FILO インタビュー
刊行し続けるためのプロセス
取材・構成:梅本健司、荒井南
韓国を拠点とする映画メディアであるFILOは、世界各国の映画監督へのインタビューや批評家によるテクストを収録し、150ページを優に超える分量の雑誌を隔月で刊行している。しかもそれは商業出版ではなく、インディペンデントなかたちで継続されている。ZINEとして不定期に刊行したり、継続可能な範囲に紙幅を抑えて制作したりするのであれば、日本でも映画批評誌を刊行することは不可能ではないかもしれない。しかし、これほどの規模と完成度を備えた媒体を定期刊行し続けることは、現在の映画批評を取り巻く状況に照らせば、きわめて困難であろう。それではFILOはいかにしてこの実践を可能にしてきたのだろうか。編集体制はいかなるかたちで組織され、資金はいかにして確保されているのか。そして何よりも、これほどの労力を要する営みを支える動機はどこにあるのか。こうした問いを携え、現編集長であるイ・フギョン氏にメールインタビューを依頼した。もっとも実際にやり取りを重ねてみると、当然のことながら何か魔法のような方法があるわけではなく、さまざまな困難に見舞われながら、多くの労力をかけメディアを維持していることがあらためてわかった。多忙を極めるなかでも、できる限り誠実に質問に応じてくださったイ氏に対し、まずは深い感謝の意を表したい。
今回は雑誌の内容面に踏み込むことができなかったため、ここではまずあらためてFILOがどのようなことに取り組んでいるのか簡単に紹介しておきたい。FILOは、日本の多くの映画監督に取材を行っており、たとえば三宅唱監督には、新作を撮るたびに継続してインタビューを行っている。質問の多くは、物語の内容そのものではなく、登場人物をどうカメラに収めるのか、音響をいかに活かすかなど、演出に関するものだ。それらの問いは指摘されてはじめて気づくような細部にまで及んでおり、三宅作品に親しんでいる日本の観客にとっても、新たな発見に満ちている。
韓国国内の新作評においても、FILOは積極的に国外の批評家に執筆を依頼している。たとえば、最近日本でも公開されたホン・サンス監督『小川のほとりで』については、『映画と国民国家』(2002)の著者として知られるフランスの映画批評家ジャン=ミッシェル・フロドンが寄稿している(40号)。「タペストリーと政治の間を流れる〝スユ川〟」と題されたその文章でフロドンが指摘しているのは、『小川のほとりで』において、ホン・サンス映画としては異例なかたちで「政治」が前景化しているという点である。ホン・サンスの作品は一貫して、人と人が共に生きることの困難さを描いてきたという意味では常に政治的だが、具体的な政治的言葉や対立が物語の内部に明確に入り込むことはほとんどなかった。ところが本作では、普段は均衡を保っているように見える人間関係が、ある言葉や出来事を契機に不安定さを露呈し、その背後に政治的緊張が潜んでいたことが明らかになると、フロドンは読む。さらにフロドンは、酒席での会話や小さな衝突といったホン・サンス映画におなじみの舞台が、今回は登場人物の過去や、学校という制度の内部で起きた問題、さらには劇の演出内容をめぐる軋轢と結びつき、私的な感情と公的な問題が切り離せないかたちで絡み合っていく点を強調する。こうして現在と過去、個人と社会が重なり合い、抑制された語りと映像美にもかかわらず、映画全体は複合的で強度の高いモチーフを孕んだ構造へと展開していく。フロドンにとって『小川のほとりで』は、そのような政治的緊張を内包しつつ、ラブストーリーの誕生を静かに描き出す映画なのである。ホロコーストが映画に深く刻まれた痕跡を探求した著作のように、フロドンの論評は映画がいかに政治や社会に応答しているかを読み解く傾向にあり、『小川のほとりで』を分析する執筆者としてふさわしいと抜擢されたのではないだろうか。
海外の監督への丁寧な取材と、国際的な批評家のネットワークを活かした論考——こうしたFILOの編集方針は、どのような考えのもとに形作られてきたのだろうか。以下、イ編集長のインタビューをお読みいただきたい。
——FILOはどのようにはじまったのですか?
