「目黒は起伏に富み、富士の眺めの良い所が多い。浮世絵、江戸名所図会にも描かれた。冬の晴れた日、ここから見える富士は、当時のなごりをとどめている」。西郷山公園の南の一角には、こんな言葉が書かれた看板が立っている。今日こそ冬の晴れた日と呼ぶに相応しい天気であったから、日が暮れる前に来たならば、あるいは「目黒の富士」も見えたかもしれない。残念だ。
公園を出て旧山手通を南に進み代官山交番の前を右に折れると、かつては「暗闇坂」「目折坂」と呼ばれていたという坂道に出る。坂に入ってすぐのマンションの前には、江戸時代に富士講という富士山信仰が流行ったその跡地に、この建物が建っていると記されている。富士講とは、身近な場所に富士山を模した丘を築きそこを祀るというものらしく、当時築かれた「目黒の富士」は高さ12mに及んだという。
このふたつの「目黒の富士」の間、いまちょうど前を通り過ぎてきたばかりのヒルサイドテラスの中には、富士というには程遠い小さな丘がある。古墳なのだそうだ。槙文彦の手によるこの建物にすっぽりとつつまれ、言われなければ古墳だとは気付かないようなこの丘は、富士講よりも遥か昔からこの場所にある。旧山手通沿いには「エンジュ」というマメ科の樹木が植えられているらしいが、この古墳の周りに生い茂っているケヤキの樹は「街の緑」などと呼ぶのはおこがましい程の、ある種圧倒的な生命力がある。無論表参道のケヤキ並木とは比べものにならない。
丘の上には小さな祠が祀ってある。賽銭箱が置いてあるのはどうしてかわからないが、とりあえず宝クジでも当りますようにと、願い事をしてみた。
結城秀勇