スピリットだけではない、1のマルケスが3Rに放った右ロングフックの甘美な軌道に恍惚とし、5のコットの堅実で揺るぎのない執拗なプレスに新たなモチベーションを引き出されたメイウェザーが12Rに放った右ストレートから左アッパーの予想できないコンビネーションに息を呑んだ。スタイルの基盤の上に展開したそのすべてのスピリットとアクションに尊敬と感謝を捧げたい。
『J・エドガー』クリント・イーストウッド J.Edgar, directed by Clint Eastwood |
『アウトレイジ ビヨンド』北野武 Outrage Beyond, directed by Takeshi Kitano |
『こんなに暗い夜』(再編集版)小出豊 So Dark Night, directed by Yutaka Koide |
『Playback』三宅唱 Playback, directed by Sho Miyake |
『幸せへのキセキ』キャメロン・クロウ We Bought a Zoo, directed by Cameron Crowe |
『J・エドガー』には本当に驚愕し震撼した。イーストウッドの撮った『ゲアトルーズ』を見てしまった気がした。新作ではほかに『リアル・スティール』、『贖罪』、『ダーク・シャドウ』、『灼熱の肌』、『親密さ』、『おおかみこどもの雨と雪』、『Virginia/ヴァージニア』、『バビロン2-THE OZAWA-』、『慰めようのない者』など、旧作では『警察官』、『刑事ベラミー』、『バールーフ・デ・スピノザの仕事 1632-1677』、『不景気は終わった』、『盲目の梟』、『トラス・オス・モンテス』が印象深い。映画祭関連の新作はほとんど見逃してしまった。ところで今年もっとも違和感を覚えた作品が、多方面で絶賛されたスピルバーグの『戦火の馬』だったことは、いまだに自分でも不思議で仕方ない。来春に予定された『リンカーン』の公開を待って、改めてこのフィルムについては考えてみたい。
何かを時間をかけて生み出すことは、しかし同時に、目の前の物事に噛りつく瞬発力を養うことなしには達成し得ないことなのだと、つくづく反省した一年だった。その単純でひどく困難なことを、私に教えてくれた5つのもの。
『私たちに残されるもの』ヴァンサン・マケーニュ Ce qu' il restera de nous』, directed by Vincent Macaigne |
『女たちのいない世界』ギョーム・ブラック Un monde sans femmes,directes by Guillaume Brac |
『ザ・ディープ・ブルー・シー』テレンス・デイヴィス The deep blue sea, directed by Terence Devies |
『どこからか来た娘』ジャン=クロード・ブリソー La fille de nulle part, directed by Jean-Claude Brisseau |
『夜の子供たち』キャロリーヌ・ドリュアス=ガレル Les Enfants de la nuit, directed by Caroline Deruas-Garrel |
次点には『Jaurès』Vincent Dieutre、『Two year's at sea』Ben Rivers、 『Traviata et nous』Philippe Béziat、『Orleans』Virgil Vernier、『Ingrid Caven,musique et voix』Bertrand Bonello、『Images de l'eau』Philippe Cote。
今年も日本公開作品は編集委員の方に任せ、未公開作品、映画祭で見た作品から選ばせて頂いた。旧作のベストは、見た後の衝撃を今でも忘れられない5本。
『ドラゴン・タトゥーの女』デヴィッド・フィンチャー The Girl with the Dragon Tattoo, directed by David Fincher |
『ル・アーヴルの靴みがき』アキ・カウリスマキ Le Havre, directed by Aki Kaurismäki |
『親密さ』濱口竜介 Shinmitsu-sa(Intimacy), directed by Ryusuke Hamaguchi |
『グッドバイ・マイ・ファーストラヴ』ミア・ハンセン=ラヴ Un amour de jeunesse, by Mia Hansen Løve, |
『五月の後』オリヴィエ・アサイヤス Après Mai, directed by Olivier Assayas |
ヴェテランの充実した2本(『ドラゴンタトゥーの女』、『ル・アーヴルの靴みがき』)を見た後、濱口竜介とともに「演じることとは何か」を思考し、ミア・ハンセン=ラヴに導かれて谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を再読し、『五月の後』を見て、ぼく自身の「五月の後」を辿り直したくなった。
今年はブロッサム・ディアリーを始め、英語でもフランス語でも歌う女性歌手のCDばかりを探して聞いていた。ブロッサムの他に、「お勧め」はスペイシー・ケント(彼女が歌う『過ぎ去りし日々』はすごくいい)、お馴染みジャネット・サイデル(ブロッサム好きの彼女は、《Dear Blossom》 というアルバムも出している)。
この人の「侠気溢れた」文章が大好きだ。平松さんも「侠気」と書いてもきっと怒らないと思う。もちろん彼女の「本職」の料理本もいいが、この本は、読書感想文集なんだが、対象が、獅子文六、池部良、沢村貞子、石井好子と来ると、ぼくはもうKO状態!
