今日は年末ということで帰省の途についた。途中、上野に寄ったのだが、上野の街にはいつ来ても懐かしさを感じてしまう。というのも、上野には幼いころよく両親に連れられ遊びに来ていて、ローカル線で二時間弱、その終着駅が上野なのだ。だから当時の記憶が上野という街に強くこびり付いていて、懐かしさなしにはこの街を歩くことができないというわけだ。そのせいか、最近、上野駅は改修されて小奇麗な感じにされたけれど、やはり上野の街は、自分の記憶の及ぶ限りのここ十数年間ほとんど変わっていない様に思えてならない。しのばず口を出て右に行くと見える「聚楽」の看板、その隣の映画館。そこから御徒町の方へ歩いていくと松坂屋があり、本郷へとつながる坂道がのびている。
実家に着いてから、古いアルバムを引っ張り出してきてめくってみた。上野で撮った写真はそれほど見つからなかったのだが、以外にも、その数枚の写真に写った上野がやはり現在の上野とは明らかに違うことに驚かされた。
ところで、今日は途中でロメールの『グレースと公爵』を観てきたのだが、この映画もあるひとつの街に関する記憶の映画であると思う。パリで起こったフランス革命を題材にした映画だ。今日は自分の上野という街についての記憶は、それが正確でだったにしても、そうではなかったにしても、写真によってひとつの明証な事実をつきつけられたわけだが、『グレースと公爵』の時代については、人間の記憶はもちろん写真さえも言及することはできない距離にある。だとしたら、映画として提出できる当時のパリという街に関する証拠は、絵画だけということなのだろうか。
関亦崇尋