イ・フギョン(以下イ) 2017年末、真に情熱を注ぐことができ、強く信じることができる映画について自由に語り合える場をつくろうと集まりました。私たちの多くは商業映画雑誌で社内記者や定期寄稿者として働いてきた経験があり、そのような場をつくるにはそこから独立して立ち上げるほかないことも分かっていました。そこで、成功するかどうかは分かりませんでしたが、2018年初めにクラウドファンディングを開始しました。驚いたことに資金が集まり、同じような場を求めていた人が多くいたことがわかりました。こうして私たちの旅が始まりました。
——商業誌だとなぜあなたたちが望むことができないのでしょう?FILOと他の商業的な映画雑誌の違いを教えてください。
イ 商業誌すべてではありませんが、多くの雑誌は、より大きな読者層を抱え、広告クライアントの要望に応える立場に置かれがちです。その結果として、より一般的で大衆的な映画へのアプローチを維持せざるをえなくなります。私たちが望んだのは、いわゆる流行やファッション、金銭や権力といったしがらみから独立した、自律的な空間をつくることでした。そこで、自分たちが最も愛してやまない映画について、それぞれの作品にもっともふさわしいと信じる書き方で書ける場を持ちたかったのです。目的はつねに同じです。私たちは、シネマとは何か、そしてシネマはいかにありうるかを考えさせてくれる作品について書くことを選びます。映画祭や劇場で公開される作品を網羅したり、特定の流行作品に集中したりはしません。そうした営みは、主流であれニッチであれ、国内であれ国際的であれ、市場が批評を規定してしまうためです。私たちを最終的に導いてくれるのは、あくまでも「シネマの可能性」です——とはいえ、商業主義を完全に避けることが決して容易ではないことも痛いほど承知しています。
——なぜ2017年末だったのでしょう?それまでの経緯をもう少し知りたいです。
イ 当時も商業誌やいくつかのインディペンデント系の雑誌はありましたが、どれも「シネマをシネマとして」真正面から扱い、そのために書くことの挑戦を受け止められる場だとは感じられませんでした。特定の出来事が私たちを駆り立てたというわけではありませんが、「どこかで書けたらいいのに」と思う映画について語り合っていた、何度もの友好的な集まりのなかで、強い欲求がじわじわと蓄積されていったのを覚えています。当時クラウドファンディングが普及しつつあったことも、その思いを具体化する助けになりました。
——雑誌をつくるということは、一冊刊行するということではなく刊行し続けるサイクルをつくることだと思います。どのような話し合いのもとに現在の2ヶ月に一度のペースになったのですか?
イ 編集員の多くはもともと週刊誌で働いていました。韓国の商業映画雑誌は伝統的に週刊が主流だったためです。しかし、その早い回転率は経済的に持続不可能でした。また、週刊サイクルで働いていたときには到底できなかっただけの愛情と丁寧さを、ひとつひとつの号に注ぐ時間もほしかった。一方で、韓国では季刊誌は伝統的に文学や学術系読者に結びついており、映画ファンにはしっくりこないと感じていました。そこで月刊か隔月刊のどちらがいいか検討しつつも、財政的な制約のなかで、適切な制作、編集期間を少しでも確保できる隔月刊を選ぶことにしました。
——扱う作品はどのように選ばれているのですか?
イ 厳密なルールというものはとくにありません。ひとつ言えるのは、その作品がシネマであること、そして私たちがその映画について愛しているか(あるいは嫌っているか)という強い感情を抱いていることです。まず、韓国や世界でどんな映画が上映されているのかをチェックします。その中から、「もっと研究されるべきだ」「もっと観客に届くべきだ」と感じる作品を選びます。たいていは、私たちが信頼している、あるいは強い興味を持っている映画作家の作品であることが多いです。けれど、こちらの予想を裏切って驚かせてくれる映画、まったく予期せずふと出会う映画が選ばれることもあります。いずれにしても、その映画は、どれだけ知っても決して知り尽くすことのできないシネマについて、もっと学びたいと思わせてくれる作品なんです。
——書き手はどのように選ばれるのでしょうか?編集会議でのプロセスも含めて知りたいです。
イ 友人であり同僚でもある私たちは、お互いの好みや得意分野をかなりよく把握してきました。初期のころは、皆で集まって会議をし、その場で決めていましたが、長年いっしょに仕事をしてきたいまでは、編集長である私が、それぞれの書き手にこちらから連絡を取り、候補となる企画を提案しています。書き手と映画との最良の組み合わせになるよう努めています。
——FILOは現在どのような場所で販売されていて、どのような読者を獲得しているのですか?