バルサ一本かぶりにちょっと飽きが来ていたので、このゲームのイタリアは良かった。ブランデッリの才気が見えた戦いぶり。デジャヴュではない、新しいゲームがここにあった。
有楽町交通会館ビルの地下は、文字通りディープだ。中でも13時過ぎには売り切れてしまう大正軒のスコッチエッグ定食が好きだ。
『戦火の馬』スティーブン・スピルバーグ War Horse, directed by Steven Spielberg |
『少年と自転車』ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ Le Gamin au velo, directed by Jean-Pierre Dardenne, Luc Dardenne |
『ミッドナイト・イン・パリ』ウディ・アレン Midnight in Paris, directed by Woody Allen |
『ローマ法王の休日』ナンニ・モレッティ Habemus Papam, directed by Nanni Moretti |
『Virgnia ウァージニア』フランシス・フォード・コッポラ Twixt, directed by Francis Ford Coppola |
公開順です。
ここ数年、映画をみるときによく思い浮かべるのは「フィクション」という言葉です。それは、度々感じる不満のようなものから来ているかもしれません。ちゃんとフィクションを立ち上げてくれない、ただ行為のみが並べられている、などなど。
どこにでも馬好きがいること、何の戸惑いもなく1920年代にタイムスリップしていること、枢機卿が暇つぶしにバレーボールに興じること、どこにでもあるような田舎街で撮られていてエドガー・アラン・ポーが唐突に登場すること。それらは一例でしかないですけどそうした非現実をそういうものだとして成立させてしまう、そのフィクションとしての素晴らしさ。それを支えているのはテクニックなのか、経験なのか、開き直りか、それともフィクションを信じているということなのでしょうか。それらに対抗するならば『少年と自転車』くらいまでに現実性を丁寧に積み重ねる必要があるのではないでしょうか。
一度気になると夢中になってしまう性分なもので、今年は一年通して落語を多く聴きました。ほぼ毎日複数の場所で行われているので、正確なベストなど誰にも選ぶことはできません。一期一会です。
あくびを習いにいく、借金とりを睨んで追い返す、一文ちょろまかしてそばを食う、そんな愛らしくて馬鹿馬鹿しい噺ばかりです。各選択理由は突き詰めれば、ひたすら高揚したか、ひたすら笑ったか、です。
『カリフォルニア・ドールズ』ロバート・アルドリッチ The Calofornia Dolls…All the Marbles, directed by Robert Aldrich |
『白夜』ロベール・ブレッソン Quatre nuits d'un reveur, directed by Robert Bresson |
『ラヴ・ストリームス』ジョン・カサヴェテス Love Streams, directed by John Cassavetes |
『レスラーと道化師』ボリス・バルネット Boryets i Kloun, directed by Boris Barnett |
湯浅湾『我が道をゆく』ライヴ [爆音3D映画祭] Yuasa-Wan's live "Waga Michi wo Yuku(Go My Own Way)", directed by Manabu Yuasa |
今年はけっこう新作を見逃してしまっていて、その中からむりやりベストを選ぶのは、ちょっとどーなのよ、と思い、はじめてスクリーンでお目にかかった旧作5本を挙げてみた。わざわざ「2012年ベスト」にすることないじゃん、と言われるだろうけど、こうやって眺めればさすがに壮観で、(しかもこのうち3本は35mmニュープリント!)、なんだかスゴい年だったな、と。あとFILMeXで上映されたメナハム・ゴーラン(『ラヴ・ストリームス』のプロデューサー)が監督した『エルドラド』がかなりおもしろくてビックリした。 さいご『我が道をゆく』ライヴだけど、これは湯浅学が高校時代に作った映画を流し、そこに湯浅湾が音楽をつけるというもの。これまで何度かやっているのだが、ようやく爆音3D映画祭で見ることができた。どこかへ向かってスクリーンのなかを走っていた若き湯浅学が、ゆく先を誰にも教えずそのまま歩きつづけ、ついに“どこでもない所”(湯浅湾「柔らかい太陽」)に立って歌っていた。もうメチャクチャ感動した。
