遅ればせながら『ゴスフォード・パーク』を見に恵比寿へ行く。しかし、恵比寿ガーデン・プレイスは何度来ても薄気味の悪い場所だ。ご存知の方も多いと思うが、ここはサッポロ・ビール恵比寿工場が船橋に移転した跡地を利用して建設された。元々同地に工場が建てられた20世紀初頭、周辺地域は目黒村三田と呼ばれ、民家もまばらな農業地帯で、突如現れた近代的工場は威容を誇ったという。で、現在のように周囲が住宅地として整備され、工場が複合商業施設になったことで何が変わったかというと、実際何ら違和感は解消されていない。ただ、そうした違和感が人の足を誘引する装置として利用されるようになっただけだ。
東京ディズニーランドの入場口が施設の規模に対してかなり小さめに設計されているのは、意図的に混雑を起こすことで入場者に心理的な圧迫感を与え、「これから自分は非日常の空間に足を踏み入れるのだ」という印象を持たせるためだと聞いた。一種のイニシエーションである。だとすれば、恵比寿駅から延々と続く動く歩道も同様の効果を持っているのではないか。勿論あのスカイ・ウォークは駅からやや離れた敷地にアクセスするまでの心理的距離を短縮する目的で設置されているのだが、しかしあれだけの距離をひたすら壁にかかったポスターを眺めながら移動するのは、もうそれだけで十分な苦行だろう。
そうして辿り着くのは、たしかに夢の街(?)なのだが、ディズニーランドの周囲が駐車場とラブホテル群という「夢のつづき」で成り立っているのに対して、ガーデン・プレイスの周辺街区は、もうただ生活があるばかりの住宅街なのだ。そしてあそこの気味の悪さは、そうした夢の街と生活区域が、片側一車線道路でだらしなくつながっている点に起因している。せっかく苦行に耐えてやって来たのに、ちょっと視線の先を転じれば、そこには民家だの小学校だの病院だのが飛び込んでくる。おかげで、ガーデン・プレイスで安らげる場所といえば写真美術館か、移転跡地の地形をそのまま利用したと思しき中央の谷底だけなのだが、この日、美術館は既に閉館しており、谷底はクリスマス・イルミネーションの前で記念撮影をするカップルで溢れかえっていた。確か前回の担当分で私はイルミネーション(制作)を賛美する駄文を書き付けたはずなのだが、こんなところで仇を返されるとは。
中川正幸