イ FILOは現在、韓国の主要なオンライン・オフライン書店や、独立系書店で販売されています。また、私たち自身のオンラインショップでも購入できます。どんな読者が私たちの雑誌を買ってくださっているのかを正確に知るのは簡単ではありませんが、私たちは、読者の多くがさまざまな世代の映画ファンだろうと考えています。たとえば、20世紀にホン・サンスの映画の誕生を目撃した方々から、彼の映画への旅をはじめたばかりの方々まで、本当に幅広い層に読まれているのだと思います。
——nobodyは編集室が東京にあることによって、どうしても都内の映画上映の状況を中心に考えがちで、それゆえに他の都市や地方に住む人々に記事が届きにくいと感じています。FILOの場合はどうですか?
イ 私たちもまったく同じジレンマを抱えています。韓国でつくられ、韓国語で書かれ読み継がれる雑誌であり、さらに韓国文化がソウルに強く集中していることもあって、誌面が流通する時期にソウルで上映される映画は何か、という点をしばしば考慮せざるをえません。しかし同時に、産業やマーケットが課すスケジュールからできる限り離れようともしています。もし韓国以外の映画祭で出会った映画を好きになったり、ソウル以外で重要な回顧上映が行われていると聞いたりすれば、たとえソウルからアクセスしづらくとも、いずれソウルでも上映されることを願いながら、できるだけ取り上げるようにしています。
——FILOがそのように世界の映画を、幅広い人に届けようとしている意図は複数言語で記事を掲載するという取り組みからも感じられます。そのような方法を選んだ経緯をお聞かせください。
イ 記事を原文のまま掲載するという決断は、創刊号の時点ですでに下されていました。韓国語以外の言語で書かれた最初の2つの記事——映画批評家エイドリアン・マーティンによる英語の寄稿と、諏訪敦彦監督による日本語の寄稿——を受け取り、目を通したとき、私たちはすぐにこう感じたのです。最善の翻訳を通じて韓国の読者と共有したいと思う一方で、翻訳の過程でどうしても失われてしまう「原文の言語」そのものを保存したい、と。映画と同様に、文章においても、ある媒体から別の媒体へと読み解き、翻訳する過程で、独自の「リズム」や「豊かさ」が損なわれてしまうのではないかという懸念がつねにあります。これは映画監督へのインタビューでも同じことが言えます。監督たちはそれぞれ独自の語彙や話し方を持っており、私たちは翻訳を通じてその言葉を正当に伝えようと最善を尽くしていますが、やはり元の書き起こしを併記することこそが正しいあり方だと感じています。そうすることで、もし読者が望むなら、執筆者や映画監督が意図した通りの完全な形である「原文」で、その記事を深く読み込むことができるからです。そして私たちは、読者の皆さんの厳しい目にさらされることを、むしろ喜ばしく思っています。
——その他に雑誌を刊行するうえでの悩みはありますか?
イ 現在、私たちは雑誌の存続をめぐるもっとも困難な決断に直面しています……。クラウドファンディングによる創刊や、年会費の購読会員に支えられた紙媒体であることから、読者とのたしかな関係性をつねに感じてきました。しかし現在の出版・メディア産業の状況のなかで、灯をともし続けることが非常に難しくなっていることを、残念ながらお伝えしなければなりません。
——最後に“In Search of Cinema, Language, and Love”というスローガンはどのような経緯で掲げられたのですか?
イ 映画批評という仕事が、なぜ自分たちが特定の映画に深く心を動かされるのかを理解しようとする営みなのだとすれば、それは「過程」であり、「旅」のようなものだと思います。つまり、シネマとは何であり得るのか、どのように書くことでそれを学べるのか、そしてなぜ私たちはシネマをこんなにも愛してしまうのか——その答えを探し続ける旅です。そしてこれらの問いは、一度答えが出れば終わりというものではなくて、私たちを動かした一本のシネマに向き合うたびに、何度でも問い直され、更新されるべきものだと感じています。