2012はなんといっても『2666』。長大な小説だった。実際ここで挙げた他の4冊を足したより長いかもしれない。もちろんソローキン、ロセーロに熱狂し、クノー、デュレンマットに魅了されたんだけど、すっかりボラーニョにハマってしまった。この謎と、偶然と、夢にみちた壮大な小説を、その中心人物である作家アルチンボルディの足音をたよりに、まるまる一ヶ月かけて読んだ。そして、今ふと思ったのだけど、その歩みは、たぶんこう言っていたのだ。 ――何百キロも歩きつづけたが、おれの行きたかった所は、誰にも教えない。だって、それは、どこでもない所。(湯浅湾「柔らかい太陽」)
1. | 『ヒューゴの不思議な発明』マーティン・スコセッシ Hugo, directed by Martin Scorsese |
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2. | 『J.エドガー』クリント・イーストウッド J.Edgar, directed by Clint Eastwood |
3. | 『ヴァージニア』フランシス・フォード・コッポラ Twixt, directed by Francis Ford Coppola |
4. | 『4:44 地球最期の日』アベル・フェラーラ 4:44 The Last Day on Earth, directed by Abel Ferrara |
5. | 『夢の中での愛の闘い』ラウル・ルイス Combat d'amour en songe, directed by Raúl Ruiz |
1.映画が作られ保管され上映されるまでの各プロセスの至る部分に、創意とトリックと魔法が宿るという当たり前の事実を再確認した。
2.マッチョなゲイ老人ふたりによる今年最高のラヴストーリー。そして今年最高の老けメイク映画。
3.スランプの作家、怪しい田舎町。それだけで映画になる。キング、ラヴクラフトと系譜を遡り、ポーに至ったとしても、まだまだその先には深い闇が横たわり続ける、そんなアメリカとホラーの関係性を考えさせられた。
4.希望がない、ということに、真っ当な距離感で向き合えた。
5.ラウル・ルイスの追悼というより、今年やっとその存在のわずかな部分を知り始めたばかりといった感じ。彼の映画に出てくる海賊、子供、メイド、といった人間たちには、これからまだ見ぬルイス作品と出会うたびに魅了され続けると思う。
そういう年だったという認識なしには、2012年のことを考えられない。
かつてnobodyの表4に広告を提供してくれていたunited bambooも2012年のSSを持って日本での取り扱いが終了した(2013年AWよりオンワードによって日本展開が再開されるとのこと)。このブランドの定番アイテムで、ここ10年もっとも欲しかったモッズコートをヤフオクで購入。かつての広告主に申し訳なさすぎて、いくらで買ったかはとてもここには書けない。これがあればなにも恐れるものはない、くらいにあったかい。しかし生来の貧乏性のため、ラクーンファーは取り外したまま一回も装着していない。
これもまた10年来の念願だったヨ・ラ・テンゴのライヴ。しかも「いわゆるバンド・セットではなく、観客とのトーク、Q&Aも元に演奏曲目をヨ・ラ・テンゴがその場で決め、オリジナル曲とカヴァー曲を織り交ぜながら、セミ・アコースティック・セットで演奏していく」という変則ライヴ。『Fakebook』で魅了され、『Yo La Tengo Murder the Classics』に収録されているラジオ局WFMUの運営資金を集めるためのカヴァーライヴイベントに憧れてきた者にはたまらない内容。Twitterかなにかで、「温泉のようなライヴ」と書いていた人がいたが、まさに的確な比喩。温泉みたいなライヴができるバンドやりたい。
まだまだ全然きれいなプリントなのにこれが最後の上映になるとか、これまで何度か行った爆音『アンストッパブル』では全然動員が伸びなかったとか、そしてなによりトニー・スコットの死だとか、そんなことをすべてひっくるめても素晴らしいと言える上映だった。来年はこの映画のクリス・パインぐらいの仕事はしたい。