批評交通網 第一回

「批評交通網」は、主に東京以外を拠点に活動する映画批評メディアや個人を取材する企画である。本企画で焦点を当てるのは、個々の批評の文体や主義よりも、いかにしてメディアとしての活動を維持し、どのような困難に直面してきたかという「実践」の記録だ。もちろん、活動の仕方は批評のスタイルとも密接に関わるため、それらを切り離して考えるわけではない。しかし、ここでの目的はいわゆる「批評の批評」ではなく、批評の「場」をどう構築するかという知恵を募ることにある。
 今の時代、いかにして映画批評を届けるか——。これは我々nobodyにとっても極めて切実な問題だ。2001年から2020年までに47冊の雑誌を刊行してきたnobodyだが、現在はWebとリトルプレスMUGが活動の主軸となり、雑誌の刊行は途絶えている。変容する状況の中で、再び雑誌を出すことは可能なのか。あるいは、より良い方法が他にあるのか。この企画を通じ、自分たちの立ち位置をあらためて見つめ直したいと考えている。
 取材対象を「主に東京以外」としたのは、映画批評が他のジャンルと比べても地理的状況に左右される面が多いからだ。配信の普及により映画を見ることの制約は減ったとはいえ、中小規模のロードショーは依然として東京が先行し、特集上映の密度において、東京は世界的に見ても突出している。さらにはメディア向けの試写会の多くも東京のみで開催されるのが現状だ。こうした偏った環境でメディアを運営していると、どうしてもその特殊な状況を基準に思考しがちだが、それは結果として読者層を狭めてしまうという現実的な課題も孕んでいる。東京中心の上映環境にいかに向き合うべきか。この問いは、東京以外で活動する人々もまた、それぞれの場所で形を変えながら抱えているはずだ。
「東京以外」という視点には、国内の諸地域だけでなく海外も含まれる。映画批評の場がどのように維持されているのかを問うことは、その国の上映環境や出版事情を紐解くことにも繋がるだろう。彼らが商業とインディペンデント、あるいは紙とwebの間をいかに泳ぎ、活動を継続しているのか。各地の切実な声に耳を傾けていきたい。
 第一回となる今回は、韓国のインディペンデント映画雑誌FILO、福岡を拠点に多彩な映画批評プロジェクトを展開するAsian Film Joint主宰の三好剛平氏、そして北海道大学の大学院生らによるプロジェクトskiptracingのメンバーに話を伺った。

FILO インタヴュー
刊行し続けるためのプロセス

——FILOはどのようにはじまったのですか?

イ・フギョン(以下イ) 2017年末、真に情熱を注ぐことができ、強く信じることができる映画について自由に語り合える場をつくろうと集まりました。私たちの多くは商業映画雑誌で社内記者や定期寄稿者として働いてきた経験があり、そのような場をつくるにはそこから独立して立ち上げるほかないことも分かっていました。そこで、成功するかどうかは分かりませんでしたが、2018年初めにクラウドファンディングを開始しました。驚いたことに資金が集まり、同じような場を求めていた人が多くいたことがわかりました。こうして私たちの旅が始まりました。

——商業誌だとなぜあなたたちが望むことができないのでしょう?FILOと他の商業的な映画雑誌の違いを教えてください。

 商業誌すべてではありませんが、多くの雑誌は、より大きな読者層を抱え、広告クライアントの要望に応える立場に置かれがちです。その結果として、より一般的で大衆的な映画へのアプローチを維持せざるをえなくなります。私たちが望んだのは、いわゆる流行やファッション、金銭や権力といったしがらみから独立した、自律的な空間をつくることでした。そこで、自分たちが最も愛してやまない映画について、それぞれの作品にもっともふさわしいと信じる書き方で書ける場を持ちたかったのです。目的はつねに同じです。私たちは、シネマとは何か、そしてシネマはいかにありうるかを考えさせてくれる作品について書くことを選びます。映画祭や劇場で公開される作品を網羅したり、特定の流行作品に集中したりはしません。そうした営みは、主流であれニッチであれ、国内であれ国際的であれ、市場が批評を規定してしまうためです。私たちを最終的に導いてくれるのは、あくまでも「シネマの可能性」です——とはいえ、商業主義を完全に避けることが決して容易ではないことも痛いほど承知しています。

