「新年早々何をそんなに」と言われるかもしれないが、私は腹を立てている。今日「群像」の2月号を立ち読みしたせいだ。どうでもいいが、発売日に立ち読みするなんて私は文芸誌がよっぽど好きなのだろうか?何だか恥ずかしい。
原因は山根貞男と金井美恵子の対談である。長年「群像」誌上で連載した山根の映画時評が終わった記念の企画らしい。
いや、別にいいのだ、このふたりが「いまの映画批評は面白くない」と言おうと、「最近の若い人は映画を観る努力をしない」と嘆こうと、そんなことは今更気にならない。小言、苦言、悪口をおおっぴら公言するのは年寄りの役目だ。それでこそ、こっちも「うるせぇ、じじい」という気分になろうものである。ものわかりがよくなられても白ける。問題は「映画批評誌は「リュミエール」で終わった」という発言だ。
こういうことを言う人、ほんとに多いのだ。若い奴にも結構いる。「ちゃんと読める映画雑誌なんて「リュミエール」ぐらいだね」みたいな。はぁ!?本気で「リュミエール」を今読んでも面白いと思っているなら勝手にしてくれていいが、それとは別に現実に残した実績はきちんと評価すべきだろう。対談中に出てくる固有名、青山真治も黒沢清も阿部和重も、もっと言えば「アテネ・フランセの若い熱心なスタッフ」も、大なり小なり「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」と関わりのある人ばかりなのだ。それを無視して、全部を蓮實重彦の功績にしちゃうのは無理があるし、何より不健康。公の場の対談なら「私は嫌いですけど、「カイエ・ジャポン」っていうのもありますよね」くらい言っておいた方がいいと思う。本気で面白い映画批評を読みたいなら。
それとも私の知らないところで「「リュミエール」以降、日本に映画雑誌はありませんでした」とかいう公式見解でも発表されているんだろうか?「南京大虐殺」みたいだな、それ。胸糞悪い。
志賀謙太