——なぜ2017年末だったのでしょう?それまでの経緯をもう少し知りたいです。

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三好剛平インタビュー
映画という”交流”の土壌をつくる

——三好さんが主宰する「Asian Film Joint」(以下、AFJ)は、「アジア映画の上映と交流」と銘打たれたイベントだと伺っています。なかでもこの「交流」という言葉がとても重要だと思うのですが、具体的にはどういった交流の場となっているのでしょうか。

三好剛平 AFJではアジア映画をただ上映するだけでなく、そこから派生し得る「交流」の現場をできる限り積極的につくることを意識して運営しています。例えば映画を上映する際には、監督らに会場かオンラインで登壇してもらい、観客からの質疑も積極的に受け付ける対話の場を設けるようにしていたり、作家や作品などを糸口に地元や国内外の識者も交えたトークイベントを実施してみたり。昨年はゲスト監督たちと一般参加者が直接交流できるアフターパーティなども開催してみました。こうした「交流」への意識は、自分が福岡で体感してきた、ある実感に起因しています。
 元々福岡では、アジア映画に特化した国際映画祭として「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」(以下、アジアフォーカス)が1990年にスタートし、2020年まで続いていました。アジア映画を30年間ひろく紹介し続け、アジアの映画人や観客たちからも毎年関心を寄せられるイベントでした。しかし2021年3月に、福岡市が事務局を務める実行委員会は「映画祭の役割を終えた」という見解のもと、突然その終幕を発表しました。残念ではありましたが、発表には今後の方針として「映画祭の人脈や開催のノウハウを民間事業者に引き継ぎ、民間主導の映画祭を支援するかたちへ方針転換する」ことも記されていました。

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skiptracing インタビュー
映画批評を「見る」

——まずはskiptracingをはじめた経緯からそれぞれお聞かせください

堅田諒 最初のきっかけは2年くらい前のことでした。当時、われわれ3人は北海道大学の大学院に所属し、私と三浦くんは同じ研究室で映画を、朴さんは隣の研究室で文学を研究していました。私と朴さんは同級生だったのですが、しばらくは廊下ですれ違って挨拶をするくらいの関係でした。ただ、私はアメリカ映画を研究対象としていて、朴さんはアメリカ文学を研究していたという繋がりもあり、三浦くんやそのほかの院生も含めて、リフレッシュがてら勉強会をするようになったんです。最初はジョセフ・コンラッドの『闇の奥』とジェームズ・グレイの『アド・アストラ』(2019)というどこか似た点をもつ2作品をそれぞれ分析して、3、4時間ディスカッションをしました。やってみたら映画と小説の違いはあれど、3人の分析スタイルが共通していることがわかった。理論から作品へ、ではなく、テクストの内部にとどまってそこから論理や法則を見つけていくスタイルです。そうした勉強会がまず最初のきっかけですかね。

朴舜起 堅田さんが言ったように、初めはリフレッシュ気分でした。少なくとも、僕はその成果を何かまとめた文章にして公開することは考えていなかった。一方、三浦くんはわれわれの知らないところでいろいろ考えていたらしい。たとえば、あるとき別に話があるんですと呼び出されたわけでもなく、何気なく同じ部屋で座って芸人か何かの話していたら、三浦くんが唐突に「プロジェクト」と口走ってて、なにそれみたいな感じで話を聞いてたら、skiptracingの話が出来上がっていた。なので、三浦くんには何かしらの理念があったのかもしれないけど、私からしても、やはり勉強会からskiptracingにそのまま移行していった。あるいは気づいたら三浦くんの「プロジェクト」の一部になっていた、という印象です。

三浦光彦 研究者としてテクスト分析と呼ばれるようなものをやるわけですが、その分析の妥当性ってどこで決まっているの?ということがずっと気になっていました。たとえば、論文だったら査読があって、そこで掲載可能かどうかが判断される。そのときの基準は何なのか。突き詰めて考えれば、その基準はさまざまな共同体が都度決めているものでしかない。そんな話を夜中3人でしたのが私にとってのきっかけです。ある分析が正当化され、それ以外の分析が誤ったものとして排除されるメカニズムは何なのかということを考えると、最終的に共同体の問題に行き着くんじゃないか。そういったことを複数人でひとつのテクストについて話す勉強会というスタイルを通じて、考えるようになりました。複数人で作品の分析、執筆していくskiptracingのスタイルは、互いに分析の妥当性を検討しながら進めていくためのものでもあります。

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